玄齋詩歌日誌

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この記事は三つある記事のうちの二つ目になります。今回は一つ目からお読みください。


((七)の続きです)


(八・準備)ここで病棟の就寝時間になりました続きは明日にゆっくり書いていきます。

(九・準備)では続きを書いていきます。「汗(あせ)の如(ごと)し」のもととなった、易経の「渙(かん)なれば其(そ)の大号(だいごう)を汗(あせ)にす」の一節の解釈の部分です。まず一人目の前漢の劉向(りゅうきょう)の解釈です。

(十)劉向: 「『渙(かん)なれば其(そ)の大号(だいごう)を汗(あせ)にす』とは、民心が離反しているようなときは君主が先に出した号令を後で慌てて訂正するようなことをすれば民衆が君主の言葉を信用しなくなります(続く)」

(十一)劉向: 「(続き)ですから君主は体から流れた汗が二度と体内に戻らないように、君主の悪い発言は取り返しのつかないものになると考えて、言葉を慎重に選ばなければならないのです」

(十二)次は三国時代の魏の老荘の学者である王弼(おうひつ)の解釈です。彼は老子と易経の注釈を書いたことで有名です。特に易経は彼の注釈にさらに唐の学者の孔穎達(くようだつ)が注釈をつけたものが唐の時代の科挙の易経の教科書に使われたほどです。

(十三)王弼: 「『渙(かん)なれば其(そ)の大号(だいごう)を汗(あせ)にす』とは、民衆が離散するような苦難の時には、民衆たちはその事実に驚きや恐れを感じているのです(続く)」

(十四)王弼: 「(続き)そんなときに、君主の地位にふさわしいものが君主になり、彼が民衆に呼び掛けて政治の号令を発することで、民衆は心を動かされて、汗を流してその号令に従って労苦を共にし、国難を解決する方向に向かっていくのです」


((3/3)に続きます)

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こちらは「綸言(りんげん)汗(あせ)の如(ごと)し」という言葉のもととなる『易経』の一節を解説したものです。先日ツイッター上に書いたものをまとめています。

※語源として、前漢の歴史書の『漢書』 の劉向 (りゅうきょう)伝を引いているものがありますが、実際にはその中での『易経』の引用がもとです。

今回の記事は三つに分かれています。こちらは最初の記事です。

(一)政治家の言を戒める言葉に「綸言(りんげん)汗(あせ)の如(ごと)し」というものがあります。これは君主が約束を違えるようなことがないように、君主は言葉を慎重に選ばなければならないことを意味する言葉です。

(二)まず、「綸言(りんげん)」とは四書五経の五経のうちの、昔の礼法や制度をまとめた『礼記(らいき)』の一節に出てきます。「綸(りん)」は太い糸のことです。その一節には次のように書いてあります。

(三)礼記の一節です。「君主の言葉が細い糸のようなものでも民衆に届けば尾ひれがついて太い糸のようになります。ましてや君主の言葉が太い糸のようなものであれば、民衆に届けば太い綱のようになるのです。ですから君主は言葉を慎重に選ばないといけないのです」

(四)次に、「汗(あせ)の如(ごと)し」ですが、これは諸説ありますが、正確には『易経』の渙(かん)の卦の一節の解釈から来ています。有名なのが三人の学者の解釈です。

(五)その一節は「渙汗其大号」、書き下し文は「渙(かん)なれば其(そ)の大号(だいごう)を汗(あせ)にす」です。共通している解釈は、

(六)「渙(かん)」は「散る」という意味で民心が離れているような国難を指します。「大号(だいごう)」は政治のトップが大号令をかけることです。

(七)一人目は、前漢の皇族である劉向(りゅうきょう)の解釈です。彼は高祖劉邦の弟の玄孫にあたる人で、有名な著作に『戦国策(せんごくさく)』や『説苑(ぜいえん)』があります。前者は戦国時代の語源となった書です。

((2/3)に続きます)

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●感想:

私の医師も言っていたのですが、退院したら残りの人生は健康を保つためにも本当にしたいことのみをして、美味しいものを食べるときも分量をセーブして食べなさいと言っていました。

この離の九三の爻辞とぴったりあっているなと思いました。


私のしたいことは専ら勉強ですが、分量と分野を見直していこうと思います。

ブログやツイッターやフェイスブック、そして友人たちと楽しいひとときを過ごすことも大切だと思っています。

そのためにもこれからもしっかりと療養して少しでも元気になっていきます。


長文にお付き合いいただいて、ありがとうございます。

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●現代語訳:

離の九三は六十四卦の下半分の八卦の離が終わる頃、つまり日が沈み、夕日が輝く頃を指しています。人の人生ですと、死期を悟った時期にあたります。

そんなときには、普段使う器を打ち鳴らして歌うように、普段の生活を楽しんで、自分の身を大切に養いながら、あるがままの環境や状況を受け入れるために、自分がすることを少なくして、できる限り本当に自分のしたいことのみをすることで、残りの人生を心安らかに過ごすことを心がけるようにするのです。そうしなければ、寿命を終えて死が近づくことをただ嘆くことになるでしょう。そうなってしまうと、凶なのです。

伝説では易の解説のために孔子が書いた十巻の書の「十翼(じゅうよく)」のひとつで、六十四卦の卦を説明した卦辞(かじ)と各々の爻を説明した爻辞(こうじ)をさらに解説した「象伝(しょうでん)」では、以下のように説明しています。

「夕日が沈んで輝くような、死期を悟った頃なのですから、どうして長く保つことができるでしょうか。残された時間は少ないのです」

と。


(その九に続く)

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さて、ここで問題は「缶を鼓して歌う」時の心境です。嘆きをどのように克服したのでしょうか。『荘子』では、荘子の奥さんが亡くなったときに瓦を打ち鳴らして歌っており、それを見た友人の恵施(けいし)が訝る場面があります。その時の心境はどうであったのでしょうか。

三国時代の魏の王弼(おうひつ)の解釈は、「生を養い、無為(むい)に過ごす」とあります。「無為(むい)」とは何もしないことでなく、ぴったりとその時々の道理に従って行動するので、他人からは何もしていないように見えることです。この場合の道理とは北宋の程頤(ていい)の解釈では「楽天知命(らくてんちめい)」とあります。

「楽天知命(らくてんちめい)」とは、『易経』の易の哲学を論じた「繋辞伝(けいじでん)」の一節で、天命を知る、つまりその時におかれた環境や状況を受け入れて、その天命の中で心安らかに過ごすことを意味する言葉です。

死期の近づくことをただ嘆かないためには、自分の身を大切に養いながら、あるがままの環境や状況を受け入れるために、自分がすることを少なくして、できる限り本当に自分のしたいことのみをすることで、残りの人生を心安らかに過ごすことができる、ということです。

以上をまとめますと、以下のような現代語訳(意訳)になります。


(その八に続く)

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