玄齋詩歌日誌

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玄齋のブログへようこそ。
 
新年度もきちんと頑張っていきます。 
 
 
あらかじめ申し上げておきます。
 
勝手に私の漢詩を添削するような方がおりますが、
私は個人的に信頼の置ける方以外からの
漢詩の添削による指導を受けることはありません。
 
きちんと学習をするには、
信頼できる方からのきちんとした添削の指導が必要なのです。
 
私は「意見」は受け付けますが、「添削」はお断りします。
 
それでも漢詩の添削の指導をどうしてもしたいという方は、
ご自身でお作りになった七言「律詩」を
ご提示下さい。
それをもとにその方の実力を判断します。
 
きちんとした七言律詩が作れるほどの実力のある方なら、
あらゆるご批判や添削を歓迎します。
その場合、僕も存分にお相手します。堂々と応対します。
 
どこの方かわからない方で、しかも七言律詩の呈示のない方の、
添削等は断固受け付けません。そのために、
七言絶句と五言絶句のコメント欄を承認制にします。
漢詩の未熟な人はこの二種類にしか口を出せないことを知っています。
 
ちなみに以下は、僕が作った七言律詩です。
これを見て、僕が漢詩に未熟かどうかをご判断下さい。
 
 漢詩「三月十一日即事(追悼東日本大震災一周年)」(七言律詩)
 
 漢詩「初春想佳人」(七言律詩) 
 
 
余談ですが、現時点で漢詩の世界に、
漢詩で食っていける「プロ」はおりません。
現在の漢詩の世界の経済事情を認識していますので、
実力も何もわからない人の添削指導を仰ぐ必要性を、
僕は感じておりません。
 
他の皆さんも、もしそういう人が出て来ても、
収入に関してきちんとしたことの言えない人は
ただの「無職」と判断して差し支えありませんので、
おそれる必要はない、ということを覚えておいて下さい。
 
この点だけはあらかじめ申し上げておきます
 
 
●最新の更新
 
※冠句(かんく)の月刊誌『文芸塔』の四月と五月の入選分です。
 
 
※ 春の日に郊外へと出かけて楽しむ、そんな風景を詠みました。
少し前に同じ題で詠んでおりましたが、もう一作作っています。
 
 漢詩「春日踏青(その二)」(七言絶句)
 
※『孫子』の「計篇」の内容の概略を、注釈の漢文を訳してまとめました。
 
 前半の記事
 
 後半の記事
 
※自由律俳句の集団、「鉄塊」に入会しました。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66584472.html
 
※儒学の四書五経の一つ、『礼記(らいき)』の一節を訳してみました。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66567497.html
 
※学問に志す気持ちを、長い漢詩に詠みました。
 これは五言古詩で、一つの韻で長い句をつなげていくものです。
 前半と後半の記事に分けています。
 
 漢詩「詠志学」(五言古詩・一韻到底格)
 
 前半の記事
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66554034.html
 
 後半の記事
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66554039.html
 
※美しい人を詩に詠む、という形で、長い漢詩を作りました。
 これも五言古詩で、一つの韻で長い句をつなげていくものです。
 僕の日々の思いを綴ったものでもあります。
 
 漢詩「詠佳人」(五言古詩・一韻到底格)
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66550282.html
 
 
※その上記の二つの五言古詩の縦書き画像です。もともとは六十四句の
 さらに長い漢詩でしたが、それを二つの漢詩に分けました。
 
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66547501.html
 
 
※桜の公園を散歩して新しい漢詩を詠む、そんな風景を
 七言絶句の漢詩に詠みました。
 
 漢詩「花園散策」(七言絶句)
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66526411.html
 
 
※『老子』 第九章の翻訳です。
 
 一つめの記事
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66507247.html
 
 二つ目の記事
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66507293.html
 
 三つめの記事
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66507310.html
 
 
 第八章までの翻訳は、こちらの書庫のページにあります。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/folder/1819764.html
イメージ 1
白い碁石
Photo by : clef
http://street34.mond.jp/clef
 
 
前半の記事
 
 
ここからが前半からの続きです。
 
 
全てが計算通りに行かないからと言っても、全く予測も付けていなくて、
その場の流れに対応するだけで応じようとしたり、
あるいは計算の段階でどうも勝てそうもないという事が分かった上で、
実際に戦う中で何とか勝ちを拾おうとしたりする、
そういう考えでは勝利はつかめない、そういうことを述べています。
 
研究発表やスピーチをしたことのある方ならたぶんおわかりだと
思いますが、あらかじめ原稿を用意していても、
それに一言一句間違えずに述べることはないと思います。
 
むしろ原稿を作った上でそれを頭の中に咀嚼してたたき込み、
要点を把握した上で発表の場に立つわけです。
 
場数を踏んでくると、自分の得意分野に関しては原稿もなしに
発表をすることも出来るようになります。
 
しかし、ちょっとちがうテーマを述べる場合は原稿を、
少なくとも話す内容を箇条書きにしたメモを準備せずには
できないと思います。
 
ましてや場数も踏んでいなければ、たいしたことを述べることも
出来ずに大失敗で終わることが多いと思います。
 
 
他のケースでも、将来は予測できないからといって、
本当に完全にアドリブで対応しなければならないことは少なく、
予測することの難しいところでも、ある程度の準備は可能で、
なくともその部分の準備はきちんと行う必要がある、
ということだと考えています。
 
ましてや戦争という国の最も重要なことを決めるのに、
きちんとした準備をしないわけにはいかない、
ということは言えると思います。
 
 
以上をまとめまして、この『孫子』計篇の概略を以下に述べます。
 
 
●『孫子』計篇の概略:
 
この計篇で述べていく「計(けい)」とは、
「計算(けいさん)」、つまり、物事の利害や損得を考えることです。
 
具体的に何を計算するかといいますと、
下の五つのことを計算するのです。
 
つまり『孫子』のこの篇の本文で述べられる、
道(みち)、天(てん)、地(ち)、将(しょう)、法(ほう)のことです。
 
「道(みち)」とは善政を施して信頼を得た上で民衆を動かすこと、
 
「天(てん)」とは天候や気候が戦にどのように影響してくるかを
考えること、
 
「地(ち)」とは距離の遠い近い、進路の広い狭い、などの
戦争に関わる地理的な条件を考えることで、
 
「将(しょう)」とは優秀で賢明な将軍を任用すること、
あるいは相手の将軍の能力を考えることで、
 
「法(ほう)」とは旗や鐘などの軍を動かす上での目印、
褒美を与えたり刑罰を与えたりすること、
軍の食糧や経費に関することを考えていくことです。
 
 
この五つのことについて、「廟堂(びょうどう)」、
つまり先祖をまつるお堂で、
 
軍を動かすために、勝敗や利害や損得をあらかじめ予測して
考えるのです。これを「廟戦(びょうせん)」と言います。
 
その廟戦(びょうせん)の中で、
五つのことに関して敵と味方の実際の状況を比較し、
どちらが有利でどちらが不利かを計算して、そうして
この戦争に勝つか負けるかがきちんと決まるようにしていくのです。
 
そんな風にして勝負の行く末をきちんと定めたところで、
その後に戦争を仕掛け、兵士や民衆達を戦争に動員するのです。
 
軍を動かすための道理は、まずはこの五つのことを考えて
計算していくことから始まります。だからこそ、そのことをこうし
て書いて、『孫子』の多くの篇の最初に置いたのです。
 
 
ところで、戦争の中では敵に向かい合って、
その時々の状況の善し悪しを判断して敵を制圧することが大切なのに、
 
曹操までもが「先祖のお堂で勝敗を計る」ということを行うのは
なぜなのかと言いますと、
 
将軍の賢いか愚かか、敵が強いか弱いか、
戦場となる土地の遠いか近いか、兵士の数の多いか少ないか、
 
こういう部分はあらかじめ考えて、準備をすることができます。
そうして準備をした上で、両軍がお互いに向き合ってからは、
その場その場の状況に応じて動く必要があり、
これらは将軍がその場で決めなければならないことなのです。
 
ここは計算をより厳しい基準で行ってどうにかできるものではないのです。
 
しかしあらかじめ予測を立て、ある程度に状況の推移が
わかっていることによって、戦争での要点をつかむことが出来て、
現場において予想外のことが起きたとしてもあわてることな
対処をすることが出来ます。
 
きちんとした準備をすることが、将軍の現場の判断を冷静に行わせ、
予想外な状況への対応もより適切に行わせることを可能にさせるのです。
 
そのためにこそ、「廟戦(びょうせん)」の中での「計算(けいさん)」が
大切になってくるのです
 
 
だからこそ、『孫子』の本文の最初に、
この「計篇」が置かれていると言えるのです。
 
 
●感想:
 
 
こういう文章を書くと、単なる戦争批判のように思われる方も
いるかもしれませんが、
 
『孫子』の本文を訳す中で戦争はどうあるべきか、
将軍はどのように考えるべきかを述べていく際に、
 
先の大戦で祖国のために戦った方々の霊を
どのようになぐさめるかということや
先の大戦が歴史的に見てどのような価値があったかということを、
持ち込んで考えないようにしています。
 
戦争の評価というのは、市民や学者が行う事であって、
将軍となったものが行うものではない、そう考えています。
 
 
一兵卒、一国民として考えるべき事と、
将軍や組織で人の上に立つ人が考えるべき事は、
に大きく異なることがあるということです。
 
将軍は戦争に勝つ、あるいは戦争を回避しなければならず、
社長は会社を維持しなければならず、
国の指導者は国を存続させなければならないのです。
 
こういう部分についてきちんと深く考えていくことが、
リーダーシップにつながっていくと、そう考えています。
 
これからも『老子』と並行して、『孫子』もしっかりと訳していきます。
これからもしっかりとがんばります。
イメージ 1
黒い碁石
Photo by : clef
http://street34.mond.jp/clef
 
 
こんにちは。これから兵法書の『孫子(そんし)』の翻訳をしていきます。
 
「兵法書(へいほうしょ)」というのは実際の軍隊の動かし方を
説明している書物とされていますが、『孫子』では実際の軍の動かし方を
書いているわけではないです。
 
同じ兵法書でも『六韜(りくとう)』の後半部分には昔の実際の戦車の
動かし方が載っていますが、これは今の世の中では全く役に立たず、
本当に歴史的な資料の意味合いしかないです。
 
 
『孫子』の本文は一見抽象的で、一体何の役に立つのかという疑問が
常に浮かんでくると思います。『孫子』を含めて漢文や古典の文章は
読み方を理解しておかないといけないのです。
 
『孫子』の文章の一つ一つを実際の具体的な状況、一国一城の主として
人の上に立った時、あるいは組織に属している自分自身の状況に
照らし合わせて、
 
「この部分のこの言葉は今の私の状況にとってどのように解釈すべきか」「この部分の言葉をどのように考えるべきか」
 
ということを一つ一つ具体的に考えていくことで、
『孫子』の言葉が生きた言葉として自分の血肉として
身につけることが出来るようになってくるのです。
 
そういうことは『論語』の方が家庭の中などでも具体的な状況を
見つけやすく、そういう読み方の入門編と言うことが出来ます。
そして『孫子』はその応用編となるのです。
 
 
この『孫子』の注釈書、つまり『孫子』を説明する文章を書いた
有名な一人が、三国志でも有名な魏の曹操(そうそう)です。
 
私が改めて説明する必要もないほど兵法に通じていまして、
この『孫子』の注釈もとてもわかりやすく、明快に説いていて、
 
「この部分はこう読む」とか、他の兵法書を引用してのちょっとした説明は
あるものの、歴史的事実を述べて自説を展開することがほとんどない、
という姿勢にとても感動していました。
 
今回もこの曹操の注釈を基本として、いろんな学者の注釈に
当たってみることにしました。
 
今回は北宋の学者の吉天保(きつてんほ)の
『孫子註解(そんしちゅうかい)』の中にある、
いろんな学者の注釈をもとに、訳していきます。
 
今回は、一番最初の篇である「計篇」の概略を、
何人かの註釈をもとに説明をしていきます。
 
 
まず、「計篇」の「計(けい)」とは何かという点です。
まずは曹操の注釈を見てみます。
 
 
(原文)
 
曹操曰、計者、選将、量敵、度地、料卒、遠近、険易、計於廟堂也。
 
 
(書き下し文)
 
計(けい)は、将(しょう)を選(えら)び、敵(てき)を量(はか)り、
地(ち)を度(はか)り、卒(そつ)を料(はか)り、
 
遠近(えんきん)、険易(けんい)、
廟堂(びょうどう)に於(おい)て計(はか)るなり。
 
 
(現代語訳)
 
「計(けい)」とは、軍の指揮官である将軍を選び、
敵の情勢を味方の状況と比較し、戦場となる土地の様子を調べ、
 
兵士達の優劣を比較し、戦場までの距離などの遠い近い、
道のりが険しいか移動しやすいか、などを
 
「廟堂(びょうどう)」、つまり先祖をまつるお堂で軍を動かすために、
勝敗や利害や損得をあらかじめ予測して考えることです。
 

(ここまでが曹操の注釈の現代語訳です)
 
 
戦争が始まる前に勝敗の行方やその結果どうなるか、
ということについて、あらかじめ予測を立てて考えていく、
これが「計(けい)」であるとしています。
 
それを「廟堂(びょうどう)」つまり先祖をまつるお堂で行うのです。
 
『老子』の三十一章でも述べられていますが、
軍事は葬式の礼法に従って行われます。
 
例えば、日本の昔の官職で、左大臣と右大臣では左大臣の方が
位が上なのに対し、左大将と右大将では右大将が上なのは、
 
廟堂での先祖の並べ方を昭穆(しょうぼく)と言いまして、
一番古い先祖を中央にまつり、その次の代を右、三代目を左、
という風にして右と左の二列に並べていく決まりがあり、
葬儀の礼法で右を尊ぶことから来ています。
 
 
そしてこの『孫子』のように先祖をまつる廟堂で
政治の方針を決めることを「廟算(びょうさん)」と言い、
 
廟堂で今回のように計略を立ててあらかじめ
勝敗の予測を立てることを「廟戦(びょうせん)」というのは
ここから来ています。
 
その「廟戦(びょうせん)」を具体的にどのような形で
『孫子』の本文の中で述べていくかについては、
詩人としての方が有名な、唐の末期の政治家の
杜牧(とぼく)の注釈に述べています。
 
 
(原文)
 
計、算也。曰、計算何事。
曰、下之五事、所謂道、天、地、将、法也。
 
於廟堂之上、先以彼我之五事、計算優劣、然後定勝負。
勝負既定、然後興師動衆。
 
用兵之道、莫先此五事、故著為篇首耳。
 
 
(書き下し文)
 
計(けい)とは、算(さん)なり。
曰(いわ)く、計算(けいさん)するは何事(なにごと)ぞ。
 
曰(いわ)く、下の五事(ごじ)なり、
所謂(いわゆる)道(みち)、天(てん)、地(ち)、将(しょう)、法(ほう)なり。
 
廟堂(びょうどう)の上に於(おい)て、
先(さき)んずるに彼我(ひが)の五事(ごじ)を以てし、
 
優劣(ゆうれつ)を計算(けいさん)して、
然(しか)る後(のち)に勝負(しょうぶ)を定(さだ)む。
 
勝負(しょうぶ)既(すで)に定(さだ)まりて、
 
然(しか)る後(のち)に師(いくさ)を興(おこ)して
衆(しゅう)を動(うご)かす。
 
兵(へい)を用(もち)うるの道、
此(こ)の五事(ごじ)に先(さき)んずること莫(な)し、
 
故(ゆえ)に著(あらわ)して篇(へん)の首(はじめ)となすのみ。
 

(現代語訳)
 
計(けい)とは、計算(けいさん)、
つまり、物事の利害や損得を考えることです。
 
何を計算するかといいますと、下の五つのことを計算するのです。
 
つまり『孫子』のこの篇で言うところの、
道(みち)、天(てん)、地(ち)、将(しょう)、法(ほう)のことです。
 
「道(みち)」とは善政を施して信頼を得た上で民衆を動かすこと、
 
「天(てん)」とは天候や気候が戦争にどのように影響してくるかを
考えること、
 
「地(ち)」とは距離の遠い近い、進路の広い狭い、
などの戦争に関わる地理的な条件を考えることで、
 
「将(しょう)」とは優秀で賢明な将軍を任用すること、
あるいは相手の将軍の能力を考えることで、
 
「法(ほう)」とは旗や鐘などの軍を動かす上での目印、
褒美を与えたり刑罰を与えたりすること、
軍の食糧や経費に関することを考えていくことです。
 

先祖をまつるお堂の中で、まず検討するのは
先ほどの五つのことに関する敵と味方の実際の状況を比較し、
どちらが有利でどちらが不利かを計算して、そうして
この戦争に勝つか負けるかがきちんと決まるようにしていくのです。
 
そんな風にして勝負の行く末をきちんと定めたところで、
その後に戦争を仕掛け、兵士や民衆達を戦争に動員するのです。
 
軍を動かすための道理は、この五つのことを考えて
計算していくことより先にすることはないのです。
 
だからこそ、そのことをこうして書いて、
『孫子』のいくつもの篇の最初に置いたのです。
 
 
(ここまでが杜牧の注釈の現代語訳です)
 
 
実際に計算をする内容は、
道(みち)、天(てん)、地(ち)、将(しょう)、法(ほう)という
五つのことだとしています。この五つはそれぞれ本文を解説する回に一つずつ内容を解説していきます。

さて、ここで一つ疑問が生じてくるかもしれません。
実際の戦争の状況は刻一刻と変化していて、
とてもあらかじめ予測するどころではなく、
 
それどころかこういう予測はいわゆる「机上の空論」になってしまって、
役に立たないどころでなく、かえって有害ではないのか、
そういう疑問も生じてくるかもしれません。
 
その部分を北宋の学者の張預(ちょうよ)の注釈が説明しています。
 
 
(原文)
 
或曰、兵貴臨敵制宜、曹公謂計於廟堂者、何也。
 
曰、将之賢愚、敵之強弱、地之遠近、兵之衆寡、安得不先計之。
 
及乎両軍相臨、変動相応、則在於将之所裁、非可以険度也。
 
 
(書き下し文)
 
或(あ)るひと曰(いわ)く、兵(へい)は敵(てき)に臨(のぞ)みて
宜(よろ)しきを制(せい)するを貴(たっと)ぶに、
 
曹公(そうこう)の廟堂(びょうどう)に
計(はか)ると謂(い)うは、何(なん)ぞや。
 
曰(いわ)く、将(しょう)の賢愚(けんぐ)、敵(てき)の強弱(きょうじゃく)、
地(ち)の遠近(えんきん)、兵の衆寡(しゅうか)、
 
安(いずく)んぞ先(さき)に之(これ)を計(はか)らざるを得(え)んや。
 
両軍(りょうぐん)の相(あ)い臨(のぞ)むに及(およ)びて、
変動(へんどう)するに相(あ)い応(おう)じ、
 
則(すなわ)ち将(しょう)の裁(さい)する所(ところ)に在(あ)りて、
険度(けんど)を以(もっ)てすべきに非(あら)ざるなり。
 
 
現代語訳)
 
ある人は以下のように質問をしました。
 
戦争の中では敵に向かい合ってその時々の状況の善し悪しを判断して
敵を制圧することが大切なのに、
 
曹公(そうこう: 曹操のこと)が「先祖のお堂で勝敗を計る」とは、
どうして言えるのでしょうか。
 
 
それに対する答えは以下のようなものです。
 
将軍の賢いか愚かか、敵が強いか弱いか、
戦場となる土地の遠いか近いか、兵士の数の多いか少ないか、
 
これらをどうして先に考えないでいられるでしょうか。
こういう部分はあらかじめ考えておかないといけないのです。
 
一方で、両軍がお互いに向き合ってからは、
その場その場の状況に応じて動く必要があり、
 
これらは将軍がその場で決めなければならないことで、
計算をより厳しい基準で行って予測の精度を上げる
必要があるということではないのです。
 

(ここまでが張預の注釈の現代語訳です)
 
後半に続きます。
 
 後半の記事
 

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