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『日本外史』の二回目は、律令制度が導入されて以降の軍隊の制度についてです。
天皇が直接に軍隊を率いるということはなくなっていきます。
●原文
及至中世。摹倣唐制。官分文武。乃特置將帥。六衞之將。將天子親兵。
而兵部居八省之一。建左右馬寮。以畜貢馬。
而邉要之國。諸郡皆有軍團。三分一國之丁。而取其一。五人爲伍。
伍二爲火。火五爲隊。隊二爲旅。旅十爲團。各有首領。一火六馬。
便騎射者。特爲騎隊。皆任守令簡點。
衞京戌邉。按簿差遣。毎舉征伐。令沿道諸國。須契勅勘合。凡征行萬人。
乃有將軍。有副將軍。有軍監。有軍曹。有録事。毎總三軍。大將軍一人。
大將出征。必授節刀。臨軍對敵。首領不從約束者。皆聽專決。還日。
具状以聞。建勲位十二等。論功酬賞。而罷其兵。凡其器仗。藏于兵庫。
出納以時。皆管之於兵部。
中朝制兵。大略如此。雖不及上世之旨。其防亂慮禍。可謂密矣。
是故有事。則下尺一之符。數十萬兵馬立具。
而平時散歸卒伍。爲之將帥者。或自文吏出臨兵庫。
畢事而歸。脱介冑而襲衣冠。未嘗有所謂武門武士者也。
●書き下し文
中世に至るに及びて、唐制を模倣し、官を文武に分け、乃ち特に将帥を置く。
六衛の将、天子は親(みずか)ら兵を将(ひき)い、而して兵部は八省の一に居る。
左右の馬寮(めりょう)を建て、以て貢馬を畜(やしな)う。
而して辺要の国、諸郡に皆な軍団有り。一国の丁を三分し、而して其の一を取る。
五人を伍と為し、伍の二を火と為し、火の五を隊と為し、隊の二を旅と為し、
旅の十を団と為し、各々首領有り。一の火に六の馬とし、騎射に便なる者、
特に騎隊と為し、皆な守令に任じて簡点せしむ。
京を衛り辺を戌(まも)るに、簿を按じて差遣す。
征伐を挙ぐる毎に、沿道の諸国をして、契勅を須(もち)いて勘合せしむ。
凡そ征行の万人、乃ち将軍有り、副将軍有り、軍監有り、軍曹有り、録事有り。
三軍を総(す)ぶる毎に、大將軍一人あり。
大將の出征するに、必ず節刀を授け、軍に臨み敵に対して、
首領の約束に従わざる者は、皆な専決を聴(ゆる)す。
還るの日、状を具(そな)えて以て聞こえせしむ。
勲位は十二等を建て、功を論じて賞を酬(むく)ゆ。而して其の兵を罷(や)む。
凡そ其の器仗は兵庫に蔵め、出納するに時を以てす。皆な之を兵部に管せしむ。
中朝は兵を制すること、大略は此の如し。
上世の旨に及ばずと雖も、其の乱を防ぎ禍に慮るは、密と謂うべし。
是の故に事有らば、則ち尺一の符を下し、
数十万の兵馬、立どころに具(そな)わる。
而して平時は散じて卒伍を帰す。
之が将帥と為る者は、或いは文吏より出て兵庫に臨む。
事を畢(おわ)りて帰り、介冑を脱いで衣冠を襲(かさ)ぬ。
未だ嘗て所謂武門武士なる者あらざるなり。
●現代語訳
奈良時代以降になると、中国の唐の律令制度を模倣して、役人の職務を
文と武の二つに分けて、そこでようやく特別に軍隊を率いる大将を置きました。
皇居の警護を司る六つの役所である六衛(りくえい)の大将である
天子(天皇のこと)は自ら兵を率いていましたが、
一方で、軍や兵馬を司る兵部省は太政官(だいじょうかん)の行政機関に属する
八つの官庁の一つとして置かれました。
そして左と右の、官の馬や諸国の馬の管理を行った馬寮(めりょう)を建てて、
そして諸国から中央へ献上された馬を養いました。
そして国境の要害に位置する国には、
その国の中のそれぞれの郡(ぐん: 行政区画の一つ)にはすべて軍団があり、
その国の成人男子を三つに分け、そのうちの一つを兵士として徴収します。
兵士を五人まとめて伍とし、伍を二つまとめて火(か)とし、
火を五つまとめて隊とし、隊を二つまとめて旅とし、
旅を十個まとめて団として、団のそれぞれに長を置いていました。
火の一つに六頭の馬を用意して、馬に乗って弓を射ることに長けている者を集めて、
特別に騎馬隊を編成しました。
この兵士全員を地方の長官である国司(こくし)や
郡司(ぐんじ)に検査させていました。
京の都を守り、辺境の地を守るために、帳簿を調べて使いの者を差し向けました。
討伐の兵を出すごとに、その兵の通る道に沿った国々では、
天皇の勅令を記した割り符をつきあわせて、
それが正しい軍であることを確認していました。
一般的に一万人の兵士を動かす時になって、初めて将軍がいて、副将軍がいて、
軍の進退を監督する軍監(ぐんかん)がいて、その配下に軍曹(ぐんそう)がいて、
軍の書記である録事(ろくじ)がいました。
大きな軍をまとめるたびに、大将軍を一人置きました。
大将軍が討伐の兵を出すたびに、天子は任命の印である
節刀(せっとう)という刀を持たせて、軍を統率して敵に向かわせるときに、
軍の長に従わない者に対しては、長のそれぞれに
独断で処分することを許していました。
軍を帰還させるときには、実状を具体的に報告させました。
手柄と位の等級は十二に分けられ、その功績の程度に従ってほうびを与えました。
その後に軍の任務を解きます。
その後には持っていた武器は軍の倉庫に収められ、
武器の出し入れ(軍を動かすこと)には農繁期を避けるなど時を選んでいました。
これに関してはすべて兵部省が管轄していました。
律令制度が導入されて以降の軍隊の制度は、
おおよそはこのようになっていました。
大昔の天子が直接に兵を動かしていた頃ほどには天子の意向が
行き渡っていないとしても、乱を防いで災いに対処することに関しては、
よく備わっていたと言うことが出来ましょう。
このようになっておりますから、いったん軍を動かす必要のある
有事の際には、すぐに一尺の長さの割り符を使って命令を下して、
数十万の軍隊を、すぐにそろえることができます。
そして平和なときには兵卒たちを元の場所に帰しています。
軍隊を率いる大将は、あるものは文官であった者が有事の際に
兵器の倉庫に向かう者もいます。
軍事が終わって帰ってきたならば、よろいかぶとを脱いで、
衣服と冠をつけた礼装に着替えます。
この頃もまだ俗に言う武士や武家の一門はいませんでした。
●語注
※中世(ちゅうせい): 本来の意味からすれば日本の鎌倉・室町時代を指しますが、
大宝律令の制定が 701 年にあり、律令制、ひいては二官八省の官制の
本格的な導入をこの時期からと考えますと、この一節の「中世」は、
奈良時代以降のことを指すのが適当と思われます。
※律令制(りつりょうせい): 古代、律令に基づいて運営された中央集権的な
政治制度のことで、大化の改新の結果、従来の氏姓制度を打破して、
中国の隋・唐の法体系を取り入れて成立したものです。
大宝律令・養老律令の完成によって整備されました。
「令制(りょうせい)」ともいいます。
※律令(りつりょう): 律令制国家の基本となる法律である「律(りつ: 刑法)」と
「令(りょう: 民法・行政法)」のことです。
※六衛(りくえ): 六衛府(りくえふ)のことです。
※六衛府(りくえふ): それぞれ左右の「近衛府(このえふ)」「兵衛府(ひょうえふ)」
「衛門府(えもんふ)」の六つの武官の役所のことです。それぞれ分担して
天皇身辺の警固や宮城の警備に当たります。「ろくえふ」とも言います。
※兵部(ひょうぶ): 兵部省(ひょうぶしょう)の略です。
※兵部省(ひょうぶしょう): 律令の制度による、「八省(はっしょう)」の一つで、
軍事全般と武官の人事とを司る役所のことです。
※八省(はっしょう):律令の制度で、太政官(だいじょうかん)に属する
八つの中央行政官庁のことです。中務省(なかつかさしょう)・式部省・
治部省・民部省・兵部省・刑部省(ぎょうぶしょう)・大蔵省・宮内省
の八省です。「やつのすぶるつかさ」とも言います。
※馬寮(めりょう): 「衛府(えふ: 宮中の護衛に当たる役所)」に属し、
官馬の調教や馬具の管理、諸国の牧場の馬の管理などを
つかさどった役所のことです。
※貢馬(こうば): 諸国から中央に献上した馬のことです。
※辺要(へんよう): 国境にある要害の地のことです。
※丁(てい): 年頃の男、成人男子のことです。
※首領(しゅりょう): 軍団の長のことです。
※守令(しゅれい): ここでは国司(こくし)と郡司(ぐんじ)のことです。
共に地方を治めるために中央から遣わした役人のことです。
それぞれ国の長官と郡の長官のことです。
※簡点(かんてん): ある目的のために人を選んで検査することです。
※三軍(さんぐん): 古代中国の周の軍制では、諸侯の軍隊を指していますが、
ここでは単に大きな軍隊として訳しています。
※節刀(せっとう): 古代では、遣唐使や討伐の兵を出して遠征する将軍に、
天皇が任命のしるしとして与えた刀のことです。
※器仗(きじょう): 武器のことです。
※中朝(ちゅうちょう): もともとは中国の朝廷を指す言葉ですが、
ここでは日本の朝廷を指しています。
※文吏(ぶんり): 文官、あるいは法律を司る役人のことです。
※介冑(かいちゅう): よろいかぶとのことです。「甲冑(かっちゅう)」とも言います。
●解説
ここで語られている軍隊の制度は、律令制によるものですので、
文中の「中世」を律令制が導入された時期という風に訳しています。
この部分は中国の軍隊の制度を導入している時期ですね。
中国の兵法書の『孫子』や『六韜(りくとう)』では、
国を統治する君主と軍を指揮する将軍とは明確に分けられていますので、
君主と将軍を分けるのは、中国の軍隊の制度を導入して以来のものと思います。
前回と比較すると、軍隊の指揮権が天子(天皇)から離れているのがわかります。
次回は藤原氏が勢力を伸ばしているときから情勢が変わって、
武士が登場してきます。
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