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豫園(よえん)の楼閣(中国・上海)
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●原文
讀莊子雜篇讓王第二十八 玄齋 (上平聲四支韻)
成 敗 吉 凶 難 予 知,
風 人 已 過 幾 安 危。
曾 參 高 詠 商 頌 聽,
言 志 養 心 忘 四 支。
●書き下し文
題: 『荘子(そうじ)』雑篇(ざつへん)の譲王(じょうおう)第二十八を読む
成敗(せいばい)吉凶(きっきょう)予知(よち)すること難(かた)く、
風人(ふうじん) 已(すで)に幾(いく)安危(あんき)をか過ぎん。
曾参(そうしん) 商頌(しょうしょう)を高詠(こうえい)するを聴けば、
志(こころざし)を言い心を養(やしな)えば四支(しし)を忘(わす)れん。
●現代語訳
題:『荘子(そうじ)』雑篇(ざつへん)の譲王(じょうおう)
第二十八を読んだ感想です。
成功するか失敗するか、災いか幸せかというのは、
前もって知ることは難しいのです。
だから、詩人も無事であるとき、危険なときを幾度も過ごしてきたのです。
『荘子(そうじ)』雑篇(ざつへん)の譲王(じょうおう)第二十八の
一節の中で描かれている、孔子(こうし)の弟子の曾参(そうしん)が
中国の古代の王朝の殷(いん)の国の徳をたたえる
「商頌(しょうしょう)」の詩を声高らかに歌うのを聴くと、 詩によって自分の心を述べ、人間が本来持つ心を
さらに立派なものに仕上げていくことで、
自分の身体のことさえも忘れる境地になるのがわかります。 ●語注
※成敗(せいばい): 成功するか失敗するか、という意味です。
※吉凶(きっきょう): 災い(わざわい)と幸せのことです。
※予知(よち): 前もって知ることです。
※風人(ふうじん): 詩人のことです。どうしてこのような
言い方をするかといえば、昔の詩を孔子が集めて三百編に
まとめた『詩経(しきょう)』の中に、国風(こくふう)という
地方の民謡を集めた部分があり、
それを詠む人という意味で「風人」という言葉ができています。
※安危(あんき): 無事であったり危険であったりという意味です。
※曾参(そうしん): 孔子(こうし)の弟子の一人で、
「曾子(そうし)」と呼ばれる人の本名です。
儒学では孔子の門跡を継いで、その後を孔子の孫の
子思(しし)に譲ったと言われている人です。
親孝行で知られていて、儒教の経典の一つで、孝(こう)が
道徳の根本であることを説いた『孝経(こうきょう)』を
著した人とされています。
全くの蛇足ですが、孔子の息子の鯉(り: 字は伯魚(はくぎょ))は
できが悪い人だったそうです。
※高詠(こうえい): 声高らかに歌うことです。
※商頌(しょうしょう): 上記で説明した『詩経(しきょう)』の中にある、
中国の古代の王朝の殷(いん)の国の徳をたたえる
五つの詩のことです。「商(しょう)」は殷の国の別名です。
※言志(げんし、こころざしをいう): 心に思うことを述べることです。
主に漢詩を使って思いを述べることを指します。
※養心(ようしん): 人間の本来持っている良い心を
さらに立派にさせることです。
※四支(しし): 「四肢(しし)」と同じで、手足のことですが、
ここでは身体のことを指しています。
●解説
僕の愛読書の一つである『荘子(そうじ)』の一節を読んだ感想です。
(本のタイトルとしては「そうじ」で、人の名前としては「そうし」 というのはいつも紛らわしいなと思います。)
この一節の原文・書き下し文等は、以下の記事で説明しています。
ブログ記事: 今回作った漢詩の「読荘子雑篇譲王第二十八」に
詠まれている『荘子』譲王第二十八の一節の訳です。
この一節が収録されているのは『荘子』の中でも雑篇(ざつへん)
といって、荘子本人ではなく後世の人が書き加えたもので、
さらに雑多でまとまりの薄い篇なのです。
そしてこの一節は譲王(じょうおう)第二十八という篇に
おかれていて、基本的には高い地位を譲られる状況なのに
それを拒否する隠者たちの話が中心なのです。
これも老荘の考え方の中の一つではありますが、
僕はお相手の方や家族や周囲の方々にお世話に
なっているわけですし、それに自治体や政府にも
いろんな不満があるとしても、そのおかげを被って生きていることは
確かなのですから、僕はこのような側面には賛同していません。
それにこの一節自体も、秦の政治家で、始皇帝の父親の
荘襄王(そうじょうおう)を王にする功績のあった呂不韋(りょふい)が
人を使ってまとめさせた書物の『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』にも
載っていたもので、おそらく当時の伝説のような形で
伝えられていたものではないかと思いました。
その書物の中では孔子のほかの弟子の原憲(げんけん)の話として
載せられていて、この一節の前に前置きとして、
みすぼらしい姿をしている原憲が、身なりを整えて出世していく
兄弟弟子の子貢(しこう)を批判する文章があるのです。
その部分も僕の好みではないのです。
やはりこの『荘子(そうじ)』のように、その後半の部分だけが
僕が元気づけられる一節だと思っています。
その一節を要約しますと、
孔子の直弟子の曾子(そうし: 本名は曾参(そうしん))は貧しさから
顔の肌は荒れて手足にたこができ、食事も満足に取れずに
みすぼらしい格好をしていました。
そんな中でも曾子はゆったりとした気持ちを身につけていて、
古代の詩を集めた『詩経(しきょう)』の中の、中国の古代の王朝の
商(しょう)、つまり殷(いん)の国の徳をほめたたえる詩である
『商頌(しょうしょう)』を歌うと、その声は天地に響き渡って、
美しい楽器を演奏しているような、美しい声なのです。
その魂の気高さは、天子(てんし: 皇帝)も部下とすることができず、
天子の領地の周囲を治める諸侯(しょこう)たちも友人とすることの
できないほどのものです。
だから自分の志を養う者は身体のことを考えず、
自分の身体を養う者は世間の利益を考えず、
道を身につけている者は、自分の心を意識することなく、
自然の道理と自分の心が一つになる境地に達するのです。
ということです。
ここを読むと、真剣に学んでいくことで、どんな状況になっても
他から侵されることのない気高い魂を手に入れて、
強い気持ちを持って生きていきたいなという気持ちになります。
ですから、この一節には僕はとても元気づけられるのです。
この一節のように、僕も詩を学んでいくことで、自分の心を
さらに磨いていって、自由闊達な境地に少しでも近づいて、
お相手の方を初め家族や周囲の方々をより安心させるような、
そんな自分になっていきたいなと思います。
●蛇足
ついでなので、この一節の中で出て来た、
大昔の民謡などを孔子が三百編にまとめたとされる
『詩経(しきょう)』の中の、商の国、つまり殷の国をほめたたえる歌の
『商頌(しょうしょう)』 の詩がどんなものであるか見てみました。
その中でほかの儒学の書物にも引用されている
「玄鳥(げんちょう)」という詩を訳してみました。
玄鳥(げんちょう)、つまりツバメが殷の国を作ったという
伝説を詠んだ詩です。壮大な感じのする詩です。
その詩の原文・書き下し文・現代語訳などは、
以下のページの記事にあります。
ブログ記事: 『詩経』の中の『商頌』の一つ、「玄鳥」の詩の訳です
とても壮大な感じの詩だと思いました。
こういう詩を歌ってのびやかな気持ちを養っていったのかなと思います。 こういう所をきっちり身につけていきたいなと思いました。 これからも日々きちんとがんばります。 |
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2011年11月26日
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豫園(よえん)の門(中国・上海)
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この『荘子(そうじ)』の漢文の一節は、僕が作った漢詩の、
「読荘子雑篇譲王第二十八」の、その僕が読んだ一節に出てきた
『商頌(しょうしょう)』の詩の一つである「玄鳥(げんちょう)」という詩を
訳してみました。
『商頌(しょうしょう)』は彼が古代の詩を集めた『詩経(しきょう)』の中の、
中国の古代の王朝の商(しょう)、
つまり殷(いん)の国の徳をほめたたえる詩です。
「玄鳥(げんちょう)」という詩は、玄鳥、つまりツバメが
殷の国を作ったという伝説を詠んだ詩です。
壮大な感じのする詩です。
曾子もこういう詩を詠じて心を養ったということを、
その『荘子』の一節の作者は言いたかったのかなと思いました。
こちらにはコメント欄を設けていません。
僕が作った漢詩の記事にコメント欄がありますので、 この点をよろしくお願いいたします。
僕が作った漢詩は以下の記事になります。
こちらにこの詩の解説も載せています。
ブログ記事: 漢詩「読荘子雑篇譲王第二十八」(七言絶句)
(コメント欄はこちらに設けてあります)
今回読んだ『荘子』の一節の本文と書き下し文と訳などは
以下の記事になります。
ブログ記事: 今回作った漢詩の「読荘子雑篇譲王第二十八」に
詠まれている『荘子』譲王第二十八の一節の訳です。
●原文
『詩經』 「商頌」 玄鳥
天 命 玄 鳥、 降 而 生 商、 宅 殷 土 芒 芒。
古 帝 命 武 湯、 正 域 彼 四 方。
方 命 厥 后、 奄 有 九 有。
商 之 先 后、 受 命 不 殆、 在 武 丁 孫 子。
武 丁 孫 子、 武 王 靡 不 勝。
龍 旂 十 乘、 大 饎 是 承。
邦 畿 千 里、 維 民 所 止、 肇 域 彼 四 海。
四 海 來 假、 來 假 祁 祁、 景 員 維 河。
殷 受 命 咸 宜、 百 祿 是 何。
●書き下し文
題: 『商頌(しょうしょう)』 玄鳥(げんちょう)
天は玄鳥(げんちょう)に命(めい)じ、
降(くだ)りて商(しょう)を生(しょう)じ、
殷土(いんど)を宅(さだ)めて芒々(ぼうぼう)たり。
古帝(こてい)は武湯(ぶとう)に命じ、
域(くに)を正す 彼の四方(しほう)。
方(まさ)に厥(そ)の后(きみ)に命じ、
九有(きゅうゆう)を奄有(えんゆう)す。
商の先后(せんこう)、
命を受けて殆うからず、
武丁(ぶてい)の孫子(そんし) 在り。
武丁の孫子、
武王(ぶおう) 勝たざる靡(な)し。
龍旂(りゅうき) 十乗(じゅうじょう)、
大饎(だいき)に是(こ)れ承(う)く。
邦畿(ほうき)千里(せんり)、
維(こ)れ民(たみ)の止(とど)まる所(ところ)、
域(くに)を彼(か)の四海(しかい)に肇(はじ)む。
四海(しかい) 来(き)たり仮(いた)りて、
来たり仮りて祁々(きき)として、
景員(けいうん) 河(かわ)を維(つな)ぐ。
殷は命を咸(み)な宜(よろ)しきに受け、
百禄(ひゃくろく) 是(こ)れ何(いくばく)ぞ。
●現代語訳
天の神は玄鳥(げんちょう)、つまりツバメに命じて、
天から降りてきて商(しょう)、つまり殷(いん)という国を生み、
殷の国土の遠大な領土をを定めました。
天帝(てんてい: 天の神)は初代の商の王の湯王(とうおう)に命じて、
国土の四方の国境を正していきました。
今またその君主(湯王)に命じて、
九つの州に分かれた中国の全土を残らず手に入れました。
商(殷)の国のその湯王に続いた王も、
天帝からの命令を受けて危険なこともなく
その命令を達成することができました。
それは武丁(ぶてい)、つまり二十二代目の王の
高宗(こうそう)と呼ばれた湯王の子孫がいたからです。
その湯王の子孫である高宗は、
勇ましい王として君臨し、戦いに負けたことがないのです。
龍の旗をはためかせた馬車が十台あり、
我々は素晴らしい酒とごちそうをよろこんで頂きました。
王の治める領土は千里四方に及ぶ広大なものであり、
この領土こそ民衆がとどまって生活をするところなのであり、
この天下に国の境を定めて、統治を始めていきました。
この天下の中を行ったり来たりして、
さかんに行き来をすることで、
景山(けいざん)という山のふもとにある
殷の国の都の人たちは、
黄河流域を治めていきました。
殷の国の人たちは皆、命令をよく守っていたので、
多くの俸給(ほうきゅう: 給料)をもらっている者たちは、
どれほどいたのかわからないほどです。
●語注
※玄鳥(げんちょう): ツバメのことです。
※芒々(ぼうぼう): 大きく遠大であることです。
※古帝(こてい): 「天帝(てんてい)」、つまり万物を支配する
天の神のことです。
※武湯(ぶとう): 商(しょう)、つまり殷(いん)の国の初代の王の
「湯王(とうおう)」のことです。伊尹(いいん)を重用して、
夏(か)の国の桀王(けつおう)を討伐して天下を統一し、
国の名前を商(しょう)としました。
※奄有(えんゆう): 「掩有(えんゆう)」とも書きます。覆うようにして
すべて残らず自分のものにすることです。
※九有(きゅうゆう): 「九州(きゅうしゅう)」、つまり、太古に中国の全土を
九つの州に分けたことです。そこから転じて、中国全土を指します。
※龍旂(りゅうき): 「龍旗(りゅうき)」、つまり、龍を描いた旗のことです。
ちなみに蛇足ですが、清の王朝ではこれを国旗としていました。
※大饎(だいき): 祖先を祀るときの酒とごちそうのことです。
※邦畿(ほうき): 古代中国の周の時代、王様の直轄地の
千里四方の土地のことです。
※祁々(きき): さかんであることです。
※景員(けいうん): 景山(けいざん)という山のふもとの民衆のことで、
ここに殷の都が置かれていました。
※武丁(ぶてい): 殷(いん)の第二十二代目の国王で、後世の人からは
「高宗(こうそう)」と呼ばれています。傅説(ふえつ)を重用し、
衰えた殷の国を再興しました。この時代に発見された甲骨文字が
最古のものとされています。
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豫園(よえん)の回廊(中国・上海)
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この『荘子(そうじ)』の漢文の一節は、
僕が作った漢詩の、 「読荘子雑篇譲王第二十八」の、
その僕が詠んだ『荘子』の一節を訳しています。
こちらにはコメント欄を設けていません。
漢詩の記事にコメント欄がありますので、
この点をよろしくお願いいたします。
僕が作った漢詩は以下の記事になります。
こちらにこの漢文の解説も載せています。 ブログ記事: 漢詩「読荘子雑篇譲王第二十八」(七言絶句)
(コメント欄はこちらに設けてあります)
●原文
曾子居衛、縕袍無表、顔色腫噲、手足胼胝。三日不舉火、十年不製衣。
正冠而纓絶、捉衿而肘見、納履而踵決。
曳縰而歌商頌、聲滿天地、若出金石。
天子不得臣、諸侯不得友。
故養志者忘形、養形者忘利、致道者忘心矣。
●書き下し文
曾子(そうし) 衛(えい)に居(お)り、
縕袍(うんぽう) 表(おもて)無(な)く、 顔色 腫噲(しょうかい)し、 手足 胼胝(へんち)す。 三日 火を挙(あ)げず、
十年 衣を製(た)たず。 冠(かんむり)を正(ただ)せば纓(えい)絶(た)え、
衿(えり)を捉(と)れば肘(ひじ) 見(あらわ)れ、 履(くつ)を納(い)るれば踵(かかと) 決(けっ)す。 縰(し)を曳(ひ)きて商頌(しょうしょう)を歌えば、
声は天地に満ち、金石(きんせき)より出(い)ずるが若(ごと)し。 天子(てんし)も臣(しん)とするを得ず、
諸侯(しょこう)も友とするを得ず。 故(ゆえ)に志(こころざし)を養(やしな)う者は形(かたち)を忘れ、
形を養う者は利(り)を忘れ、 道(みち)を致(いた)す者は心を忘(わす)る。 ●現代語訳
孔子の弟子の曾子(そうし)は衛の国に住んでいました。
着ている綿入れは表の布がすり切れ、 肌は荒れて腫れ上がり、手足はまめやたこができ、 三日の間、火を使った食事をせず、
十年ものあいだ着る物を新しくすることはありませんでした。 冠をかぶり直すとそのあご紐が切れてしまい、
襟を引き合わせると(着物が破れて)肘が現れ、 履き物を履くとその踵が引き裂けるような有様だったのです。 しかし、そんな中でも曾子はのびやかな気持ちを保っており、
かかとの切れた靴を引きずりながら、 商(しょう)の国、つまり古代の殷(いん)の国の
徳をほめたたえる商頌(しょうしょう)の詩を歌うと、 その声は天地に広がっていき、 まるで金や石でできた鐘のような楽器を演奏しているかのようでした。 天子は思いのままに彼を臣下にすることができず、
諸侯も思いのままに彼を友人とすることはできないくらいの、 そんな高い境地に立った心を持っていました。 だから、
自分の志を養っている者は身体のことを思うことはなく、
自分の身体を養っている者は世間の利益のことを思うことはなく、 道を自分自身に身につけている者は自分の心のことさえも思うことはなく、 無心(むしん)、つまり自然の道理と自分の心が ぴったりと合わさる境地に達するのです。 ●語注
※曾子(そうし): 孔子の弟子で、儒学では孔子の門跡を継いで、その後を
孔子の孫の子思(しし)に譲ったと言われている人です。 親孝行で知られていて、儒教の経典の一つで、孝(こう)が 道徳の根本であることを説いた『孝経(こうきょう)』を 著した人とされています。 全くの蛇足ですが、孔子の息子の鯉(り: 字は伯魚(はくぎょ))は
とてもできが悪い人だったそうです。 ※衛(えい): 古代中国の周(しゅう)の時代に、今の河北省・河南省の
間にあった国の名前で、もともと殷(いん)の国の都のあった所ですが、
周の武王(ぶおう)は殷を滅ぼした後に、弟の康叔(こうしゅく)に
この地を支配させました。
※縕袍(うんぽう): 綿入れという防寒用の服のことです。
※腫噲(しょうかい): 皮膚が荒れて腫れ上がることです。
※胼胝(へんち): 手足の皮膚が平らに固くなったものです。
たこやまめのことです。
※商頌(しょうしょう): 上記で説明した『詩経(しきょう)』の中にある、
中国の古代の王朝の殷(いん)の国の徳をたたえる
五つの詩のことです。「商(しょう)」は殷の国の別名です。
※金石(きんせき): 金属や石でできた鐘のような楽器のことです。
※天子(てんし): 皇帝のことです。この時代ですと、周の王様のことです。
※諸侯(しょこう): 都の周りの天子の直轄地の周りを統治する
家臣たちのことです。
●蛇足
この中に出て来た『商頌(しょうしょう)』の詩の一つである
「玄鳥(げんちょう)」という詩を訳してみました。 玄鳥(げんちょう)、つまりツバメが殷の国を作ったという 伝説を詠んだ詩です。壮大な感じのする詩です。 曾子もこういう詩を詠じて心を養ったということを、 その『荘子』の一節の作者は言いたかったのかなと思いました。 その「玄鳥」の詩は以下の記事になります。
ブログ記事: 『詩経』の中の『商頌』の一つ、「玄鳥」の詩の訳です
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