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豫園の楼閣(中国・上海)
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こちらは『淮南子(えなんじ)』の原道訓(げんどうくん)の現代語訳と解説になります。こちらにコメント欄を設けました。
原文と書き下し文と語注は以下のページにあります。
『淮南子』・巻一・原道訓・其の二(原文と書き下し文と語注です)
●現代語訳:
大昔の二人の帝王である、人々に狩猟や易を教えた伏羲(ふくぎ)と農業と医薬を伝えた神農(しんのう)の二人は、道を自在に操る力を得て、世界の真ん中に立っていました。その帝王の心は天地や自然の変化の中で自在に振る舞い、その心で周囲の国々を手なづけていました。道がそのようなものだからこそ天体は運行し大地は一つの場所にとどまり、車輪を回すようにその動きをやめることはなく、水が流れてとどまらないように、常に万物とともに存在するのです。風が雲を立ちのぼらせるように、あらゆることに適応できるのです。雷の音が轟いた後に雨が降るように、あらゆる物事と道がお互いに反応する様子は、その行き着く先を知ることができないのです。道が万物に応じることによって、幽霊が出て来て稲妻がやって来て、龍は立ち上がって、伝説の鳥である鸞(らん)は集まります。道が万物に反応する様子は、轆轤(ろくろ)を回し、車輪の中心の轂(こしき)を回し、万物の隅々までを幾重(いくえ)にも蔽(おお)うようなものです。
その道に従って、人は自分自身を彫(ほ)り刻(きざ)んでいき、磨いていくことによって、やがては再び飾り気のないもとのままの姿に戻っていきます。そして道、つまり天地や自然の道理に従って行動し、その他の余計なことをしなければ、その行動は道に従ったものとなり、天地や自然の道理に忠実に従って言葉を発すれば、それは人が従う道理に通じる言葉となります。そうして道に従っていくことによって心が安らかでわだかまりが無く、何かをなし遂げて手柄を誇る気持ちがなくなって人とうち解けるようになり、あらゆる同じでない人々がいても、その人々の性質に対して角を立てることもなくなるのです。道に従って考えることで自分の心を秋に生えかわる獣の細い毛のような細かいものにまで意識を広げて、あらゆる空間、あらゆる時間のすべてを最も大きなものと考え、その道に従った人の性質は天よりすぐれて、天地の間にある、万物を生成する陰と陽の気に調和するほどです。
その道の働きは、春・夏・秋・冬の季節、あるいは朝・昼・夕・夜といった一日の時間の区切りをつけ、万物の源となる水・木・火・土・金の五つの元素のバランスを取り、人を教えさとすように天地が万物を守り育てていき、それによって万物は群(むら)がって生まれてきて、草木を潤(うるお)し、金属や玉のような宝石の中にまでしみ通っていって、鳥や獣たちはがっちりと太って大きくなり、細かい毛までも潤ってつやがあり、羽や翼を羽ばたかせ、角のある生き物と角のない生き物を生み出します。獣は子を妊娠すると、生まれないうちに亡くなるということはなく、鳥が卵を産んだ時には、卵から雛がかえらないということはないのです。父親は自分より先に子どもが亡くなることを心配することもなくなり、兄は先に弟が亡くなって声を上げて泣くこともなくなるのです。小さな子どもは孤児になることはなく、女性は夫と死に別れることもなく、不吉な虹や彗星(すいせい)が現れることもなく、それぞれに備わっているもともとの性質を遂げさせようとするのです。
そもそも、非常にすぐれた道は、万物を生み出してもその所有者とはならず、天地や自然の変化をなし遂げていろんな物を形作るけれども、その主宰者とはならず、何本もの足で歩き、嘴(くちばし)で呼吸をしている様々な生き物たちが生まれてきて、蚊の幼虫のボウフラは飛び、柔らかい虫たちは動き、道が自分に働きかけてくるのを待ちうけてその後に生まれてくるけれども、その道の本来の性質を知ることはなく、道の働きかけを待ち受けてその後に死ぬけれども、それによって道を恨むことはできないのです。道から利益を受けてもそれをほめることはできず、道を利用して失敗してもそれを非難することはできないのです。その道を集めて取り込んで蓄えたとしてもさらに富を加えることはなく、道を誰かに施して与えても貧しさを加えることはないのです。道はぐるぐると万物の周りを回ってその動きの行き着く所を知ることはなく、道は細々としていてその隅々まで意識を行き届かせることができないのです。道を重ねても高くはならず、道を落としても低くなることはなく、道を増やしても多くすることはできず、道を減らしても少なくすることはできず、道を切っても薄くすることはできず、道を殺しても損なうことはできず、道に穴を掘っても深くはできず、道の穴を埋めても浅くすることはできないのです。道には決まった形が無く、その形を似せることはできず、道はうつろでぼんやりとしていて、それを利用しても屈服させることはできず、道は暗くてはっきりと見えないけれども、形のない所に適応することができます。道はまっすぐに進んで突き抜けていき、無駄に動くことはないのです。道は固いものや柔らかいものを巻いたり伸ばしたりするように万物に働きかけ、天を仰ぎ地に伏すように、天地の中の陰と陽の気に従って働くものなのです。
●解説:
道はあらゆるものに働きかけて、そのあらゆるものに固有の性質を発揮させていくことを詩のような文章で述べています。そして人も、その道、つまり、天地や自然の道理に従って行動し、言葉を発することを尊いものとしています。文中の言葉で言えば「無為(むい、なすなし)」を説いているのです。
よく、「無為の政治」とか言いますが、これは何もしないでもひとりでに物事がうまくいくことを言っているのではないのです。常識で考えてもそんなことはないのです。天地や自然の道理に従う、つまりその時々の政治の本来の目的に従って政治を行い、それ以外の余計なことをしないということです。そしてそんなごく当たり前の政治が行われていれば、民衆たちは施政者を敬うこともなく、自分たちが幸せなのは自分たち自身の努力の成果なのだと思い、泰平な世の中を祝う、そんな政治なのです。
この一節ではある意味での理想を説いているのです。その理想に照らし合わせて僕自身の行動を顧みていました。僕の本来の目的とは、僕とお相手の方とが幸せに日々を過ごしていくことなのです。そのためには日々お相手の方を想って漢詩を作り、いろんな勉強をした上で、お相手の方への気遣いや外の諸々のことを実践して努力していく、という日常を過ごしていこうと思っています。次第次第に目的に忠実になって行動することができるようになってきたことは最近嬉しく感じられることです。この気持ちを常に忘れずに、さらに発展させていきながら、お相手の方との日々を過ごしていければと思っています。これからもきちんとがんばっていきます。
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2011年10月30日
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豫園の回廊(中国・上海)
Photo by : clef
『淮南子(えなんじ)』の原道訓(げんどうくん)の続きです。
この一節では、道はあらゆるものに働きかけて、そのあらゆるものに固有の性質を発揮させていくことを詩のような文章で述べています。そして人も、その道、つまり、天地や自然の道理に従って行動し、言葉を発することを尊いものとしています。文中の言葉で言えば「無為(むい、なすなし)」を説いています。
●原文:
泰古二皇、得道之柄、立於中央。神与化遊、以撫四方。是故能天運地滞、転輪而無廃、水流而不止、与万物終始。風与雲蒸、事無不応;雷声雨降、並応無窮。鬼出電入、龍興鸞集、鈞旋轂転、周而複幣。已雕已琢、還反于朴、無為為之而合于道、無為言之而通乎徳、恬愉無矜而得於和、有万不同而便於性、神托於秋豪之末、而大宇宙之総、其徳優天地而和陰陽、節四時而調五行、諭覆育、万物群生、潤於草木、浸于金石、禽獣碩大、豪毛潤沢、羽翼奮也、角觡生也。獣胎不贕、鳥卵不毈、父無喪子之憂、兄無哭弟之哀、童子不孤、婦人不孀、虹蜺不出、賊星不行、含徳之所致也。夫太上之道、生万物而不有、成化像而弗宰、跂行喙息、蠉飛蝡動、待而後生、莫之知徳、待之後死、莫之能怨。得以利者不能誉、用而敗者不能非、収聚畜積而不加富、佈施稟授而不益貧、旋県而不可究、繊微而不可勤、累之而不高、墮之而不下、益之而不衆、損之而不寡、斫之而不薄、殺之而不残、鑿之而不深、填之而不浅。忽兮怳兮、不可為象兮;怳兮忽兮、用不屈兮;幽兮冥兮、応無形兮;遂兮洞兮、不虚動兮;与剛柔巻舒兮、与陰陽俯仰兮。
●書き下し文:
泰古(たいこ)の二皇(にこう)、道の柄(へい)を得て、中央に立つ。神は化と遊びて、以て四方(しほう)を撫(ぶ)す。是の故に能く天は運(めぐ)り地は滞(とどこお)り、輪を転じて廃する無く、水は流れて止まず、万物と終始す。風は雲を蒸(む)して、事は応ぜざる無し;雷声に雨は降りて、並びて応ずること窮まり無し。鬼出でて電(いなずま)入りて、龍は興り鸞(らん)は集い、鈞(きん)は旋り轂(こく)は転じ、周(あまね)く複(かさ)ね幣(おお)う。
已(すで)に雕(ちょう)し已(すで)に琢(たく)し、還(ま)た朴(ぼく)に反(かえ)り、為(な)す無くして之を為(な)せば道に合い、為す無くして之を言えば徳に通じ、恬愉(てんゆ)して矜(ほこ)る無ければ和を得て、万(よろず)に同じからざる有りて性に便にして、神を秋豪の末に托し、宇宙の総を大とし、其の徳は天に優りて陰陽(いんよう)に和し、四時(しじ)を節して五行(ごぎょう)を調(ととの)え、諭(さと)して覆育(ふくいく)し、万物は群生し、草木を潤し、金石を浸し、禽獣は碩大(せきだい)、豪毛(ごうもう)は潤沢、羽翼は奮い、角觡 (かくかく)を生ず。獣は胎(はら)みて贕(とく)せず、鳥は卵生みて毈(だん)せず、父は子を喪うの憂い無く、兄は弟を哭するの哀無く、童子は孤ならず、婦人は孀(そう)ならず、虹蜺(こうげい)出でず、賊星(ぞくせい)は行かず、含徳(がんとく)の致す所なり。
夫(そ)れ太上(たいじょう)の道は、万物を生じて有せず、化を成して像りて宰せず、跂行喙息(きこうかいそく)、蠉(きん)は飛び蝡(じん)は動き、待ちて後に生じ、之の徳を知る莫く、之を待ちて後に死し、之を能く怨む莫し。得るに利を以てして誉むる能わず、用いて敗れても非(そし)る能(あた)わず、収聚(しゅうじゅう)し畜積しても富を加えず、佈施(ふせ)し稟授(ひんじゅ)しても貧を益(ま)さず、旋県(せんけん)して究むべからず、繊微にして勤むべからず、之を累ねて高からず、之を堕つも下らず、之を益しても衆しとせず、之を損しても寡しとせず、之を斫りても薄からず、之を殺すも残ならず、之を鑿つも深からず、之を填(み)たすも浅からず。忽(こつ)たり怳(こう)たり、象を為すべからず;怳たり忽たり、用いて屈せず;幽(ゆう)たり冥(めい)たり、無形(むけい)に応ず;遂(すい)たり洞(とう)たり、虚しくは動かず;剛柔(ごうじゅう)と巻舒(けんじょ)し、陰陽(いんよう)と俯仰(ふぎょう)す。
●語注:
※泰古(たいこ): 大昔のことです。
※二皇(にこう): 古代の三皇(さんこう)と言われた伝説上の三人の 皇帝のうち、伏羲(ふくぎ)と神農(しんのう)の二人を指します。
※伏羲(ふくぎ): 古代の伝説上の帝王で、はじめて人々に漁や
猟を教えて、文字をつくったといわれています。また、
易の占いのしるしである八卦(はっか)を描いて、易を始めた
という伝説があります。
※神農(しんのう): 古代、伝説上の帝王である三皇(さんこう)の
ひとりです。はじめて人民に農業を教えて、医薬をつくり、
八卦(はっか)を重ねて六十四卦(ろくじゅうよんか)を
つくったという伝説があります。別名を炎帝(えんてい)と言います。
※四方(しほう): 周りの国々のことです ※雕琢(ちょうたく): 彫り刻んで、磨くことです。 ※恬愉(てんゆ):心が安らかで、わだかまりがないことです。 ※秋毫(しゅうごう): もともとは秋に生えかわる獣の細い毛のことで、 そこから転じて、わずかなものやこまかなものをたとえた言葉です。
※神托(しんたく): 心の意識を広げていくことです。 ここでは「托(たく)」は「押し広げる」という意味です。
※宇宙(うちゅう): 「宇(う)」は空間的な広がりを表し、「宙(ちゅう)」は 時間的な広がりを表しており、二つを合わせてあらゆる
空間と時間、天地と古今、世界全体を表します。
※四時(しじ): 四つの季節の春夏秋冬と、一日の四つの時である 朝昼夕夜のことです。
※五行(ごぎょう): 万物の源となる水・木・火・土・金の
五つの元素のことです。
※覆育(ふくいく): 天地が万物を守り育てることです。 ※陰陽(いんよう): 天地の間にあって、万物を発生させる 陰と陽の気のことです。
※禽獣(きんじゅう): 鳥と獣のことです。 ※碩大(せきだい): かっちりと太って大きいことです。 ※豪毛(ごうもう): 細い小さな毛のことで、転じて ほんのわずかのことのたとえに使われる言葉です。
※孀(そう): 夫に死に別れた女性のことです。 ※虹蜺(こうげい): 虹のことです。 ※賊星(ぞくせい): 彗星(すいせい)のことです。 ※含徳(がんとく): 身についている徳のことです。 ※太上(たいじょう): 非常にすぐれていることです。 ※跂行喙息(きこうかいそく): 何本もの足で歩き、嘴(くちばし)で 呼吸をしているもの、つまり生き物全般のことを指して言います。
※蠉(けん): 蚊の幼虫のボウフラのことです。 ※蝡(じん): 身体の柔らかい虫のことです。 ※収聚(しゅうじゅう): 集めて取り込むことです。 ※佈施(ふせ): 金品を施すことです。 ※稟授(ひんじゅ): 誰かに与えることです。 ※繊微(せんび): 細々とした様子です。 ※忽怳(こつこう): 定まった形が無く、とりとめのないことを示します。 ※怳忽(こうこつ): うつろでぼんやりとしていることを示します。 ※幽冥(ゆうめい): 暗くて物の姿がはっきりと見えないことです。 今回の記事は次の現代語訳と解説の記事とのセットなので、
こちらにはコメント欄を設けていません。
コメント欄は次の現代語訳と解説の記事のところに設けてあります。
この点をご了承下さい。よろしくお願いいたします。
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