玄齋詩歌日誌

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源氏物語・花散里

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源氏物語の「花散里」の巻です。
原文を現代語訳して、作中の漢詩や短歌を解説しています。

この巻はすべて訳し終えています。
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いにしへのこと語らへば郭公いかに知りてか古声のする   (『古今和歌六帖』 五 物語)

橘の香をなつかしみ郭公花散る里をたづねてぞとふ   源氏

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  読人知らず(『古今和歌集』 夏 139)

橘の花散里の郭公片恋しつつ鳴く日しぞ多き    大伴旅人(『万葉集』巻八 1477)

人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ    麗景殿の女御(花散里の姉)



解説

源氏が、故桐壺院の后の麗景殿の女御と、その妹の三の君(花散里)の家を訪問する場面です。


ここからが本文です。



あの本来の目的の場所(麗景殿の女御と、その妹の花散里の家)は、
源氏が想像していたとおりに、人の出入りもなく静かで、
姉妹が暮らしている様子を見るときも、もの寂しい気持ちになりました。


源氏は最初に、麗景殿の女御の方を訪ねて、昔の頃の話をしているうちに、夜が更けてきました。

旧暦の五月二十日の月の光が差し込んできて、とても高い木の陰になって、
庭の辺りが暗くなっていて、近くの橘の香りが昔を思い出すように匂ってきました。
(麗景殿の)女御の面影は年齢を重ねていましたが、所々に深い心遣いがなされており、
上品で可憐に感じられました。

「女御は際立って特別な(院の)御寵愛こそなかったけれども、院には親しく心惹かれる方と、
 思われていた方であったのでしょう」

などと、源氏は昔を思い出して話をしているときにも、父の桐壺院が生きていた昔のことを
次々と思い出して、泣いていました。


そのとき、郭公(ほととぎす)が先ほどの垣根で鳴いていたものでしょうか、同じ声で鳴いていました。

「私の後を追ってきたのだろうか」

などと源氏が思っている様子も、優美なものでした。


「いかに知りてか」


  (注)「いかに知りてか」は、以下の短歌の引用です(一首目)。

   いにしへのこと語らへば郭公いかに知りてか古声のする    (『古今和歌六帖』 五 物語)

   訳: 昔のことを親しく話し合っていると、郭公(ほととぎす)はどうして
    知ったのでしょうか。昔のままの声で鳴いています。

   ほととぎすの声に昔を思い出したことを表現していますね。


などと、源氏はこっそりと昔の歌を口ずさみました(二首目)。


「橘の香をなつかしみ郭公花散里をたづねてぞとふ   源氏

 訳: 橘の香りに昔を思い出して、郭公(ほととぎす)と私は、この花の散る里を
  探して訪ねてきました。(ここでは花散里はこの邸を指しています)


  (注)上記の短歌は、以下の短歌の引用です(三首目・四首目)

   五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  読人知らず(『古今和歌集』 夏 139)

   訳:五月を待って咲く橘の花の香をかぐと、昔の愛しい人(別れた恋人)の袖の香りがします。


   橘の花散里の郭公片恋しつつ鳴く日しぞ多き    大伴旅人(『万葉集』巻八 1477)

   訳: 橘の花が散る里の郭公(ほととぎす)は、片思いをしながら鳴く日が多いことだ。

   「橘の花に昔を思い出して、このほととぎすと同じように訪ねてきました」
   ということを示していますね。


 昔の院の頃を忘れられない気持ちを慰めるために、私はまずこちらへ参りました。
 こちらへ参りますと、この上なく物思いが紛れることも、切なさが増すこともあります。
 世間の人々は世の中の流れに従うものですから、昔のことを話す人が次第に少なくなってきています。
 そのことであなたはいっそう、寂しさを紛らわせることができないのではと思われるのです」


と源氏は話していました。今はとりわけ昔を忘れることの甚だしい世の中なので、
源氏が物事をとてももの寂しく思い続けている様子が並々ならないのも、
源氏の人柄でしょうか。さらに切ない気持ちが感じられます。(五首目)


人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ    麗景殿の女御

訳: 人の出入りもなく荒れているこの宿は、軒端に咲いている橘の花が
 もう一人のつがい(故桐壺院)になっているようですね。


とだけ女御は言いました。

「やはり、他の人とは違って格別に優れている」

と思って、源氏は先ほどの家の女性(「花散里」その壱で出てきた女性)と比較していました。


源氏は西の座敷(妹の花散里がいる方)には、わざわざの訪問ではない風に、
人目を忍んで訪ねていって、花散里の方を覗いてみると、女性は懐かしい気持ちに加えて、
源氏の世にもまれな美しさを目にして、長年の源氏のつれなさも忘れていくようでした。
源氏はいつものように、昔を思い出して親しく話すことも、本心を偽っているのではないのでしょう。


源氏がちょっとでも恋心を持った女性は、人並みのものではない女性なので、
いろいろなことに対して、

「どうしようもない女性だ」

と思われる女性はいないからなのでしょうか、源氏は嫌に思うことはなく、
源氏自身も相手の女性も情愛を交わしながら、過ごしていました。

そのことを

「とても気にくわない」

と思った女性は、ややもすれば心変わりしてしまいますが、それを源氏は

「それも仕方がない。それも世の中の運命だろう」

と、あえて思っているのです。


先ほどの垣根の女性(「花散里」その壱で出てきた女性)も、そのような事情で、
すでに心変わりしてしまった女性の一人なのです。


ここまでが本文です。



昔を思い出して、過去の女性に会いに行くと、相手の方はすでに過去を消化していて、
たいていは垣根の女性のようにあしらわれるのが普通ではないかと思われます。
過去の女性と昔のように親しく語り合うことができるのは、
やはり源氏の持つ魅力によるところが大きいと思います。


ここで「花散里」の章は終わりました。
以下、「須磨」の章以降も、マイペースで更新していきます。

夜や暗き道やまどへる郭公わが宿をしも過ぎがてに鳴く  紀友則(『古今和歌集』 夏 154)

をち返りぞ忍ばれぬ郭公ほの語らひし宿の垣根に   源氏

郭公語らふ声はそれながらあなおぼつかな五月雨の空   女主人(源氏の昔の恋人)

花散りし庭の木の葉も茂りあひて植ゑし垣根も見こそわかれね   出典未詳



解説

昔の恋人(花散里)の元を訪れるときに、別の恋人の家を通り過ぎるときの話です。


ここからが本文です。



人知れず、源氏の自分自身が求めたことからくる物思いは、いつもと同じ様子でしたが、
このように(桐壺院崩御後の権勢の移り変わりによって)、世間一般のことに対してさえ、
面倒に思い悩むことばかりが増えてきたので、何となく心細く、世間のことをすべてが
嫌になって(出家してしまおうかなどと)いろいろと考えたものの、
そうはいかない事情も多かったのでした。


桐壺院の后の一人である、麗景殿(れいげいでん)の女御と言われた方は、
皇子・皇女もおらず、院が御隠れになった後は、ますます孤独でお気の毒な状況に
なってしまいましたが、わずかにこの大将(源氏)の心遣いによって、
ひっそりと日々を過ごしていたものと思われます。

源氏とこの女御の妹の三の君(花散里)とは、昔に宮中で少し恋仲になったことの心残りがあって、
例の性格から、やはり昔を忘れることができずに、かといって格別に夫人として待遇することもなく、
女君(花散里)の気持ちだけをすっかり悩ませているに違いないと思われます。


  (注)上記二箇所の「〜と思われる」という表現は、語り手(紫式部)が
   推量していることを示しています。


この頃すっかりあらゆることに思い悩んでいる源氏は、そうした世間の切ない出来事の
一つとして、この女君のことを思い出したときには、愛しさを我慢することができなくなって、
五月雨の空が珍しく晴れて、雲の切れ間が見える頃に、女君の元へ行きました。


源氏は大層な装いもせずに、質素な服装で、前駆けの従者も付けずに、人目を避けるように行きました。
中川の辺りを通り過ぎるときに、こぢんまりとした家の、木立にも風情を感じるところから、
良い音のする琴を、和琴(わごん)の調べに合わせて賑やかに弾いているのが聞こえてきました。


  (注)和琴(わごん): わが国固有の六弦の琴のことです。雅楽や東遊(あずまあそび)に
   用います。大和琴(やまとごと)や東琴(あずまごと)とも呼ばれます。


源氏はその音色に心惹かれていました。その家は門に近いところにあったので、
車から少し外に出て、門の中を見てみると、大きな桂の木の香りが風に乗ってやって来て、
葵祭の頃を思い出して、何となく興味が引かれているうちに、

「ただ一度泊まったことのある家だ」

ということを思い出して、源氏はこの家のことが気にかかりました。

「(以前訪れた頃から)大分時が経っている。ここに住んでいた女性は覚えてくれているだろうか」

と思って、源氏は訪問することに気が引けていましたが、この家を通り過ぎることもできずに
しばらく留まっていました。

ちょうどそのとき、ほととぎすが鳴いて通り過ぎました。


  (注)上記の原文「すぎがてにやすらひ給ふ。折しもほととぎす」は、
   以下の短歌の引用です(一首目)。

   夜や暗き道やまどへる郭公わが宿をしも過ぎがてに鳴く    紀友則(『古今和歌集』 夏 154)

   訳: 夜の暗い道なので、郭公(ほととぎす)は迷ったのでしょうか。
    ちょうど私の宿を通り過ぎることができずに鳴いているようです。

   郭公の本来の言葉は「かっこう」ですが、短歌の中では「ほととぎす」として使われています。


訪問を催促しているように聞こえたので、車を引き戻させて、いつものように、
惟光に言伝をして使いに出しました(二首目)。


をち返りぞ忍ばれぬ郭公ほの語らひし宿の垣根に   源氏

訳: 昔を思い出して、堪えられない気持ちになっています。郭公(ほととぎす)が
 宿の垣根で鳴く声に、私を(逢いに行けと)説得する声のように思いましたので。


この家の寝殿(しんでん: 主人の居間、あるいは客間)と思われる建物の、
西の端の部屋に女房たちがいるのが見えました。惟光は以前にも聴いたことのある
声だと思いました。改まった声を出して相手の様子を見ながら、源氏からの言伝を述べました。

奥で若い女性たちの声がしておりました。どうやら誰の御伝言なのかわからないのだろうと、
惟光は思いました。この家の女主人からの返答は次のようなものでした(三首目)。


郭公語らふ声はそれながらあなおぼつかな五月雨の空   女主人

訳: 郭公(ほととぎす)の鳴く声はよくわかりますが、あなたのことはこの五月雨の空のように、
 なんともよくわかりません。(何のご用ですか?)


この返歌に惟光は、

「わざわざわからない風を装っているな」

と思ったので、

「仕方がありませんね。『植ゑし垣根も』ですね」


  (注)上記の『植ゑし垣根も』は、以下の短歌の引用です(四首目)。

   花散りし庭の木の葉も茂りあひて植ゑし垣根も見こそわかれね   出典未詳

   訳: 花が散って庭の木の葉も多く茂ってきて、もうすでに植えた垣根も
    見分けが付かなくなっています。

   「垣根を見分けることができずに、家を間違えたのだろうか」という意味ですね。


と言って、惟光が門から出て行くのを、女主人は人知れず、悔しくも、寂しくも思いました。

「そんな風にして、隠さなければならない事情があるのだろう。長年忘れ去られた
 女性の態度としても道理に適っているので、そううまくはいかないのだろう」

と源氏は思いました。

「このような身分の女性としては、筑紫の五節(ごせち)が、かわいらしいものだな」

と、源氏は昔を思い出しておりました。


  (注)五節(ごせち): 「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」のことです。
   「新嘗祭(にいなめまつり)」と「大嘗祭(だいじょうさい)」の前後に行われる
   舞楽で踊る五人の舞姫のことです。


どのような身分の女性に対しても、源氏は心を引かれて、辛さを感じておりました。
長い年月が経っても、相変わらず源氏が同じように情愛をかけて、忘れることがないことが、
かえって多くの女性の物思いの種になっているのでございます。



ここまでが本文です。

いつまでも昔の恋人のことを思い出して、それが相手の女性の物思いの種になるというのは、
源氏ならではの話だと思いました。相手の女性も、新しい男性がいるなどの事情がなければ、
また源氏と逢っていたかもしれないですね。普通の男性なら、こうはいかないと思います。


次回は、源氏が麗景殿(れいげいでん)の女御とその妹の三の君(花散里)に会う場面です。

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