玄齋詩歌日誌

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源氏物語・賢木

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源氏物語の「賢木」の巻です。
原文を現代語訳して、作中の漢詩や短歌を解説しています。

この巻はすべて訳し終えています。
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心からかたがた袖を濡らすかな明くと教ふる声につけても   尚侍(朧月夜の君)

歎きつつわが世はかくて過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく    源氏


あかつきの月夜も問はず居りにける あくことのなき心正さむ   玄齋



解説:


源氏と朧月夜の君との逢瀬の場面です。


帝は、院の御遺言を違えることなく、源氏を尊重する気持ちはありましたが、まだお若いころで
ありましたので、帝のお心持ちは柔らかすぎて、強い気持ちをお持ちではありませんでした。
それで皇太后や、祖父の大臣が思い思いに政治を取り仕切っていることに、逆らうこともできず、
帝のお心を世の政治に通わせることはできませんでした。面倒な身の上ではありましたが、
尚侍(朧月夜の君: 以下、朧)は、源氏と密かに恋心を通わせており、源氏に逢えないのは
仕方がないと思いつつも、逢える日を待ち遠しく思っていました。


五壇の御修法が始まったころ、帝が御謹慎なさっている間を見計らって、源氏は尚侍(朧)に、
いつもの夢のように、逢瀬をしておりました。あの、昔(「花宴」の章)に見覚えのある、
弘徽殿の横にある小さな部屋へと、(朧の女房の)中納言の君が人目をごまかして源氏を中へ
入れました。


  ※五壇の御修法(ごだんのみずほう): 五大尊(五大尊明王)を本尊として行う真言宗の
   祈祷のことです。天皇または国家に関する重大事の時に行います。


御修法の時で人通りも多いときなので、普段よりも大胆ではしたない源氏の行動に、
中納言は何とも不気味なものを感じていました。朝夕にいつも源氏を見ている人でさえ、
見飽きることのない源氏の容姿に加えて、滅多にないこの対面に、(朧は)どれほどの
言い尽くせない喜びを覚えたでしょうか。尚侍の容姿も、まことに青春真っ盛りのお姿でした。
貴女としての重々しさは、それほどではないにしても、愛らしく、上品で若々しい様子でおられて、
男どもは誰しも逢いたいという気持ちを持つであろうと思われました。


それから間もなく、

「そろそろ夜が明けるころであろうか」

と思われるころ、ちょうどその折、ここにちょうど、

「『宿直申し』でございます」


  ※宿直申し(とのいもうし): 宿直(とのい: 宮中に宿泊して、勤務・警護を行うこと)を
   した者が、夜の定刻に自分の姓名を名乗ることです。


と、改まった声が聞こえてきました。

「また、この付近に、(自分以外にも)隠れている近衛の役人がいるにちがいない。
 その同僚の腹黒いやつが、裏切ってこっそりと宿直の役人へ教えたのだろう」

と源氏は思いました。宿直申しの触れ回る声は風情のあるものでしたが、
面倒なことになったと思いました。
その近衛の役人を、夜警の役人が探して歩き回りながら、

「寅一つ」

と言いました。


  注: 『寅一つ』は、午前四時頃です。「もうすぐ夜が明けるぞ」と、
   隠れている近衛の役人に脅しをかけているのです。


姫君(朧)は、次のような歌を詠みました(一首目)。


心からかたがた袖を濡らすかな明くと教ふる声につけても   尚侍(朧月夜の君)

訳: 私は心からあなたのことを想い、あれこれと考えて涙で袖を濡らしています。
 (あなたは方々に涙で袖を濡らす女性をお作りになるのですね。)「夜が明けるぞ」と
 教える声があることにつけても(あなたが私に飽いたと教えてくれているようですね)。
 (「明く」と「飽く」の掛詞です)


と言う尚侍の様子は、心細そうに見えて、とても愛らしいものでした。
源氏は次のように返歌を返しました(二首目)。


歎きつつわが世はかくて過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく    源氏

訳: 私は自分の人生を歎きながら過ごせとおっしゃるのでしょうか。心に隙間が
 空いてしまうとき(あなたに飽きるとき)などもちろんありません。


源氏は落ち着いた気持ちになれずに、部屋を出て行きました。まだ夜も深い暁月夜で、
言いようもないほどに一面に霧が立ちこめる中、源氏がとてもひどくやつれた表情で、
人目を避けながら歩いている様子は、美しさがそれに似ているものがない程でした。


  ※暁月夜(あかつきづくよ): 明け方近くになっても空に残っている月のことです。


そのとき、承香殿(そきょうでん)の女御の兄である頭中将が、藤壺の御殿から出て来て、
月明かりの当たらない所の立蔀(たてじとみ)の辺りに立っていたのを、源氏は知らずに
通り過ぎてしまったことは、何とも気の毒です。後に非難の声が上がる理由は、
きっとここにあるのでしょう。


  ※承香殿の女御(そきょうでんのにょうご): 朱雀帝の后で左大臣の娘の一人です。

  ※立蔀(たてじとみ): 細い木を縦横に組んで格子とし、その裏に板を張ってついたての
   ように作って、室内が見えないように目隠しにしたものです。多くは庭に立てますが、
   室内用のものもあります。




とうとうばれてしまいました。頭中将は左大臣の娘で源氏の亡き夫人の葵上の兄であり、
右大臣の娘の四の君を妻にしているという、きわめて微妙な立場の人です。
やはり右大臣に報告せざるをえないのでしょうね。


次回は中宮(藤壺)と源氏の間の出来事です。こちらも源氏は大胆な行動を取ります。

事ごとにおもひつめたる年月を 時めくるときおもひ出づるかは   玄齋

継母の思ひかくやは消えざりき 血の通わぬはさてもいちはやし   玄齋



解説:


桐壺院の崩御後の場面です。


年が改まっても、諒闇(りょうあん)なので、世間は新年でも目新しいこともなく、静かでした。
ましてや大将(源氏)は辛い気持ちになって、二条の院に引きこもって過ごしていました。


  ※諒闇(りょうあん): 天皇がその父母の喪に服する期間(一年間)のことで、
   臣下も喪に服します。


年初の除目(じもく: 大臣以外の官職の任命式)の時期には、院がご在位中の時は、改めて
言うまでもないことですが、その後も、源氏の勢力は劣る様子もなくて、二条の院の門のあたりに、
立っている場所もないほどに混雑していた馬や車は、今年はすっかり少なくなって、警護の者や、
宿直の従者たちが夜具の袋を運んでくる姿も、ほとんどありませんでした。間柄の近い
家司(けいし)たちだけが、急ぐほどの仕事もない様子であるのを源氏は眺めていて、

「今年からは、(勢力が衰えて、)このような光景になるのだろうな」

ということが察せられて、風情のない様子に興ざめしていました。


  ※家司(けいし): 親王家・内親王家・摂関家、あるいは官位が三位以上の公卿の家の
   事務をつかさどる職員のことです。四位・五位の者がなります。


源氏の思い人の一人、右大臣家の娘の六の君(朧月夜の君:以下、朧の君)である御匣殿(みくしげどの)
は、二月に、尚侍(ないしのかみ)になりました。院の崩御の後、すぐに尼になった前の尚侍の
代わりに地位に就きました。(朧の君は)時流に乗っている右大臣の娘であり、気品もとても
良い方であったので、後宮に仕えている女性の中でも、とりわけ際立っている方でありました。


  ※御匣殿(みくしげどの): 貴人の家で、装束を裁縫・調達する女官の長のことです。
   冷泉天皇のころから、この位にある女性は、天皇・皇太子の妻妾となることが多く
   なっていました。

  ※尚侍(ないしのかみ): 天皇の側に仕えて、天皇への取り次ぎや、宮中の礼式の事などを
   司る女官のことです。女御(にょうご: 天皇の后)・更衣(こうい: 天皇の寝所仕えの女官)
   に準じる地位で、大臣の娘が任命されることが多くなっていました。


皇太后(元・弘徽殿の女御)は、(右大臣家の)実家に帰っていることが多く、時々参内するときの
部屋として、梅壺の御殿を使い、元の弘徽殿には、妹の尚侍(朧の君)が住んでいました。
その隣の登花殿は長く使われず陰気な様子でしたが、弘徽殿は晴れ晴れしい雰囲気になって、
女房たちも、限りなく多く仕えるようになって、時流に乗って華やかになっていました。
しかし尚侍の心の中では、源氏との思いがけない出来事(「花宴」の章)を忘れることができずに、
悲しみ嘆いていました。

源氏がこっそりと手紙を送り届けることも、以前と同じ様子でした。

「もし人々の噂になってしまったら、どうなることだろう」

と源氏は思いながら、いつもの癖で、今の状況で、かえって源氏の情念が朧の君のそれよりも
まさっているようでした。


桐壺院がご存命の頃までは、皇太后は遠慮しておりましたが、今になって、厳しい気性を表に出して、

「今まであれこれと、積もり積もった(源氏への)気持ちに報復しなければ」

と思っているご様子でした。


折に触れて、源氏に都合の悪い出来事が起きるようになったので、

「当然、このようになってしまうのだろう」

と源氏は思っていましたが、今まで経験したことのない、世間の辛い仕打ちに耐えられずに、
人との交際もしなくなっていました。


左大臣も皇太后の態度に興ざめして、参内することもなくなりました。亡くなった娘(葵上)を、
この大将の君(源氏)に妻合わせたことを含んでいて、左大臣をよくは思っていませんでした。
左大臣はもともと右大臣との仲は良くなくて、院のご在世中は、左大臣が専横をふるっていたので、
時世が移り、右大臣が得意顔になっているのを、

「まったく、不愉快なことだ」

と左大臣が思うのも、道理というものです。


源氏は、葵上が生きていた頃と同様に、左大臣邸に通って、今まで仕えていた葵上の女房たちを、
非常に親切に扱って、若君(夕霧)を、非常に大切に世話をしていました。

「大将(源氏)のお気持ちはとても愛情深く、畏れ多いことです」

と、左大臣がいっそう源氏をいたわる様子も、娘の葵上が生きている頃と変わりがない様子でした。


今までは源氏は世間のこの上ない寵愛を受け、とても慌ただしい様子で、恋人の元へ忍んでいく
暇もない様子でしたが、今は源氏が通っていたところとの仲は、方々で絶えてしまったものも
多くなっていました。そのほかの、身分の低い恋人たちのところへ忍び歩きで通っていくことも、
つまらないと思っていて、特にはしなくなっていたので、今はかえってとても落ち着いた、
理想的な夫の姿になっていました。西の対の姫君(紫上)の幸福な様子を、世間の人も羨んでいました。

紫上の乳母である少納言も、

「亡きお祖母様の尼上の、お祈りの御利益でしょう」

と考えていました。紫上の父の兵部卿の宮も、思う存分に、紫上と手紙を交わしていました。

紫上の継母の北の方が、

「この上ない方になって欲しい」

と思っている姫君たちは、たいして良い方向には行っておらず、紫上を憎らしいと思っていることも
多く、北の方自身も、心中穏やかではありませんでした。物語にわざとこしらえたような様子でした。


  注: 継子が幸せになる物語として、一瞬、「シンデレラ?」と思いましたが、源氏注では
   『住吉物語』や『落窪物語』を引いていました。日本の昔話の中にも、このような物語が
   あったということですね。


賀茂の斎院は、桐壺院の第三皇女でしたが、桐壺院の喪に服すために引退しました。その代わりに
式部の卿の宮の娘である、朝顔の姫君が斎院に就任することになりました。通常、賀茂の斎院には
内親王(ないしんのう: 天皇の姉妹及び皇女)が就くことになりますが、しかるべき内親王が
おられなかったのでしょう。

大将の君(源氏)は、年月が経っても、いまだに朝顔の姫君に恋心を持っていましたが、
このようなことになってしまって、

「何とも、残念なことだ」

と源氏は思いました。朝顔の姫君の女房の中将のもとへ、源氏が訪れるのも、以前と同じ様子で、
手紙も常に送っていました。

源氏は桐壺院の崩御の後に変わってしまった自分の境遇については、特には何とも思わずに、
恋の展開のむなしさを、気が紛れることがないほどに、あれこれと思い悩んでいました。



とうとう皇太后(元・弘徽殿の女御)の報復が始まりました。母親の代の因縁を、その子にも
及ぼすというのは何とも執念深いですね。桐壺院が存命中は、ずっと隠していた気持ちを、
亡くなった後に爆発させるというのも恐ろしいです。

恋人達が去っていき、源氏は朧月夜の君との逢瀬を重ねています。彼女は皇太后の妹である時点で、
源氏は破滅が待っているということをどれほど自覚していたのだろうかと疑問に思いました。

陰ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮かな   兵部卿の宮(藤壺の兄)

さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし陰を見ぬぞ悲しき   源氏

年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな   王命婦


親心何心なき子らを見て 先を見られぬことぞ悔しけれ   玄齋



解説:

ここからは新しい記事です。

源氏の父である桐壺院の崩御の場面です。


院のご病状は、(陰暦)十月になると、大変重くなりました。世の中の人で、院を心配していない方は
おりませんでした。内裏(帝)も嘆き悲しまれて、院の元へ向かわれました。院は衰弱なされたご様子
でしたが、東宮のことを、何度も繰り返して帝へお頼みになりました。次に、大将(源氏)のことに
話が及びました。

「私が生きていたときと変わらないように、大事も小事も同様に、源氏に『後見人』として相談なさい。
 彼は若い年齢に似合わず、国を治めることにも、ほとんど差し障りがないくらいだと私は見ている。
 彼は確かに国を治める人相の備わった人だ。そうであるからこそ逆に気を遣って、親王にせずに、
 『人臣の列に加えて、帝の後見に据えるようにしよう』と私は思ったのだ。この私の気持ちに
 背いてはならない」

と、院はお言葉を残されました。


他に、帝への父のご愛情の籠もった御遺言を多く残されましたが、女(紫式部)は、天下の政事を
伝えるべき立場にはございませんので、この部分の一端さえも、私の口から語るのはきまりの
悪いことでございます。


  (注)この部分は、原文をできるだけ忠実に訳しています。他意はありません。


帝も、

「とても悲しい」

とお思いになって、

「改めて、御遺言を違えさせるようなことはいたしません」

ということを、何度も何度も、院にお伝えしておりました。


帝の御容姿も、限りなく美しく、大人になるに伴って御立派になられたのを、院は嬉しく心強く
ご覧になっておりました。しかし高貴なる帝が父親の元におられる時間には限りがあるので、
帝は急いで帰らなければなりませんでした。お二人は、対面をした後には、かえって悲しみの
残る事が多くなりました。


東宮も、

「帝(兄)と同時に、院(父)の元へ参りたい」

とお思いになっておられましたが、あまりに慌ただしくなるので、日を改めて、
院の元へ向かわれました。東宮は年の頃よりは、大人びて立派で、愛らしいご様子で、今は、

「(院に)逢いたい」

という気持ちが積み重なっていたので、ただ無邪気に院にお会いになるご様子は、
周囲の悲しみを誘うものでした。ことに中宮(藤壺)が、その横で泣き続けている様子を
見るに付けても、院のお心は、千々に思い乱れておられました。東宮に様々なことを
お話になりながらも、まだ頼りのないご年齢なので(、どれほど理解できるのかと思われながら)、
院は先のことをご心配して悲しまれながら、東宮を眺めておられました。


大将(源氏)にも、朝廷の政事に携わるための気配りや、東宮の後見をするための事などを、
院は何度も仰せになりました。夜が更けてから、東宮は帰ることになりました。未だ桐壺院に
残っていた人々は、すべてが東宮にお仕えする者たちで、その人数は、行幸にもほとんど
劣らないものでした。院は(自分と大きく歳の離れた息子の)東宮との対面を満足する時間も
ないうちに、東宮が帰っていくのを、とても寂しく感じていました。


大后(弘徽殿の女御)も、院のお見舞いに行こうと思っておりましたが、中宮(藤壺)が、
いつも院の元に付き添っていることに気が引けて、行くのを躊躇っているうちに、
院の病状はひどくなり、とうとう崩御してしまいました。


その崩御の知らせに、足が地に着かないほどにうろたえて、途方に暮れる人が多くいました。
院は朱雀の帝に代を譲った後でも、国の政治の騒動を鎮めることが多かったのです。
それで院が亡くなったとは言っても、帝の代が変わらないものの、帝はまだ若い身であるので、
政権を担うであろう外戚の右大臣は、とても気短で、思いやりの気持ちの薄い方であったので、

「彼(右大臣)の専断するようになる世の中は」
「一体どうなってしまうのだろう」

と、公卿や殿上人たちは、将来を悲観していました。


中宮(藤壺)と大将(源氏)たちは、とりわけ際立った形ではなく、質素に院の葬儀を執り行い、
後々の法要、供養を行う様子なども、他の皇子たちよりも、源氏は優れていました。それも親子では
当然の道理ではありますが、源氏を、孝心にあふれた人であると、世の中の人も見ていました。
藤の喪服を着けた源氏がやせ衰えた姿も、ひときわ美しく、辛い様子に思われました。去年・今年と、
妻の葵上と父の桐壺院が続いて亡くなり、源氏はこのような経験を考えているうちに、世の中を
とても儚く思えてきました。このような機会になると、源氏は再び出家を決心することも
ありましたが、一方で、いろいろな束縛事も多かったので、それもかなわぬ事でした。


四十九日までは、女御や更衣たちも、みな院に留まっていましたが、それが過ぎると、院から
散り散りにお暇していきました。この日は(旧暦)十二月二十日になっており、世間一般では、
年の暮れの空模様を見るにつけても、なおさら晴れることのない、中宮(藤壺)の心の内でした。
大后(弘徽殿の女御)の心の内を知っていたので、

「大后さまのお心ひとつで動く今のこの世の中では、私はきまりが悪く、住みづらい思いを
 するのでしょう」

ということを思うよりも、今は院と親しく過ごしたここ数年の日々を思い出して、悲しみにくれて
おりました。ほんのつかの間の間隔もなく、そう思ってはいても、ここでいつまでも院の御所に
いることは出来ず、誰も皆、他の所へと去っていかなければならない事ほど、悲しいことは
ありませんでした。

宮(藤壺)は、郷里の三条の宮へ帰っていくことになりました。お迎えに、兄の兵部卿の宮が
桐壺院にやって来ました。雪が激しく降り、風も強く吹いていて、院の周辺では、次第に人の往来が
減っていき、そのひっそりとした中で、大将(源氏)は、藤壺の居間へやって来て、院の存命中の
思い出話を兵部卿としていました。前の庭の五葉松が、雪に萎れて、下葉が枯れている様子を見て、
兵部卿の宮が一首詠みました(一首目)。


陰ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮かな   兵部卿の宮(藤壺の兄)

訳:木陰が広いので、頼みとしていた松は枯れてしまいました。下葉が散っていくように、
 四十九日が過ぎて人も去ってしまって閑散とした年の暮れになりましたね。


これはたいした歌ではなかったのですが、時節柄、日々悲しみを感じていた源氏の袖は、
ひどく濡れていました。

池の隙間もなく凍っている様子を見て、源氏は一首詠みました(二首目)。


さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし陰を見ぬぞ悲しき   源氏

訳:一面に凍った池は鏡のように澄んでいるというのに、今はもう見慣れた影(院)を
 見ることが出来ないのが悲しいのです。


と、思ったままに詠んでいました。ひどく悲しみにくれているからでしょうか、幼稚な歌に
なっておりました。王命婦は、次のように詠みました(三首目)。


年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな   王命婦

訳:年も暮れて、井戸の水も凍ってしまい、氷面に見る人影も、凍って浅くなったためか、
 すっかり少なくなってしまったようです。(時が経って、人がすっかり減ってしまいました)


その機会には、多くの歌が詠まれましたが、そうむやみと書き続けることでもありませんので
(割愛します)。


  (注)ここは原文通りです。僕が割愛したわけではありません。
   短歌の評価も、原文通りです。


中宮(藤壺)が三条の宮に戻る儀式は、従来と変わらないほどの人数ではありましたが、
気のせいかしみじみと悲しみが募ってきて、郷里の古い宮も、かえって旅のような気分がして、
今まで過ごしてきた年月を、思いめぐらしていました。



去年は妻の葵上が亡くなり、今はこうして父の桐壺院が亡くなり、源氏の支柱となる人が
いなくなっていく、そんな悲しみが伝わってきます。

歳の離れた父の院が亡くなることも知らずに、無邪気な姿を見せた東宮を、院はどのような
気持ちで見ていたのでしょうか。切ない気分になります。

この後は右大臣の世になって、源氏が次第に転落していくことになります。

八洲もる国つ御神もこころあらばあかぬ別れの中をことわれ   源氏

天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは   (古今集・恋四・七〇一・読人知らず)

国つ神空にことわる中ならばなほざりごとをまづやたださむ   斎宮(六条御息所の娘)

そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちに物ぞ悲しき    六条御息所

ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖は濡れじや   源氏

鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢までたれか思ひおこせん   六条御息所

行くかたをながめもやらむこの秋は逢坂山を霧な隔てそ   源氏


去りぬとも君な忘れそ鈴鹿川 八十瀬の波に身をそぼつとも    玄齋



解説:

以前のブログで掲載したものを再掲しています。


御息所と斎宮が伊勢へ発つ場面です。


(旧暦)九月十六日に、桂川で、斎宮の御祓(おはらえ:禊の儀式)が行われました。
いつもの儀式よりまさって、長奉送使(ちょうぶそうし)や、それ以外に参列する公卿たちも、
格別に世の中の評判が高い者が、帝から任命されておりました。(桐壺)院のご関心のことのほか
篤い事柄であったからでしょう。


  (注)長奉送使(ちょうぶそうし)は、斎宮が伊勢へ向かう際に、野の宮から伊勢まで
   お送りする勅使のことです。中納言か参議から任命されます。


野の宮を起つ日になって、大将殿(源氏)から、いつものように、なごりの尽きない
気持ちを綴った手紙が、御息所の元に届けられました。


「私が心を掛けて思うことも畏れ多い貴方へ」

と表に書いて、木綿(ゆふ)に付けてありました。


  (注)木綿(ゆふ)とは、楮(こうぞ)の皮の繊維で作った糸で、
   幣帛(へいはく:人前に供える紙や糸)として榊の木に掛ける物です。


「鳴神(なるかみ:雷の神)でさえも、愛し合う二人の仲を裂くことなどできましょうか(一首目)。


八洲もる国つ御神もこころあらばあかぬ別れの中をことわれ   源氏

訳:八洲(やしま:日本のこと)を守護する国つ神も、人を思いやる気持ちがあるならば、
 辛い別れをする二人の胸の内を、ご判断下さい。


この後の別れを思うと、辛い気持ちになります」


  (注)この手紙の一節は、以下の歌の引用とされています(二首目)。

  天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは    (古今集・恋四・七〇一・読人知らず)

  訳:天つ神の住むという高天原を踏みしめて音を鳴り響かせる鳴神(なるかみ:雷の神)さえも、
   愛し合う二人の仲を裂くことなどできるのでしょうか。


と書かれてありました。とても忙しい最中でしたが、御息所は返事を書きました。
宮(斎宮)からも返事があり、斎宮は女別当(にょべっとう:斎宮に使える女官)に
歌を代筆させました(三首目)。


国つ神空にことわる中ならばなほざりごとをまづやたださむ   斎宮

訳:国つ神がいる空に、お二人の仲の判断を仰がれるならば、(神は)まず、貴方(源氏)の
 いい加減な気持ちを先ず正そうとなさるでしょう。



大将(源氏)は、伊勢へ発つ最後の姿を見たいと思い、参内したいと思いましたが、
御息所に捨てられた男が見送るというのも、体裁の悪いことだと思ったので、参内を思いとどまって、
二条の院の自分の部屋で、しみじみと物思いに耽っていました。


「(斎宮は)十四歳という年齢にしては、優れた貴女におなりになったものだ」

と源氏は強く思いました。このように、普通とは異なる複雑な男女の間柄にこそ、
決まって関心を持つのが源氏の習癖なので、

「もっとよく、斎宮のお顔を見ておくべきだった。斎宮の幼いときのお顔を、見ないままでいたことが、
 今思えば悔やまれる。しかし世の中というものはどのような変化をするかわからないから、
 また斎宮とお会いする機会もあるかもしれないね」


  (注)原文:「世の中定めなければ(世の中はどうなるかわからないので)」とは、源氏が、
   帝の崩御・譲位・斎宮の親族の死去、による斎宮の交代を想定したとすれば、かなり大胆な
   発想です。


などと源氏は思っていました。


上品で美しく、評判のある二人(斎宮と御息所)であったので、見物の物見車が多く出た日でした。
申の刻(午後四時)に、斎宮と御息所は参内しました。

御息所は、斎宮の輿に乗っているときにも、御息所の亡き父の大臣が、娘(御息所)を未来の后にと
思い、今は亡き東宮の後宮に上げた頃はもう昔になって、今の末世になって、内裏を再び眺めてみると、
尽きない気持ちがあふれ、感慨深く思っていました。御息所は十六で東宮の妃になり、
二十で東宮を亡くし、三十になって、今日再び九重(ここのえ:宮中)を見ることになったのです(四首目)。


そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちに物ぞ悲しき    御息所

訳:娘の髪を、今日は梳るまい(当時のことを考えるまい)と我慢していましたが、
心の内は悲しい気持ちになりました。

(注)「髪を掻く(髪を梳る)」と「その上を懸く(当時のことを考える)」という掛詞です。


斎宮は十四歳になりました。もともととても美しい方に、御息所がきちんと身なりを整えさせたので、
神聖なほどに美しい姿になっていたのを見て、帝もお心を動かし、別れのお櫛をお与えになる頃に、
悲しく寂しい気持ちを覚えられて、お元気のないご様子になりました。

式が終わり、内裏から退出するのを待っていた、八省院(はっしょういん:八つの中央行政官庁)の
前に連なった、何台もの出し車(いだしぐるま:袖口や裳などを簾から出している車)から出ている
袖口や車の色合いは、普段見慣れない様子に、人々も心惹かれる様子でありました。殿上人たちも、
女房たちとの個人的な別れを惜しむ場面が多く見られました。暗くなってから出発して、二条から
洞院(とういん:平安京の左京の南北に走る大路)を折れたところは、ちょうど二条の院の前でした。
そのとき大将の君(源氏)はとても悲しい気持ちになり、榊の木に歌を挿しました(五首目)。


ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖は濡れじや   源氏

訳:私を見捨てて今日のこの日に旅立っていったとしても、鈴鹿川の幾筋にも別れた瀬の波を見る
 頃には、折々のことを思い出して、貴方の袖は涙で濡れないでおられましょうか。


そのときは夜で暗く、あわただしい最中であったので、次の日に、逢坂の関の向こうから、
御息所の返事がありました(六首目)。


鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢までたれか思ひおこせん   御息所

訳:鈴鹿川の幾筋にも別れた瀬の波に、私の袖が濡れるか濡れないかを確かめに、遠く伊勢にいる
 私を誰が思い出してくれるのでしょうか。


その歌は簡単に書かれていますが、それは、とても風情があって優雅な字でした。

「もう少し親しみの気持ちを添えたら(良い字になるのだが)」

と、源氏は思いました。霧が濃くなって、普通でない明け方の光景を眺めて、
独り言をつぶやきました(七首目)。


行くかたをながめもやらむこの秋は逢坂山を霧な隔てそ   源氏

訳:あの人が去った行く先を眺めることもしないのか、この秋よ、あの人のいる逢坂山を
 霧で隔てないでくれ。


源氏は紫上のいる西の対にも行かずに、ひっそりと寂しく、物思いに耽りながら過ごしていました。
ましてや、伊勢へ発った御息所は、どれほどの物思いの日々を過ごしていることでしょうか。



ついに御息所が去っていきました。御息所は東宮に先立たれ、源氏との恋を失った今、
娘の斎宮だけが心の頼りになったのでしょう。

娘の斎宮は、後に源氏の後押しで東宮(源氏と藤壺の間の子)の妃になります。
源氏も罪の意識を持ち続けているのでしょうね。


次回は源氏の転落を決定づける出来事が起こります。

あかつきの別れはいつも露けきをこは世にしらぬ秋の空かな   源氏

おほかたの秋の別れも悲しきに鳴く音な添へそ野辺の松虫   六条御息所


のどかなる時の驕りに身を任せ 別るる時の惜しきものかは   玄齋



解説:

以前のブログで掲載したものを再掲しています。


前回の源氏と御息所の対面の続きです。


周囲の斎宮の潔斎の雰囲気には、気遣いがされましたが、源氏は御簾の中へ体を入れて、
長押(なげし:母屋と廂の境に渡した材木)にもたれかかるように坐っていました。

源氏は、かつては自分の心に御息所はゆだねていると思っていて、実際に御息所も源氏を
想い慕っていた頃には、穏やかな日常に思い上がっていて、御息所のことをそれほどには
想っていませんでした。また、源氏の心の中に、どういう訳か御息所に不名誉が噂されていた頃
(物の怪の騒ぎ)には、急に御息所への想いも醒めて、このように、二人の中が隔たっていました。

その折の、久しぶりの対面で、面と向かって話してみると、昔のことを思い出されて、御息所への
愛しさに、甚だしく思い悩むようになってしまいました。さらに源氏はかつて恋人として愛し合った
過去と、これから先、相手が伊勢へ行ってしまう未来について考え続けて、辛い気持ちを味わって
泣き出してしまいました。女(御息所)の方は、

「そこまでは思うことが出来ない」

と、自分の気持ちを包み隠そうとしましたが、堪えることができない様子でありました。
それに対して、源氏はますます心苦しい気持ちが強くなって、いまだに伊勢への下向を
思いとどまるようにと、御息所に告げていました。


すでに月は沈んで、もの寂しくなった空を眺めながら、源氏が御息所との別れを嘆いているのを見て、
御息所にこれほどまでに重なっていた冷淡さも、消えて行こうとしていました。


御息所は、次第に、

「もはや今となっては(伊勢へ下るしかない)」

と思って、源氏との関係をあきらめようとしていたのが、

「やはり(こうなってしまった)」

と、かえって心が動かされて、伊勢への下向を思い悩むようになってしまいました。


若い殿上人たちは、何人かが連れ立って、立ち去りがたいほど美しい庭のたたずまいに、
本当に風情のある様子を、源氏も感じていました。思い残すことがないほどの想いを、
言葉で交わし合ったこの二人の様子を、完全に伝える方法はないのでしょう。
次第に夜が明けていく空の様子も、わざとこしらえ上げたように感じていました(一首目)。


あかつきの別れはいつも露けきをこは世にしらぬ秋の空かな   源氏

訳:後朝(きぬぎぬ:通いあう男女の朝の別れ)の別れは、いつも早朝の露に濡れる光景と
 同じように涙がちになってしまいます。これは何と比べることのない秋の空(のような悲しみ)
 なのでしょうか。


と源氏は歌い、帰ることができずに御息所の手をとらえて、(帰るのを)ためらう様子は、
とても心惹かれるものがありました。


秋風がとても冷ややかに吹いて、松虫の鳴きからした声も、いかにもその季節をわきまえているかの
ように聞こえていました。この様子をさほど思うことがないように聞き過ごす、そんなことは
出来ないほどの風情であるのに、それにもまして、源氏と御息所は堪えがたいほどの動揺を感じていて、
簡単には納得のいく歌には出来なかったのでしょう(二首目)。


おほかたの秋の別れも悲しきに鳴く音な添へそ野辺の松虫   御息所

訳:いつもの秋の別れでさえも悲しいのです。それに更に悲しく鳴く声を加えないで下さい、
 野辺の松虫よ。


源氏は悔しく残念に思われることが多かったのですが、どうにもならないことなので、
空けていく空も、人目につかないようにときまりが悪く感じながら、帰って行きました。
帰り道では、源氏は涙を流していました。


  (注)原文:「道の程、いと露けし」は、帰り道の朝露の景色と、源氏が涙を流すという
   二つのことを表現しているのだと思いますが、与謝野晶子の訳でも源氏の涙のみを表現しています。


女(御息所)の方も、気丈に振る舞うことはできませんでした。源氏との別れを惜しむ
気持ちを悲しく思いながら、去った跡をぼんやりと眺めていました。ほのかに見えている
月の陰(に源氏を想い)、依然として残っている源氏の衣の残り香などを、若い女房たちは、
しみじみと思いながら、過ちさえも犯してしまうにちがいない、などと源氏を想い慕う話を
していました。さらに女房たちは、

「どんな道理があったとしても、源氏の君のこのようなご様子を見捨ててまでは・・・」
「(御息所は)別れようとは思わないでしょうね」

などと言いあいながら、この不条理に涙を流していました。


この後に送られた源氏よりの手紙は、いつもよりも細やかで心がこもっていて、それを読んだ御息所は
源氏になびいていく程に気持ちが動かされましたが、すでに決定がなされている今となっては、
もはやこの手紙でもどうしようもないことでした。

男(源氏)は、それほどにも思っていないことでさえも、愛情を示すために大層に言い続ける
ものですが、それにもまして、源氏が並々の人以上に想っていた御息所が、こうして別れて
いこうとするのを、残念にもかわいそうにも、より強く思い悩みながら、今回書いた手紙でした。


(御息所の娘の)斎宮は、子供心に、いまだ整わなかった出発の準備が、こうして整っていくのを、
ただ「嬉しい」とだけ思っていました。


世間の人は、

「(母親が同伴するというのは)平常のことではないな」

ということを、悪く思う者や、母親の愛情ととらえる者などが、いろいろと噂をしていました。

万事において、悪い噂を立てられない身分であれば、気楽であったでしょう。
かえって、世の中の優れている、貴い身分の方のほうが、なんと窮屈に感じられることが
多いのでしょうか。





成り行きに気持ちを任せていたために、かえって深い溝が出来てしまった、それを取り戻すことは、
並大抵のことではない、ということをあらためてしみじみと感じました。

次回は斎宮の下向の場面です。ついに御息所は伊勢へと離れていきます。

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