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●原文: 春日踏青 玄齋 (下平聲十一尤韻) 三 月 晴 天 忙 勝 遊 落 花 旬 日 不 知 留
野 人 酌 酒 多 言 裡 偏 説 桃 源 不 説 愁
●書き下し文:
題: 「春日(しゅんじつ)踏青(とうせい)」 三月の晴天(せいてん) 勝遊(しょうゆう)に忙(いそが)しく、
落花(らっか) 旬日(じゅんじつ) 留(とど)まるを知らず。
野人(やじん) 酒を酌(く)みて多言(たげん)の裡(うち)、
偏(ひとえ)に桃源(とうげん)を説(と)きて愁(うれ)いを説(と)かず。
●現代語訳:
題: 「春の日にピクニックに出かけた様子を漢詩に詠みました」 三月の晴れた空の下で、風流な遊びをするのに忙しい状況で、
そのお花見の十日間の間、花が散るのが留まることがありませんでした。
洗練されていない田舎者の私は、酒を酌み交わす中で
口数が多くなる中で、ひたすらに、
「桃源(とうげん)」という俗世間からかけ離れた
平和な別世界のことを言葉で説き明かして、 自分の愁いのことを話すようなことはありませんでした。 ●語注:
※踏青(とうせい、あおをふむ): 春に若草を踏んで郊外を 散歩する事を意味しており、春のピクニックを指す言葉です。 春の節句のいろんな行事を指すこともありますが、 今回はその意味ではありません。 ※勝遊(しょうゆう): 風流な遊びのことです。
※落花(らっか): 花が散ることです。
※旬日(じゅんじつ): 十日間のことです。
※野人(やじん): 洗練されていない田舎者のことです。
※多言(たげん): 口数が多いことを指します。
※桃源(とうげん): 「桃源郷(とうげんきょう)」、つまり
東晋(とうしん)の詩人である陶淵明(とうえんめい)の 「桃花源記(とうかげんき)」に描かれているような、 俗世間から離れた平和な別天地のことです。 ●解説:
漢詩の会の今月の課題の一つです。
春の日に郊外へと出かけて楽しむ、そんな風景を詠みました。 前回と同じ題ですが、提出用にもう一つ作っていたものです。
大阪は今はすっかり夏です。北海道では一部雪が降っていると聞いて、
とてもびっくりしていました。季節のめぐるのは早いです。
そんな中で、世の中の心配もせずに酒を飲んで、
俗世間から離れた平和な別天地の「桃源郷(とうげんきょう)」の 事について延々と語っている、そういう人を詠んでいました。 私自身の反省の気持ちでもあります。 「桃源(とうげん)」は杜甫の『北征(ほくせい)』という 五言古詩(ごごんこし)にも出て来ます。
緬 思 桃 源 内 緬(はる)かに 桃源(とうげん)の内を思い 益 嘆 身 世 拙 益(ますます)身世(しんせい)の拙なるを嘆く
(訳)
はるか遠くにある桃源郷(とうげんきょう)の中の世界のことを思うと、
ますます我が身と世の中のまずい点が、嘆かわしく思えてくるのです。 (ここまでが訳です)
桃源郷を想像すると世の中の悪いところが見えてきて、
それを心配する、そういう気持ちになるのですが、 このお花見の時期だけでも桃源郷に浸って、
明るく過ごしていきたいなと思いました。 日々元気にがんばっていこうと思います。
●追伸:
今回から七言絶句と五言絶句はコメントを承認制にしました。 漢詩の世界では中途半端な知識で漢詩の先生を自称する人が ネット上に何人か見られますので、しばらくその方針で行きます。 そういう人が勝手に人の漢詩を添削するのは避けたいのです。
彼らは七言絶句と五言絶句以外には口出しができないのです。
そういう人は他の形式の漢詩は作れないからです。
漢詩については私はご意見は歓迎しますが、
添削による指導は信頼している方以外からはお断りしています。 それでも漢詩の添削の指導をどうしてもしたいという方は、
ご自身でお作りになった七言「律詩」をご提示下さい。 それをもとにその方の実力を判断します。 きちんとした七言律詩が作れるほどの実力のある方なら、
あらゆるご批判や添削を歓迎します。
その場合、僕も存分にお相手します。堂々と応対します。 この点について、ご了承願います。
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漢詩
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平成十八年の年末以来、漢詩をずっと作り続けています。
ここには、添削・推敲の済んだものを掲載しています。
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最初に申し上げておきます。普段、漢詩や漢文になじみのない方、
あるいは、漢詩や漢文に苦手意識を持たれている方は、
後半の記事の現代語訳から読んでみて下さい。
私は漢詩や漢文で最も大切なのは、
「そこに何が書かれているか」ということだと考えています。
私は自分で作った漢詩にも現代語訳を付けるようにしています。
その際には常にわかりやすい説明ができるようにと、
気をつけて現代語訳と解説を書いています。
どんな人にも分かりやすく説明をすることを第一に考えています。 この記事もブログの制限文字数の 5,000 文字をこえていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
この後半の記事は現代語訳と解説になっています。
コメント欄もこの後半の記事に設けています。
原文と書き下し文と語注については前半の記事をご覧になって下さい。 前半の記事
●現代語訳: 題: 「学問に志す気持ちを詠みます」 私の叔父は以前からの病気にずっと苦しめられており、 働き盛りの三十代の内にその寿命を終えてしまいました。
その叔父の慈しみ愛する心を懐かしく思い出して、
叔父があの世へ行ってしまったことを泣き叫んでいました。
葬儀で年老いた僧侶がお経を読み終わった後に、
叔父の戒名が「和光(わこう)」になることを伝えました。
その時にきちんと戒名の解説を聞かなかったことを恥ずかしく思って、
文字の読みと意味を書いた本を何冊も調べていきました。
それは『老子(ろうし)』と仏教の経典の中にある言葉であって、
その字の意味の奥深いことに驚いていました。
その和光(わこう)という言葉の意味である謙虚(けんきょ)を
さらに追求しようと思って、三玄(さんげん)、
つまり老荘や易に関する道理を究めていこうと思いました。
その学に志す決意を示すために、
『老子』から言葉を取って、自分の号を「玄」としました。
●
『老子』はその短い言葉の中で語っており、
その本当の意味は奥深くてよく見えない状況でした。
『荘子』はくだくだしく長い言葉の中で語っており、
道理をひっくり返して人を驚かせるように思えていました。
老子も荘子も両方とも理解できず、
この世の中の道理がわからない私の
賢明でないことを恥ずかしく思っていました。
儒学の経典である四書五経は、その存在を知りながら
長い間読みませんでした。
それは私がその四書五経の意味を間違って解釈していて、
ただ昔のことをかたくなに守っているだけだと思っていたからです。
ですから私の学問は浅いままで、その上で早く賢くなろうと
無理をしてうまくいかないという状況になってしまい、
『論語』は一回読んだだけでおしまいにしていました。
そんな時に一人の儒学者が私に教えるのに
十分な言葉を言っていました。
それは南宋(なんそう)の儒学者であり、朱子学の大成者である
朱熹(しゅき)の論敵であった陸九淵(りくきゅうえん)でした。 彼の言葉に、「六経(りくけい)吾(わ)が註脚(ちゅうきゃく)なり」
という言葉がありました。昔の四書五経の五経は
もともと六つでしたので、儒学の経典の経書(けいしょ)の別名を
「六経(りくけい)」と言っていまして、
それが自分の人生を説明してくれる文章になっている、という言葉です。
このいましめとなる言葉を聞いて、突然にさらりと疑問が解けました。
この言葉は、決して偉そうで傲慢な言葉ではないのです。
昔の人の奥深い道理に沿ったものなのです。
『論語』の子張篇に「切問近思」、つまり
「切(せつ)に問(と)うて近くに思う」、という言葉があります。
この言葉は、儒学の経書の言葉を自分の具体的な経験に当てはめて、
少しずつ考えていって、経書の本当の意味を理解していくようにし、
反対に自分の日常を反省するために、経書の言葉を元に
反省すべき所を検討していく、
この二つの行為によって経書を生きた言葉として
自分の中に身につけていく、それがとても大切なことだと、
そのように理解しました。
そこで、経書の文章を日常に照らし合わせていくと、
目の前に経書の本当に意味が見えてきて、
老荘の書物の言葉を日常に照らし合わせていくと、その一つの道、
つまり自然の道理の広々として果てのない様子を
窺い見ることができたのです。
その道理を究める糸口をしだいに得ていくことによって、
老子の多くの編に向き合っていこうと思います。
そしてその『老子』の本文の五千文字を翻訳して、
この学問を始めるきっかけとなった、
叔父のお墓の前に供えようと、そう思っています。
●解説:
僕の学問の初めから、僕が理解したポイントまでを
長い漢詩に詠んだものです。
これは五言古詩(ごごんこし)の一韻到底格(いちいんとうていかく)と
言いまして、一句五文字で構成される詩句を
一つの韻目(いんもく: 同じ韻の文字のグループ)で
ずっと詠んでいくものです。偶数句の末尾で韻を踏んでいます。 規則の緩いものですので、長い句を詠むことができます。
言い換えれば、規則が緩い分、長い句にしないといけないと思います。
少なくとも八句以上は詠まないと、この漢詩の形式にした意味が
ないと思っています。
漢詩はもともと六十四句の一つの漢詩だったのですが、
その中では二つのことを詠んでいますので、二つに分けています。
その漢詩の二つ目に当たるのがこの漢詩です。
叔父は僕と同じ病気で、早くに亡くなりました。
その人となりの優しいことだけが今でも深く印象に残っています。
この人のことを思うと、日々の自分自身がただただ反省されるだけで、
この人に顔向けのできないようなことだけは決してできない、
そう思っています。
お葬式ではその戒名の和光(わこう)の意味を説明していたそうですが、
そんなことに意識のまわる状況ではありませんでした。
その頃は私は高校生で、期末試験の前でしたので、
お葬式の後で、家族よりも早くに郷里から帰宅していました。
試験勉強のかたわら、その和光という言葉が妙に気になったので、
調べてみることにしました。字書を調べていくうちに、
「和光同塵(わこうどうじん)」という言葉が出て来まして、
二つの意味があることがわかりました。
(一)『老子』の「和其光同其塵(其の光を和(やわ)らげ、
其の塵に同じくす)」より、自分の才能を隠して、
俗世間に交わっていくこと。
(二)仏様が衆生(しゅじょう: 生命あるもの)を救うために、
自身の知恵の光を隠して、姿を変えて塵のような人間界に現れること。
これを見た時には、どちらも叔父にぴったりな言葉の
意味だと思って感激しました。
そしてこの『老子』という書物がどんなものなのか、
とても興味を持ちました。
これが僕の漢文を学ぶきっかけになりました。
特に老荘に関する書物を納得するまで理解しようという気持ちから、
老子の中から「玄」という言葉を取って、これを自分の号としました。
その後に漢詩の師匠から「玄齋」にするように言われて、
そのまま気に入って今でも使っています。
『老子』も『荘子』も、当初はそれぞれ別の意味で難解でした。
市販されている現代語訳を見ても、そこからは本当に納得のいくまで 理解することはできずに、生半可な理解では変な道理を 身につけてしまって良くないのではないか、そう思いました。
その上で当時は儒学の経書は敬遠気味でした、
世の中の多くの人がそうだと思いますが、
昔の道理をそのまま持ってくるような儒学の経書を学ぶことは、
単なる骨董趣味のようなものではないか、そういう気持ちでいました。
「儒学の経書の何が本当に大切なのか」これを理解するまでは、
世の中のそういう考え方と何ら変わるものではありませんでした。
そういう気持ちで『論語』を読んでも、きちんと理解をすることもなく、
ひととおり読んだ後は本棚のすみに置いてしまっていました。
そんな時に読んだのが島田虔次 著の『朱子学と陽明学』でした。
この方の考えをそのまま理解したと言うよりは、
ここに出て来た儒学者の文集を一つ一つ当たって、
どんな考えかをしっかりと理解していきました。
(この本の最後の章に李卓吾(り たくご)という
異端の儒学者の一節はとてもある意味魅力的だったのですが、
きちんとおおもとを理解するまでは避けておこうと思いました。
これは今から考えると正解でした)
その中で出会ったのが朱子学の大成者の朱熹(しゅき)の
ライバルであった、陸象山(りくしょうざん)という号の方が有名な
儒学者の、陸九淵(りくきゅうえん)の言葉でした。
有名な、「六経(りくけい)は吾(わ)が註脚(ちゅうきゃく)なり」
という言葉です。
「六経(りくけい)」とは昔の経書、つまり四書五経の五経は
もともと音楽の経典の『楽経(がくきょう)』を含めて
六つだったのですが、これだけは今に伝わらなかったので
五つになっています。その昔の姿を偲んで、
儒学の経書のことを「六経(りくけい)」と呼ぶことがあるのです。
そして「註脚(ちゅうきゃく)」は文章の意味を説明する言葉のことです。
直訳すると、「自分の人生を儒学の経書が説明してくれる」となります。
ものすごく傲慢な言葉のように思えますが、
僕はここで『論語』を思い出して全く別の意味が見えてきました。
『論語』子張(しちょう)篇の一節です。
(論語の原文) 子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣。
(論語の書き下し文)
「子夏(しか)曰(いわ)く、博(ひろ)く学びて篤(あつ)く志(こころざ)し、
切(せつ)に問いて近く思わば、仁(じん)はその中に在り。」
ここでの「仁(じん)」はもともとの「相手への慈しみ」という意味ではなく、
孔子でさえももったいぶって言わない意味での「仁」で、
ほとんど「聖人の道」と変わらない意味で使われています。
ここでは後半の「切(せつ)に問いて近く思わば」が重要なのです。
(論語の現代語訳)
孔子の弟子の一人、子夏(しか)が次のように言いました。
「多くのことを広く学んで大きな志を持ち、
『切に問う』、つまり、儒学の書物のわからないところを、
自分の日常の切実なところをもとに考えていき、
『近く思う』、つまり、 自分の日々の生活の身近なところを 反省するために、儒学の書物の言葉を用いる、
そうしていく中に、『仁(じん)』、つまりすぐれた徳と知恵を身につけた 聖人(せいじん)の道が存在するのです」
と。 (論語の現代語訳はここまでです) ここでようやく理解できました。儒学の経書が腑に落ちないのは、
まさしくこういう考え方を持って学ばなかったからだと思いました。
経書の言葉を日常に照らして考える、これを行った後に、
それの応用編として兵法書の『孫子』や、
法で民衆を支配する考え方を持つ法家(ほうか)の代表者である
『韓非子(かんぴし)』の文章を理解していきました。
こういうところで『老子』や『荘子』の文章がしだいに見えてきた、
そういう状況に今はいます。これによって今までわからなかった
『老子』の文章が見えるようになってきた、そんな現状です。
そうして訳したものを、この学問のきっかけとなった叔父の墓前に
供えることができればいいなと、そう思っています。
日々漢詩を作って楽しく生きることと、
『老子』を訳してその考え方を少しずつものにしていくこと、
この二つをきちんとこなしていこうと思います。
これからもしっかりとがんばっていきます。
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最初に申し上げておきます。普段、漢詩や漢文になじみのない方、
あるいは、漢詩や漢文に苦手意識を持たれている方は、
後半の記事の現代語訳から読んでみて下さい。
私は漢詩や漢文で最も大切なのは、
「そこに何が書かれているか」ということだと考えています。
私は自分で作った漢詩にも現代語訳を付けるようにしています。
その際には常にわかりやすい説明ができるようにと、
気をつけて現代語訳と解説を書いています。
どんな人にも分かりやすく説明をすることを第一に考えています。 この記事もブログの制限文字数の 5,000 文字をこえていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
この前半の記事は原文と書き下し文と語注になっています。
現代語訳と解説については後半の記事をご覧になって下さい。
コメント欄もその後半の記事に設けています。
後半の記事
以上のこと、よろしくお願いいたします。
●原文:
●詠志學 玄齋
(下平聲一先韻・五言古詩・一韻到底格)
叔 父 苦 宿 疾 壯 年 終 天 年 懷 舊 其 慈 愛 痛 哭 入 黄 泉
老 僧 讀 經 後 和 光 法 號 傳
愧 不 聞 解 説 字 書 調 幾 篇
老 子 佛 典 裏 字 義 驚 深 淵
更 求 謙 虚 意 須 欲 窮 三 玄
欲 明 覺 悟 意 把 句 自 號 玄
●
老 子 短 言 裏 真 意 唯 窈 然
莊 子 繁 言 裏 驚 人 如 倒 顛
老 莊 兩 不 解 書 生 愧 不 賢
經 書 知 不 讀 論 語 一 讀 捐
淺 學 求 助 長 誤 解 守 舊 堅
一 儒 足 教 我 南 宋 陸 九 淵
六 經 吾 註 脚 箴 言 俄 豁 然
此 語 非 豪 語 古 人 深 意 沿
六 經 照 平 素 經 義 在 眼 前
老 莊 照 平 素 一 道 窺 無 邊
窮 理 得 端 緒 老 子 對 諸 編
翻 訳 五 千 字 叔 父 供 墓 前
●書き下し文:
題: 「志学(しがく)を詠ず」
叔父は宿疾(しゅくしつ)に苦しみ
壮年(そうねん)にして天年(てんねん)を終う
其(そ)の慈愛(じあい)を懐旧(かいきゅう)し
黄泉(こうせん)に入るを痛哭(つうこく)す
老僧(ろうそう)読経(どきょう)の後(のち)
和光(わこう)の法号(ほうごう)伝(つた)う
解説を聞かざるを愧(は)じ
字書(じしょ) 幾篇(いくへん)をか調べん
老子(ろうし) 仏典(ぶってん)の裏(うち)
字義(じぎ)の深淵(しんえん)なるに驚く
更に謙虚(けんきょ)の意を求めて
須(すべか)らく三玄(さんげん)を窮(きわ)めんと欲(ほっ)す
志学(しがく)の決意(けつい)を示さんとして
句(く)を把(と)りて自(みずか)ら玄(げん)と号(ごう)す
●
老子(ろうし)短言(たんげん)の裏(うち)
真意(しんい) 唯(た)だ窈然(ようぜん)たるのみ
荘子(そうし)繁言(はんげん)の裏(うち)
人を驚(おどろ)かせること倒顛(とうてん)するが如(ごと)し
老荘(ろうそう) 両(ふた)つながら解せず
書生(しょせい)の賢(けん)ならざるを愧(は)ず
経書(けいしょ)長く読まず
論語(ろんご)は一読(いちどく)して捐(す)つ
学は浅(あさ)くして助長(じょちょう)するを求め
誤りて旧を守ること堅しと解すればなり
一儒(いちじゅ) 我を教うるに足る
南宋(なんそう)の陸九淵(りくきゅうえん)なり
六経(りくけい)吾(わ)が註脚(ちゅうきゃく)なりと
箴言(しんげん)俄(にわか)に豁然(かつぜん)たり
此(こ)の語 豪語(ごうご)に非(あら)ず
古人(こじん)の深意(しんい)に沿(そ)う
六経(りくけい)を平素(へいそ)に照らせば
経義(けいぎ)眼前(がんぜん)に在(あ)り
老荘(ろうそう) を平素(へいそ)に照らせば
一道(いちどう)の無辺(むへん)なるを窺(うかが)わん
窮理(きゅうり)の端緒(たんしょ)を得て
老子(ろうし)の諸編(しょへん)に対(たい)す
五千字を翻訳(ほんやく)して
叔父の墓前(ぼぜん)に供えん
●語注:
※志学(しがく): 学問に志を立てることです。
※宿疾(しゅくしつ): 以前からの病気のことです。
※壮年(そうねん): 働き盛りの年頃のことです。
三十〜四十位を言います。
※天年(てんねん): 天から授かった寿命のことです。
※慈愛(じあい): 慈しみ愛する気持ちのことです。
※懐旧(かいきゅう): 自分の生涯の過去のことをしのぶことです。
※黄泉(こうせん): あの世のことです。
※痛哭(つうこく): 激しく泣き叫ぶことです。
※老僧(ろうそう): 年老いた僧侶のことです。
※読経(どきょう): お経を声を出して読むことです。
※和光(わこう): (解説をご覧になって下さい)
※法号(ほうごう): 戒名のことです。
※字書(じしょ): 文字の音や意味などを説明した本です。
※仏典(ぶってん): 仏教の経典のことです。
※字義(じぎ): 文字の意味のことです。
※深淵(しんえん): 物事が奥深くて計り知れないこと。
※謙虚(けんきょ): 態度を控えめにして相手にへりくだることです。
※須(すべからく〜すべし): 「〜しなければならない」という意味です。
※三玄(さんげん): 『老子』『荘子』『易』の三種類の書のことです。
※把句(はく、くをとる): 文章から言葉の一部を抜き出すことです。
※号(ごうす): 号を名乗ることです。
※短言(たんげん): 短い言葉のことです。
※裏(うち): 「中」と同じ意味です。
※真意(しんい): 本当の意味のことです。
※窈然(ようぜん): 奥深くてよく見えないという意味です。
※繁言(はんげん): くだくだしくて長い言葉のことです。
※倒顛(とうてん): 逆さまにひっくり返ることです。
※書生(しょせい): 世間知らずの学者のことです。
※経書(けいしょ): 儒学の経典である四書五経のことです。
※助長(じょちょう): 何か成果を得ようと無理なことをして、
かえって台無しにしてしまうことです。『孟子』に出てくる言葉です。
※一儒(いちじゅ): 一人の儒学者のことです。
※南宋(なんそう): 宋の王朝の後期をさして言います。北方から
騎馬民族の女真族の国の金が攻めてきて、皇帝の一族が南方に
逃れた頃を指します。それ以前を北宋(ほくそう)と言って
区別しています。
※陸九淵(りくきゅうえん): 南宋の儒学者で、号は象山(しょうざん)
です。朱子学の大成者である朱熹(しゅき)のライバルで、
後の明の時代の陽明学(ようめいがく)につながる
学問を始めた人です。
※六経(りくけい)吾(わ)が註脚(ちゅうきゃく): (解説で述べます)
※箴言(しんげん): いましめとなる言葉のことです。
※俄(にわか): 「突然」という意味です。
※豁然(かつぜん): 疑いや迷いが解けて、物事がはっきりすることです。
※豪語(ごうご): 偉そうに傲慢なことを言うことです。
※古人(こじん): 昔の人のことです。
※深意(しんい): 奥底にある深い意味のことです。
※平素(へいそ): 普段の日常のことです。
※経義(けいぎ): 経書(けいしょ)に書かれている意味のことです。
※無辺(むへん): 広々として限りがないことです。
※窮理(きゅうり): 儒学の五経の一つである、昔の易の本である
『易経(えききょう)』の中の言葉で、物事の道理を究めることです。
※端緒(たんしょ): 手がかりのことです。
※五千字(ごせんじ): 『老子』の本文の五千文字を指して言います。
(後半の記事に続きます)
後半の記事
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●原文:
●詠佳人 玄齋
(下平聲一先韻・五言古詩・一韻到底格)
浮 生 ? 険 難 萬 事 不 能 全
是 因 自 招 禍 無 由 告 皇 天
況 是 輕 薄 子 佳 人 詠 詩 箋
休 言 浮 薄 極 戀 慕 盡 意 宣
●
佳 人 詠 花 事 不 如 解 自 然
沈 痾 禁 外 出 佳 句 習 詩 仙
名 花 喩 傾 國 飛 燕 詠 可 憐
玉 山 見 峯 頂 月 下 逢 嬋 妍
時 結 巫 山 夢 笑 看 君 王 前
欲 畫 汝 美 貌 総 不 如 言 筌
養 心 刪 舊 句 工 夫 盡 吟 箋
終 生 爲 君 詠 莫 知 詩 幾 篇
●書き下し文:
題: 「佳人(かじん)を詠(えい)ず」 浮生(ふせい)は屡々(しばしば)険難(けんなん)にして 万事(ばんじ)全(まっと)うする能(あた)わず
是(これ)は自(みずか)ら禍(わざわい)を招(まね)くに因(よ)り、
皇天(こうてん)に告(つ)ぐるに由(よし)なし
況(いわ)んや是(こ)の軽薄子(けいはくし)
佳人(かじん)を詩箋(しせん)に詠(えい)ぜんとは
言うを休(や)めよ浮薄(ふはく)の極(きわ)まれりと
恋慕(れんぼ) 意(い)を尽(つ)くして宣(の)べん
●
佳人(かじん)を花事(かじ)に詠(えい)ぜんとするには 自然(しぜん)を解(かい)するに如(しかず)かず
沈痾(ちんあ) 外出(がいしゅつ)を禁(きん)ずれば
佳句(かく)は詩仙(しせん)に習わん。
名花(めいか)を傾国(けいこく)に喩(たと)え
飛燕(ひえん)の可憐(かれん)なるを詠ず
玉山(ぎょくざん)の峰頂(ほうちょう)に見て
月下(げっか)の嬋妍(せんけん)たるに逢わん
時に巫山(ふざん)の夢を結び
笑うて看(み)る君王(くんのう)の辺(へん)
汝が美貌(びぼう)を画(えが)かんと欲(ほっ)すれば
総(すべ)ては言筌(げんせん)に如(し)かず
心を養(やしな)いて旧句(きゅうく)を刪(けず)り
工夫(くふう)を吟箋(ぎんせん)に尽くさん
終生(しゅうせい)君が為(ため)に詠ずれば
詩の幾篇(いくへん)なるかを知ること莫(な)し
●現代語訳:
題: 「美しい女性(当時のお相手の方)を漢詩に詠んでおりました」 はかない人生では、何度も困難な状況に陥って、 あらゆる物事をなし遂げることができないことがよくあります。 そうなったのは自分が災いを招いてしまったからなのです。
天に自分の悲運を訴える理由がないのです。 ましてや、この浮わついてあてにならぬ男
(当時の私をデフォルメして描いています)は、
美しい人(当時のお相手の方)を詩を書き付ける紙に 綴るというのですから、
なおさら、ひどい目に遭うことでしょう。
しかしその詩人は、
「軽々しい言葉もきわまったとは言わないでほしいのです。
私の当時の恋い焦がれる気持ちを、すっかり言い尽くして
みたいのです」
と言って、次のように詩を詠んでおりました。
●
美しい女性(当時のお相手の方)を、 この春のお花見の時期に詩に詠むには、
自然のありさまを理解するのが一番なのですが、
私は長い病気で、外に出ることを禁じられていますので、
素晴らしい詩句を、詩仙(しせん)と呼ばれた、
唐の詩人の李白(りはく)に習うことにします。
李白(りはく)は皇帝の玄宗(げんそう)と妃の楊貴妃(ようきひ)が
宮中の離れにある沈香亭(じんこうてい)という休憩のための小屋で、
牡丹の花を眺めていたときに、玄宗に命じられて作った
三首の漢詩の『清平調詞(せいへいちょうし)』の中で、
人々にもてはやされる美しい牡丹の花を、
その美しさで国を傾けるという美女のたとえに使って、
昔の前漢の成帝(せいてい)の皇后であった
趙飛燕(ちょうひえん)の美しくてかわいらしい
様子に楊貴妃をたとえて詩に詠んでいました。
そういうなまめかしく美しい女性は、仙女の西王母(せいおうぼ)が
住む山の群玉山(ぐんぎょくざん)の山のてっぺんや、 月の光の下で、逢うことができると詠んでおりました。 あるいは戦国時代の南方にあった楚(そ)の国の襄王(じょうおう)が
夢の中で巫山(ふざん)という山で契りを交わし女神にたとえていたり、
笑顔で天子(てんし: 皇帝の玄宗のことです)が
眺めている美女、そんな風にも詠んでいたのです。
美しいあなた(当時のお相手の方)の顔を描こうとすれば、
これらは全てあなたの美しさを描く手段に他ならないのです。それは、
魚を捕まえるワナはどんなにきれいでも魚を捕まえられなければ
役に立たないように、言葉もあなたへの想いを伝えられなければ、
どんなに素敵な言葉でも意味がないのです。
ですから、私は人が本来持っている立派な心を
さらに立派に育てていきながら、
以前に作った詩句の無駄なところを削って、詩を作っているのです。
そういう手だてを講じて、それを詩を書き付ける紙の中に
出し尽くそうと思います。
こうして一生の間、あなたのために詩を詠んでいけば、
どれほどの詩の数になるのかを知ることができないほど、
一杯になることでしょう。
(そんな当時の気持ちを漢詩に詠んでおりました。)
●語注:
※佳人(かじん): 美しい女性(当時のお相手の方)のことです。
※浮生(ふせい): 定まることのない、はかない人生のことです。
※険難(けんなん): 困難で苦しい人生の局面のことです。
※皇天(こうてん): 天、または天の神のことです。
※況(いわんや〜をや): 「まして〜はなおさらである」という意味です。
※軽薄子(けいはくし): 浮ついてあてにならない人のことです。
当時の私自身をデフォルメして詠んでいました。
※詩箋(しせん): 詩を書き付けるための紙のことです。
「吟箋(ぎんせん)」も同様です。
※浮薄(ふはく): 言動が軽々しくてしっかりしていないことです。
※恋慕(れんぼ): 恋い焦がれることです。
※尽意(じんい、いをつくす): 想いをすっかり言い尽くすことです。
※花事(かじ): 春のお花見のことです。
※沈痾(ちんあ): 長い間かかっている病気のことです。
※佳句(かく): 良い詩句のことです。
※詩仙(しせん): 唐の詩人の李白(りはく)のことです。
※名花(めいか): 人にもてはやされる美しい花のことです。
※傾国(けいこく): 国を傾けるほどの美女、という意味です。
これは前漢の歌い手であった李延年(りえんねん)の『歌』の中で、
「一度振り返ると、一つの城の城主が その美女のとりこになってその城を傾け、 もう一度振り返ると、その国の君主が その美女のとりこになってその国を傾ける」 と詠んでいたのが由来となっています。 ※飛燕(ひえん):趙飛燕(ちょうひえん)のことです。
前漢の成帝(せいてい)の皇后で、舞がうまく、燕のように舞うことから
この名前が付けられたそうです。成帝との間に子どもが無く、
皇子の一人である哀帝(あいてい)を支持したけれども、
この哀帝の死後、後に前漢の王朝を乗っ取った王莽(おうもう)
によって宮廷を追われて自殺した、悲劇の女性です。
※可憐(かれん): 感動してしみじみすることです。
※玉山(ぎょくざん): 群玉山(ぐんぎょくざん)という仙人の住む山です。
仙女の西王母(せいおうぼ)が住んでいる山のことです。
※峰頂(ほうちょう): 山の頂上のことです。
※嬋妍(せんけん): あでやかな女性を指します。
花や月の美しさを讃えるために使われます。
※巫山(ふざん): 雨の女神の住む山の名前です。戦国時代の
南方の国の楚(そ)の国の詩人の宋玉(そうぎょく)の詩の
『高唐賦(こうとうふ)』によると、 楚の国の襄王(じょうおう)が
夢の中で女神と契りを交わしたとされています。
※君王(くんのう): 天子(てんし)、つまり皇帝のことです。
ここでは唐の玄宗(げんそう)を指します。
※言筌(げんせん): 『荘子(そうじ)』に出てくる言葉で、
言葉を手段として使うことです。「筌(せん)」は魚を捕まえる
ワナのことで、魚を捕まえるワナはどんなにきれいでも
魚を捕まえられなければ役に立たないように、
言葉も気持ちを伝えられなければ、どんなに素敵な言葉でも
意味がない、というたとえに使われています。
※養心(ようしん、こころをやしなう): 人が本来持っている立派な心を
さらに立派に育てることです。
※旧句(きゅうく): 以前に作った詩句のことです。
※刪(けずる): 詩句の不要な部分を省いて、きちんとした形に
仕上げることです。
※終生(しゅうせい): 「一生(いっしょう)」のことです。
※莫(なし): 「無し(なし)」と同じ意味です。
●解説:
これは五言古詩(ごごんこし)の一韻到底格(いちいんとうていかく)と
言って、一句五文字で構成される詩句を
一つの韻目(いんもく: 同じ韻の文字のグループ)で
ずっと詠んでいくものです。偶数句の末尾で韻を踏みます。
規則の緩いものですので、長い句を詠むことができます。
言い換えれば、規則が緩い分、長い句にしないといけないと思います。
この漢詩は私が作った当初は漢詩はもともと六十四句の
一つの漢詩だったのですが、その中では二つのことをんでいますので、
二つに分けることにしました。その漢詩のひとつめがこの漢詩です。
苦しい状況の中で美女(当時のお相手の方)に想いを伝えようと
漢詩を詠もう、そういう、少し浮ついたような男という設定で
当時の私自身を描こうと思って、漢詩を詠んでおりました。
私は元来、そういう男ではありませんが、そういう設定で
詠んでおりました。
私は長患いで外に出るのを禁じられているので、
その代わりに唐の詩人の李白に漢詩を習うことにした、
と続いておりました。
その習った漢詩というのが、『清平調詞(せいへいちょうし)』
という三首の漢詩です。これは皇帝の玄宗と
妃の楊貴妃が宮中の離れにある
沈香亭(じんこうてい)という休憩のための小屋で、
牡丹の花を眺めていたとき、玄宗に命じられて作った漢詩です。
この詩の中で、李白は楊貴妃を前漢の成帝(せいてい)の皇后の
趙飛燕(ちょうひえん)にたとえたり、果ては仙人の山に住む仙女や、
昔の王様が夢の中で逢った女神にたとえたり、 そんな李白の美しい詩句を讃える風に詠んでいました。
その上で、そんな美しい言葉も「言筌(げんせん)」に
過ぎないのだと、そんな風に詠みました。
「言筌(げんせん)」という言葉は『荘子』に出てくる言葉で、
魚を捕まえるワナはどんなにきれいでも魚を捕まえられなければ
役に立たないように、言葉も気持ちを伝えられなければ、
どんなに素敵な言葉でも意味がない、という意味で使われる言葉です。
言葉を想いを伝える手段として使うこと、それは言葉の上で
きれいな詩を作ることよりも大切なことだと、私は思います。
そのために人間本来の持つ心をさらに養っていって、
詩句をしっかりと考えて、これからも当時のお相手の方のために
詩を詠んでいこう、そういう気持ちを最後に込めていました。
私は病気が進行していって、私自身の身体がどうなっていくのか
ということをかなり正確に理解しています。
そのことで最近私は自分の将来のことをあまりに深刻に
考えすぎていて、周囲の人にもとても心配をさせてしまい、
申し訳ない気持ちになっていました。
しかしこの漢詩を実際に作っていく中で、楽しい気持ちになっている
中で、どうなるかも定かでない将来のことを
あまりに思い詰めていることに気づきました。
これからはもう少し冷静に過ごしていって、
できる限り明るく生きていこうと、そう思ったことを詠んでいました。
これからも体調に気をつけて、気持ちを明るくして、
その上でしっかり学んでいこうと思い、
当時のその気持ちを詠んでおりました。
これからもしっかりとがんばっていこうという気持ちと
多くのブログ友の方々への感謝の気持ちとを詠んでおりました。
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上の二枚の縦書きの画像が、昨日作った漢詩の
五言古詩(ごごんこし)です。
これは一韻到底格(いちいんとうていかく)と言いまして、
一つの韻目(いんもく: 同じ韻の文字のグループ)で
ずっと詠んでいくものです。偶数句の末尾で韻を踏んでいます。
規則の緩いものですので、長い句を詠むことができます。
言い換えれば、規則が緩い分、長い句にしないといけないと思います。
少なくとも八句以上は詠まないと、この漢詩の形式にした意味が
ないと思っています。
この二つの漢詩はもともと六十四句の一つの漢詩だったのですが、
二つのことを詠んでいますので、二つに分けることにしました。
昨年もこういう長い漢詩を作っていました。
自分の気持ちを存分に詠むことのできる、
この規則の緩い漢詩の形態がとても好きです。
この漢詩を詠んでいくうちに、僕自身の心が少し
晴れやかになったように思います。
私はこの先、僕自身の身体がどうなっていくのか、
かなり正確に理解しています。そのために先のことが不安になり、
少し思い詰めて考えていたところがありました。
そして周囲に与える悪影響を考えて、とても反省しました。
大学院生の時に、担当教授に言われたことを思い出します。
「研究はそんな予定通りにいくものではないから、
先の計画を立てすぎてはいけない」
と。
そして先のことをあれこれと考えるよりも、目の前の研究対象に
打ち込んで、熱中することの方がよっぽど大切だと、そう注意されました。
結局研究自体は、就職等につながるものではなかったのですが、
教授から言われたこの言葉は、今でもきちんと覚えています。
今もまさにそうではないかと思いました。先のことを考えすぎて、
思い詰めてしまうことよりも、漢詩を作り、周囲の方々や
僕のお相手の方を大切にしながら、
今こうして漢詩を作っていく、このことの方が大切だと、
改めてそう思いました。
今日もきちんとがんばって、昨日作った漢詩の推敲や、
現代語訳や解説を付ける作業をしていこうと思います。
今日もよろしくお願いいたします。
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