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『日本外史』の八回目は、平将門(たいらのまさかど)と
藤原純友(ふじわらのすみとも)が、
比叡山に登って共に反乱を起こす約束をしたとされる話です。
●原文
初將門與藤原純友者友善。甞同登比叡山。俯瞰皇城曰。壯哉。
大丈夫不當宅此耶。遂與謀反。
謂純友曰。他日得志。吾王族。當爲天子。公藤原氏。能爲我關白乎。
至是純友爲伊豫掾。任滿不還。據海島爲盗。以遙應將門。
潛遣人入京師。行火坊市。京師戒嚴。時天慶二年也。
●書き下し文
初め将門は藤原純友なる者と友とするに善(よ)し。
嘗て同に比叡山に登り、皇城を俯して瞰て曰く、
壮なるかな、大丈夫は当に此に宅るべからずやと。
遂に与(とも)に反を謀る。
純友に謂って曰く、
他日に志を得れば、吾は王族なり。当に天子となるべし。
公は藤原氏なり。能く我が関白とならんかと。
是に至って、純友は伊予掾となり、任満ちて還らず。
海島に拠りて盗をなす。以て遙かに将門に応ず。
潜かに人を遣わして京師に入り、行きて坊市を火(や)く。
京師は戒厳す。時に天慶二年なり。
●現代語訳
当初、将門は藤原純友という人物と仲の良い友人でした。
以前、二人は一緒に連れ立って比叡山に登り、
将門は天皇の御所を高いところから見下ろして言いました。
「大きくて立派なものだ。一人前の男子であれば、ここに住むべきではないだろうか」
と。こうして、二人で内乱を企てるようになりました。
将門は純友に言いました。
「将来の別の日に、私が目的を遂げることが出来れば、私は王族(皇族)になる。
あなたは藤原氏の一族だ。よく私の政治を助ける関白とならないか?」
と。
この後、純友は伊予掾(いよのじょう)となり、
任期が終わっても京の都に戻ることはせずに、
海に浮かぶ島(日振島(ひぶりじま))を本拠地として、
海賊行為を行っていました。
そうして遠方の関東にいる将門に呼応するように活動していました。
さらには秘密にこっそりと人を派遣して京の都へ入り、京の町に火をつけました。
都では戒厳令を敷いて軍隊が警備を行いました。
時は天慶二年(939 年)のことでした。
●語注
※藤原純友(ふじわらのすみとも): 平安中期の貴族です。
伊予掾(いよのじょう)となって地方へ下り、
瀬戸内海の海賊と結んで反乱を起こしましたが、敗れて殺されました。
藤原純友の反乱は、平将門が起こした反乱と併せて
承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)と呼ばれています。
※比叡山(ひえいざん): 京都市北東部と大津市西部とにまたがる山です。
二峰からなり、東の大比叡は標高 848 メートル、西の四明ヶ岳は
839 メートルです。昔から信仰の対象とされる山で、
天台宗の延暦寺や日吉大社があります。
※俯瞰(ふかん、ふしてみる): 高いところから見下ろすことです。
※大丈夫(だいじょうぶ): 堂々とした立派な男のことです。
※謀反(むほん、はんをはかる): 臣下が君主にそむく内乱を企てることです。
※他日(たじつ): 将来の別の日のことです。
※関白(かんぱく): 天皇を助けて政務を執り行う重い官職のことです。
※伊予(いよ): 昔の国名の一つで、現在の愛媛県のことです。
「予州(よしゅう)」とも言います。
※掾(じょう): 四等官で、地方の国の長官である国司(こくし)の
第三官のことです。特に大きな国に設置された官職です。
※海島(かいとう): 藤原純友は愛媛県宇和島市にある日振島(ひぶりじま)を
本拠地としていましたが、「海島」はその島の別名であるとは
確認できませんでした。文章の前後の関係から、
仮に「海に浮かぶ島(日振島)」と訳しておくことにしています。
※京師(けいし): 天子(天皇)のいる都、京都のことです。
※坊市(ぼうし): 町のことです。
※戒厳(かいげん): 非常事態が起こったときに、全ての権力を軍に委ねて、
その兵力で警備を行うことです(そのために下す命令を
「戒厳令(かいげんれい)」と言います)。
●解説
将門と純友がともに反乱を起こして、将門が自分は天皇となり、
純友を関白にしようと言ったという話は、実際には疑わしいのですが、
この話は伝説として残っており、比叡山の四明岳公園内には
この伝説にちなんだ「将門岩」という場所があります。
こういう話は物語としても面白いですが、
伝説として残っているというのも面白いですね。
次回は将門討伐の軍が出される場面です。
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