玄齋詩歌日誌

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『日本外史』の七回目は、平将門(たいらのまさかど)が
貞盛(さだもり)の軍を破って、勝手ににせの朝廷を作った部分です。


●原文

至是。貞盛弃官而東。欲復父仇。與良兼。及從弟良正。共攻將門。不利。
貞盛謂是私鬪也。不若受勅討之。將還京師有所請。將門要擊之信濃。
貞盛大敗。脱身入京師。已而良兼卒。將門乃據下總。
遂襲執常陸介藤原維幾。取常陸。

武藏守興世王。兇險喜亂。往説將門曰。關東八州。沃饒而四塞。可據以覇天下。
夫取一州誅。取八州亦誅。誅一耳。顧公安所決。將門大悦。延爲謀主。
遂攻下野上總武藏相模悉下之。

弟正平諫曰。帝王有命。不可妄冀。願熟圖之。將門曰。天縱我以武。
吾取帝位。孰能拒之。乃建僞宮。於下總猿島。置文武百官。


●書き下し文

是に至って、貞盛は官を棄てて東す。父の仇を復(むく)いんと欲し、
良兼及び従弟良正と共に将門を攻む。利あらず。
貞盛は謂う是れ私闘なり、勅を受けて之を討つにしかずと。
将に京師に還りて請う所有り。

将門は之を信濃に要撃す。貞盛は大いに敗れ、身を脱して京師に入る。
已にして良兼卒す。将門は乃ち下総に拠りて、
遂に襲うて常陸介の藤原維幾(これちか)を執らえて常陸を取る。


武蔵守の興世王(おきよおう)、兇険にして乱を喜ぶ。
往きて将門に説いて曰く、関東の八州、沃饒にして四塞なり。
拠りて以て天下に覇たるべし。夫れ一州を取るも誅せられ、
八州を取るも亦た誅せらる。誅は一なるのみ。
顧(おも)うに公は安(いずく)に決とする所あらんと。

将門は大いに悦び、延きて謀主と為る。
遂に下野・上総・武蔵・相模を攻めて悉く之を下す。


弟の正平諫めて曰く、帝王は命有り、妄に冀(こいねが)うべからず。
願わくは之を熟図せよと。
将門曰く、天は我を縦(ゆる)すに武を以てす。吾れ帝位を取る。
孰か能く之を拒(ふせ)がんと。

乃ち偽宮を下総の猿島に建て、文武百官を置く。


●現代語訳

将門(まさかど)に父の国香(くにか)を殺されるという状況に至って、
貞盛(さだもり)は官職を捨てて関東へ行きました。
父の仇討ちをしようと思い、叔父の良兼と従弟の良正(よしまさ)とともに、
将門を攻撃しました。しかしうまくはいきませんでした。

貞盛はこう言いました。

「これではこの戦いはただの私闘になってしまう。
 天皇から勅令(天皇の命令)を受けて将門を討伐した方が良いだろう」

と。

そこで貞盛らは京の都に帰って、天皇に勅令を下すようにお願いをしようとしました。

そこで将門は彼らを信濃で待ちかまえて攻撃しました。
貞盛はこの戦いに大敗し、その危険な戦場から逃れて、京の都に入りました。
このとき、すでに叔父の良兼は亡くなっていました。

そこで将門は仕方なく、下総を本拠地として、
ついには常陸介の藤原維幾(これちか)を襲って捕らえ、常陸の国を奪いました。


当時、武蔵守であった興世王(おきよおう)という男は、
荒々しい性格で戦乱を好んでいました。
彼は将門の元へ行ってこのように説いて聞かせたそうです。

「関東の八つの国は、とても土地が肥えていて、四方を山と河に囲まれて
 敵から身を守りやすいところです。そこでここを本拠地として、
 天下の覇権を争うのがよいと存じます。
 そもそも一つの国を取っただけで死罪となりますが、
 八つの国を取ってもやはり死罪なのです。
 死罪であるのはどちらも同じなのです。
 このことを考えてみますと、あなたはどのようにご決断なさいますか?」

と。将門はその言葉にとても喜んで、興世王はそのまま将門の参謀になりました。

興世王の言葉に従った結果、下野・上総・武蔵・相模を攻めて、
すべて攻略しました。


将門の弟の正平(しょうへい)は兄を諫めて言いました。

「地上の支配者である帝王には、天からの命令があって初めて
 なれるものなのです。むやみに願い求めることの出来ないものなのです。
 お願いですからこのことをよくお考えになって下さい」

と。将門はこれに対して言いました。

「天が私に武力を自由に使うことをお許しになったのだ。
 だからこそ私は帝王の位に上るのだ。
 一体誰がこれを防ぎ止めることが出来るだろうか」

と。結局は弟の諫めにもかかわらず、にせの朝廷を下総の猿島(さしま)に作り、
多くの文官や武官を配置しました。


●語注

※私闘(しとう): 私戦、つまり個人の利害や感情による
  個人どうしの争いのことです。

※京師(けいし): 天子(天皇)のいる都、京都のことです。

※要撃(ようげき): 敵を待ち伏せして討つことです。

※下総(しもうさ): 昔の国名の一つで、現在の千葉県北部と
  茨城県南西部一帯を指しています。

※常陸(ひたち):昔の国名の一つで、現在の茨城県の大部分を指しています。

※興世王(おきよおう):平安中期の皇族で、系譜は不詳です。武蔵守となり、
  平将門に関東八州の征服を勧めて、将門が行なった除目(じもく: 朝廷の
  役人の任命式)により上総介となります。のちに将門追討の軍に殺されました。

※兇険(きょうけん): 心が悪くて荒々しいことです。

※八州(はっしゅう):昔の関東の八つの国の総称です。その八つの国とは、
  武蔵(むさし)・相模(さがみ)・安房(あわ)・上総(かずさ)・
  下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)
  のことです。「関八州(かんはっしゅう)」とも言います。

※沃饒(よくじょう): 土地が肥えていて、農作物が多く採れることです。

※四塞(しそく): 四方を山や河で覆われた要害の地のことです。

※誅(ちゅう): 死刑のことです。

※謀主(ぼうしゅ): 参謀(さんぼう)、つまり中心になって計画を立てる人のことです。

※下野(しもつけ): 昔の国名の一つで、現在の栃木県に当たります。
  「野州(やしゅう)」とも言います。

※上総(かずさ): 昔の国名の一つで、現在の千葉県の中央部を指しています。

※武蔵(むさし): 昔の国名の一つで、現在の東京都と埼玉県の全域と
  神奈川県の一部を指しています。「武州(ぶしゅう)」とも言います。

※相模(さがみ): 昔の国名の一つで、現在の神奈川県の大部分を指しています。
  「相州(そうしゅう)」と言います。

※熟図(じゅくと): よく考えることです。

※猿島(さしま): 元は茨城県猿島郡にあった町です。2005年3月22日に
  岩井市と合併して、現在は坂東市となっています。


●解説

将門が勝手に天皇に即位して、「新皇(しんのう)」を名乗るまでの部分です。
やはり新皇を名乗ったことが、将門が極悪人にされている
大きな理由なのだと思います。


興世王(おきよおう)が将門をそそのかした部分は、
実際には追い詰められたあげくに将門の元に身を寄せた後のことで、
当初から野心を持って将門に近づいた訳ではないとされています。

反逆者の側に与すると、大げさに悪くも書かれてしまうのでしょうね。


次回は瀬戸内海で朝廷に反乱を起こした藤原純友(ふじわらのすみとも)と
将門が比叡山で謀議をはかったとされる部分です。

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