|
『夜航詩話』の九回目は、詩の構造や詩句自体をそのまま借用して
詩を作ることを戒める内容のものです。
●本文
擬風雅體者、亦直兒戲耳、其作之尤易、不過翻摘故紙、數章可立成矣、
故陳腐餖飣、味若嚼蠟、絶無風趣、徒以其體之古、欺童蒙之耳目、
亦狡獪技倆、欲愚人、秪以自愚耳。
宋初朝士競尚西崑體、多竊取李義山詩句、嘗内宴優人有爲義山者、
衣衫襤褸、旁有人、問君何爲爾、答曰、吾爲諸館職撏撦至此、聞者大笑、
滄溟詩文爲蘐社蠶食、亦似此戲、良可笑爾。
●書き下し文
風雅体に擬する者、亦直に児戯のみ。其の之を作る、尤も易し。
故紙を翻摘するに過ぎず、数章立どころに成すべし。
故に陳腐餖飣、味、蝋を嚼むが若く、絶えて風趣無し。
徒らに其の體の古なるを以て、童蒙の耳目を欺く、亦た狡獪の技倆なり。
人を愚にせんと欲して、秪(ただ)に以て自ら愚にするのみ。
宋初に朝士競うて西崑体を尚び、多く李義山の詩句を竊取す。
嘗て内宴に、優人に義山を為す者有り。
衣衫襤褸、旁(かたはら)に人有り、問ふ君何すれぞ爾(しか)ると。
答へて曰く、吾れ諸館職に撏撦せられて此に至ると。聞く者大に笑ふ。
滄溟の詩文の蘐社に蚕食せらる、亦此の戯に似たり、
良(まこと)に笑ふ可きのみ。
●現代語訳
風雅体、つまり大昔の詩集である『詩経』の「国風」(民謡)や
「雅頌」(宮廷歌謡や祖先を讃える歌)にかたどった詩体を
似せて作った詩というものは、それは単に子供の遊びのようなもので、
そのような詩を作ることは、とても簡単なことなのです。
古い紙(に書かれた詩)を裏返したり一部をつまみ上げたりしているだけで、
たちどころに数章に及ぶ詩を作り上げることができます。
そのようにして作った結果、中身は陳腐で、不必要な故事などを
大量に使った詩が出来上がり、その詩の味はロウを噛むようなもので、
全く詩の趣をなくしたものになってしまうのです。
むやみにその詩体が大昔のものであることを利用して、
詩の道理を知らない人々の耳や目をくらますというのは、
わるがしこい腕前というものです。
相手の無知につけ込んで人をばかにしようと思っていても、
それは単に自分を愚かにしているだけです。
中国の宋の時代の初めには、朝廷に仕える役人は、
西崑体(せいこんたい)の詩体を尊重して、
多くの詩人は唐の李義山(李商隠)の詩から詩句を抜き取って使っていました。
かつて宮廷内の身内の宴会で、役者が義山(商隠)のような詩を
作っている者がおりました。
その人の着ていた衣や薄ものはぼろぼろになっていましたので、
そばにいた人が「あなたはなぜそんな様子で、そんな詩を作っているのですか?」
と尋ねました。
それに答えて言うには、
「私はいろんな文人の作品から文章を抜き取って使っているうちに、
このようになってしまったのです」
ということでした。それを聞いた者は大いに笑いました。
(李商隠の詩の魂や本質ではなく、表面的な詩句や、
挙げ句の果てには李商隠の閑職に追いやられた惨めな様子だけを学んで、
真似をしていたから笑ったものと思います)
滄溟(李攀竜)の詩文を蘐社(荻生徂徠の学派)が借用して
詩を作っていることなどは、このような子供の遊びのようなものなのです。
本当に笑うべきことです。
●語注
※風雅体(ふうがたい): 『詩経』の「国風」と「雅頌」を元にした詩体のことです。
※詩経(しきょう):儒教の「四書五経」の五経の一つで、中国最初の詩集です。
周の時代までの各地の歌謡三千余編から、孔子が三百五編を選定したと
言われています。
※国風(こくふう): 『詩経』の「周南」「召南」などの百三十五編の民謡を指します。
※雅頌(がしょう): 『詩経』の中の「雅」と「頌」の詩です。「雅」は宮廷歌謡で、
「頌」は祖先の功徳を讃える歌になっています。
※餖飣(とうてい): 文章を作るときに、不必要な古語・古事を
たくさん用いることです。
※童蒙(どうもう): 幼い子供、あるいは道理をよく知らない人のことです。
※朝士(ちょうし): 朝廷に仕える官吏のことです。
※西崑体(せいこんたい): 宋の初期の時代の詩風の一つです。
唐の李商隠(り しょういん)の詩を手本として、
故事をならべ修辞を重んじました。
詩集『西崑酬唱集(せいこんしゅうしょうしゅう)』の名に基づき、
西崑体または崑体(こんたい)といいます。
※李義山(り ぎざん): 李商隠(り しょういん)のことです。
※李商隠(り しょういん): (813〜858)唐の詩人です。字(あざな)は義山です。
その詩は修辞を生命とし、故事をしきりに取り入れ、
宋初の西崑体の祖となりました。
※内宴(ないえん): 宮廷内で行われる、身内だけの宴会のことです。
※優人(ゆうじん): しなやかな仕草をする俳優のことです。
※館職(かんしょく): 学者や文人の仕事を指して言います。
※撏撦(じんしゃ): 他の文学作品から文章を抜き取って使うことを
指して言います。この言葉は『中山詩話』などに用例があります。
※滄溟(そうめい): 明の李攀竜(り はんりょう)のことです。
※李攀竜(り はんりょう): (1415〜1570)明代の文人で、歴城(山東省)の人です。
字は于鱗(うりん)です。王世貞(おう せいてい)とともに李王(りおう)と
称せられ、ともに詩文の復古を主張し、古文辞派(こぶんじは)と称されました。
その文学は日本の荻生徂徠(おぎゅう そらい)らに影響を与えました。
『唐詩選(とうしせん)』の編者と目されています。
※蘐社(けんしゃ): 蘐園学派(けんえんがくは)のことを意味します。
※蘐園学派(けんえんがくは): 荻生徂徠(おぎゅうそらい)の学派のことです。
蘐園(けんえん)は、徂徠の号です。
※荻生徂徠(おぎゅう そらい): 江戸中期の儒者で、名は双松(なべまつ)、
江戸の人です。柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)に仕え、
初め朱子学を奉じましたが、後に古文辞学(こぶんじがく)を唱えました。
門下に太宰春台(だざい しゅんだい)や服部南郭(はっとり なんかく)
等がいます。
※古文辞学(こぶんじがく): 「古学(こがく)」に含まれる日本儒学の一派で、
朱子学に対して荻生徂徠(おぎゅうそらい)が唱えたものです。
古語の意義を明らかにすることによって、儒学の経書の本質に
迫ろうとするものです。その門から太宰春台(だざい しゅんだい)や
服部南郭(はっとり なんかく)らが出ました。
●解説
『詩経』のような詩体をそっくり真似て作った詩や、
李商隠や有名な詩人の詩を借用して自分の詩のように作り替える作詩法を
批判した一節です。
荻生徂徠の一派がそうであったかどうかには、僕は立ち入りませんが、
吉川幸次郎著の『元明詩概説』によると、明の李攀竜(り はんりょう)は
昔の詩文を引き写して詩を作っていたことや、
常に同じ詩句を常套句のように使っていたことなどが批判されていたと
書かれています。
よく、「学ぶことは模倣だ」などと言われていますが、
漢詩の場合では、それはその人の詩句を一句まるごと借用することではなく、
その詩を読んで詩句の意味を調べていくことで、詩にでてくる考えや
感情などをくみ取って、その上でまったく言葉も形式も違う、
自分なりの言葉に組み立てて表現してみる、
ということだと思います。
あくまでも自分の言葉として表現するということの難しさを、僕は最近感じています。
|