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舞扇(まいおうぎ)
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●原文:
「一枝春」
長門怨 (唐) 崔道融
長 門 花 泣 一 枝 春, 爭 奈 君 恩 別 處 新。
錯 把 黄 金 買 詞 賦, 相 如 自 是 薄 情 人。
「一枝梅」
春鶯囀 (唐) 張?
興 慶 池 南 柳 未 開, 太 眞 先 把 一 枝 梅。
内 人 已 唱 春 鶯 囀, 花 下 ? ? 軟 舞 來。
●書き下し文:
長門(ちょうもん)の花は一枝の春に泣き、
君恩(くんおん)の別処(べっしょ)に新(あらた)なるを争奈(いかん)せん。
錯(あやま)りて黄金を把りて詞賦(しふ)を買い、
相如(しょうじょ)自(みずか)ら是れ薄情(はくじょう)の人なり。
題:「春鶯(しゅんおう)囀(さえず)る」
興慶(こうけい)の池の南 柳 未だ開かず、
太真(たいしん) 先ず把る一枝の梅。
内人(ないじん) 已に春鶯(しゅんおう)の囀(さえず)るを唱え、
花下 ??(ささ)として軟らかく舞い来る。
題:「長門(ちょうもん)の怨み」
漢の宮殿の長門宮(ちょうもんきゅう)の花は
一つの枝の梅の花が春を謳歌していることに泣いているのです。
というのはつまり、君主(皇帝)の寵愛が
私(漢の時代の頃の后妃)以外の他の所に
新しくできている、ということなのです。これをどうすればいいのでしょう。
間違ってお金を手にとって詞(し)や賦(ふ)といった
韻を踏んだ美しい文章を買い求めてしまったら、
漢の司馬相如(しばしょうじょ)という文人の作品で、
それを読むと、自然に(当時の君主の)情愛の薄さが感じられるのです。
題:「春のウグイスがさえずっているのを詩に詠みました」
玄宗が政務を執っていた興慶宮(こうけいきゅう)の池の南では、
柳の葉はまだ開いていないのですが、
楊貴妃は先に梅の花の枝を一つ手に取ります。
ほかの女官(じょかん)たちはすでに
春のウグイスがさえずる様子を歌い、
その女官達は花の下でお酒に酔いながら、
柔らかい調子で舞い踊りにやってくるのです。
※崔道融(さいどうゆう):号は東甌散人(とうおうさんじん)と言います。
現在の湖北省の江陵(こうりょう)の人で、唐の時代の末期の
詩人です。官僚としては右補闕(うほけつ)という皇帝を諫める
官職まで至った人です。著作に『申唐詩(しんとうし)』三巻と、
『東浮集(とうふしゅう)』九巻があります。
※張?(ちょうこ):唐の時代の詩人で、字は承吉(しょうきつ)です。
現在の河北省の清河(せいか)の人です。地元の名家に生まれて
「張公子(ちょうこうし)」と呼ばれていました。官僚になることは
できませんでしたが、詩人としては有名で、『全唐詩(ぜんとうし)』の
中にも349首収録されています。
※興慶(こうけい): 唐の玄宗が政務を執った興慶宮(こうけいきゅう)の ことで、その南に竜池(りゅうち)という池があり、その南に香木の
沈香(じんこう)で作られた沈香亭(じんこうてい)がありました。
※太真(たいしん): 楊貴妃のことです。
※ 内人(ないじん): 宮廷に仕える女官のことです。
※??(ささ): 酒に酔って舞うことです。
※長門(ちょうもん): 漢の宮殿の長門宮(ちょうもんきゅう)のことです。
※詞賦(しふ): 詩歌(しいか)、あるいは詞(し)や賦(ふ)という
韻を踏んだ散文のことです。
※相如(しょうじょ): 前漢の時代の文人の司馬相如(しばしょうじょ)の
ことです。彼の作った賦(ふ: 韻を踏んだ散文)は、
後世の模範となりました。
●解説:
何か正月らしいことをしようと思っていましたら、
漢詩の会のメンバーの書き初めの記事を見つけました。
◎◎さんは「一枝春」、
○○さんは「一枝梅」と書いていました。
僕は漢詩の会の人たちためにほんの少しでも役に立てばと思い、
その言葉の入っている唐の時代の漢詩を探してみました。
「一枝春」のほうは皇帝の寵愛を失った宮廷内の女性の
哀しみを詠んだ一首で、 「一枝梅」のほうは楊貴妃が玄宗の寵愛を独占して、
春の幸せを詠んでいる一首でした。
いろんな春の故事を詠んでいるなと、
改めて勉強になりました。
僕もいろんな春の自然の風景や故事を
詠んでみたいなという気持ちを詠んでおりました。
今年も漢詩と漢文の勉強をがんばっていこうと思います。
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その他の昔の漢詩の解説
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豫園(よえん)の門(中国・上海)
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この『荘子(そうじ)』の漢文の一節は、僕が作った漢詩の、
「読荘子雑篇譲王第二十八」の、その僕が読んだ一節に出てきた
『商頌(しょうしょう)』の詩の一つである「玄鳥(げんちょう)」という詩を
訳してみました。
『商頌(しょうしょう)』は彼が古代の詩を集めた『詩経(しきょう)』の中の、
中国の古代の王朝の商(しょう)、
つまり殷(いん)の国の徳をほめたたえる詩です。
「玄鳥(げんちょう)」という詩は、玄鳥、つまりツバメが
殷の国を作ったという伝説を詠んだ詩です。
壮大な感じのする詩です。
曾子もこういう詩を詠じて心を養ったということを、
その『荘子』の一節の作者は言いたかったのかなと思いました。
こちらにはコメント欄を設けていません。
僕が作った漢詩の記事にコメント欄がありますので、 この点をよろしくお願いいたします。
僕が作った漢詩は以下の記事になります。
こちらにこの詩の解説も載せています。
ブログ記事: 漢詩「読荘子雑篇譲王第二十八」(七言絶句)
(コメント欄はこちらに設けてあります)
今回読んだ『荘子』の一節の本文と書き下し文と訳などは
以下の記事になります。
ブログ記事: 今回作った漢詩の「読荘子雑篇譲王第二十八」に
詠まれている『荘子』譲王第二十八の一節の訳です。
●原文
『詩經』 「商頌」 玄鳥
天 命 玄 鳥、 降 而 生 商、 宅 殷 土 芒 芒。
古 帝 命 武 湯、 正 域 彼 四 方。
方 命 厥 后、 奄 有 九 有。
商 之 先 后、 受 命 不 殆、 在 武 丁 孫 子。
武 丁 孫 子、 武 王 靡 不 勝。
龍 旂 十 乘、 大 饎 是 承。
邦 畿 千 里、 維 民 所 止、 肇 域 彼 四 海。
四 海 來 假、 來 假 祁 祁、 景 員 維 河。
殷 受 命 咸 宜、 百 祿 是 何。
●書き下し文
題: 『商頌(しょうしょう)』 玄鳥(げんちょう)
天は玄鳥(げんちょう)に命(めい)じ、
降(くだ)りて商(しょう)を生(しょう)じ、
殷土(いんど)を宅(さだ)めて芒々(ぼうぼう)たり。
古帝(こてい)は武湯(ぶとう)に命じ、
域(くに)を正す 彼の四方(しほう)。
方(まさ)に厥(そ)の后(きみ)に命じ、
九有(きゅうゆう)を奄有(えんゆう)す。
商の先后(せんこう)、
命を受けて殆うからず、
武丁(ぶてい)の孫子(そんし) 在り。
武丁の孫子、
武王(ぶおう) 勝たざる靡(な)し。
龍旂(りゅうき) 十乗(じゅうじょう)、
大饎(だいき)に是(こ)れ承(う)く。
邦畿(ほうき)千里(せんり)、
維(こ)れ民(たみ)の止(とど)まる所(ところ)、
域(くに)を彼(か)の四海(しかい)に肇(はじ)む。
四海(しかい) 来(き)たり仮(いた)りて、
来たり仮りて祁々(きき)として、
景員(けいうん) 河(かわ)を維(つな)ぐ。
殷は命を咸(み)な宜(よろ)しきに受け、
百禄(ひゃくろく) 是(こ)れ何(いくばく)ぞ。
●現代語訳
天の神は玄鳥(げんちょう)、つまりツバメに命じて、
天から降りてきて商(しょう)、つまり殷(いん)という国を生み、
殷の国土の遠大な領土をを定めました。
天帝(てんてい: 天の神)は初代の商の王の湯王(とうおう)に命じて、
国土の四方の国境を正していきました。
今またその君主(湯王)に命じて、
九つの州に分かれた中国の全土を残らず手に入れました。
商(殷)の国のその湯王に続いた王も、
天帝からの命令を受けて危険なこともなく
その命令を達成することができました。
それは武丁(ぶてい)、つまり二十二代目の王の
高宗(こうそう)と呼ばれた湯王の子孫がいたからです。
その湯王の子孫である高宗は、
勇ましい王として君臨し、戦いに負けたことがないのです。
龍の旗をはためかせた馬車が十台あり、
我々は素晴らしい酒とごちそうをよろこんで頂きました。
王の治める領土は千里四方に及ぶ広大なものであり、
この領土こそ民衆がとどまって生活をするところなのであり、
この天下に国の境を定めて、統治を始めていきました。
この天下の中を行ったり来たりして、
さかんに行き来をすることで、
景山(けいざん)という山のふもとにある
殷の国の都の人たちは、
黄河流域を治めていきました。
殷の国の人たちは皆、命令をよく守っていたので、
多くの俸給(ほうきゅう: 給料)をもらっている者たちは、
どれほどいたのかわからないほどです。
●語注
※玄鳥(げんちょう): ツバメのことです。
※芒々(ぼうぼう): 大きく遠大であることです。
※古帝(こてい): 「天帝(てんてい)」、つまり万物を支配する
天の神のことです。
※武湯(ぶとう): 商(しょう)、つまり殷(いん)の国の初代の王の
「湯王(とうおう)」のことです。伊尹(いいん)を重用して、
夏(か)の国の桀王(けつおう)を討伐して天下を統一し、
国の名前を商(しょう)としました。
※奄有(えんゆう): 「掩有(えんゆう)」とも書きます。覆うようにして
すべて残らず自分のものにすることです。
※九有(きゅうゆう): 「九州(きゅうしゅう)」、つまり、太古に中国の全土を
九つの州に分けたことです。そこから転じて、中国全土を指します。
※龍旂(りゅうき): 「龍旗(りゅうき)」、つまり、龍を描いた旗のことです。
ちなみに蛇足ですが、清の王朝ではこれを国旗としていました。
※大饎(だいき): 祖先を祀るときの酒とごちそうのことです。
※邦畿(ほうき): 古代中国の周の時代、王様の直轄地の
千里四方の土地のことです。
※祁々(きき): さかんであることです。
※景員(けいうん): 景山(けいざん)という山のふもとの民衆のことで、
ここに殷の都が置かれていました。
※武丁(ぶてい): 殷(いん)の第二十二代目の国王で、後世の人からは
「高宗(こうそう)」と呼ばれています。傅説(ふえつ)を重用し、
衰えた殷の国を再興しました。この時代に発見された甲骨文字が
最古のものとされています。
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