玄齋詩歌日誌

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洋書
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●原文: 
 
 
 贈陽伯  (明) 王陽明
 
陽 伯 即 伯 陽、  伯 陽 竟 安 在。
 
大 道 即 人 心、  萬 古 未 嘗 改。
 
長 生 在 求 仁、  金 丹 非 外 待。
 
繆 矣 三 十 年、  於 今 吾 始 悔。
 
 
 
●書き下し文:
 
 
 題: 「陽伯(ようはく)に贈る」
 
陽伯(ようはく)は即(すなわ)ち伯陽(はくよう)なり、
伯陽(はくよう)竟(つい)に安(いず)くにか在らん。
 
大道(だいどう)は即(すなわ)ち人心(じんしん)なり、
万古(ばんこ)未(いま)だ嘗(かつ)て改(あらた)まらず。
 
長生(ちょうせい)は仁(じん)を求(もと)むるに在(あ)り、
金丹(きんたん)を外(そと)に待(ま)つに非(あら)ず。
 
繆(あやま)てり三十年、
今に於(おい)て吾(わ)れ始(はじ)めて悔(く)ゆ。
 
 
 
●現代語訳:
 
 
 題: 「陽伯(ようはく)さんに詩を作って贈ります」
 
陽伯(ようはく)さん、あなたは老子の道を学んでいるのですから、
あなたはまさしく伯陽(はくよう: 老子の別名)だと言えるでしょう。
 
しかし私は、その伯陽(老子)の道をついに
見つけることができませんでした。
 
世の中の自然の道理を表す大きな道というものは、
つまりは普通の人の心の中にしか存在しないものでして、
そのことは大昔からずっと変わらないのです。
 
長く生きるには、孔子が仁(じん)という言葉で示した聖人の道を、
経書(けいしょ: 儒学の書物)の中から求めることで得られるのであって、
 
金丹(きんたん)などという黄金を練って作る
不老不死の薬ができるのを、待つ事によって
得られるものではないのです。
 
このことを理解するまで、三十年の無駄な時を過ごしました。
今になって、私は初めて後悔するようになったのです。
 
 
 
●語注:
 
 
※伯陽(はくよう): 老子の字(あざな)の一つです。
 
※大道(だいどう): 天地自然の道理を意味する「道」のことです。
 
※人心(じんしん): 人間が持つ普通の心のことです。
 
※万古(ばんこ): 大昔のことです。
 
※長生(ちょうせい): 長生きをすることです。
 
※仁(じん): この場合は普通の「人を思いやる気持ち」の仁ではなくて、
  孔子さえももったいぶって言わない意味での仁で、
  ほとんど「聖人の道」のような意味で使われています。
 
※金丹(きんたん): 道教の道士などが黄金を練って作る、
  不老不死の薬のことです。
 
※繆(あやまる): 「過(あやま)ちをおかす」という意味です。
 
 
 
●解説:
 
 
この詩は王陽明が 1505 年に過去に道教の術を学んでいたことを
後悔した気持ちを、陽伯(ようはく)という人に贈る詩という形で
詠んだものです。
 
この「陽伯」をひっくり返すと「伯陽(はくよう)」となり、
これは老子のいくつかの字(あざな)の一つです。
つまり、「架空の老子の学を学んだ人」に宛てて贈った詩になります。
 
 
この年は王陽明は三十四歳でした。この翌年に王陽明は
宦官の劉瑾(りゅうきん)が独断で政治を行っていたことを
批判する上奏文を提出すると、逆に劉瑾(りゅうきん)の恨みを買って、
当時は未開の地であったの貴州省の龍場(りゅうじょう)駅の
役人へと左遷されました。
 
そこでの苦しい生活の中で、彼は儒学の経書の『大学』と、
かつて朱子学の大成者であった南宋の朱熹(しゅき)の論敵であった、
陸象山(りくしょうざん)の思想をもとに、
新しい学説を生み出すことになります。
この少し手前に詠まれた漢詩ですね。
 
王陽明は若い頃には仏教や道教や、
漢詩などいろんなものに首を突っ込んで、
最終的にはやっぱり儒学だと言うことで学び直していきました。
 
そのために科挙に合格したのは二十八歳の三度目の受験のあとという、
同輩たちと比べればかなり遅い官僚生活の始まりとなっていました。
 
しかしこの若い頃の経験が、後の学問や用兵の才能を
養っていったのではないかと思います。
全く系統は違いますが、どこか曹操や信長を思わせる経歴ですね。
 
 
道教も不老不死の薬を作ったりするなど、
当時の道教の、一部迷信的な部分を批判している内容ですね。
 
結局経書(けいしょ: 四書五経(ししょごきょう)と言われる儒学の書物)
をもとに聖人の道を見いだすことでしか長生きの方法さえも見つからない、
王陽明はそういう結論に当時は達していた、ということだと思います。
 
 
朱子学の朱熹も若い頃には儒学と禅を同時に学んでいましたが、
彼の師であった李延平(りえんぺい)の厳しい導きによって
儒学だけを志すようになっていきました。
 
イギリスの哲学者のヒュームなど、まだまだ例はありますが、
本当に哲学をしている人は、こういう若い頃の迷いを
経験しているようです。
 
経書を批判する一時期があったからこそ、
より深く経書を理解していった、そのように思います。
 
 
若い頃の迷いが、後の人生の栄養になって帰ってくる、
そう考えると、若い頃にいろんな経験をしていくことが大切なのだと
改めて思いました。
 
僕もこれからもいろんな事をどんどん学んでいこうと思います。
 

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