玄齋詩歌日誌

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今回は前回の『説苑』の第一巻の「君道(くんどう)」の第二節に出てきた
斉(せい)の宣王(せんおう)の、君主として行うことを尋ねられて答えた
尹文(いんぶん)の説いた、
 
君主として行う政治の道理とはどのようなものか、
ということの内容を含んだ、尹文の文章である、
『尹文子(いんぶんし)』の一節を訳しています。
 
 
 こちらは解説の記事になります。コメント欄もこちらにあります。
 
 原文・書き下し文・現代語訳の記事は、以下を見て下さい。
 
 原文・書き下し文・現代語訳の記事
 
 以上のこと、ご了承下さい。よろしくお願いいたします。
 
 
 
●解説
 
 
今回は前回の『説苑』の第一巻の「君道(くんどう)」の第二節に出てきた
斉(せい)の宣王(せんおう)の、君主として行うことを尋ねられて答えた
尹文(いんぶん)の説いた、
 
君主として行う政治の道理とはどのようなものか、
ということの内容を含んだ、尹文の文章である、
『尹文子(いんぶんし)』の一節を訳しています。
 
 
その要点として、以下の八つの事項を挙げています。
 
(一)仁(じん)、相手に対する思いやりや慈しみの気持ちのことです。
 
(二)義(ぎ)、世の中の正しい道理や筋道のことです。
 
(三)礼(れい)、その「義」を実際の制度や儀礼に表したものです。
 
(四)楽(がく)、音楽のことです。
 
(五)名(めい)、「名目(めいもく)」つまり実質的なものに付けられた
    名前のことです。
 
(六)法(ほう)、法律のことです。
 
(七)刑(けい)、刑罰のことです。
 
(八)賞(しょう)、功績のある臣下に褒美を与えることです。
 
 
それぞれの要点をどのように考えるべきかということは、
今回の現代語訳を参照して下さい。
 
昔の名君などは、こういう要点を念頭に置いた上で、
実際の個別の状況において改めて考えることで、
きちんとした政治ができていたのだと思います。
 
 
今回取り上げるのは(五)の「名(めい)」です。
 
名とは「名目(めいもく)」のことで、実際の物事とそれに付けられた
名目を一致させることがよい政治だと言っています。
 
儒学も老荘も、そして民衆を法律で統制させる法家(ほうか)も、
この部分を重視しています。老荘は実質をことのほか重視し、
名目というものをほとんど否定しています。
 
儒学や法家は、その二つが一致することを理想としています。
 
法家における恩賞を与える基準として、
臣下が先に述べた言葉(名目)と、実際にその臣下が上げた
功績(実質)とが一致すれば恩賞を与える、という風にしています。
 
 
儒学でも名目というものがとても重視されています。
 
簡単に言えば、尊ぶべきものは尊ばれなければならないけれども、
当然尊ぶべきものにはそれに見合った実質が必要であるということです。
 
この部分を重視することがなければ、
儒学は単に、目上の人であればどんな悪い人にも盲従させるような、
大衆支配の道具となってしまうのです。
 
 
『論語(ろんご)』の憲問(けんもん)第十四の篇は、次のような話です。
 
原壌(げんじょう)という老人の男が、不作法な座り方をして
待っていたところに孔子がやってきて、その老人にこう言いました。
 
「お前は幼いときは目上の人に柔順でなくて、年齢を重ねても
 成長をしたことで人にほめられたこともなく、そんなお前が
 年老いた今でもまだ生きている。。。そんなお前のような奴を
 国の秩序を乱す『賊(ぞく)』と言うのだ。」
 
と言って、孔子は杖で原壌のすねを引っぱたきました。
 
 
孔子の言葉の最後の「老いて死せず、これを賊と為す」、
恐ろしい言葉です。
 
僕もご老人というのは尊ぶべきだと本当に思います。
でも長い間生きていると、本当にごくまれによくないご老人に出会って、
孔子に杖で引っぱたいてほしいと思うときがあります。
 
一人や二人であれば孔子も杖で引っぱたくこともできますが、
万一そんな人が一杯出てきてしまったとしたら、
老人を尊ぶという考え方自体が揺るぎかねないのです。
 
こういう例を取り上げるのは適切ではないかもしれませんが、
これが身近な例での、「名目と実質の不一致」です。
 
 
さらに『論語(ろんご)』の子路(しろ)第十三の篇では、
 
 
弟子の子路(しろ)が孔子に以下のように尋ねました。
 
「もし衛(えい)の国の君主が先生を招いて政治を行うとすれば、
 先生はまず何を行いますか?」
 
 
孔子は答えます。
「必ずや名を正さんか。
 (必ず名目を正しくして実質と一致させるようにするだろうね)」
 
 
子路は少しがっかりしてこう言います。
 
「これだからなあ、先生の遠回りなことといったら。。。
 何でそんなものを正さないといけないんです?」
 
 
孔子は言いました。
 
「由(ゆう: 子路の名前)よ、お前も野蛮なところがあるね。
 君子(くんし: 修養の出来た立派な人)であれば、
 物事のわからないうちは口を挟まずに最後まで聴くものだよ。
 
 いいかい、
 
 名目が実質と一致しないと言うことは、何か物を言っても信じてもらえず、
 そんな状況であれば政治の事業など成功はおぼつかない。
 
 そうなれば物事の筋道や順序に従った形式や制度である礼や、
 人々の心を調和させる楽(がく: 正しい音楽)など起こってくる
 はずもない。
 
 礼や楽がないことで、制度や民衆の心が整わない中では、
 刑罰は正しく行われず、民衆は何が正しくて何が悪いのかが
 わからないから、手足をどこに置いたらいいかも
 わからなくなってしまうものなんだよ。
 
 だから君子というものは名目に対して必ず実質を
 一致させるものなんだよ。
 
 例えば主君に対してきちんとした提言をした上で、
 実際に政治を任されれば正しい成果を上げるようにするものだよ。
 
 実際にそれを行う実力が備わった上で、それをきちんと口にできる者、
 それが修養のきちんと出来た君子というものなんだ。
 
 だからこそ君子というものは、実行もできないようなめったなことを
 口にするようなことはないのだよ。」
 
と。
 
 
実際に尊敬されるべき人がその実質を実は保っていないとしたら、
世の中が乱れてしまう、そんな風にも思います。
 
僕ももっともっと自分の中の実質を磨いて
努力していこうと改めて思いました。
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今回は前回の『説苑』の第一巻の「君道(くんどう)」の第二節に出てきた
斉(せい)の宣王(せんおう)の、君主として行うことを尋ねられて答えた
尹文(いんぶん)の説いた、
 
君主として行う政治の道理とはどのようなものか、
ということの内容を含んだ、尹文の文章である、
『尹文子(いんぶんし)』の一節を訳しています。
 
 
 こちらは原文・書き下し文・現代語訳の記事になります。
 
 解説の記事は、以下を見て下さい。コメント欄もそちらにあります。
 
 解説の記事
 
 
 以上のこと、ご了承下さい。よろしくお願いいたします。
 
 
 
●原文
 

  『尹文子(いんぶんし)』 大道(だいどう)下
 
仁、義、禮、樂、名、法、刑、賞、凡此八者、五帝、三王治世之術也。
 
故仁以道之、義以宜之、禮以行之、樂以和之、名以正之、法以齊之、
 
刑以威之、賞以勧之。
 
故仁者所以博施於物、亦所以生偏私。
 
義者所以立節行、亦所以成華偽;礼者所以行恭謹、亦所以生惰慢;
 
楽者所以和情志、亦所以生淫放;名者所以正尊卑、亦所以生矜簒;
 
法者所以斉衆異、亦所以生乖分;刑者所以威不服、亦所以生陵暴;
 
賞者所以勧忠能、亦所以生鄙争。
 
凡此八術、無隠於人而常存於世、
 
非自顕於堯、湯之時、非自逃於桀、紂之朝。
 
用得其道、則天下治;用失其道、則天下乱。
 
過此而往、雖弥綸天地、籠絡万品、治道之外、
 
非群生所養挹、聖人措而不言也。
 
 
 
●書き下し文
 
 
仁(じん)、義(ぎ)、礼(れい)、楽(がく)、
名(めい)、法(ほう)、刑(けい)、賞(しょう)、
 
凡(およ)そ此(こ)の八つの者は、
五帝(ごてい)、三王(さんおう)の治世(ちせい)の術(じゅつ)なり。
 
故(ゆえ)に仁の以(もっ)て之(これ)を道(みちび)き、
義の以て之を宜(よろ)しとし、礼の以て之を行い、
楽の以て之を和(わ)し、名の以て之を正し、
法の以て之を斉(ととの)え、、刑の以て之を威(おど)し、
賞の以て之を勧める。
 
 
故に仁は博(ひろ)く物を施(ほどこ)す所以(ゆえん)にして、
亦(ま)た偏私(へんし)を生(しょう)ずる所以なり;
 
義は節を立てて行う所以にして、
亦た華偽(かぎ)を成す所以なり;
 
礼は恭謹(きょうきん)を行う所以にして、
亦た惰慢(だまん)を生ずる所以なり;
 
楽は情志(じょうし)を和する所以にして、
亦た淫放(いんぽう)を生ずる所以なり;
 
名は尊卑(そんぴ)を正す所以にして、
亦た矜纂(きょうさん)を生ずる所以なり;
 
法は衆(しゅう)の異(こと)なるを斉(ととの)える所以にして、
亦た乖(そむ)き分(わ)かるるを生ずる所以なり;
 
刑は服(ふく)せざるを威(おど)す所以にして、
亦た陵暴(りょうぼ)を生ずる所以なり;
 
賞は忠能(ちゅうのう)を勧める所以にして、
亦た鄙(いや)しき争(あらそ)いの生ずる所以なり。
 
 
凡そ此の八つの術、
人に隠(かく)るる無くして常(つね)に世(よ)に存(あ)りて、
自ら堯を顕すに非ず、湯の時、自ら桀、紂の朝を逃ぐるに非ず。
 
用いるに其の道を得れば、則ち天下は治まる;
用いるに其の道を失わば、則ち天下は乱る。
 
此を過ぎて往かば、天地を弥綸(びりん)し、
万品(ばんぴん)を籠絡(ろうらく)すると雖(いえど)も、
 
治道(ちどう)の外にして、
群生(ぐんせい)の養い挹(おさ)える所に非ざれば、
聖人は措(お)きて言わざるなり。
 
 
 
●現代語訳:
 
 
政治の要点として、次の八つの項目があります。
 
(一)仁(じん)、相手に対する思いやりや慈しみの気持ちのことです。
 
(二)義(ぎ)、世の中の正しい道理や筋道のことです。
 
(三)礼(れい)、その「義」を実際の制度や儀礼に表したものです。
 
(四)楽(がく)、音楽のことです。
 
(五)名(めい)、「名目(めいもく)」つまり実質的なものに付けられた
    名前のことです。
 
(六)法(ほう)、法律のことです。
 
(七)刑(けい)、刑罰のことです。
 
(八)賞(しょう)、功績のある臣下に褒美を与えることです。
 
 
大体、この八つのことは、大昔の帝王たちや、すぐれた王たちが
世の中をうまく統治するための方法なのです。ですから、
 
(一)仁の慈しみの気持ちによって民衆を導き、
 
(二)義の道理によってふさわしい形に整え、
 
(三)礼の形式によって実際に行い、
 
(四)音楽によって心を調和させて、
 
(五)名目を正して実際のものとの相異を無くして秩序立てるようにして、
 
(六)法律によって物事を整えていき、
 
(七)刑罰によって悪い者をおどして正すようにして、
 
(八)褒美を臣下にきちんと与えることによって、
  民衆に正しいことを勧めるようにするのです。
 
 
ですから、
 
(一)仁の慈しみによって気持ちは民衆に広く恩恵を施すことが出来ます。
  しかしこれがうまくいかなければ、かえって特定の人に
  えこひいきをしてしまうことになります。
 
(二)義の道理によって筋道立てて物事を行うことができますが、
  それがうまくいかないと、かえって浮ついた実質のないものに
  欺かれることになります。
 
(三)礼の形式によって恭しくて慎み深くさせることができますが、
  それがうまくいかないと、かえって怠けて礼を失わせることに
  なってしまいます。
 
(四)音楽によって感情や志の向かうところを調和させることが
  できますが、それがうまくいかないと、かえって酒やごちそうに
  耽ってだらしなくなってしまいます。
 
(五)名目を正すことで身分の上下を正すことができますが、
  それがうまくいかないと、かえって受け継いだものによって
  尊大にさせてしまうことになります。
 
  (君主を君主として尊敬させることばかりにとらわれて、
   悪い君主まで尊ばれることで、かえって人倫を乱してしまうのです)
 
(六)法律というのは民衆の異なる考えや態度を揃えることができますが、
  それがうまくいかないと、お互いに反目して別れてしまうように
  なります。
 
(七)刑罰で服従しない者をおどして服従させることができますが
  それがうまくいかないと、相手に乱暴をして痛めつけることにしか
  ならないようになってしまいます。
 
(八)功績のある臣下にきちんと褒美を与えることで、
  忠義と才能を伸ばすことを民衆にも勧めることができますが、
  それがうまくいかないと、手柄をめぐって野蛮な争い事が
  生まれようになります
 
 
大体、この八つの方法は、
人の目から隠れたところにあるわけではなくて、
常に世の中に存在するものです。
 
太古の偉大な帝王の堯(ぎょう)や、殷の初代のすぐれた王の
湯王(とうおう)も、自然に世の中に出て来たわけではないのです。
 
夏の国の暴君であった桀王(けつおう)や、
殷の国の暴君であった紂王(ちゅうおう)は、自然に国を逐われて
逃げるようになったわけではないのです。
 
 
その道理に従って行動することができれば、天下を治めることができ、
その道理に従って行動することができなければ、
天下は乱れてしまうのです。
 
この道理を離れてしまったところでは、
たとえ天地をそのまま治めることができ、
あらゆるものを思い道理に操ることができたとしても、
 
それは政治の道理を離れたものであり、
多くの民衆を養って、悪い者を抑えて統治を行う道から
離れたそむいたものですから、
 
知恵と徳のすぐれた帝王たちは、
それには手を付けないで、口に出すこともないのです。
 
 
 
●書き下し文
 
 
※仁(じん): 人が二人いれば自然に発生する、相手に対する
  思いやりや慈しみの気持ちのことです。
 
※義(ぎ): 世の中の正しい道理や筋道のことです。
 
※礼(れい): 先ほどの「義」をその時々のふさわしい形に整えた、
  実際の儀礼や制度のことです。
 
※楽(がく): 音楽のことです。儒学でも心を養うために大切にされました。
 
※名(めい): 「名目(めいもく)」のことです。当時の思想では、
  名目とそれが指し示す実質的なものとの一致を重視しています。
 
※法(ほう):「法律」のことです。
 
※刑(けい): 「刑罰(けいばつ)」のことです。
 
※賞(しょう): 君主が功績のある臣下に褒美を与えることです。
 
※五帝(ごてい): 中国の太古の伝説の五人の帝王たちのことです。
  いろんな説がありますので、ここでは特定できないようです。
 
※三王(さんおう): 中国の古代の三人のすぐれた王たちのことです。
  夏(か)の国の初代の王の禹(う)、殷(いん)の初代の王の湯(とう)、
  殷の紂(ちゅう)王を討伐して周(しゅう)の国を作った
  武王(ぶおう)のことです。
 
※治世(ちせい): 世の中をうまく治めることです。
 
※偏私(へんし): 特定の人だけをえこひいきすることです。
 
※華偽(かぎ): 表面上だけで実質が無いもので欺くことです。
 
※恭謹(きょうきん): うやうやしくて慎み深いことです。
 
※惰慢(だまん): 怠けて礼を失することです。
 
※情志(じょうし): 感情とこころざしの向かうところです。
 
※淫放(いんぽう): 酒色(しゅしょく: お酒やごちそう)に
  耽ってだらしがないことです。
 
※尊卑(そんぴ): 身分の上下のことです。
 
※矜纂(きょうさん、つぐをほこる): 自分が受け継いだものに
  よって尊大な態度になることです。
 
※陵暴(りょうぼう): 人に乱暴をして痛めつけることです。
 
※忠能(ちゅうのう): 忠義の気持ちと才能のことです。
 
※弥綸(びりん): あまねく治めることです。
 
※万品(ばんぴん): 万物、あらゆる物事のことです。
 
※籠絡(ろうらく): 相手を言いくるめて自分の思う通りにすることです。
 
※治道(ちどう): 政治の道理のことです。
 
※群生(ぐんせい): 多くの民衆のことです。
 

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