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昔の漢字辞書
Photo by (c) Tomo.Yun
『孫子』の九変篇の一節の「智者(ちしゃ)の慮(りょ)は
利害(りがい)を雑(まじ)う」とあり、
知恵のある人はあらゆることでメリットとデメリットの
両方を勘案して判断するということであり、
このあとの本文は、
デメリットにメリットをまじえて考えれば物事がスムーズに運び、
メリットにデメリットをまじえて考えれば後々の心配事がなくなる、
という風に続いて、
これだけですとありきたりな結論に終わってしまい、よくある例として、
「実際に行うのは難しいですね」という結論で終わってしまうものです。
少なくとも説明する側の責任として、
もう少し掘り下げなければならないと思います。
ここで大切なのが注釈になるわけです。
南宋(なんそう)の時代に十一人の注釈をまとめた、
『十一家註孫子(じゅういっかちゅうそんし)』を元にもう少し掘り下げます。
曹操の註釈が大本にあって、それを他の十人が解説したり、
曹操自身の事蹟や他の故事を元に解説していく、
そんな風になっていることが多いです。
これをもとに、もう少し掘り下げてみます。
まず、詩人として有名な唐の杜牧(とぼく)の註釈です。
彼の註釈は「文章は美しいが役には立たない」などと言われていますが、
歴史が隔たって用例をそのまま活用できない現代の私たちには、
かえって役に立つものです。彼のたとえ話によりますと、
敵軍に囲まれて籠城した時に、そのまま突っ込んで囲みの中を脱出すると、
士気も上がらずに追撃にあって被害が大きくなる。
この場合は兵士たちを励まして敵軍の気持ちがだらけてきた隙を窺って勝利をし、
それで包囲を解くとよいとあります。
つまり、囲まれている自分の側のメリットは、
兵士たちを励まして何とかこの一時を耐えしのごうと
励ますことで心を一つにでき、
囲んでいる敵のデメリットは、勝利が目前にあると思いこんで
気持ちにゆるみが出るということです。
人は調子が少し上向いた時に驕った行動を取ってしまうものです。
家の中では家長だとばかりに振る舞って、
日常の細々したことまで自分の都合ばかり通していると、
定年後に三行半を突きつけられてしまうのです。
手痛い失敗を避けるためには普段驕らないことが大切なのです。
もう一つが南宋(なんそう)の張預(ちょうよ)の註釈です。
基本的に他の十人よりも長い註釈で、
もっとも新しい頃に書かれたものだと思います。
彼は西晋(せいしん)、つまり諸葛孔明と戦った
司馬仲達の子孫が建てた国の頃の出来事を引いています。
司馬仲達の弟の孫にあたる司馬?(しばぎょう)の
部下であった張方(ちょうほう)の故事を引いています。
この時代は皇族の「司馬〜」が内乱を繰り返す八王の乱の頃に当たります。
とんでもない状況でしたがそれは後述します。この張方は、
司馬?(しばぎょう)の政敵であった司馬〜と戦いを続ける中で負けることが多く、
そこをしのいで奇策や夜襲で逆転をする、そんな指揮官だったのです。
彼が洛陽の都を攻める時には連戦連敗で、
部下たちは撤退を進言するありさまでした。
そんな中で彼は、配下の者たちにこう言いました。
「兵の強弱、有利不利というのは常にあることだ。
大切なのはこの敗北の中で最後に勝利を手にすることなのだ」と。
そこで夜に秘かに兵を動かして夜襲をかけて勝利した、ということです。
この部分は、決して無理に「やる気」を出して勝利を拾うというのではなく、
冷静に自分と相手のプラスとマイナスの状況を見つめ、
自分の守りを堅固にした上で相手の隙を窺う、ということです。
『孫子』のこのあとの本文にも、
「その攻めざるを恃(たの)むこと無く、
吾の攻めるべからざるを恃むなり」とあります。
つまり、相手が攻めてこないことをただ願うのではなく、
自分が相手に攻められない態勢を整えて、
そのことで相手が攻めてこないようにすべきだと、
そのように解説しています。
優勢の中のデメリット、劣勢の中のメリットを見つめながら、
自分の弱みをきちんとカバーした上で相手の隙を窺って勝利を取る、
ということです。
有利な時に驕らず、不利な時に万策を尽くす、特に有利な時に、
驕りによる慢心が原因で一気に人生のどん底に落とされることがあります。
さきの家の中の例で言えば、
旦那さんが日々偉そうにしている中で奥さんは着々と準備を整え、
定年後に気付いた頃には一気に破滅してしまいます。
その時に旦那さん本人は「どうして?」と、思うわけですが、
それは日々の奥さんへの感謝と気遣い、
行動を伴う気遣いが足りないからなのです。
驕りというものを抑えるだけで、きちんと幸せを手にできるのです。
苦境にあって何とか勝ちを拾うよりもよっぽどマシではないかと思うわけです。
さて、この張方の末期がまた悲惨なのです。
このあとの戦いの中で苦戦し、同じように防備を固めていた所、
主君の司馬?(しばぎょう)が窮地に陥り、
張方が防備を固めて攻めることがないのは、
常に彼が自分に背く気持ちがあるからだという話を信じて、
降伏するために張方を呼び寄せて捕らえ、
彼の首を敵に差し出しました。
しかし許されず、結局、司馬?(しばぎょう)も殺されてしまいます。
自分を引き立ててくれた恩人でもある司馬?(しばぎょう)に
こんな目に遭うとは夢にも思わなかったでしょう。
自分の得意な戦法が、自分の身の破滅を招いたというのは何とも皮肉なものです。
この出来事をあえて典拠とした張預は、
おそらく祖国の南宋の内紛に心を痛めていたのではないかと思います。
西晋はこんな骨肉の争いの中で疲弊して外部勢力に攻められ、
都を東に遷さなければならなくなりました。
このあとを東晋(とうしん)というわけです。
北宋も北の金に攻められ南に都を遷しました。
本当に国を守るためにすべきことは何かを暗に示したかったのだと思います。
損得の冷静な見積もりととともに、国内の争いの中で人を思いやる気持ち、
仁、つまり人が二人いれば自然に相手を思いやる気持ちが、
上手く機能していないからではないのかという問いかけを聞いたようです。
今の世の中にも通じるものがあるのではと思いました。
私自身もこうしたポイントに気をつけて学んでいきます。
今回もとても長い文章でしたので、
じっくりと読んでいただいて感謝いたします。
(了)
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2013年05月26日
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