玄齋詩歌日誌

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紫木蓮(シモクレン)
Photo by : 季節の写真

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(注)一部表示できない文字がありますので、
きちんと表示できるアメブロの同じ文章の記事を参照して下さい。
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●現代語訳:


太古の帝王の高陽(こうよう)という号で呼ばれた
??(せんぎょく)の子孫に、私の亡き父、優れた徳を持つ父の、
字(あざな)を伯庸(はくよう)という人がおりました。

お正月の、『太歳(たいさい)』、つまり木星が
東北東の寅(とら)の方角にある、
暦は庚寅(かのえとら)の日に私は生まれました。

『寅(とら)』は陽の気が正しく陽の気がさかんになる、
お正月に春になっていく、ということを示し、

『庚(こう)』は陰の気が正しくなり、
秋に万物が実って充実している状態を示すのですから、

私はそんな陰と陽の整った、めでたい日に生まれたことになります。

私の父が最初に生まれた私を見て、私にめでたい名前をつけました。

父は私の名前として、

『公平で法則として従うことの中で最も優れているのは天で、
その天に則るような公平で偏りのない人間に育って欲しい』

という願いを込めて『正則(せいそく)』と名づけ、

私が成人した時の名前である字(あざな)として、

『陰と陽から万物を養い育てて調和させるものの中で
最も澄み切っているものは地で、
その地に則るような穏やかで周囲の人々と調和していける
人間に育って欲しい』

という願いを込めて『霊均(れいきん)』と名づけました。

美しい花が匂い立つように、私の心の中に徳を秘めていて、
それをさらに修養を積んで高めていくようにしていきました。

??(きゅうきゅう)の草のように匂い立つような徳を持って、
白?(びゃくし)という薬のように国を治める能力を身につけ、
秋に咲く蘭の花のように美しい徳を探し求めて身につけていきました。

私はまだまだ能力が十分に身についていなくて、
この川の流れのように歳月が空しく流れて、
年相応の経験を身につけることができない事を恐れていました。

朝に楚の国の南にある山の『阰山(しざん)』で
モクレンの春に咲くかんばしい花を、
天を敬うように見上げながら取り、

夕べには川の中洲で冬になっても枯れない草花を、
地面を見下ろしながら、長い間も変化することのない
地を敬うように取っていました。

太陽や月は突然のように出入りして、
昼も夜も長い間続かずに入れ替わり、

春と秋もあっという間に順序を変えて、
あっという間に時が過ぎ去ってしまいます。

今、私は冬になって草が枯れて木の葉が落ちるように、
美人が時とともに顔かたちが老いてしまうように、

陛下(楚の懐王)がきちんとした徳を身につけないままに
晩年を迎えてしまうことを心配しているだけなのです。

陛下が働き盛りの壮年の時期に安心してしまって、
好き勝手なふるまいをするのをやめて、

君主としての徳を修めるようにして、
陛下の周りで讒言をささやいている者たちを
宮廷から去らせることが大切なのに、

どうして陛下は讒言をあっさり信じるような
ご自身の心のあり方を改めようとしないのでしょうか?

陛下が(私を含めて)賢明なる者たちを家臣に登用なさるのならば、
千里をかける馬に乗って駆け回るように、
速やかに国が治まっていくのです。

ですから私は陛下の元へ向かって、
国を治める聖人の道へと陛下を導き入れる役目を果たしたいのです。


(ここまでが今回の現代語訳です)


●感想:

屈原は自分自身の憂国の気持ちを、
自分の能力と先祖への自負を、
巧みなたとえを用いて詠んでいく、

こういう所を見習っていこうと思います。

こういう部分を私の漢詩作りにも活かしていきます。
これからもしっかりと訳していきます。

(了)
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紫木蓮(シモクレン)
Photo by : 写真素材 足成

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●(1)の解説の続きです:


「紛吾既有此内美兮又重之以脩能」

「紛(ふん)として吾(われ)既(すで)に
此の内(うち)なる美(び)有(あ)り、

又(また)之(これ)に重(かさ)ねるに
脩能(しゅうのう)を以(もっ)てす。」

「紛(ふん)」は「芬(ふん)」の意味で、
「よい香りがする」という意味から、

「匂い立つような徳」、花が香りを放つように美しい徳を
心の中に秘めている、という意味になります。

「脩(しゅう)」は「修(しゅう)」と同じで、
「おさめる」という意味です。

「脩能(しゅうのう)」はさらに修養を積んで
高い能力を身につけることを指します。

「美しい花が匂い立つように、私の心の中に徳を秘めていて、
それをさらに修養を積んで高めていくようにしていきました。」


「扈江離與闢?兮?秋蘭以為佩。」

「江離(こうり)と闢?(へきし)とを扈(き)て、
秋蘭(しゅうらん)を?(もと)めて以(もっ)て佩(はい)と為(な)す。」

「扈」は「被服(ひふく)」の「被(ひ)」で、「身につける」という意味です。

「江離(こうり)」は「??(きゅうきゅう)」という香草のことで、
セリの仲間だそうです。

「闢?(へきし)」は「白?(びゃくし)」という、
こちらもセリの仲間のヨロイグサの根のことで、
これも漢方薬の一つです。

「?」は「索」、つまり「もとめる」という意味です。

「佩(はい)」は「飾る」という意味です。

行ないが清らかであることを「佩芳(はいほう)」と言い、
光り輝くような徳を持つ人を「佩王(はいおう)」と言い、
物事のもつれを解く人のことを「佩鐫(はいせん)」と言い、
上手く問題を解決する人のことを「佩?(はいけつ)」と言います。

ここから、「佩(はい)」は、
「徳を身につける」という意味になります。


「私は??(きゅうきゅう)の草のように匂い立つような徳を持って、
白?(びゃくし)という薬のように国を治める能力を身につけ、

秋に咲く蘭の花のように美しい徳を探し求めて身につけていきました」


「汩余若將不及兮恐年歳之不吾與」

「汩(なが)れて余は将(まさ)に及(およ)ばざらんと
するが若(ごと)くにして、

年歳(ねんさい)の吾(われ)に与(あた)えざるを恐(おそ)る。」

「汩(べき)」は屈原が入水自殺をした
「汩羅(べきら)」という湖南省から湘水(しょうすい)へ流れる
川の名前にも使われる文字ですが、ここでは「流れる」の意味です。

「年歳(ねんさい)」は年月や歳月のことです。

「私はまだまだ能力が十分に身についていなくて、
この川の流れのように歳月が空しく流れて、
年相応の経験を身につけることができない事を恐れていました。」


「朝搴阰之木蘭兮夕攬中洲之宿莽」

朝(あした)に阰(し)の木蘭(もくらん)を搴(と)りて、
夕(ゆうべ)に中洲(ちゅうしゅう)の宿莽(しゅくぼう)を攬(と)る。

「阰(し)」は「阰山(しざん)」という山の名前です。
楚の国の南にあったそうです。

「木蘭(もくらん)」とはモクレンのことです。
ランに似ていることからそう名づけられました。

「中洲(ちゅうしゅう)」は川の中洲(なかす)のことで、
「宿莽(しゅくぼう)」とは冬になっても枯れない草花のことです。
「搴」も「攬」もともに「取る」という意味です。

『楚辞章句(そじしょうく)』の注釈によりますと、

「木蘭(もくらん)」は春に咲いて強い香りを放つ花のある木で、
陽の気を表しており、それを天を敬うように見上げながら取り、

冬になっても枯れない「宿莽(しゅくぼう)」を、
地面を見下ろしながら取って、長い間も変化することのない
地を敬うように取る、とあります。

父親が自分に名づけた名前のように天と地に倣って
徳を身につけていく、そういうことを述べているのだと思います。


「朝に楚の国の南にある『阰山(しざん)』でクレンの
春に咲くかんばしい花を、天を敬うように見上げながら取り、

夕べには川の中洲で冬になっても枯れない草花を、
地面を見下ろしながら、長い間も変化することのない
地を敬うように取っていました。」


「日月忽其不淹兮春與秋其代序」

「日月(じつげつ)は忽(こつ)として其(そ)の淹(ひさ)しからずして、
春(はる)と秋(あき)と其(そ)の序(じょ)を代(か)える。」

「忽」は「忽然」、つまり「突然に」ということです。

「淹」は「久しい」という意味です。
長い時間そのままであるということです。

「序」は「順序」のことです。

「太陽や月は突然のように出入りして、
昼も夜も長い間続かずに入れ替わり、

春と秋もすぐに順序を変えて、
あっという間に時が過ぎ去ってしまいます。」


「惟草木之零落兮恐美人之遲暮」

「惟(ただ)草木(そうもく)の零落(れいらく)して、
美人(びじん)の遅暮(ちぼ)するを恐(おそ)るるのみ。」

「零落(れいらく)」は冬になって草が枯れて木の葉が落ちることです。

「美人」とは、屈原が仕えていた楚の国の王の、
懐王(かいおう)を指しています。

君主は徳で美しく飾り立てていますので、
それを美人と表現しているのです。

「遅暮(ちぼ)」は、年を取って顔かたちが老いていってしまうことです。
君主が徳を身につけないままに晩年を迎える事への戒めの句です。

「今、私は草が枯れて木の葉が落ちるように、
美人が時とともに顔かたちが老いてしまうように、

陛下(楚の懐王)がきちんとした徳を身につけないままに
晩年を迎えてしまうことを心配しているだけなのです。」


「不撫壯而棄穢兮何不改此度」

「壮(そう)に撫(やす)んぜずして穢(けが)れを棄(す)て、
何(なん)ぞ此(こ)の度(ど)を改(あらた)めざるや?」

「壮(そう)」は「壮年(そうねん)」のことです。
働き盛りの三十代、四十代のことです。

「撫(ぶ)」は「安んじる」、つまり壮年の時期に安心して
好き勝手なふるまいをして、君主としての徳を修めるのを
怠ることを指しています。

「穢(え)」は「汚れ」のことです。
国王の側近くで讒言を行う者たちを指しています。

「度」は君主としての気持ちのあり方のことです。
王が讒言をあっさり信じて自分を遠ざけてしまった事への
恨みを表しています。

「陛下が働き盛りの壮年の時期に安心して
好き勝手なふるまいをやめて、
君主としての徳を修めるようにして、

陛下の周りで讒言をささやいている者たちを
宮廷から去らせることが大切なのに、

どうして陛下は讒言をあっさり信じるような
ご自身の心のあり方を改めようとしないのでしょうか?」


「乘騏驥以馳騁兮來吾道夫先路」

「騏驥(きき)に乗(の)りて以(もっ)て馳騁(ちてい)し、
来(き)たりて吾(われ)は夫(か)の先路(せんろ)を道(みちび)かん。」

「騏驥(きき)」とは一日に千里を走るような名馬のことです。
「馳騁(ちてい)」は馬に乗って駆け回ることです。

賢明な者たちを家臣につければ、
千里をかける名馬が駆け回るように速やかに国が治まる、

ということです。屈原はその賢明な者たちの中に
自分自身も入れているのです。ここに屈原の自負があります。

「先路(せんろ)」とは国を治める聖人の道のことです。

「陛下が(私を含めて)賢明なる者たちを家臣に登用なさるのならば、
千里をかける馬に乗って駆け回るように、
速やかに国が治まっていくのです。

ですから私は陛下の元へ向かって、
国を治める聖人の道へと陛下を導き入れる役目を果たしたいのです。」


ここまでが今回の部分です。次に現代語訳をまとめます。


(3の記事に続きます)
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紫木蓮(シモクレン)
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●原文:

帝高陽之苗裔兮朕皇考曰伯庸

攝提貞於孟陬兮惟庚寅吾以降

皇覽揆余初度兮肇錫余以嘉名

名余曰正則兮字余曰靈均

紛吾既有此内美兮又重之以脩能

扈江離與闢?兮?秋蘭以為佩

汩余若將不及兮恐年歳之不吾與

朝搴阰之木蘭兮夕攬中洲之宿莽

日月忽其不淹兮春與秋其代序

惟草木之零落兮恐美人之遲暮

不撫壯而棄穢兮何不改此度

乘騏驥以馳騁兮來吾道夫先路


●書き下し文:

帝(てい)高陽(こうよう)の苗裔(びょうえい)、
朕(わ)が皇考(こうこう)を伯庸(はくよう)と曰(い)う。

摂(せつ)は貞(てい)の孟陬(もうすう)に提(いた)りて、
惟(ただ)庚寅(こういん)の吾(われ)以(もっ)て降(くだ)るのみなり。

皇(こう)の余(よ)を揆(はか)りて覧(み)る初度(しょど)、
肇(はじ)めて余(よ)に錫(たま)うに嘉名(かめい)を以(もっ)てす。

余(よ)を名(な)づけて正則(せいそく)と曰い、
余(よ)を字(あざな)して霊均(れいきん)と曰(い)う。

紛(ふん)として吾(われ)既(すで)に此の内(うち)なる美(び)有(あ)り、
又(また)之(これ)に重(かさ)ねるに脩能(しゅうのう)を以てす。

江離(こうり)と闢?(へきし)とを扈(き)て、
秋蘭(しゅうらん)を?(もと)めて以(もっ)て佩(はい)と為(な)す。

汩(なが)れて余は将(まさ)に及(およ)ばざらんと
するが若(ごと)くにして、
年歳(ねんさい)の吾(われ)に与(あた)えざるを恐(おそ)る。

朝(あした)に阰(し)の木蘭(もくらん)を搴(と)りて、
夕(ゆうべ)に中洲(ちゅうしゅう)の宿莽(しゅくぼう)を攬(と)る。

日月(じつげつ)忽(たちま)ち其(そ)の淹(ひさ)しからずして、
春(はる)と秋(あき)と其(そ)の序(じょ)を代(か)える。

惟(ただ)草木(そうもく)の零落(れいらく)して、
美人(びじん)の遅暮(ちぼ)するを恐(おそ)るるのみ。

壮(そう)に撫(やす)んぜずして穢(けが)れを棄(す)て、
何(なん)ぞ此(こ)の度(ど)を改(あらた)めざるや?

騏驥(きき)に乗(の)りて以(もっ)て馳騁(ちてい)し、
来(き)たりて吾(われ)は夫(か)の先路(せんろ)を道(みちび)かん。


●解説:

今回は春秋戦国時代の楚(そ)の国の王族で詩人の
屈原(くつげん)が詠んだ詩を中心とした詩集の
『楚辞(そじ)』の中でも、

長編の漢詩である「離騒(りそう)」の翻訳の一回目です。

『楚辞(そじ)』は昔の民謡などをまとめた詩集の
『詩経(しきょう)』の次に古い詩集で、

詩経よりも情感豊かに詠み上げていて、
時事詠にはこの上ない参考となるものです。

特に今回の「離騒(りそう)」は、楚の国の王族でもある
屈原(くつげん)が讒言によって罷免させられた悲しみと
国を憂える気持ちを自然の風物などにも喩えて

長い詩の中で詠んでいて、
憂国の漢詩の中でも代表的なものとなっています。

ですから「離騒(りそう)」と、『詩経』の中の各地の民謡を集めた
「国風(こくふう)」とを合わせて、

詩文を作ることを「風騒(ふうそう)」と呼ぶこともあります。
あるいは国を憂えて漢詩を作る人を
「騒人(そうじん)」ということもあります。

優れた漢詩の代表格とされているわけです。


そんな長文の漢詩の「離騒(りそう)」を、
少しずつ分けて訳していきます。


では、今回の本文に入ります。

「帝高陽之苗裔兮朕皇考曰伯庸」

「帝(てい)高陽(こうよう)の苗裔(びょうえい)、
朕(わ)が皇考(こうこう)を伯庸(はくよう)と曰(い)う。」

真ん中の文字の「兮(けい)」は『楚辞』の中でよく使われますが、
これは発音の調子を整えるための文字で、意味は特にありません。

この「兮(けい)」の前後の文字で、一つの句を形成する、
そういう句の形になっています。

「高陽(こうよう)」とは、楚の国の国王のご先祖とされる、
帝王の「??(せんぎょく)」の号(ごう)です。

屈原も楚の国の王族ですから、
このご先祖を敬う気持ちがあるのです。

「苗裔(びょうえい)」とは「末裔(まつえい)」あるいは
「子孫」のことです。

「苗」は「御落胤(ごらくいん)」などという時の「胤」のことで、
「たね」という意味です。

「朕(ちん)」は「我(われ)」、「私」ということです。

後に始皇帝が皇帝だけの一人称として使用を独占するまでは、
民衆も「私」の意味で使っていました。

「朕」は「物事の兆し」という意味があり、めでたい字ですので、
皇帝や、日本でも天皇の一人称となったのです。

「皇考(こうこう)」の「皇」は「すぐれた徳を備えた」という意味で、
「考(こう)」はここでは「亡き父」という意味です。

「伯庸(はくよう)」は屈原の父親の字(あざな)です。
字(あざな)は成人の時に付けられる名前のことです。

この辺りは自分の父やご先祖を讃える言葉が続きます。

先ほどの訳は、

「太古の帝王の高陽(こうよう)という号で呼ばれた??(せんぎょく)の子孫に、私の亡き父、優れた徳を持つ父の、字(あざな)を伯庸(はくよう)という人がおりました。」


「攝提貞於孟陬兮惟庚寅吾以降」

「摂(せつ)は貞(てい)の孟陬(もうすう)に提(いた)りて、
惟(ただ)庚寅(こういん)の吾(われ)以(もっ)て降(くだ)るのみなり。」

「摂(せつ)」とは太歳(たいさい)、つまり木星が寅(とら)の方角、
つまり東北東にあることを指しています。

「孟陬(もうすう)」とはお正月のことです。

「庚寅(こういん)」とは「『かのえとら』の日」のことです。
屈原が生まれた暦の日を指しています。

とても縁起のいい日に生まれた、ということを
この句で言いたいわけです。

「寅(とら)」は陽の気が正しいということを示しており、
お正月に陽の気がさかんになる、春になっていく、ということで、

「庚(こう)」は陰の気が正しくなり、
秋に万物が実って充実している状態を指しています。

このように陰と陽の気が正しくなるめでたい日に
私(屈原)は生まれました、という意味です。


「お正月の、『太歳(たいさい)』、つまり木星が
東北東の寅(とら)の方角にあり、

暦は庚寅(かのえとら)の日に私は生まれました。

『寅(とら)』は陽の気が正しく陽の気がさかんになる、
お正月に春になっていく、ということを示し、

『庚(こう)』は陰の気が正しくなり、
秋に万物が実って充実している状態を示すのですから、

私はそんな陰と陽の整った、めでたい日に生まれたことになります。」


「皇覽揆余初度兮肇錫余以嘉名」

「皇(こう)の余(よ)を揆(はか)りて覧(み)る初度(しょど)、
肇(はじ)めて余(よ)に錫(たま)うに嘉名(かめい)を以(もっ)てす。」

「皇(こう)」は最初の句の「皇考(こうこう)」、
つまりすぐれた徳を備えた亡き父、を示しています。

「覧」は「観る」、「揆」は「度」つまり「推しはかる」という意味です。
「初度(しょど)」は「最初」という意味です。

父親が生まれた息子(屈原)に初めて会って、
どんな息子なのかとじっと眺めている、そんな風景が浮かんできます。

「肇」は「初め」、「余(よ)」は「私」
「嘉名(かめい)」は「めでたい名前」という意味です。


「私の父が最初に生まれた私を見て、
私にめでたい名前をつけました。」


「名余曰正則兮字余曰靈均」

「余(よ)を名(な)づけて正則(せいそく)と曰い、
余(よ)を字(あざな)して霊均(れいきん)と曰(い)う。」

「正」は「正平(せいへい)」、つまり「公平で偏りがない」という意味で、
「則」は「法則(ほうそく)」のことです。

「霊」は「神霊(しんれい)」のことで、
これは陰と陽の澄みきった気のことを指します。

「均」は「調」、つまり「ととのえる」ということです。

さて、この名前の「正則(せいそく)」と、
字(あざな)の「霊均(れいきん)」には、それぞれ意味があります。

「正則(せいそく)」は「公平で法則として従うことの中で
最も優れているのは天で、その天に則るような
公平で偏りのない人間に育って欲しい」という意味で、

「霊均(れいきん)」は「陰と陽から万物を養い育てて
調和させるものの中で最も澄み切っているものは地で、

その地に則るような穏やかで周囲の人々と
調和していける人間に育っていって欲しい」という意味です。

聖人が天と地の性質を受け継いで世の中の手本となったように、
息子もそんな存在として育っていって欲しい、
そんな切なる願いが込められているのです。


「父は私の名前として、『公平で法則として従うことの中で
最も優れているのは天で、その天に則るような
公平で偏りのない人間に育って欲しい』という願いを込めて
『正則(せいそく)』と名づけ、

私が成人した時の名前である字(あざな)として、
『陰と陽から万物を養い育てて調和させるものの中で
最も澄み切っているものは地で、その地に則るような
穏やかで周囲の人々と調和していける人間に育って欲しい』
という願いを込めて『霊均(れいきん)』と名づけました。」


日本でも「正則(まさのり)」という名前の人がいますね。
とても良い名前ですね。


(2の記事に続きます。)

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