|
●原文:
竹 陰 閑 居 玄齋 (上平聲六魚韻)
詩 人 夢 醒 出 華 胥 脱 ? 新 篁 更 欲 舒
移 榻 檐 頭 覓 凉 處 幾 聽 爽 籟 入 清 虚
●書き下し文:
題:「竹陰(ちくいん)閑居(かんきょ)」 詩人の夢は醒めて華胥(かしょ)を出でて
?(たく)を脱して新篁(しんこう) 更(さら)に舒(の)びんと欲す
榻(とう)を檐頭(えんとう)に移して涼を覓(もと)むる処(ところ)
幾たびか爽籟(そうらい)を聴きて清虚(せいきょ)に入らん
●現代語訳: 題:「竹林の日陰で静かに一人で居る時のことを詠みました」 詩人は夢から覚めて、今までの夢の中の理想郷を去った後では、
タケノコの皮が剥がれて、若い竹がさらに伸びようとしていました。
そこで涼しい場所を求めて、長いすを軒先(のきさき)に移すと、
何度も爽やかな風が竹林を吹き通る音を聴くことができ、
わだかまりのないさっぱりとした気持ちになっておりました。
●語注: ※竹陰(ちくいん): 竹林の日陰のことです。
※閑居(かんきょ): 静かに一人で居ることです。
※華胥(かしょ): 夢の中の理想郷のことです老荘系の書物の
『列子(れっし)』の黄帝篇(こうていへん)の一節に、
昔の帝王の黄帝(こうてい)が、夢の中でその理想郷で
楽しんだという話があります。
※?(たく): タケノコの皮のことです。
※新篁(しんこう): 若い竹のことです。
※舒(のびる): 「伸びる」と同じです。
※榻(とう): 長いすや寝台のことです。
※檐頭(えんとう): 「軒先(のきさき)」のことです。
※覓(もとめる): 「求める」と同じです。
※爽籟(そうらい): 風の吹き通る爽やかな音のことです。
※清虚(せいきょ): さっぱりとしてわだかまりのない境地のことです。
●解説: 漢詩の会の五月の課題です。 すっかり蒸し暑くなってきましたので、
漢詩で少しでも涼しい感じを出してみました。
初夏の頃に夢の国から目覚めて竹林の中で涼む、
そんな風に漢詩を作りました。
華胥(かしょ)というのは夢の中の理想郷の国のことです。 老荘系の書物の『列子(れっし)』の黄帝篇(こうていへん)に、
次のような物語があります。
健康を保とうといろんな努力をして、国を富ませるために民衆を
懸命に働かせて知恵の限りを尽くす、そんな中で、昔の帝王の
黄帝(こうてい)自身も疲れ果て、民衆も疲れていました。
そこでしばらく政治から遠ざかって身を清め、昼寝をすると、
華胥(かしょ)という国へ行きました。
そこでは誰か統治者を立てることもなく、民衆は欲望も少なく、
ただその時々の要求に従って行動し安らいで、お互いが争うこともない、
そんな国で黄帝自身も楽しんでいました。
そして黄帝は目覚めた時に反省をして、「このときはこうすればいい」
というような安易な法則を捨てて、その時々に応じた適切なことのみを
行って、それ以外のことに関与することを減らしていく、というように、
自分の身を養いながら、同様にして国を治めていきました。
すると残りの治世の二十八年の間、国はよく治まって、
まさしく華胥(かしょ)の国のようになっていき、
黄帝が亡くなて仙人の国へ旅立った後も、
民衆の間に常に語り継がれていきました、というお話です。
そういう夢の中の境地を少しでも見習って、 わだかまりのない気持ちになっていけばいいなという、
当時の心境を詠んでいました。
これからも心穏やかにして、じっくりと学んでいきます。
|
漢詩
[ リスト | 詳細 ]
平成十八年の年末以来、漢詩をずっと作り続けています。
ここには、添削・推敲の済んだものを掲載しています。
|
●原文:
想 佳 人 玄齋 (上平聲四支韻)
一 生 男 子 勿 傷 悲 奈 何 佳 人 隔 海 離
受 禄 無 縁 陳 壯 語 積 憂 多 病 淪 焦 思
切 要 老 子 通 玄 學 自 養 忠 心 言 志 詩
不 如 曾 参 詠 商 頌 高 吟 北 海 爲 君 辭
●書き下し文:
題: 「佳人(かじん)を想(おも)う」
一たび男子に生まれれば傷悲(しょうひ)すること勿(なか)れ
奈何(いかん)せん佳人(かじん)と海を隔てて離るるを
禄(ろく)を受(う)けること無縁(むえん)にして壮語(そうご)を陳(の)べ
憂(うれ)いを積(つ)む多病(たびょう)にして焦思(しょうし)に淪(しず)む
切(せつ)に老子(ろうし)に要(もと)む玄(げん)に通(つう)じる学
自(みずか)ら忠心(ちゅうしん)を養(やしな)いて志(こころざし)を言う詩
曾参(そうしん)の商頌(しょうしょう)を詠(えい)ずるに如(し)かざれども
高(たか)らかに北海(ほっかい)に吟ず君が為(ため)の辞(ことば)
●現代語訳:
題: 「当時の美しい人のことを想って漢詩を詠んでいました」
一度男に生まれた以上は、憂い悲しむようではいけないのです。
当時の美しい人と海を隔てて離れている状況をどうするのかを
考えておりました。
職業に就くことに無縁であるのに勇ましいことを述べて、
悲しみの積み重なる病気がちな中で、
焦る気持ちで深く考え込んでしまっておりました。
切実に『老子』の本に、物事の道理の奥深くまで通じる学問を求めて、
自分で真心を養って、心に思うことを述べる詩を作っておりました。
その詩は、『荘子』の中で孔子の弟子の曾参(そうしん)が、
ボロボロの外見でも気高い志を持ち、殷(いん)の国の
徳をたたえる商頌(しょうしょう)の詩を歌うと、
天地に響くような美しい歌声だった、そういうものには及ばないですが、
北の海に向かって声高らかに歌います。あなたのための言葉を。
(そんな当時の気持ちを詠んでおりました。)
●語注:
※傷悲(しょうひ): 憂い悲しむことです。
※勿(なかれ): 「〜してはいけない」ということです。
※奈何(いかんせん): 「〜をどうするのか」ということです。
※佳人(かじん): 美しい女の人のことです。
※受禄(じゅろく、ろくをうける): 給料を頂ける職業に就くことです。
※壮語(そうご): 勇ましく偉そうな言葉のことです。
※積憂(せきゆう、うれいをつむ): 悲しみが積み重なることです。
※多病(たびょう): 病気がちなことです。
※焦思(しょうし): 心配したり焦ったりして気持ちがいらだつことです。
※切要(せつよう、せつにもとむ): 切実に必要とするということです。
※玄(げん): もともとは全ての色を混ぜ合わせた黒に近い色のことで、
道の合わさったところ、道の始まりの奥深いところを指す言葉です。
※忠心(ちゅうしん): 真心のことです。
※言志(げんし、こころざしをいう): 心に思うことを述べることです。
※曾参(そうしん): 孔子の弟子の一人で、孔子の孫の子思(しし)に
聖人の教えを伝えた人とされています。
※商頌(しょうしょう): 儒学の四書五経の五経の一つ『詩経』の中に
出てくる、商(しょう)の国、つまり殷(いん)の国の徳をたたえた
詩のことです。『荘子』雑篇(ざつへん)の譲王(じょうおう)第二十八
の一節に、孔子の弟子の曾参(そうしん)がボロボロの外見で
商頌の詩を歌うと、天地に響くような美しい歌声だった
という話があります。
※高吟(こう、たからかにぎんず): 声高らかに歌うことです。
※北海(ほっかい): 北の海のことです。
※辞(ことば): 言葉のことです。
●解説:
私の当時のお相手の方への想いを、七言律詩(しちごんりっし)の 漢詩にしておりました。 七言律詩は七文字の句が八つで構成されていて、 発音のルールである平仄を守ることの上に、
三句目&四句目、五句目&六句目が
対句(ついく)という語呂合わせの句になっていないと
いけないというものです。
大変ルールの厳しいものですが、昨年から作ることができてきています。 七言律詩という形式を、きちんとものにしていきたいなと思っておりました。
ちょっとしたことで焦ってしまう気持ちを改めていかなければ、
そんな気持ちで詠んでおりました。
漢詩を詠んでいると、自然に私自身が反省されて、
気持ちが前向きになる、そういう気持ちをもっと
大切にしていかなければ、そう思っていました。
『荘子』雑篇(ざつへん)の譲王(じょうおう)第二十八の一節で、
孔子の弟子の曾参(そうしん)がボロボロの外見でも気高い志を持ち、
古代中国の殷(いん)の国の徳をたたえる商頌(しょうしょう)の詩を歌うと、
天地に響くような美しい歌声だった、
そういう曾参(そうしん)の姿には及ばなくても、
ちょっとしたことで心揺れてしまう現状を
しっかり改めなければと、更に思っていました。
もっとゆったりとした気持ちを持ちながら、 よりしっかりと学んでいこうと思っています。
|
|
●原文:
十六字令「詩」 玄齋 (上平聲四支韻) 詩。
欲 喩 花 王 獨 立 姿。
唯 一 字、
愛 是 爲 君 辭。
●書き下し文:
題: 「十六字令(じゅうろくじれい)『詩』」 詩。
花王(かおう)の独(ひと)り立つ姿に喩(たと)えんと欲(ほっ)す。
唯(た)だ一字(いちじ)、
愛は是(こ)れ君(きみ)が為(ため)の辞(ことば)なり。
●現代語訳:
題「宮廷歌謡の替え歌の形式の填詞(てんし)の一つ、 十六字令(じゅうろくじれい)を『詩』という題で詠みます」
詩。
多くの花の王である牡丹(ぼたん)の花が、他の花々より
独りだけすぐれている姿にたとえようとしているのは、
ただ一つの文字なのです。
それは、「愛」です。「愛」はあなたのためだけの言葉なのです。
●語注: ※花王(かおう): 「百花の王(ひゃっかのおう)」、つまり、
牡丹(ぼたん)の花を、他の花より独りだけすぐれているのを
王にたとえた表現です。
※独立(どくりつ、ひとりたつ): 他を圧倒して独りだけすぐれている
ということを示す言葉です。
●解説:
私の当時のお相手の方への想いを「詩」という題で 十六文字で詠んでみました。
昨年の夏からは、お相手の方のために漢詩を作ることも
多くなってきました。
多くの花の中でひときわ美しい牡丹に喩えているのは、
「愛」という一文字だと、そういう気持ちを詠んでいます。 これは中国の宋の時代に流行った填詞(てんし)という 宮廷歌謡の替え歌の一つで、「十六字令(じゅうろくじれい)」と言います。 簡単に説明しますと一文字の一句目がこの詩の主題を表していて、 残りの三句でそれを説明します。その際に二句目と四句目で、 一句目と同じ韻目(韻のグループ)の字で韻を踏むものです。 興味のある方は、詳しくは下の付録をご覧下さい。 ヤフーブログでは最近規制が強くなりまして、 女性のブログには、そのブログに来たコメントの中に
特定の禁止ワードがあると、
コメントチェッカーで注意を促すメールがそのブログをしている
女性の方に、届くようになっているそうです。
その禁止ワードの一つが「愛」です。
この言葉が女性のブログにコメントする際は使ってはいけないそうです。
プログラミングもしている者として思うのですが、
そういうシステムは文脈に関係なくキーワードがあれば 警告をしてしまいますので、無粋なものだと思います。 そのために、他の方にブログにコメントをする際には
他の引っかかるキーワードを使わないように細心の注意を するようにしております。 漢詩の中でも填詞(てんし)という宮廷歌謡の替え歌は、 宮廷の恋などの恋愛を詠むことが多いですので、 七言絶句で恋の漢詩を詠むよりはずっと作りやすくなります。 漢詩で愛を語るというのは、あまり例がないのです。
漢詩は風流な物事を詠むだけだと、そう思っている人も居ますので、
こういう種類の漢詩があることを知らない人からは、
「これはたとえ話ですか?」と言われることもあります。
漢詩にはこういうジャンルがあることも、知っていて損はないと思います。
「愛」という言葉は、安易に言葉にしてしまいかねないものだと思います。 だからこそ、漢詩などの厳しい形式の中で詠むことに意味があると 思っています。
形式を満たすために十分に言葉を選び、深く考えていく中で、
私自身の気持ちをしっかりと見据えることが出来る、
そういう利点があると思っています。
これからもこういう言葉をしっかりと考えながら漢詩にして、
私自身の想いも、しっかりと養っていこうと思います。
今の私に、お相手の方に対して何が出来るのか、
この点をしっかりと考えて、日々を過ごしていこうという、 当時の気持ちを詠んでいます。
●付録:
十六字令(じゅうろくじれい)の詳しい説明は、 Wikipedia の 以下のページにあります。 (日本語で説明をしている某サイトもありましたが、かみ砕いて 説明するためにかなり脱線した解説になっていて 正確さを欠いていました) 十六字令 - 維基百科,自由的百科全書
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%AD%97%E4%BB%A4 中国語のサイトですので中身を説明しますと、 「十六字令(じゅうろくじれい)」は詞牌(しはい: 填詞の歌曲の節回し) の一つで、元の時代の詩人の周玉晨(しゅうぎょくしん)の 同じ詞のタイトルから取ったものです。 別名に「蒼梧謡(そうごよう)」、「帰字謡(きじよう)」などがあります。
基本的には一句目の一文字にこの詞の主題となる文字にして、 それを後ろの三句で説明するものです。 その上で平仄のパターンが決まっています。 この十六字令の平仄(ひょうそく: 古代中国の発音のルール)の パターンは次のようになります。 一句目: ◎ 二句目: ▲ ● ○ ○ ▲ ● ◎ 三句目: ○ ○ ● 四句目: △ ● ● ○ ◎ ○: 平声 ●: 仄声 △: 基本は平声ですが、仄声でも許されます。 ▲: 基本は仄声ですが、平声でも許されます。 十六文字で何かを言うというのは大変な制約ですが、
何とか詠むことができればほっとします。 この Wikipedia のページに載っている毛沢東の十六字令の「山」などは、 雄壮な感じのする作品だなと思いました。 いろんな詠み方がありそうだと思いました。 |
|
●原文:
神苑茶亭 玄齋 (上平聲十三元韻)
丈 夫 孟 夏 集 池 園 一 變 茶 人 多 雅 言
閑 詠 盧 仝 寄 朋 句 七 杯 未 喫 覘 仙 源
●書き下し文:
題: 「神苑(しんえん)茶亭(ちゃてい)」 丈夫(じょうふ)は孟夏(もうか)に池園(ちえん)に集(つど)い、
一(ひと)たび茶人(ちゃじん)に変(へん)ずれば 雅言(がげん)多し。
閑(そぞろ)に詠(えい)ず 盧仝(ろどう)の朋(とも)に寄(よ)する句を。
七杯(しちはい) 未(いま)だ喫(きっ)せずして
仙源(せんげん)を覘(うかが)わん。
●現代語訳:
題:「神社の境内にある庭園の茶店で、漢詩を一首詠みました」 大人の男たちは旧暦四月の初夏の頃に池のある庭園に集まり、
いったん茶の湯を趣味をする風流人に変わると、
詩歌に使われるような風流な言葉が飛び出してくるのです。
静かにゆったりと、唐の詩人の盧仝(ろどう)が、
友人の孟諫議(もうかんぎ)が高価なお茶を
送ってくれたお礼に作った有名な漢詩の詩句を口ずさんでいると、
その詩の内容のように、七杯目をまだ飲む前に、
仙人のいる蓬莱山をうかがい見るような気持ちになっていました。
●語注:
※神苑(しんえん): 神社の境内にある庭園のことです。
※茶亭(ちゃてい): 茶店のことです。
※丈夫(じょうふ): 成人した男子のことです。
※孟夏(もうか): 陰暦四月の初夏の頃を指していいます。
※池園(ちえん): 池と庭園のことです。
※茶人(ちゃじん): 茶の湯を趣味とする風流な人のことです。
※雅言(がげん): 詩歌などに使う昔の上品な言葉のことです。
※閑詠(かんえい、そぞろにえいず): 「閑吟(かんぎん)」と同じで、
静かにゆったりと詩歌を口ずさむことです。
※盧仝(ろどう): 唐の時代の詩人です。
※寄朋句(ともによするく): 盧仝(ろどう)の漢詩の、
「走筆謝孟諫議寄新茶」のことです。お茶を贈ってくれた
友人の孟諫議(もうかんぎ)に、高価なお茶を送ってくれた
感謝と恩情の気持ちを詠んだものです。
この詩は唐の陸羽(りくう)が著した茶の本である
『茶経(ちゃきょう)』と並び立つほどに有名で、
常に吟詠の対象として広く親しまれているものです。
※七杯(しちはい): 前述の盧仝(ろどう)の漢詩の中に、
七杯は飲めないほど素晴らしい、そういう表現があります。
詳しくは解説をご覧下さい。
※喫(きつ): 「喫茶(きっさ)」のことで、お茶を飲むことです。
※仙源(せんげん): 仙人が住むところです。
※覘(うかがう): 「窺(うかが)う」と同じで、かいま見ることです。
●解説:
これは今月の漢詩の会の課題の漢詩です。 神社の境内にある庭園の茶店でお茶を飲む風景を詠んでいます。
今回は初夏の頃ですので、涼しい気持ちになる漢詩にしてみました。
以前私は、この詩の中に引用した盧仝(ろどう)の漢詩の
「走筆謝孟諫議寄新茶」を訳したことがあります。 その時のブログ記事のリンクを以下に示します。
※唐の詩人の盧仝のお茶の漢詩、「走筆謝孟諫議寄新茶」を
訳してみました。
後半の記事
この漢詩は盧仝の友人の孟諫議(もうかんぎ)に、
高級なお茶を送ってくれた感謝と恩情の気持ちを詠んだものです。
この詩は唐の陸羽(りくう)が著した茶の本である
『茶経(ちゃきょう)』と並び立つほどに有名で、
常に吟詠の対象として広く親しまれているものです。
お茶と言えば思い出す、それほどに有名な漢詩だそうです。
「七杯(しちはい)」は七杯目を飲むとどうなるか、というところです。
その盧仝(ろどう)の漢詩のその一部分をここにも書いてみます。
(盧仝の漢詩の原文の一部)
一 碗 喉 吻 潤、 兩 碗 破 孤 悶。
三 碗 搜 枯 腸、 唯 有 文 字 五 千 卷。
四 碗 發 輕 汗、 平 生 不 平 事、 盡 向 毛 孔 散。
五 碗 肌 骨 清、 六 碗 通 仙 靈。
七 碗 吃 不 得 也、 唯 覺 兩 腋 習 習 清 風 生。
蓬 ? 山、 在 何 處。
玉 川 子、 乘 此 清 風 欲 歸 去。
(盧仝の漢詩の書き下し文の一部)
一碗(いちわん) 喉吻(こうふん)潤(うるお)し、
両碗(りょうわん) 孤悶(こもん)を破る。
三碗(さんわん)枯腸(こちょう)を捜(さが)し、
唯(ただ)有り文字の五千巻(ごせんかん)。
四碗(しわん) 軽汗(けいかん)を発(はっ)し、
平生(へいぜい)の不平(ふへい)の事、
尽(ことごと)く毛孔(もうこう)に向かって散(さん)ず。
五碗(ごわん) 肌骨(きこつ) 清く、
六碗(ろくわん) 仙霊(せんれい)に通(つう)ず。
七碗(しちわん) 吃(きっ)するも得ざるなり、
唯(ただ)両腋(りょうわき)の習習(しゅうしゅう)として
清風(せいふう)の生(しょう)ずるを覚(おぼ)ゆ。
蓬莱山(ほうらいさん)、何処(いずく)にか在(あ)る。
玉川子(ぎょくせんし)、
此(こ)の清風(せいふう)に乗(じょう)じて帰り去らんと欲(ほっ)す。 (盧仝の漢詩の現代語訳の一部)
一杯目を飲むと喉(のど)と口元を潤して、
二杯目を飲むと、孤独の苦しみからも解放されます。
三杯目を飲むと、詩の浮かばない腹の中を探っていって、
ただ五千巻にも及ぶお経があるのを思い出すだけなのです。
四杯目を飲むと、軽い汗を流して、
普段、心に思っている不平不満が、すべて毛穴から抜け出ていくのです。
五杯目を飲むと、身体の全身が清らかになり、
六杯目を飲む頃には、仙人の世界にも通じてきます。
七杯目はもはや飲むことができなくなり、
ただ両脇に清らかな風がそよそよと吹いてくるのを感じます。
仙人がいる山の蓬?山(ほうらいさん)は、どこにあるのでしょう。
玉川子(ぎょくせんし)と号する私(盧仝)は、
この清らかな風に乗って、仙人の世界へ帰っていこうと思います。
(ここまでが盧仝の漢詩の現代語訳の一部です)
七杯目を飲む前に仙人の世界へ飛んでいけるようになる、
そういう風に、私も今回は詠んでみました。
故事を引用するには、きちんと意味が通るように作るのに、
言葉をそのまま使うというよりは、十分にその内容を理解した上で、
出来る限りわかりやすい形で表現していく詩句の工夫が要ります。
これからもこうした工夫をきちんとしながら、漢詩を学んでいきます。
|
|
●原文:
冬日望琵琶湖 玄齋 (上平聲四支韻)
湖 畔 望 松 雪 繁 霜 染 鬢 絲
高 吟 銀 世 界 獨 往 舊 蹤 時
●書き下し文: 題: 「冬日(とうじつ) 琵琶湖を望む」
湖畔(こはん) 松雪(しょうせつ)を望み 繁霜(はんそう) 鬢絲(びんし)を染(そ)む
銀世界(ぎんせかい)を高吟(こうぎん)すれば
独(ひと)り旧蹤(きゅうしょう)を往(ゆ)く時なり
●現代語訳: 題: 「冬の日に、遠くから琵琶湖を眺める光景を詠みました」
琵琶湖のほとりで雪の積もった松の木々を遠くから見ている時には、
私はたくさんの霜が、耳の横のびんの毛を染めているような
白髪になっておりました。 この一面の雪に覆われた美しい景色を声高く吟じていると、
たった一人で、昔の人の足跡をたどるようなひとときでした。
●語注: ※湖畔(こはん): 湖のほとりのことです。 ※松雪(しょうせつ): 雪の積もった松の木のことです。
※繁霜(はんそう): たくさんの霜のことです。
※鬢糸(びんし): 耳の横のびんの毛のことです。
※銀世界(ぎんせかい): 一面の雪に覆われた美しい景色のことです。
※高吟(こうぎん): 声高らかに歌うことです。
※独往(どくおう、ひとりゆく): 一人で俗人を連れないで行くことです。
※旧蹤(きゅうしょう): 昔の足跡、つまり昔の人が行った物事のことです。
●解説:
今回は五言絶句です。この前漢詩を作ったブログ友の 夢想miraishouta さんのために、
「琵琶湖の並木に雪が積もっている風景」の五言絶句を作ってみました。 短い句の形で誰でもすぐに作れそうなのですが、
実際何年かすると手軽に作れるようになるのですが、 そこから良いものを作るのは難しく、
文字数が足りないところを「奇(き)」、
つまりすぐれた発想で補うという、実際には難しい漢詩の形式です。 古典というのは、本当に誤解されることが多く、 昔ながらの通り一遍の理屈を無理に押し通すように思う方が多いのです。 実際には、自分の具体的な体験を元に古典の言葉を読み解いていけば、
自由な境地が開けてくるのですが、なかなかそう思う方も少なく、 古典や漢文を学んでいるはずの人たちさえも、
ただひたすらに昔ながらの価値観を維持するんだと、
そういう風に完全に誤解している人も多いのです。
そんな人から見れば、こういう旧来からの文芸に親しんでいる人は、 何かを盲信しているとか、そんな風に中傷する人も多いのです。 そういう人への説得は、正直限界があるわけです。
何年か前の朝日新聞の別冊のコラムの中で、 経済評論家の勝間和代さんが先輩から聞いた話として述べていたものに 次のようなものがあります。 「誤解された時は説得してわかってもらうことも大切だけれど、
それよりも大切なのは自分が努力をして成果を上げて、 そうしてわかってもらうことです」 この言葉の通りに努力していこうと思います。 昔の人たちの足跡をたどることは、時には孤独な作業となりますが、 心が伸びやかになるひとときを味わえることも漢詩の魅力だと思います。 そういう気持ちで、今回の五言絶句を詠んでみました。
そういうところを、これからもしっかりと学んでいきます。
|




