玄齋詩歌日誌

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●現代語訳(意訳):


易経の中孚(ちゅうふ)の卦の二番目の線(爻(こう))を解説した言葉、
つまり爻辞(こうじ)の中にに次のような言葉があります。

『物陰に隠れて親の鶴が鳴くわけです。すると、
鶴の雛が親の鳴き声に「ここにいるよ」と返事を返すわけです。

私は良い爵位(しゃくい)とその地位にふさわしい権力を持っています。
その上で、わたしは遠くからやって来たあなたと同じように、
人に備わった性質に磨きをかけた徳に従おうと思います。』と。


この部分を解説する文章として、
孔子は以下のように述べておりました。


「修養の出来た人である君子(くんし)は、
自分の部屋にいて言葉を発し、それが善(よ)い言葉であれば、

千里より遠くにいる人たちもその善い言葉に応じてやって来るのです。
ましてやそれより近い人ならなおさらそうなります。

自分の部屋にいて言葉を発し、それが善くない言葉であれば、
千里より遠くにいる人たちもその善くない言葉を聞いて
その言葉に背くようになるのです。

自分の言葉は、
『自分の身に受ける苦しみを人の持つ苦しみと同じものだ』と思うように、
大切な自分の身と同じように人を思いやり、
その気持ちで本当に人のことを思いやることのできる言葉をかけて、

自分の行いは身近な所から、日々の生活や仕事、あるいは学習の際も、
経書やいろんな昔の文章を今の自分自身の状況から考えていく、

この二つをしっかりと身につけた上で、
身近な所から同心円状に遠くに目を向けていくと良いのです。

言葉と行いは、君子の大切な要点であって、
その要点である言葉と行いによって、

名誉が得られるのか、恥ずかしい思いをするのかを決める主要な点になります。
このように言葉と行いは君子が天地を動かすことのできる理由なのですから、

慎まないではいられない、ぜひとも慎むべきところなのです」


(ここまでが現代語訳です。)


●まとめ:

ここまでとても良い言葉を重ねてきているのに、

この爻辞(こうじ)には「吉」とも何とも書いていないわけです。
ここから「とても苦しい時期」だということが分かります。

もう一度、中孚(ちゅうふ)の卦の画像を示します。

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普通であれば陰と陽がくっつくのが易の基本で、
自分の爻と三つずれた所の爻とが、
応(おう)という強い結びつきがあるのですが(この場合五番目です)、

同じく陽ですので、逆にお互いが離れている状況にあるのです。
爻は上に行くほど地位が高く、

一段階目は学生や浪人、二段階目は一兵卒か普通の社会人、
三段階目は中間管理職、四段階目は役員等の上級管理職、

五段階目は君主、今ですと大臣や社長がそれに当たります。
そして六段階目が引退した君主、つまり上皇や会長です。

ちなみに天皇陛下は、君主という意味であれば五番目、
直接国政に携わっていないという意味では六番目に当たります。

ここに述べたのは一応の目安ですので、六十四卦により微妙に異なります。

この場合は、二は一般の社会人や官僚で、
五は社長、公務員であれば首長か大臣です。

どんな組織にいるにせよ、上層部と考え方が違う等で
苦しい状況にいることがわかります。

そんな時は「同気(どうき)相(あい)求(もと)む」、
同じ性質の者同士、あるいは同好の士が親しくなっていくのです。

自分が何かを発信することによって呼びかけに応ずる人が出てくる、
そうして志を同じくする集まりが出来てくるわけです。


そんな中で、その道を本当に極めようとする意思の有無や程度、
どんな人を選ぶのか、あるいはそれは人ではなく、

自分を引っかけるワナであったり珍しい宝物だったりすることもあるのです。
そこからやってくるのは発信したのが何であるのか、
ということによって決まるわけです。

君主がある珍しい宝物に心奪われていれば、
遠方からそれを聞きつけた商人が現れて、

お宝を手に入れる代わりに国の実権を乗っ取られてしまったり、
民衆が今までやっていたことを放り出して君主が求めるものだけを
血まなこになって追い求め、国内が荒れてしまったりするのです。

時の総理大臣がもしゴルフが好きだったとすれば、
ゴルフを始め出す人も自然に多くなるのです。

これは良い影響だと思いますが、
これ以外の分野や内容によってはひどいことになります。
昔の君主制であればなおさらだったわけです。

集まってくる人はその人のそれまでの人生を反映しているのです。

道徳だけではなく、
本当に価値のあるものを発信できているかが問われてくるのです。

価値のあるものを提供できていれば「孚」、人に信じられるということです。
こういう部分に気をつけて頑張っていきます。


今回も長文にお付き合いいただき感謝いたします。

(了)

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●解説の続きです


さて、先ほどの原文の最初の部分は、
六十四卦の中孚(ちゅうふ)の卦に当たります。

まず、この卦はこんな形をしています。画像で示します。

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先ほどの六十四卦は六段階の横に引いた線で表されます。
このそれぞれを爻(こう)と言います。
真ん中が切れていれば陰を、切れていなければ陽を示します。

中孚(ちゅうふ)の中とは
「両極端を避けたその時その時にふさわしい振る舞い」のことで、
物差しで測ったような真ん中を指すものではありません。

「孚」は「信」、つまり信じることと信じられることの両方を指します。
儒学の経書でも「信じる」の意味だけで意味を取ると苦しくなる場合も
「信じられる」の意味で解釈すると良い場合が多いです。

そうしないと「君子は常に素直でしかもだまされない」という
有り得ないものになってしまいます。

実際には、そんなバカ正直な人ではだまされるのは当然なのです。
そういうものを述べてはおりませんので、一言注意点としてあげておきました。

そして、

その中孚(ちゅうふ)の卦の形が、
すでに「人に信じられる」ということを象徴しているわけです。

陽は充実を表し、陰は空虚を示します。
この卦では下から三段目と四段目が陰で空虚になっています。
真ん中が空虚で「欲が少ない」ことを示しています。

六十四卦は上の三段階と下の三段階が分かれて、
この部分が八種類の形になって、それが八卦です。
これもこの卦を解釈する手がかりとなります。

まず、下三段の卦は「兌(だ)」と言います。この卦は兌は「泉」を意味していて、
「悦(えつ)」、つまり「よろこぶ」を意味しています。
「悦(よろこぶ)」と「説(と)く」の象徴でもあります。
卦の説明で説とある時は悦の意味でも考えた方が理解できます。

「兌(だ)」の卦は以下の画像のような形になります。

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一方で、もう一つの卦は「巽(そん)」と言います。

風を象徴していて「従う」という意味があり、
木、あるいは水に浮かぶ船を指すこともあります。次のような形です。

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下の八卦が人の内面を表し、上の八卦が外見、
或いは外部との交渉を指しています。

この場合は内面が「兌」、つまり心は喜んで、
外部には「巽」、従うということです。

心から喜びながら従うということです。
どういうことかと言いますと、

世の中には本音と建て前がありまして、
もし建前の場合にしても、全く自分の意思のないものだとしたら、

建前を行う人間自体が苦しい思いをして、
その上で相手に見透かされてしまいます。

建前の場合も自分の中にある本当の真心のほんの一部分でも
存在するかどうかが分かれ目になってくるわけです。

これが「よろこんで従う」という意味になるわけです。


さて、その八卦のそれぞれ真ん中に当たる部分、
つまり六十四卦でいうところの二番目と五番目の部分を
中位(ちゅうい)と言いまして、

これも六十四卦の要の部分で、この部分が陽だということは、
「内面が充実している」ということです。

欲を少なくして、修養によって内面を充実させていく、
この両方を兼ね備えて信じられる人間、ということを説いているのです。

前者に傾いていれば隠者のたぐい、後者に傾けば豪傑なわけです。

その両極端の両方の間の、その人その人の特質にあった
程良い所にたどり着けば、人に信じられるということになるわけです。

さて、

今回の原文の最初の部分は、下から二段階目の爻(こう)を説明した
「爻辞(こうじ)」の一節です。再び以下に示します。
その後に加えて、この部分を解説した象伝(しょうでん)の一節を示します。


爻辞(こうじ)の原文:

「鳴鶴在陰、其子和之、我有好爵、吾與爾靡之

象曰、『其子和之、中心願也』」


爻辞(こうじ)の書き下し文:

「鳴鶴(めいかく)陰(いん)に在り、其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す、
我に好爵(こうしゃく)有り、吾(われ)爾(なんじ)と之(これ)に靡(したが)わん、

象(しょう)に曰(いわ)く、
『其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す、
中心(ちゅうしん)より願う也(なり)』」

(ここまでが爻辞(こうじ)の書き下し文です


では、最初の文から解説していきます。
まず、この爻(こう)は「九二」と呼ばれます。「二」は二段階目の爻を表し、

「九」は陽の数で、その爻が陽であることを示します。
ちなみに「六」は陰の数です。どうして九と六がそうなっているかと言いますと、

昔から五行(ごぎょう)という考え方がありまして、
木化土金水の五つの要素で世の中が出来上がっているという考え方です。

それぞれに番号を1〜5を割り振って、

奇数は陽の数ですので、
それを合計すると1+3+5=9、つまり陽の数「九」になり、

偶数は陰の数ですので、
それを合計すると2+4=6、つまり陰の数「六」になるのです。

細かいことですが、ちょっとした豆知識です。


「鳴鶴(めいかく)陰(いん)に在り」、

「陰」は物陰です。つまり、物陰に隠れて親の鶴が鳴くわけです。すると、

「其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す」、
つまり鶴の雛が親の鳴き声に「ここにいるよ」と返事を返すわけです。

「我に好爵(こうしゃく)有り」、「爵(こうしゃく)」は
昔の貴族の位の「爵位(しゃくい)」あるいは権利、権力を指します。

「私は良い爵位(しゃくい)とその地位にふさわしい権力を持っています。」

となります。


「吾(われ)爾(なんじ)と之(これ)に靡(したが)わん」、

「爾(なんじ)」とは「あなた」という意味です
「之(これ)」とは「徳」のことです。この時の徳は、


経書の『大学』にある「明徳(めいとく)を明(あき)らかにする」です。
明徳とはその人その人に備わった優れた性質のことです。

それを明らかにする、つまり修養によって、
更に養って磨きをかけていくということです。
この結果出来上がった徳のことです。

「爾(なんじ)」で言われているのは遠くにいる同じ徳を持つ人のことです。

「わたしは遠くからやって来たあなたと同じように、
人に備わった性質に磨きをかけた徳に従おうと思います。」

となります。

まずは全体の現代語訳をまとめて、
最後の言葉の意味を再検討してまとめとします。


((3)に続きます)

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●はじめに


漢文の翻訳の記事を書く時には、翻訳とともに実際の状況、
厳密に自分自身でなくても他の方により伝わりやすい状況をもとに
解説するようにしています。

経書などは時折ただのお題目になってしまっては、
読んでいる側は苦しくなるわけです。そこで、

それが思い付くまで他の作業や諸々なことをしていることも多いのです。
私も漢文では自分が納得いくまで考えて、

その結果をお伝えすることでわかりやすいと
中学生からも感想を頂くことがあります。

他の作業をしていく中も問題について考えていて、
全くリラックスしている時もその問題が頭の隅っこにこびりついているわけです。
そんな時にふっと目の前の状況を見ている中で解決策が浮かんでくるわけです。
常に考え続けながら、答えが思い付くのは時と場所を選びません。

夢の中であったり、入浴時であったり、
渓谷で釣りをしている時だったりするわけです。
アルキメデスは風呂場で思い付いて一言叫んだわけです。

今回は先日の午前中のコメントやツイートを読んで、
更に私自身の書いた文章を読み返して思い付きました。

以下、解説をしていきます。


「儒学が役に立たない例」はいくつかあります。
その中でも君主は自分の身を修めることによって国をきちんと治めることができる、
というものは、儒学の基本的な考え方でありながら、

なぜそうなるかという道理をきちんと理解していなかったことによって、
かえって亡国の憂き目にあった時に、
儒学がその原因とされてしまっている箇所です。

南宋の時代に元が北から攻めてきて窮地になった時に、
時の皇帝がどうやったらこの苦難を打開できるのかと問うた時に、

この言葉をお題目として述べるに止まったがために、
元に滅ぼされた原因とされてしまった向きもあります。

この部分をお題目ではなくしっかり考えていくもとを考えるために、
私も時間を費やしていました。

まず、これに関係する言葉は、『易経』の易の哲学を論じた
繋辞伝(けいじでん)の上にあります。

『易経(えききょう)』は儒学の経典の一つです。
儒学者はこれを道徳の本として学んでいって、自分自身を占いうことはないのです。

易の占いの中でこの易経の文章を使う場合は、
いろんな道具(筮竹(ぜいちく)等)や暦からの数字の操作によって、

そこから卦を立てて、そこから占いの結果出て来たその易経の一節をもとに
占いの結果を考えていくのです。

これは人の人生を見る時にいちいち経文の全てと照らし合わせるのではなく、
その一部分を深く掘り下げながらアドバイスをしていく、ということです。

この卦を立てる儀式を厳粛に行うことによって相談者も真剣になって
その言葉や相談者自身の人生を改めて省みることが出来る、
ここが大切な部分になってきます。

今回もその繋辞伝の一節を、実際に六十四卦の中に出てくる一節をもとに
説明していきます。


●原文: 

「『鳴鶴在陰、其子和之、我有好爵、吾與爾靡之』。

子曰:『君子居其室、出其言、善則千里之外應之、

況其邇者乎、居其室、出其言不善、則千里之外違之、
況其邇者乎、言出乎身、加乎民、行發乎邇、見乎遠。

言行君子之樞機、樞機之發、榮辱之主也。
言行、君子之所以動天地也、可不慎乎』


●書き下し文

「『鳴鶴(めいかく)陰(いん)に在り、
其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す、

我に好爵(こうしゃく)有り、
吾(われ)爾(なんじ)と之に靡(したが)わん』。

子(し)曰(のたま)わく、
『君子(くんし)其(そ)の室(しつ)に居(お)りて、
其(そ)の言(げん)を出(いだ)すに善(ぜん)なれば、

則(すなわ)ち千里の外(そと)之(これ)に応(おう)ず、
況(いわ)んや其(そ)の邇(ちか)き者(もの)をや、

其(そ)の室(しつ)に居(お)りて、
其(そ)の言(げん)を出(いだ)すに不善(ふぜん)なれば、

則(すなわ)ち千里の外(そと)之(これ)に違(たが)う、
況(いわ)んや其(そ)の邇(ちか)き者(もの)をや。

言(げん)を身(み)より出(いだ)し、民(たみ)に加え、
行(おこな)いを邇(ちか)きより発(はっ)し、遠くを見る。

言行(げんこう)は君子(くんし)の枢機(すうき)にして、
枢機(すうき)の発(はっ)するは、栄辱(えいじょく)の主(あるじ)也(なり)。

言行(げんこう)は、君子(くんし)の天地を動かす所以(ゆえん)なれば、
慎(つつし)まざるべけんや』と。」


ここまでが書き下し文です。このあと、噛み砕いて解説いたします。


●解説:

最初の文章は今回の六十四卦の一節ですので、これは後で解説していきます。

「子(し)曰(のたま)わく、」、
「子(し)」とは「夫子(ふうし)」のことで、これは「先生」と訳されますが、
私信の中で相手を敬う言葉でない場合は「孔子」を指します。

「孔子はこのように述べておりました」


「君子(くんし)其(そ)の室(しつ)に居(お)りて、
其(そ)の言(げん)を出(いだ)すに善(ぜん)なれば、」、

「君子(くんし)」は修養の出来た立派な人のことです。

「修養の出来た人である君子(くんし)は、」

「自分の部屋にいて言葉を発し、それが善(よ)い言葉であれば、」、


「則(すなわ)ち千里の外(そと)之(これ)に応(おう)ず、
況(いわ)んや其(そ)の邇(ちか)き者(もの)をや、」、

「況(いわ)んや」は「ましてや〜は」、という意味です。「邇」は「近い」です。

「千里より遠くにいる人たちもその善い言葉に応じてやって来るのです。
ましてやそれより近い人ならなおさらそうなります。」、


「其(そ)の室(しつ)に居(お)りて、其(そ)の言(げん)を出(いだ)すに
不善(ふぜん)なれば、則(すなわ)ち千里の外(そと)之(これ)に違(たが)う、
況(いわ)んや其(そ)の邇(ちか)き者(もの)をや。」

「違」は「たがえる、そむく」

「自分の部屋にいて言葉を発し、それが善(よ)くない言葉であれば、
千里より遠くにいる人たちもその善くない言葉を聞いて
その言葉に背くようになるのです。」



「言(げん)を身(み)より出(いだ)し、民(たみ)に加え、
行(おこな)いを邇(ちか)きより発(はっ)し、遠くを見る。」、

ここで「言(げん)を身(み)より出(いだ)す」とはどういうことかと言いますと、

たとえば病気をした時に苦しくなって、
どんな人も苦しいわけです。そんな苦しみの中で、

「自分の受ける苦しみは人の持つ苦しみと同じものだ」と思うことが出来れば、
本当に人のことを思いやる言葉をかけることがが出来るということです。

「仁」とは「人が二人いる」という字であり、
人が二人いれば必ず起こる相手への気遣いのことを指します。

そこから更に修養を重ねていった結果たどり着く境地を、これまた「仁」と言います。
こちらは「聖人の道」という意味で使われる仁です。

「行(おこな)いを邇(ちか)きより発(はっ)し」とは、
身近な所から行っていく、日々の生活であり、
日常の周囲の人との付き合い、職場での仕事や人間関係のことです。
或いは学習の際も、経書やいろんな昔の文章を今の自分自身の状況から考えていく、

この二つをしっかりと身につけた上で、民衆を思う政治、
もちろん、民衆におもねる政治ではありません。

そして、身近な所から同心円状に遠くに思いを及ぼしていく、
遠くに目を向けていく、ということです。


「言行(げんこう)は君子(くんし)の枢機(すうき)にして、
枢機(すうき)の発(はっ)するは、栄辱(えいじょく)の主(あるじ)也(なり)。

言行(げんこう)は、君子(くんし)の天地を動かす所以(ゆえん)なれば、
慎(つつし)まざるべけんや』と。」

「枢機(すうき)」の「枢(すう)」とは、ドアの回転軸のことです。
「機(き)」は弩(ど)という昔のボウガンの引き金のことです。
回転軸と引き金で、物事の大切な要点を指す言葉です。

残りを訳していきますと、

「言葉と行いは、君子の大切な要点であって、
その要点である言葉を言ったり行ったりすることで、

名誉が得られるのか、恥ずかしい思いをするのかを決める主要な点になります。
このように言葉と行いは君子が天地を動かすことのできる理由なのですから、

慎まないではいられない、ぜひとも慎むべきところなのです」

となります。


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