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●現代語訳:
友人の聖兪(せいゆ)は、以前私にこう語ったことがあります。
「詩を詠む人たちは心のままに詠むとは言っても、
そのための言葉を作り出すことは難しいのです。」、
(言葉は難しいものではなくても、)その発想が新しく言葉遣いがたくみで、
昔の詩人がまだ言っていない所を詩に述べることができる、
そんな詩がよいわけです。
そんな詩は必ず表現するのが難しい景色を詩句の中に組み立てて、
まるで目の前に現れ出てくるようであり、
汲んでも尽きることのない言葉の意味を含み、
その上で最も優れた詩になるのです。
唐の詩人の賈島(かとう)の詩句にある
竹 籠 拾 山 果 瓦 瓶 擔 石 泉
竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。
(訳)『竹でできたカゴに山でとれた果物を入れ、
陶器で出来た入れ物に山の間を流れる泉の流れから取った
きれいな水を入れて背負っていました』
や、
同時期の詩人の姚合(ようごう)の、
馬 隨 山 鹿 放 鶏 逐 野 禽 栖
馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。
(訳)『馬は山に住む鹿のように放っておかれ、
家畜のニワトリは野生の鳥たちを追いかけて住む
(山の方にある村はそんなひどい状況だったのです)』
などは、山にある村々が人も通らない荒れ果てた状態を詩句で表したもので、
役人の日々の暮らしの中での心境がもの寂しい様子を表す詩句は、
(これは唐の詩人の杜甫(とほ)の失われた詩句です)
縣 古 槐 根 出 官 清 馬 骨 高
県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し
(訳)『その県の制度は古いので、三公のような官吏として最高の地位に就くことが
出来るような人材が出て行ってしまい、下っ端の官吏は倹約を強いられて、
郭隗(かくかい)がたとえ話に使った、
昔の王の側仕えの家臣が良馬を買い集めるための計略のために買い取った
馬の死骸はとても高価になっていて、
県を治める者たちが払えるものではなくなっているのです
(優れた人材を集めるための十分な予算がないので、
優れた人材を集めることができないでいるのです)』
という杜甫の詩句に及ぶものはないのです」
「私は聖兪(せいゆ)に尋ねました。」
「詩の言葉遣いの巧みなものはそもそもそのようなものだということはわかります。
では、表現するのが難しい景色を詩句の中に組み立てて、
まるで目の前に現れ出てくるようであり、
汲んでも尽きることのない言葉の意味を含むというのは、
どんな詩句がそうだと言えるのでしょうか」
友人の聖兪(せいゆ)は次のように答えました。
「詩を作る人がこういうことだと心の中で把握したことを」
「その詩の読者がこう言うことかと心から納得できる、
そんな風な状況を、これだとそれを指さして述べることは、
とても難しくほとんどできないようなものですが、
たとえそんな風だとしても、それをまるでそのようなものだという風に、
ほとんどそれに近い所を述べることは出来ます。
唐の詩人の厳維(げんい)の詩句の、
柳 塘 春 水 漫 花 塢 夕 陽 遅
柳塘(りゅうとう)春水(しゅんすい)漫(そぞろ)に、
花塢(かお)夕陽(せきよう)遅(おそ)し
(訳)『柳の生えた堤防は春に雪が解けて水かさを増した川を眺めることができ、
花が咲いた土手からは、夕陽が今までよりもゆっくりと沈もうとしている姿を
見ることができるのです』
のようなものは、天地や自然のその時々の姿、この場合は春の姿が、
のどやかでのんびりとしていて、それらが一つになってとけあっていて、
それは、本当にその時目の前にあるものを見事に表現したものだと
言えるのではないでしょうか。
また、唐の末期の頃の詩人の温庭?(おんていいん)の詩の中の、
鶏 声 茅 店 月 人 跡 板 橋 霜
鶏声(けいせい)茅店(ぼうてん)の月(つき)、
人跡(じんせき)板橋(はんきょう)の霜(しも)
(訳)『ニワトリの鳴き声が茅葺きの茶店の月が見える中で聞こえ、
木の板で出来た粗末な橋に降りた霜に、人の足跡がついていました』
唐の詩人の賈島(かとう)の
怪 禽 啼 曠 野 落 日 恐 行 人
怪禽(かいきん)曠野(こうや)に啼(な)き、
落日(らくじつ)行人(こうじん)を恐(おそ)る
(訳)『怪しい鳥の鳴き声が荒れた土地に響いていて、
日が落ちた後にそこを通る旅人たちを恐れさせるのです』
先ほどの二つの詩句などは、道中の辛さや、旅の道中の物思い、憂いなどが、
まさしくその詩句の言葉の外にまで現れ出ているのではないでしょうか。」
(ここまでが現代語訳です)
俳句の句論等だけでなく漢詩の詩論についても
こういうものを叩き台にしておりますが、
結局の処、本当に活用できるものを知るには、
実作者に聞いていくのが正しいのだと思います。
丁度それは、この『六一詩話』の作者の北宋の欧陽脩(おうようしゅう)が、
彼の友人の梅尭臣(ばいぎょうしん)に聞くようなものなのです。
自由律俳句の世界でも、 Twitter に何人か、
私にとっての梅尭臣(ばいぎょうしん)がおります。
彼らの話に耳を傾けながら、独自の工夫をして、
更に良い句を作っていこうと、そのように思っています。
今回も長い文章を読んでいただいて感謝します。
(了)
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●解説の続きです
『縣 古 槐 根 出 官 清 馬 骨 高
(県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し)』
を工(たくみ)と為(な)すに如(し)かざるなり。」
さて、問題は先ほどの詩句です。夜中にわかって快眠でした。
杜甫(とほ)の今は失われた詩句の一節です。
『県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し』
「槐根(かいこん)」の「槐」は槐(えんじゅ)の木の根っこ、
これで三公(さんこう)の位、つまり官吏としての最高の地位を表し、
その根っこですから、そんなすぐれた人が在野にいる
ということを指しています。
さらに故事が続きます。
「馬骨(ばこつ)」は日本語でいう馬の骨などではなく、
春秋戦国時代の、燕(えん)の国の郭隗(かくかい)の故事です。
『戦国策』に載っている、有名な「隗(かい)より始めよ」の故事です。
これは結構誤解もされている故事ですので、わかりやすく説明していきます。
(ツイッターにツイートしたものを修正してあります。)
燕(えん)の国の君主である昭王(しょうおう)は
人材を求めていて、郭隗(かくかい)に人材をどうやって集めるかを尋ね、
郭隗(かくかい)は次のように述べました。
ある国の王様が千里を走る優れた馬に千金を出すとおふれを出しましたが、
三年たっても見つかりませんでした。
すると王様の側仕えの家臣が『私にお任せ下さい』と言ったので、
その家臣にこのことを任せました。
彼は一計を案じました。
千里を駆ける名馬に千金の報償を取らせるというお触れを出し、
その三年後に、その千里を駆ける名馬が死んだ状態で見つかりました。
そこでその馬の死骸を五百金で買い取りました。
それを聞いて、王様は
「私は生きた馬が欲しいのに、どうして死んだ馬を五百金で買ってくるのだ」
と怒りました。そこでその家臣が答えました。
「死んだ馬でさえ五百金の値がつくのでしたら、
生きた馬はきちんと千金が払われると思って、
天下の人たちが争ってこちらに名馬を連れてくるでしょう」と。
するとその年が過ぎる前に、名馬が三頭見つかりました。
というたとえ話をしました。
続けて郭隗(かくかい)は、以下のように述べました。
「もし陛下が天下の優れた人材をお求めならば、
まずはこの私、郭隗(かくかい)をお召し抱え下さい。
私のような者までこのような待遇を受けられるのであれば、
天下の人材は、私であればどれほどの待遇を与えてくれるのかと思い、
燕の国にこぞってやってくるでしょう」と述べたという故事です。
ですから、
『県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し』の訳は、
「その県の制度は古いので、三公のような官吏として最高の地位に
就くことが出来るような人材が出て行ってしまい、
下っ端の官吏は倹約を強いられて、
郭隗(かくかい)がたとえ話に使った、
昔の王の側仕えの家臣が良馬を買い集めるための計略のために買い取った
馬の死骸はとても高価になっていて、
県を治める者たちが払えるものではなくなっているのです
(県の財政が厳しくて、そんな余裕はないのです)。』となります。
「を工(たくみ)と為(な)すに如(し)かざるなり。」
「という杜甫の詩句に及ぶものはないのです」
「余(われ)曰(い)わく、」、
次は著者の欧陽脩(おうようしゅう)が友人の梅尭臣(ばいぎょうしん)、
字(あざな)を聖兪(せいゆ)という人物への質問から始まります。
「私は聖兪(せいゆ)に尋ねました。」
「語(ご)の工(たくみ)なる者(もの)固(もと)より是(かく)の如(ごと)し。
写(うつ)し難(がた)きの景(けい)を状(かたちづく)り、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)むは、
何(いず)れの詩(し)か然(しか)りと為(な)すや?」
「詩の言葉遣いの巧みなものはそもそもそのようなものだということはわかります。
では、表現するのが難しい景色を詩句の中に組み立てて、
まるで目の前に現れ出てくるようであり、
汲んでも尽きることのない言葉の意味を含むというのは、
どんな詩句がそうだと言えるのでしょうか」
聖兪(せいゆ)曰(いわ)く、
「作(つく)る者(もの)心(こころ)に得(え)て、
覧(み)る者(もの)意(い)を以(もっ)て会(え)するは、
殆(ほと)んど言(げん)を以(もっ)て
指(さ)して陳(の)べること難(かた)きなり。
友人の
「得於心(心に得る)」も、「会以意(意を以て会す)」も、
心の中で、「ああ、こう言うことか」と納得することです。
訳の中では微妙に変えていますが、同じ事です。
「覧」は「見る」です。
「詩を作る人がこういうことだと心の中で把握したことを」
「その詩の読者がこう言うことかと心から納得できる、
そんな風な状況を、」、「殆」は「ほとんど」という意味です。
「陳」は「述べる」という意味です。
「これだとそれを指さして述べることは、
とても難しくほとんどできないようなものですが、」
然(しか)りと雖(いえど)も、
亦(また)略(ほぼ)其(そ)の髣髴(ほうふつ)たるを道(い)うべし、
「雖」は「〜といえども」、つまり「〜だとしても」の意味です。
「髣髴(ほうふつ)」は「まるで〜のような」という意味です。
「略」は「ほぼ」、「道」は「言う」です。
「たとえそんな風だとしても、それをまるでそのようなものだという風に、
ほとんどそれに近い所を述べることは出来ます。」、
「厳維(げんい)の
『柳 塘 春 水 漫 花 塢 夕 陽 遲
(柳塘(りゅうとう)春水(しゅんすい)漫(そぞろ)に、
花塢(かお)夕陽(せきよう)遅(おそ)し)』
の若(ごと)きは、」
「厳維(げんい)」も唐の詩人です。「柳塘(りゅうとう)」の
「塘(とう)」は堤防のことで、両岸に柳がある堤防のことです。
「漫」は「満ちる」で、
「春水(しゅんすい)」は、春になって水かさの増した川のことで、
「花塢(かお)」の「塢(お)」は土手のことです。
花が咲いた土手のことですね。
「唐の詩人の厳維(げんい)の詩句の、
『柳塘(りゅうとう)春水(しゅんすい)漫(そぞろ)に、」
花塢(かお)夕陽(せきよう)遅(おそ)し』のようなものは、」
詩句の訳は
『柳の生えた堤防は春に雪が解けて水かさを増した川を眺めることができ、
花が咲いた土手からは、夕陽が今までよりもゆっくりと沈もうとしている姿を
見ることができるのです。』
「則(すなわ)ち天容(てんよう)時態(じたい)、
融和(ゆうわ)駘蕩(たいとう)、
豈(あに)目前(もくぜん)に在(あ)るに如(し)かざるや?」
「天容(てんよう)は大空の姿、世の中の(自然の)様子、
「時態(じたい)」は「その時々の姿」のことです。
「融和(ゆうわ)」は「とけあって一つになる」、
「駘蕩(たいとう)」は「のどやかでのんびりしているさま」です。
その後の文は二重否定ですので、誤解の少ないように表現を変えます。
「先ほどの詩は、天地や自然のその時々の姿、この場合は春の姿が、
のどやかでのんびりとしていて、それらが一つになってとけあっていて、
それは本当にその時目の前にあるものを見事に表現したものだと
言えるのではないでしょうか。」、
「又(また)温庭?(おんていいん)の
『鶏 聲 茅 店 月 人 跡 板 橋 霜
(鶏声(けいせい)茅店(ぼうてん)の月(つき)、
人跡(じんせき)板橋(ばんきょう)の霜(しも))』、」
「温庭?(おんていいん)」は唐の末期の頃の詩人で、
同時代に有名な詩人に李商隠(りしょういん)がいます。
「茅店(ぼうてん)」は茅葺きの茶店のことです。
茅葺きの茶店、時代劇に出て来そうですね。
一度見てみたいものです。
「板橋(はんきょう)」は木の板で出来た素朴な橋のことです。
「また、唐の末期の頃の詩人の温庭?(おんていいん)の詩の中の、
『鶏声(けいせい)茅店(ぼうてん)の月(つき)、
人跡(じんせき)板橋(はんきょう)の霜(しも)』、
詩句の訳は、『ニワトリの鳴き声が茅葺きの茶店の月が見える中で聞こえ、
木の板で出来た粗末な橋に降りた霜に、その橋を渡る旅人の足跡が
ついていました』
「賈島(かとう)の
『怪 禽 啼 曠 野 落 日 恐 行 人
(怪禽(かいきん)曠野(こうや)に啼(な)き、
落日(らくじつ)行人(こうじん)を恐(おそ)る)』
「唐の詩人の賈島(かとう)の
『怪禽(かいきん)曠野(こうや)に啼(な)き、
落日(らくじつ)行人(こうじん)を恐(おそ)る』」、
「怪禽(かいきん)」は怪しい鳥、
「曠野(こうや)」は「荒れた土地」です。
「行人(こうじん)」は旅人です。
詩句の訳は、『怪しい鳥の鳴き声が荒れた土地に響いていて、
日が落ちた後にそこを通る旅人たちを恐れさせるのです』となります。
「の若(ごと)きは、則(すなわ)ち道路(どうろ)の辛苦(しんく)、
羈愁(きしゅう)旅思(りょし)、
豈(あに)言外(げんがい)に見(あらわ)れざるや?」
「羈愁(きしゅう)」の「羈(き)」は旅人です。
「旅思(りょし)」も同様に、「旅の道中の物思い、うれい」のことです。
最後の一文の訳は、
「先ほどの温庭?(おんていいん)と賈島(かとう)の詩句などは、
道中の辛さや、旅の道中の物思い、憂いなどが、
まさしくその詩句の言葉の外にまで現れ出ているのではないでしょうか。」
以上をまとめると、以下のような現代語訳(意訳)になります。
((3)に続きます)
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●初めに:
「〜とは」という形のメタな議論、例えば、「漢詩とは」という形の
漢詩に関する議論というものを口にする時は、慎重にしております。
少なくとも私個人の感想として何もない所から述べることは避けております。
では、どうやって述べていくかというと、
「詩話(しわ)」を叩き台として自分の意見を述べるようにしております。
「詩話(しわ)」とは、昔の詩人が書いた漢詩にまつわる逸話や作法をまとめたものです。
これを解説しながら以下述べていくわけですが、大切なのは、
「全て鵜呑みにしてはいけない」ということです。
こういう詩話のような文章をまとめる能力と、作詩の能力が異なる時もありますし、
その当時には人の耳目を集めるような内容だったとしても、
今を生きる人にはつながっていかないものもあるからです。
今回は北宋の政治家で文人の欧陽脩(おうようしゅう)の著した
『六一詩話(ろくいちしわ)』の一節を解説していきます。
本人の号が六一居士(ろくいちこじ)であることからのネーミングです。
今回はその中の一節の中で、
彼の友人で詩人の梅尭臣(ばいぎょうしん)、
字(あざな)を聖兪(せいゆ)という人物との対話の場面を取り上げます。
この手の話として、著者本人の考えを述べている箇所よりも、
こんな風に友人の話を紹介する箇所の方が役に立つ、そんなこともあります。
梅尭臣は名家の庶子に生まれ、科挙には受からなかったけれども
その名家のおかげを被って官界入りをしたために、
官吏としては低い身分で終わっています。
その分、漢詩に特化しているということも言えるのではと思っています。
さらに梅尭臣は『孫子』の註釈でも有名です。
彼の註釈はとてもシンプルで、あくまでも参考例の一つとしてしか
見ることのできないものですが、彼がこうして注釈を書いたことで、
孫子が広く北宋のころに広まったということが言えます。
では、今回の本文です。
このあとは原文と書き下し文とその訳しながらの解説、
最後に一連の現代語訳をまとめるようにします。
●原文:
聖兪嘗語余曰、「詩家雖率意、而造語亦難。
若意新語工、得前人所未道者、斯為善也。
必能状難写之景、如在目前、含不盡之意、見於言外、然後為至矣。
賈島云、『竹籠拾山果、瓦瓶擔石泉』
姚合云:『馬隨山鹿放、鶏逐野禽栖』等是山邑荒僻、官況蕭条、
不如『縣古槐根出、官清馬骨高』為工也」
余曰:「語之工者固如是。状難写之景、含不盡之意、何詩為然?」
聖兪曰:「作者得於心、覧者会以意、殆難指陳以言也。
雖然、亦可略道其髣髴。
若嚴維『柳塘春水漫、花塢夕陽遲』、
則天容時態、融和駘蕩、豈不如在目前乎?
又若温庭?『鶏聲茅店月、人跡板橋霜』、
賈島『怪禽啼曠野、落日恐行人』、
則道路辛苦、羈愁旅思、豈不見於言外乎?」
●書き下し文:
聖兪(せいゆ)嘗(かつ)て余(よ)に語(かた)りて曰(いわ)く、
「詩家(しか)率意(そつい)と雖(いえど)も、
而(しこう)して造語(ぞうご)は亦(また)難(かた)し。
意(い)新(あら)たに語(ご)工(たく)みにして、
前人(ぜんじん)の未(いま)だ道(い)わざる所(ところ)を
得(え)たるが若(ごと)き者(もの)、
斯(こ)れ善(ぜん)と為(な)すなり。
必(かなら)ず能(よ)く写(うつ)し難(がた)きの
景(けい)を状(かたちづく)り、目前(もくぜん)に
在(あ)るが如(ごと)くにして、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)み、
言外(げんがい)に見(あらわ)れ、
然(しか)る後(のち)至(いた)れりと為(な)すなり。
賈島(かとう)云(い)う、
『竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。』、
姚合(ようごう)云(い)う、
『馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。』
等(とう)は是(これ)山邑(さんゆう)荒僻(こうへき)、
官況(かんきょう)蕭条(しょうじょう)たるは、
『県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し』
を工(たくみ)と為(な)すに如(し)かざるなり。」
余(われ)曰(い)わく、
「語(ご)の工(たくみ)なる者(もの)固(もと)より是(かく)の如(ごと)し。
写(うつ)し難(がた)きの景(けい)を状(かたちづく)り、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)むは、
何(いず)れの詩(し)か然(しか)りと為(な)すや?」
聖兪(せいゆ)曰(いわ)く、
「作(つく)る者(もの)心(こころ)に得(え)て、
覧(み)る者(もの)意(い)を以(もっ)て会(え)するは、
殆(ほと)んど言(げん)を以(もっ)て
指(さ)して陳(の)べること難(かた)きなり。
然(しか)りと雖(いえど)も、
亦(また)略(ほぼ)其(そ)の髣髴(ほうふつ)たるを道(い)うべし、
厳維(げんい)の
『柳塘(りゅうとう)春水(しゅんすい)漫(そぞろ)に、
花塢(かお)夕陽(せきよう)遅(おそ)し』
の若(ごと)きは、則(すなわ)ち天容(てんよう)時態(じたい)、
融和(ゆうわ)駘蕩(たいとう)、
豈(あに)目前(もくぜん)に在(あ)るに如(し)かざるや?
又(また)温庭?(おんていいん)の
『鶏声(けいせい)茅店(ぼうてん)の月(つき)、
人跡(じんせき)板橋(ばんきょう)の霜(しも)』、
賈島(かとう)の
『怪禽(かいきん)曠野(こうや)に啼(な)き、
落日(らくじつ)行人(こうじん)を恐(おそ)る』
の若(ごと)きは、則(すなわ)ち道路(どうろ)の辛苦(しんく)、
羈愁(きしゅう)旅思(りょし)、
豈(あに)言外(げんがい)に見(あらわ)れざるや?」
(ここまでが書き下し文です)
●解説
このあとは、こちらの部分の解説をしていきます。
「聖兪(せいゆ)嘗(かつ)て余(よ)に語(かた)りて曰(いわ)く、」
まず、聖兪(せいゆ)はこの詩話の作者の友人である
梅尭臣(ばいぎょうしん)の字(あざな)です。
「友人の聖兪(せいゆ)は、以前私にこう語ったことがあります。」
「詩家(しか)率意(そつい)と雖(いえど)も、
而(しこう)して造語(ぞうご)は亦(また)難(かた)し。」
「率意(そつい)」の「率」は「率直」ということです。
心のままに述べるということです。
「詩を詠む人たちは心のままに詠むとは言っても、
そのための言葉を作り出すことは難しいのです。」、
意(い)新(あら)たに語(ご)工(たく)みにして、
前人(ぜんじん)の未(いま)だ道(い)わざる所(ところ)を
得(え)たるが若(ごと)き者(もの)、
斯(こ)れ善(ぜん)と為(な)すなり。
「工」は「たくみ」、「道」は「言う」です。
「(言葉は難しいものではなくても、)その発想が新しく言葉遣いがたくみで、
昔の詩人がまだ言っていない所を詩に述べることができる、
そんな詩がよいわけです。」
「必(かなら)ず能(よ)く写(うつ)し難(がた)きの
景(けい)を状(かたちづく)り、目前(もくぜん)に
在(あ)るが如(ごと)くにして、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)み、
言外(げんがい)に見(あらわ)れ、
然(しか)る後(のち)至(いた)れりと為(な)すなり。」
「状」は「かたちづくる」、「見」は「あらわれる」です。
「そんな詩は必ず表現するのが難しい景色を詩句の中に組み立てて、
まるで目の前に現れ出てくるようであり、
汲んでも尽きることのない言葉の意味を含み、
その上で最も優れた詩になるのです」
「賈島(かとう)云(い)う、
『竹 籠 拾 山 果 瓦 瓶 擔 石 泉
(竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。)』」
「賈島(かとう)」は唐の詩人で、推敲の故事で有名な人です。
詩句の中で、門を「推す」か「敲(たた)く」かで迷ったことがもとです。
「山果(さんか)」は山でとれる果物で、「瓦瓶(がべい)」は陶器でできた容器、
「石泉(せきせん)」は山の泉の流れのことです。
「擔」は「担」、つまり、「になう」ということです。
「唐の詩人の賈島(かとう)の詩句にある
『竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。』
詩句の中を訳しますと、
『竹でできたカゴに山でとれた果物を入れ、陶器で出来た入れ物
に山の間を流れる泉の流れから取ったきれいな水を入れて
背負っていました』となります。
詩句は書き下し文と訳をこのように併記します。
姚合(ようごう)云(い)う、
『馬 隨 山 鹿 放 鶏 逐 野 禽 栖
(馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。)』
姚合(ようごう)も唐の詩人で、当時は賈島(かとう)と二人で
詩人として有名でした。野禽(やきん)は野生の鳥のことです。
「同時期の詩人の姚合(ようごう)の、
『馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。』
詩句の訳は、
『馬は山に住む鹿のように放っておかれ、
家畜のニワトリは野生の鳥たちを追いかけて住む
(山の方にある村はそんなひどい状況だったのです)』となります。
「等(とう)は是(これ)山邑(さんゆう)荒僻(こうへき)、」
「山邑(さんゆう)」は山にある村で、
「荒僻(こうへき)」は人が通った形跡もない荒れた土地のことです。
「山にある村々が人も通らない荒れ果てた状態を詩句で表したもので、」
「官況(かんきょう)蕭条(しょうじょう)たるは、」
「官況(かんきょう)」は官吏(かんり)、
つまり役人としての暮らしの中での思いのことです。
「蕭条(しょうじょう)」はもの寂しい様子です。
「役人の日々の暮らしの中での心境がもの寂しい様子を表す詩句は、」
『県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し』
を工(たくみ)と為(な)すに如(し)かざるなり。」
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