玄齋詩歌日誌

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前回の記事の続きです。

Yahoo!ブログでは 5,000 文字の制限がありますので、
原文と書き下し文と語注は、前の記事に載っています。


前の記事「日本外史巻之一・其の拾壱(一)」
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/58071825.html


この一節は、
平清盛(たいらのきよもり)の父である平忠盛(たいらのただもり)の話です。
平家が次第に大きく成長していくところです。



●現代語訳

平正盛(たいらのまさもり)の子に忠盛(ただもり)がいました。
忠盛は伊賀と伊勢の間に住んでおりました。
彼は片方の目が眇(すがめ: 斜視)になっておりました。


大治年間(1126 〜 1130)の間に、山陽道と南海道で盗賊が発生したときには、
忠盛はその盗賊を捕らえて功績がありました。
白河・鳥羽の二人の上皇に仕えて、二人からともに寵愛を受けていました。

鳥羽上皇が得長寿院(とくちょうじゅいん)を建てる際には、
忠盛に監督・管理の職務を命じました。
その工事が終わると、忠盛は建立を監督した功績によって
但馬守(たじまのかみ)に任命されて、昇殿を許される五位の位に昇りました。

朝廷の貴族たちは皆このことを憎み、
豊明の節会(とよのあかりのせちえ)の時に
闇夜になった隙に忠盛を刺し殺そうという陰謀を計画しました。

忠盛はこう言いました。
「宮中に参内(さんだい: 宮中に行くこと)すると辱めを受け、
 かといって参内しなければ卑怯者と言われるだろう。
 どちらにせよ平家の一族が辱めを受けるのは同じことだ」
と。

そこで仕方なく、忠盛は刀を身につけて参内することにしました。
(本来、朝廷では宮中で刀を身につけるのは固く禁じられていました)


忠盛の家に仕える平家貞(たいらのいえさだ)とその息子の家長(いえなが)は、
衣服の下に鎧(よろい)を着込んで忠盛に従いました。
朝廷の役人はこのことを叱ってやめさせようとしました。

それに対して家貞はこのように返答しました。
「私の主君は用心をしているのです。家臣である私は
 主君と死をともにしようと思います」
と。

それで役人は止めることができませんでした。


忠盛は紫宸殿(ししんでん)に昇り、暗がりの処へ行って刀を抜きました。
刀の光は外にまで届き、その場にいた宮廷の臣下たちはとても恐ろしい
気持ちになりましたが、あえて何かを言う者はおりませんでした。

酒宴の時になって、天皇は忠盛を呼んで舞をするように命じました。

多くの宮廷の臣下たちは次のように歌いました。
「伊勢の瓶子(へいし)は醋瓮(すがめ)なりけり
 (伊勢の酒を入れる甕(かめ)は酢を入れる甕くらいにしか役に立たない)」
と。

要するに我が国の読み方に従うと、瓶子(へいし)は平氏(へいし)と同じ音であり、
醋瓮(すがめ)は眇(すがめ)と同じ音になります。

つまり、
「伊勢の平氏である忠盛は眇(すがめ)である」
と暗に皮肉っているのです。


忠盛はこのことを恥ずかしく思って、酒宴を終える前に退出しました。
その際に主殿司(とのもづかさ)を呼んで、刀を外して渡し、
そして退出していきました。

宮廷の臣下たちは忠盛が刀を身につけて紫宸殿に昇り、
武器を使って自分の身を守ろうとしたことは罪であると天皇に申し上げて、
昔からの刑罰を正しく実行するようにと願い出ました。

上皇はそのことに驚き、忠盛を呼んでこのことを尋ねました。

忠盛はこのように返答しました。
「私めの家臣が巷(ちまた)で怪しげな噂を聞いて、私の後ろについてきたのです。
 このことは私には全く知らされておりませんでした。
 陛下、この罪の重さを決めて罰を下して頂きたい。我々はそれに従うだけです。
 私が腰に刀を差していたかどうかは、どうか主殿司に尋ねてみて下さい」
と。

主殿司は刀を差し出しました。するとその刀は
木刀に銀箔が塗ってあるものでした。

このことに上皇は喜んで言いました。
「忠盛は細かい所まで気を配るのにとても苦心をしていたようだな。
 死を決意して主君を守るのは、このような時であれば
 武人では当たり前のことであろう」
と。

こうして結局はおとがめなしで終わりました。


忠盛はこうして正四位下の刑部卿にまで地位が上がりました。
そして仁平年間(1151 〜 1153)の間に亡くなりました。


●解説

忠盛が得長寿院の建立を監督した功績で平氏が殿上人になり、
暗殺の陰謀をかろうじて免れた所です。

この部分は『平家物語』第一巻の「殿上闇討(てんじょうのやみうち)」の章でも
出てくる有名な箇所です。

貴族たちが瓶子(へいし)を平氏とかけて平氏の一門を貶めるという光景は、
この後も続いています。鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀の際にも、
酒宴の折に貴族たちが「瓶子(平氏)が倒れた」などと戯れています。

忠盛の時にはまだ貴族たちの力が強かったことが分かりますね。
これから次第に平氏の勢力が強くなっていきます。


次回は平清盛(たいらのきよもり)の登場です。

『日本外史』の十一回目は、平清盛(たいらのきよもり)の父である
平忠盛(たいらのただもり)の話です。
平家が次第に大きく成長していくところです。


Yahoo!ブログでは 5,000 文字の制限があります。
この記事は 5,000 文字をオーバーしていますので、
原文と書き下し文と語注のみを載せています。


現代語訳と解説は、次の記事に載せています。


次の記事 「日本外史巻之一・其の拾壱(二)」
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/58071992.html


●原文

正盛生忠盛。忠盛居伊賀伊勢之間。爲人眇一目。
大治中。山陽南海盗起。忠盛追捕有功。事白河鳥羽二上皇。並有寵焉。
鳥羽上皇建得長壽院。以忠盛董役。役竣。除但馬守。聽昇殿。
舉朝憎之。謀以豐明節會乘暗刺之。

忠盛曰。朝則蒙詬。不朝爲怯。其辱宗一也。乃帶刀而入。
家人平家貞與其子家長。衷甲從焉。吏訶止之。
家貞對曰。主君有戒心。臣將與之同死。吏不得止。

忠盛昇殿。就闇抜刀。刀光外射。衆大畏。不敢發。
及宴。召忠盛命舞。衆歌曰。伊勢瓶子醋瓮。
蓋國音瓶子通平氏。醋瓮通眇也。忠盛愧之。不終宴退。
呼主殿司。脱刀授之而出。

衆劾奏忠盛帶劍上殿。以兵自衞。請正典刑。上皇驚。召忠盛問之。
對曰。臣之家人聞道路之言。尾臣而來。不使臣知。
唯陛下斷其罪。如其佩刀。請問之主殿司。主殿司進刀。木刀塗銀也。

上皇嘻曰。忠盛用意良苦。以死衞君。則武人之習耳。遂無所問。
忠盛累遷以正四位下。刑部卿。卒於仁平中。


●書き下し文

正盛は忠盛を生む。忠盛は伊賀・伊勢の間に居る。人となりは一目眇たり。

大治中、山陽・南海に盗起こる。忠盛は追捕して功有り。
白河・鳥羽の二上皇に事(つか)え、並に寵有り。
鳥羽上皇は得長寿院(とくちょうじゅいん)を建て、
以て忠盛に役を董(ただ)さしむ。

役の竣(おわ)りて、但馬守に除せられ、昇殿を聴(ゆる)さる。
朝を挙げて之を憎み、豊明の節会(とよのあかりのせちえ)を以て
暗に乗じて之を刺さんと謀る。

忠盛曰く、朝すれば則ち詬を蒙り、朝せざれば怯と為す。
其の宗を辱しむるは一なりと。乃ち刀を帯びて入る。

家人の平家貞と其の子家長、甲を衷して従う。吏は之を訶止す。
家貞は対(こた)えて曰く、主君は戒心有り。臣は将に之と死を同にせんとすと。
吏は止むるを得ず。


忠盛は殿に昇り、闇に就いて刀を抜く。刀光は外を射て、
衆は大いに畏れ、敢えて発せず。

宴に及んで、忠盛を召して舞を命ず。衆は歌いて曰く、
伊勢の瓶子(へいし)は醋瓮(すがめ)なりけりと。
蓋し国の音の瓶子は平氏に通じ、醋瓮は眇に通ずるなり。


忠盛は之を愧じ、宴を終えずして退く。
主殿の司を呼びて、刀を脱して之を授けて出づ。

衆は忠盛の剣を帯びて殿に上り、兵を以て自ら衛るを劾奏し、
典刑を正さんことを請う。上皇は驚き、忠盛を召して之に問わしむ。

対えて曰く、臣の家人、道路の言を聞き、臣に尾して来れり。臣をして知らしめず。
唯だ陛下よ其の罪を断ぜよ。其の佩刀の如きは、之を主殿司に請い問えと。

主殿の司は刀を進む。木刀に銀を塗るなり。

上皇は嘻びて曰く、忠盛は意を用うること良に苦(つと)めり。
死を以て君を衛るは、則ち武人の習いなるのみと。遂に問う所無し。

忠盛は以て正四位下の刑部卿に累遷せり。仁平中に於て卒す。


●現代語訳

 現代語訳は、この次の記事に載せています。


●語注

※伊賀(いが): 昔の国名の一つで、今の三重県の北西部に当たります。
  「伊州(いしゅう)」や「賀州(がしゅう)」とも言います。

※伊勢(いせ): 昔の国名の一つで、今の三重県の大部分に当たります。
  「勢州(せいしゅう)」とも言います。

※眇(すがめ): 斜視、やぶにらみのことです。つまり眼筋の障害によって、
  物を見る時の左右の視線が平行しなくなっている症状のことです。

※山陽道(さんようどう): 現在の兵庫県と岡山県と広島県に相当する、
  播磨(はりま)・備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・美作(みまさか)・
  備後(びんご)・安芸(あき)・周防(すおう)・長門(ながと)の
  八か国を総称した言葉です。

※南海道(なんかいどう):紀伊(きい)・淡路(あわじ)・阿波(あわ)・
  讚岐(さぬき)・伊予(いよ)・土佐(とさ)の六か国を総称した言葉です。

※追捕(ついぶ): 追いかけて捕らえることです。

※得長寿院(とくちょうじゅいん): 鳥羽上皇の御願寺(ごがんじ: 天皇や皇族の
  発願(ほつがん)によって建てられたお寺)で、平忠盛が建立を監督しました。
  忠盛はこの建立の功績によって官位があがって昇殿が許され、
  この後の平家の繁栄のもととなります。後に地震で倒壊し、
  後白河法皇と平清盛が両者の遺徳を偲んで蓮華王院(三十三間堂)を
  建立しました。

※董(ただす): 監督し管理することです。

※但馬(たじま): 昔の国名の一つで、今の兵庫県の北部に当たります。
  「但州(たんしゅう)」とも言います。

※守(かみ):四等官で、地方の国の長官である国司(こくし)の第一官のことです。

※昇殿(しょうでん): 昔、清涼殿(せいりょうでん)の殿上の間に上ることを指します。
  五位以上の者、および六位の蔵人(くろうど)に許されました。

※豊明の節会(とよのあかりのせちえ): 昔、新嘗祭(にいなめさい)の翌日に
  宮中で行われた儀式と宴会のことです。天皇が紫宸殿(ししんでん)に出て
  新穀を召し上がり、群臣にも賜りました。音楽や歌舞が行われて、
  叙位(じょい: 臣下に位を授けること)などがありました。
  「とよのあかり」とも言います。

※新嘗祭(にいなめさい): 宮中の行事の一つで、十一月二十三日
  (昔は陰暦十一月の第二の卯の日)に、天皇がその年の新穀を
  天地の神に供えて、天皇も新穀を召し上がって収穫の実りを
  感謝する行事です。「しんじょうさい」とも言います。

※紫宸殿(ししんでん):平安京の内裏の正殿です。もと天皇が政務をとる
  所でしたが、大極殿(だいごくでん)が焼失した後は
  即位や節会(せちえ)などの重要な儀式も行われるようになりました。
  「ししいでん」とも言います。

※家人(かじん): 日本語では、その家に仕えている家来のことを指します。

※衷甲(ちゅうこう、かぶとをちゅうす): 服の下に鎧を着込むことです。

※訶止(かし): 叱ってやめさせることです。

※戒心(かいしん): 用心のことです。

※瓶子(へいし、へいじ): 酒を入れる甕(かめ)のことです。

※醋瓮(すがめ): 酢を入れる甕(かめ)のことです。

※主殿司(とのもづかさ): 後宮(こうきゅう: 天皇の夫人が住む殿舎)に
  仕える者の役職の一つで、後宮の清掃や明かりや薪の管理などを司りました。
  この役職はすべて女官です。

※兵(へい): ここでは武器のことです。

※劾奏(がいそう): 役人の罪を天子(天皇)に申し上げることです。

※典刑(てんけい): 昔からの刑罰のことです。

※佩刀(はいとう): 腰に身につけた刀のことです。

※刑部卿(ぎょうぶきょう): 刑部省(ぎょうぶしょう:刑罰や訴訟などを
  とりあつかった役所)の長官のことです。

※累遷(るいせん): 地位が上がることです。


●解説

 解説もこの次の記事に回しています。


 コメント覧はこの記事では省略します。

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