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諾日朗瀑布(中国・四川省)
Photo by : Quarter Repeater
前回の続きで、曹操の息子の曹植(そうしょく)の有名な詩である、『洛神賦(らくしんふ)』の翻訳の三回目です。洛水(らくすい)という川の女神である宓妃(ふくひ)の美しさを讃える詩句が続き、今回はその女神と曹植の
逢瀬の部分に入っていきます。 ●原文
於 是 忽 焉 縱 體, 以 遨 以 嬉。
左 倚 採 旄, 右 蔭 桂 旗。
攘 皓 腕 於 神 滸 兮, 採 湍 瀬 之 玄 芝。
余 情 悦 其 淑 美 兮, 心 振 盪 而 不 怡。
無 良 媒 以 接 歡 兮, 托 微 波 而 通 辭。
願 誠 素 之 先 達 兮, 解 玉 佩 而 要 之。
嗟 佳 人 之 信 脩 兮, 羌 習 禮 而 明 詩。
抗 瓊 珶 以 和 予 兮, 指 潛 淵 而 為 期。
執 眷 眷 之 款 實 兮, 懼 斯 靈 之 我 欺!
感 交 甫 之 棄 言 兮, 悵 猶 豫 而 狐 疑。
收 和 顏 而 靜 志 兮, 申 禮 防 以 自 持。
●書き下し文
是(ここ)に於(おい)て忽焉(こつえん)として 体(からだ)を縦(ほしいまま)にし、
以(もっ)て遨(あそ)び以(もっ)て嬉(たの)しむ。 左(ひだり)に採旄(さいぼう)に倚(よ)り、 右(みぎ)に桂旗(けいき)に蔭(おお)わるる。 皓腕(こうわん)を神滸(しんこ)に攘(はら)い、 湍瀬(たんらい)に玄芝(げんし)を採(と)る。 余(よ)の情(じょう)は其(そ)の淑美(しゅくび)を悦(よろこ)び、 心(こころ)は振盪(しんとう)して怡(よろこ)ばず。 良媒(りょうばい) 無(な)くして以(もっ)て歓(かん)に接(せっ)し、 微波(びは)に托(の)せて辞(ことば)を通(つう)ず。 誠素(せいそ)の先達(せんだつ)を願(ねが)わんと、 玉佩(ぎょくはい)を解(と)きて以て之を要(もと)む。 嗟(ああ)、佳人(かじん)の信(まこと)に修(おさ)むるや、 羌(ああ)、礼(れい)を習(なら)いて詩に明らかなり。 瓊珶(けいてい)を抗(あ)げて以て和予(わよ)し、 潜淵(せんえん)を指(さ)して期(き)を為(な)さん。 眷眷(けんけん)の款実(かんじつ)を執(と)り、 斯(こ)の霊(れい)の我(われ)の欺(あざむ)けるを懼(おそ)る! 交甫(こうほ)の言を棄(す)つるを感(かん)じ、 悵(ちょう)として猶豫(ゆうよ)して狐疑(こぎ)す。 和顔(わがん)を収(おさ)めて志(こころざし)を静(ただ)し、 礼防(れいぼう)を申(ととの)えて以て自(みずか)ら持(じ)す。 ●現代語訳
このとき、天に昇った仙女のような美しい姿の女神は、すぐに自由に動き回って楽しく遊び回っていました。左側にある牛の尾で飾られた彩りの美しい旗に寄りかかったり、右側にある桂の木で出来た旗に隠れたりしていました。その白い腕を仙人が遊ぶ水辺で押し分けながら、流れの速い浅瀬で霊芝(れいし)というめでたいキノコの黒い種類のものを採っていました。私の心はその女神の麗しい美しさを楽しく思っていましたが、心の中は揺れ動いて喜ぶどころではなかったのです。お世話をしてくれる仲人もいないのにお互いに宴会で会うように楽しもうと思って、その美しい眼光で、意思を伝えてきました。真心のある聖人の道を修めた先輩を求めようとするように私に恭(うやうや)しい態度を取って、玉(ぎょく)に紐を通した飾りをはずして代価にしていました。ああ、その美しいひとは約束を違えずに道を修めていきました。ああ、礼儀作法を身につけて、詩の道理についてもきちんと理解するようになっていきました。瓊珶(けいてい)という美しい玉を手に持ってむつまじく楽しい時を過ごし、深い川の縁を指さして、ここでまた逢いましょうと約束をしました。このとき私は私のような恋いこがれる真心があって飾り気のない真面目な男の心をつかまえて、この女神の霊が私を騙しているのではないかということを恐れていました。漢の時代の鄭交甫(ていこうほ)という男が漢水(かんすい)という川で水の精である二人の仙女と心を通わせて、お互いに佩玉(はいぎょく)、つまり腰にさげる玉(ぎょく)に紐を通した飾りを交換しあったけれども、数歩も行かないうちに佩玉は消え去って仙女の姿も見えなくなったという故事のように、約束の言葉が破られるのではと思い、恨めしい気持ちになって、疑い深いキツネのように
ぐずぐずとためらって、自分の態度を決めかねていましたが、やがて私は優しく穏やかな顔を引き締めて自分の信念をきちんと保ち、礼儀作法の形式に従って自分の身を整えることで、自分の心を清く保っていました。 ●語注
※忽焉(こつえん): 突然、という意味です。
※縦体(しょうたい、からだをほしいままにす): 天に昇った仙女のような
美しい身体のことを示しています。 ※採旄(さいぼう): 牛の尾で飾られた彩りの美しい旗のことです。
※桂旗(けいき): 桂の木で出来た旗のことです。
本来は天地の神の車の上に立っている旗です。 ※皓腕(こうわん): 白い腕のことです。
※神滸(しんこ): 仙人が遊ぶ水辺のことです。
※湍瀬(たんらい): 川の水が浅くて流れの急な所です。
※玄芝(げんし): 黒い霊芝(れいし)、つまりめでたいしるしのキノコの
黒い種類のものです。 ※淑美(しゅくび): うるわしい美しさのことです。
※振盪(しんとう): 揺れ動くことです。
※良媒(りょうばい): 親切に世話をしてくれる仲人(なこうど)のことです。
※微波(びは): ここでは女の人の流し目のことです。
「さざなみ」ではありません。
※通辞(つうじ): 意思を伝え合うことです。
※誠素(せいそ): 真心のことです。
※先達(せんだつ): 学問などの先輩のことです。
※玉佩(ぎょくはい): 礼服に用いる飾りで、玉を組み糸で貫いて
作ったものです。
※佳人(かじん): 美しい女性のことです。
※瓊珶(けいてい): 美しい玉のことです。
※和予(わよ): むつまじく楽しむことです。
※潜淵(せんえん): 深い川のふちのことです。
※眷眷(けんけん): 恋い慕うことです。
※款実(かんじつ): 真心があって飾り気がなく真面目であることです。
※交甫(こうほ): 漢の鄭交甫(ていこうほ)という人物のことです。
漢水(かんすい)という川で水の精である二人の仙女と心を通わせて、 お互いに佩玉(はいぎょく)、つまり腰に下げえう玉(ぎょく)に 紐を通した飾りを交換しあったけれども、数歩も行かないうちに 佩玉は消え去って二人の仙女の姿も見えなくなったという故事です。 ※猶豫(ゆうよ): ぐずぐずとしてためらって、決断が出来ないことです。
※狐疑(こぎ): 疑い深いキツネのように、ためらって物事を
決断できないことです。
※和顔(わがん): 優しくおだやかな顔のことです。
※静(ただす): 「貞す(ただす)」と同じです。
つまり、「信念を持って固く道理を守ること」を意味しています。 ※申(ととのえる): 「展」と同じで、さらに「展」は、北宋(ほくそう)の時代の
韻の字典である『広韻(こういん)』には、「整也、審也、視也。」 とあり、ここでは「整える」の意味で解釈しました。 ※礼防(れいぼう): 「礼法(れいほう)」のことです。
礼儀作法の形式のことです。 ●解説
曹植と洛水(らくすい)の川の女神である宓妃(ふくひ)の逢瀬の部分です。逢瀬(おうせ)とありますが、本当に川の瀬で逢っていますね。(この言葉自体は日本語なので、どの古典作品が最初なのか調査中です。)
この部分は曹植と、その兄の曹丕(そうひ)の夫人であった甄氏(しんし)との逢瀬を連想させるものですね。曹植が学問や詩の先輩として甄氏に教えていた、そんな場面もあったのかなと思いました。
慎重に辞書を引いていかないとわからない部分が何箇所かありました。
縦体(しょうたい、からだをほしいままにする)という言葉の意味は、「肢体軽挙貌」とありまして、その「軽挙」とは「軽はずみな行為」ではなく、「身軽な動作」でもないのです。実際には「登仙(とうせん)」、つまり「天に昇って仙人になること」なのです。ですから「肢体軽挙貌」とは、「身体が仙女のように美しい姿である」ということを意味しているのです。
微波(びは)も「微小的波浪」、小さな波、つまり「漣(さざなみ)」という意味が代表的なものですが、この詩の中での意味は「指女子的眼波」、つまり「女性の流し目」のことなのです。「眼波(がんは)」は「臉波(けんぱ)」
とも言われ、流し目のことです。 「静」の字も「静か」ではなく、大昔の詩を集めた『詩経(しきょう)』のテキストの一つである『韓詩(かんし)』には、「静、貞也。」とありました。「貞す(ただす)」、つまり「信念を持って固く道理を守ること」です。
「静」を「貞」と読むのは『詩経(しきょう)』で通用するとても古い表現です。昔の漢詩を訳す時はこういうところも気をつけないといけないのですが、今の時代の漢詩の中で「静」を「貞」と読ませるような表現などを使うと無用に学問をひけらかす奴だと叱られます。僕も決してしないことの一つです。
お相手の方を想う漢詩に役立てていくためにも、この先も慎重に訳していきたいなと思います。まだまだ翻訳作業は続きますので、早めに UP できるように頑張ります。
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2011年11月12日
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