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閑居歳晩 得虞 玄齋 (上平聲七虞韻)
貧 家 餞 歳 乏 遊 娯 貧家 歳を餞るに遊娯に乏しく
奈 此 近 年 生 計 迂 此の近年 生計の迂なるを奈んせん
幸 得 今 宵 歡 菽 水 幸いに得たり 今宵 菽水を歓ぶをと
温 容 老 父 慰 凡 愚 温容なる老父 凡愚を慰めり
現代語訳:
「この貧しい家では、年越しの宴会で風流な遊びをすることが少なくなり、
(この「風流な遊び」云々はフィクションです)
ここ何年かは、生計を立てることに疎くなるのをどうすればよいのかと思っておりました。
しかし幸運なことに、今夜は貧しい中でも親への孝養をしてくれたことが嬉しい」
と言って、穏やかな顔つきの老いた父は、この平凡な愚か者である私を慰めていた。
語注:
※閑居(かんきょ): 家で静かに過ごしていることです。
※歳晩(さいばん): 年の暮れのことです。
※餞歳(せんさい、としをおくる): 年越しに宴会を行うことです。
※遊娯(ゆうご): 遊んで楽しむことです。風流な楽しみのことですが、
もちろんフィクションです。一度もしたことはありません。
※奈(〜をいかんせん): 「一体どうすればよいのか」という意味です。
本来は「奈〜何」ですが、漢詩では「何」を省略する形もあります。
※生計(せいけい): 生活していく方法(仕事)のことです。
※迂(う): 物事にうといことです。
※菽水(しゅくすい): 「菽水之歓(しゅくすいのかん)」という、
儒学の礼法を記した『礼記』の檀弓下第四の篇にある故事です。
まめ(菽)を食い、水を飲むような貧しい生活をしていても、
親を喜ばせること。貧苦な生活をしても、
親に孝行をつくすことです。
※温容(おんよう): 穏やかな顔つきや様子をしていることです。
※凡愚(ぼんぐ): 平凡で愚かな人のことです。
解説:
十二月の漢詩の会の課題です。
分韻(ぶんいん: 韻のくじ引き)で「虞」の韻を引き当てました。
(「得虞」とはそういう意味です。)
年越しのある一般の家庭の様子を眺めるような気持ちを思い浮かべて
漢詩に詠んでいました。一般的な家族が支え合って何とかこの冬を越す、
そんな光景を思い浮かべて詠んでいました。
漢詩を詠む際にはこういう創作もあるということです。
貧しい日々の中でのやせ我慢、そういう風に漢詩を詠む時もあります。
当時の僕の家庭もなんとか無事に年を越せそうな気持ちを詠んでおりました。
転句は貧しい中でも親への孝養を尽くす、という意味の、
「菽水之歓(しゅくすいのかん)」という故事を元にしておりました。
これは儒学の礼法を記した『礼記』の檀弓下第四の篇の一節にある故事です。
以下にその一節を示します。(書き下しと訳は僕が書いたものです)
(原文)
子路曰、傷哉貧也。生無以爲養、死無以爲禮也。孔子曰、啜菽飮水、
盡其歡、斯之謂孝。斂首足形、還葬無椁、稱其材、斯之謂禮。
(書き下し)
子路曰く、
「傷ましいかな貧や、生けるときは以て養を為す無く、
死しては以て礼を為す無し」と。
孔子曰く、
「菽(まめ)を啜り水を飲み、其の歓を尽くさしむ、斯(これ)を之れ孝と謂う。
首足の形を斂(おさ)め、還(と)く葬るに椁(かく)無きも、
其の材に称えば、斯を之れ礼と謂う」と。
(現代語訳)
子路(しろ: 孔子の弟子)は言いました。
「貧しいというのは悲しいことですね。親が生きている時は孝養が十分ではなく、
親が死ぬ時になっては満足に葬式の礼法を行うことも出来ないのですから」
と。
これに対して、孔子は次のように言いました。
「豆をすすって水を飲むという貧しい暮らしの中でも、親を十分に喜ばせる、
このことをもって孝と言うのだ。葬儀の際には遺体の頭から足まで
すっぽりと布をかぶせ、日を置かずに葬る際に、棺の外を覆う箱が
無かったとしても、それがその人の財産に相応したものであるならば、
これは十分礼法にかなっているのだ」
と。
他の書でも、孔子は心がこもった上での形式でなければ何の意味もない
ということを言っています。どちらかと言えば形式よりも
人のまごころを大切にする必要がある、ということです。
十分なお金があるわけではなく、僕に出来ることも限られている中、
せめて優しい気持ちで家族や周りの人に接していきながら、
日々努力を積み重ねていければいいなと、
常に思っていた当時の心境を詠んでおりました。
民家の風景写真は以下のサイトのフリー素材を利用いたしました。
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