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人生の中で苦難を迎える時はいろいろあります。
そんな時にどう対応するかで恥ずかしい思いをしたり、
困難にぶち当たって心身を疲れさせてしまう、そんなこともあります。
苦難に遭った時の対応の仕方を教えてくれるのが、
儒学の四書五経の五経の一つ、『易経(えききょう)』の、
「蹇(けん)」の卦です。
この「蹇」の字には二つの解釈がありまして、
一つは「蹇蹇(けんけん)」です。
これは「困難があって前に進めない」という意味と、
「忠直」、「自分の素直な気持ちのまままっすぐ」という意味です。
あるいは「まっすぐな忠義の気持ちのままに行動する」ということです。
陸奥宗光(むつむねみつ)が外務大臣であった時の手記をまとめた
『蹇蹇録(けんけんろく)』というタイトルもここから取っています。
もう一つが「蹇難(けんなん)」です。こちらは「辛い目にあって苦しむ」ということです。
どちらの意味にしても、辛い状況の中にあることはわかるわけです。
さて、蹇(けん)の卦の形は次のようになります。
図一、蹇(けん)の卦
この六十四卦は上と下で次の八卦の坎(かん)と艮(ごん)に分かれます。
図二、坎(かん)の卦
上の坎(かん)は水、あるいは坎難(かんなん)、
つまり「落とし穴が空いている難所」を示します。
下の艮(ごん)は山、あるいは「止まる」と言うことを意味します。
図三、艮(ごん)の卦
前は落とし穴のある難所で、後ろは険しい山のような難所になっています。
さらに「止まる」という意味からは、
「難所を前に立ち止まる」ということも分かります。
この卦の解説をしている「卦辞(かじ)」には、
「大人(たいじん)を見るに利あり」とあります。
大人は「高位の人」、あるいは「年配のすぐれた人」と言うことです。
「利」とは単に利益のことではなくて、
「利は義の和」という言葉があるように、世の中の道理である「義」が
程良い形で出てくるということを指します。
苦しい時を乗り越えるのは相応の経験がないと出来ない時もありますので、
そういう時は優れた年長の人の話に耳を傾けることが大切なわけです。
その上でこの卦を説明した象辞(しょうじ)では、
「君子は以て身を反(かえり)みて徳を修める」とあります。
経書を自分の今の状況の中に照らし合わせて反省しながら、
時の変化を待つのがよい、ということが分かってきます。
さて次に、六十四卦は横に六本の線がありまして、
それを爻(こう)と言います。
爻は「動」、動くということを示していまして、
異なる状況下でのそれぞれの身の処し方がわかってきます。
爻は一番下から一番上までの、
初・二・三・四・五・上の六段階に分かれておりまして、
上に行くほど身分が高い、立場が有利、ということになります。
一般的に一段階目は学生や浪人、二段階目は一兵卒か普通の社会人、
三段階目は中間管理職、四段階目は役員等の上級管理職、
五段階目は君主、今ですと大臣や社長がそれに当たります。
そして六段階目が引退した君主、つまり上皇や会長です。
蹇(けん)の卦の爻辞を見ていきますと、
上位の四〜六は安心して良いとわかります。
有利な立場にいて、人が協力してくれるわけです。
解決するかどうかはその協力者の力量次第ですが、
基本的に悪いことは起こらないのです。
そこは問題がないとして、問題は下位にいる人です。
たいてい艱難辛苦の中では、不利な状況にあります。
だから一段階目と三段階目の爻辞には、「往(ゆ)けば蹇(けん)なり」とあります。
こんな時に行動する時の間違いの一つには、
頼る所もなくただ柔順な姿勢で相手の顔色をうかがって対応しようとすることです。
これは単に今が蹇難であることを再確認することにしかならないわけです。
そこで初六の爻辞、
第一段階目の陰の爻の爻辞では、(六は陰の数です)
「来たりて誉(ほまれ)あり」
人と接する状況を少なくしてそれに対応するだけにする、
もちろんその間に身を修めると言うことをやっていって、
時は過ぎ去って状況の変化を待つのがよいとわかります。
それによって誉(ほまれ)、名誉を保っていくわけです。
さらに九三の爻辞(九は陽の数です)、
三段階目の陽の卦の爻辞では、
「来たりて反(かえ)る」
つまりそんな時に上に向かうのではなく、
同僚や後輩達とわいわいがやがや、飲み会などで楽しく過ごし、
こちらも同様に状況の変化を待つわけです。
三番目は陽の爻であれば正しいとされています、
陽ですから普段から活発的な人です。
下の初と二はどちらも陰の爻ですから
消極的なわけです。
三番目は活発で普段から面倒見も良い、そんな人間だから
困った時にも周囲が助けてくれるのです。
さて、一と三は「状況の変化を待つ」ということで共通しています。
しかし困難の中では変化を待つだけではどうしようもない時もあり、
ましてや辛い時に周囲に連絡して人が集まるほどの
普段の付き合いや面倒見がない、そんなことも良くあると思います。
単に待つというのも難しい、そんな時もよくあります。
その時の対処の仕方こそ、六二の爻辞、
つまり二段階目の陰の爻の爻辞に書かれています。
その爻辞をさらに説明した象辞(しょうじ)も同時に解説します。
●原文:
六二、王臣蹇蹇、匪躬之故。
象曰、王臣蹇蹇、終無尤也。
●書き下し文:
六二、王臣(おうしん)蹇蹇(けんけん)、
躬(み)の故(ゆえ)に匪(あら)ず。
象(しょう)曰(いわ)く、王臣(おうしん)蹇蹇(けんけん)、
終(つい)に尤(とがめ)無きなり。
では、以下にこの一節を解説していきます。
王臣(おうしん)とは王と家臣のことです。
王は九五、五番目の陽の爻を指します。臣はこの六二の爻です。
自分の爻と三つ離れた爻とは強く影響し合い、
どちらかが陰、どちらかが陽ならば強く引き合い、
どちらも同じであれば背き合うわけです。
これを応(おう)と言います。
さらに二と五はその卦の中心となる部分で、
それぞれの八卦の真ん中部分に当たります。
さらに偶数で陰、奇数で陽の関係も満たしています。
この上なく良い対応関係と言えるのです。
五は君主の地位で果断に行動も出来る、
二はそんな人に従う立場にいると言うことです。
会社組織や、あるいはある目上の人に従う状況も含まれます。
「蹇蹇(けんけん)」は忠直、つまり真心そのままにまっすぐで、
それでいて難所を前に立ち止まっている状況です。
自分を曲げず、蹇難の中にいるわけです。
こう言う時にどうするのか、次の部分でわかります。
「躬(み)の故(ゆえ)に匪(あら)ず」
「匪」は「非」、「あらず」ということです。
「躬」は「己」、自分の身と言うことです。
「(人のために動く時には)自分の身のために
行動するのではない」、
という意味です。
困難に遭っている時にも人のために動くというのは大事なのですが、
その時に気をつけるべき所がこの部分です。
苦しい状況の中、自分の欲や雑念が絡んでくると、
何が相手のためかという視点を見失ってしまいます。
ましてや自分が癒されるために人のために働くと言うのは禁物です。
そういう苦しい時の善意ほど、相手にとって重いものはないからです。
そういう困難な状況でも自分を見失わず、
冷静な視点で「相手のため」というのを考えていくのです。
そうしていきますと、自分の身が反省されてくるわけです。
自分が誰かに心配をかけていないか、
自分が周囲の重荷になっていないか、
そして何より、日々きちんと生きているか、
そんなことを改めて考えていくようになるのです。
そういう所をきちんとして、自分の為すべき道、
それぞれの道、武道や書道、あるいは各種の職業、
さらには日常のいろんな場面で良く生きようと工夫する、
そういうものをしっかりと行っていって、
そういう道を学ぶ中で周囲や世の中のことを考えていく、
道を学ぶ中にも日常の周囲の状況を頭に入れることが大切になってきます。
そうすることで「尤(とがめ)無し」
きっちりと反省し改めていく中で過ちを免れるわけです。
本当に人のためになることは何かを考えて
自分の普段の生活をきちんとしていくことが大切だとわかりました。
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2013年07月20日
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