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豫園(よえん)の回廊(中国・上海)
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この『荘子(そうじ)』の漢文の一節は、
僕が作った漢詩の、 「読荘子雑篇譲王第二十八」の、
その僕が詠んだ『荘子』の一節を訳しています。
こちらにはコメント欄を設けていません。
漢詩の記事にコメント欄がありますので、
この点をよろしくお願いいたします。
僕が作った漢詩は以下の記事になります。
こちらにこの漢文の解説も載せています。 ブログ記事: 漢詩「読荘子雑篇譲王第二十八」(七言絶句)
(コメント欄はこちらに設けてあります)
●原文
曾子居衛、縕袍無表、顔色腫噲、手足胼胝。三日不舉火、十年不製衣。
正冠而纓絶、捉衿而肘見、納履而踵決。
曳縰而歌商頌、聲滿天地、若出金石。
天子不得臣、諸侯不得友。
故養志者忘形、養形者忘利、致道者忘心矣。
●書き下し文
曾子(そうし) 衛(えい)に居(お)り、
縕袍(うんぽう) 表(おもて)無(な)く、 顔色 腫噲(しょうかい)し、 手足 胼胝(へんち)す。 三日 火を挙(あ)げず、
十年 衣を製(た)たず。 冠(かんむり)を正(ただ)せば纓(えい)絶(た)え、
衿(えり)を捉(と)れば肘(ひじ) 見(あらわ)れ、 履(くつ)を納(い)るれば踵(かかと) 決(けっ)す。 縰(し)を曳(ひ)きて商頌(しょうしょう)を歌えば、
声は天地に満ち、金石(きんせき)より出(い)ずるが若(ごと)し。 天子(てんし)も臣(しん)とするを得ず、
諸侯(しょこう)も友とするを得ず。 故(ゆえ)に志(こころざし)を養(やしな)う者は形(かたち)を忘れ、
形を養う者は利(り)を忘れ、 道(みち)を致(いた)す者は心を忘(わす)る。 ●現代語訳
孔子の弟子の曾子(そうし)は衛の国に住んでいました。
着ている綿入れは表の布がすり切れ、 肌は荒れて腫れ上がり、手足はまめやたこができ、 三日の間、火を使った食事をせず、
十年ものあいだ着る物を新しくすることはありませんでした。 冠をかぶり直すとそのあご紐が切れてしまい、
襟を引き合わせると(着物が破れて)肘が現れ、 履き物を履くとその踵が引き裂けるような有様だったのです。 しかし、そんな中でも曾子はのびやかな気持ちを保っており、
かかとの切れた靴を引きずりながら、 商(しょう)の国、つまり古代の殷(いん)の国の
徳をほめたたえる商頌(しょうしょう)の詩を歌うと、 その声は天地に広がっていき、 まるで金や石でできた鐘のような楽器を演奏しているかのようでした。 天子は思いのままに彼を臣下にすることができず、
諸侯も思いのままに彼を友人とすることはできないくらいの、 そんな高い境地に立った心を持っていました。 だから、
自分の志を養っている者は身体のことを思うことはなく、
自分の身体を養っている者は世間の利益のことを思うことはなく、 道を自分自身に身につけている者は自分の心のことさえも思うことはなく、 無心(むしん)、つまり自然の道理と自分の心が ぴったりと合わさる境地に達するのです。 ●語注
※曾子(そうし): 孔子の弟子で、儒学では孔子の門跡を継いで、その後を
孔子の孫の子思(しし)に譲ったと言われている人です。 親孝行で知られていて、儒教の経典の一つで、孝(こう)が 道徳の根本であることを説いた『孝経(こうきょう)』を 著した人とされています。 全くの蛇足ですが、孔子の息子の鯉(り: 字は伯魚(はくぎょ))は
とてもできが悪い人だったそうです。 ※衛(えい): 古代中国の周(しゅう)の時代に、今の河北省・河南省の
間にあった国の名前で、もともと殷(いん)の国の都のあった所ですが、
周の武王(ぶおう)は殷を滅ぼした後に、弟の康叔(こうしゅく)に
この地を支配させました。
※縕袍(うんぽう): 綿入れという防寒用の服のことです。
※腫噲(しょうかい): 皮膚が荒れて腫れ上がることです。
※胼胝(へんち): 手足の皮膚が平らに固くなったものです。
たこやまめのことです。
※商頌(しょうしょう): 上記で説明した『詩経(しきょう)』の中にある、
中国の古代の王朝の殷(いん)の国の徳をたたえる
五つの詩のことです。「商(しょう)」は殷の国の別名です。
※金石(きんせき): 金属や石でできた鐘のような楽器のことです。
※天子(てんし): 皇帝のことです。この時代ですと、周の王様のことです。
※諸侯(しょこう): 都の周りの天子の直轄地の周りを統治する
家臣たちのことです。
●蛇足
この中に出て来た『商頌(しょうしょう)』の詩の一つである
「玄鳥(げんちょう)」という詩を訳してみました。 玄鳥(げんちょう)、つまりツバメが殷の国を作ったという 伝説を詠んだ詩です。壮大な感じのする詩です。 曾子もこういう詩を詠じて心を養ったということを、 その『荘子』の一節の作者は言いたかったのかなと思いました。 その「玄鳥」の詩は以下の記事になります。
ブログ記事: 『詩経』の中の『商頌』の一つ、「玄鳥」の詩の訳です
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その他の漢文
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永寧門(中国・西安)
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http://www.yunphoto.net この『韓非子(かんぴし)』の一節は Yahoo! 知恵袋で質問された内容です。数行ずつに小分けにして質問をしてきたので、それに逐一回答をすると、かえって説明が煩雑なくりかえしになるので、ここにまとめて訳してみました。
この漢文は『韓非子(かんぴし)』の五十四篇めの「心度(しんたく)篇」です。この一節は民衆の心と法律の適用についての内容です。
こちらは解説になります。三つの記事でセットになっていますので、コメント欄はこちらの解説の記事のみに設けています。この点もよろしくお願いいたします。
原文・書き下し文・語注と現代語訳は以下を参照して下さい。
原文・書き下し文・語注の記事
現代語訳の記事
●解説
この一節は Yahoo! 知恵袋で質問された内容です。数行ずつに小分けにして質問をしてきたので、それに逐一回答をすると、かえって説明が煩雑なくりかえしになるので、ここにまとめて訳してみました。
この漢文は『韓非子(かんぴし)』の五十四篇めの「心度(しんたく)篇」です。この一節は民衆の心と法律の適用についての内容です。
(一)明白な基準を設けて民衆を動かすこと、
(二)時代とともに民衆の悪知恵がついてくるので、それに対応して刑罰を定めること、 (三)外国などの外部勢力をあてにせず、きちんとした万全な態勢を築くことで国を治めていくこと、 この三点について述べています。
この現代語訳はかなりの意訳ですので、意味は取りやすくても一語一語の正確性には欠けますので、正確を期したい場合は岩波文庫の岩谷治著の『韓非子』を参照して下さい。
以下、韓非子(かんぴし)についての解説です。
韓非子(かんぴし)は秦の始皇帝(しこうてい)が中国を統一する以前の、戦国時代(せんごく)の弱小国である韓(かん)の国の王族でした。韓非子は儒学者の荀子(じゅんし)のもとで学び、同門の兄弟弟子にのちに始皇帝の宰相となった李斯(りし)がいました。
韓非子は時代とともに人間がその素直な本質から離れて悪賢くなる中で、厳格な法律と信賞必罰の適用によって国を統治していくという考えの
法家(ほうか)の代表者です。 彼は国に戻っても、吃音(きつおん)という言語障害によってうまく話せないこともあって、自分の意見が採り上げられることはありませんでした。しかし世の中を見つめる彼の視点はとても鋭く、文章もとてもすぐれていたので攻め込んできた始皇帝(当時は秦の王の政(せい)です)がその著作を読んで大変感動し、李斯のかわりに宰相にしようとしました。しかし危機感を感じた李斯は韓非子をワナにはめて始皇帝に殺させるように仕向けて、韓非子は殺されてしまいました。その後に李斯は韓非子の思想を活用して、宰相としての地位を固めていました。
(この話を知っているので司馬遼太郎の『項羽と劉邦』のなかで、
秦の末期のときの李斯のむごたらしい最期の部分を読んでも、 僕はあまり同情を覚えませんでした。) 韓非子の思想はいろんなところで間違った解釈をされています。
「厳格な法律と信賞必罰」、この部分ですでに間違いが多いのです。
まず「厳格な法律」とは、
君主自身さえも厳しい法律や刑罰に従わなければならず、君主が勝手に法律や刑罰の適用を曲げることができないものにしなければ、法律を作る意味はないのです。 そこまで厳格で初めて、民衆はその法律に従えば、安心して暮らしていけると思って、きちんと法律を守るようになるのです。
ですから法家の一人で、韓非子より前の時代に秦の国の宰相となった商鞅(しょうおう)は厳格な刑罰の適応で国は治まりましたが、王族たちに憎まれて、むごたらしい最期を遂げました。
そして「信賞必罰」、これこそ間違いが多いのです。
これをきちんと実施できるようにするのは容易ではないのです。
まず、自分の嫌いな人であっても、功績をきちんと上げればきちんと褒美を与えないといけないということです。そして何より、君主が自分の気づかないところで誰かが功績を上げていることで、それに対して褒美を与えることができなければこれもまた君主は信用されません。
さらに、悪賢い重臣たちがそのことを君主に伝わらないように隠していた場合、その重臣たちを通じてでないと褒美がもらえないことになり、国はその重臣たちの思うままとなるのです。
ここら辺をきちんと考えずに実力主義などといっても、かえってその組織に混乱を引き起こすだけなのです。
『韓非子(かんぴし)』を読んで目立つ部分は、君主たちの失敗談です。状況がわからない時に感情にまかせて誰かを処刑してしまうことで、そのことが後々君主としての地位を失うなどの憂き目に遭うのです。僕もそういう時には気をつけたいなと思います。
親しい人たちとの人間関係の状況が見えない時にどう対処すべきか、ということを僕は儒学を学んでいるなかで気づいたのは、そういう時には謙虚に振る舞って、相手をできる限り好意的に解釈するとうまくいくことが多いことを学びました。もちろんだまされてはいけなのですが、態度を低くして状況を見極めることが大切だと思いました。
『韓非子』にはそういう状況の中で真実を見極める方法をいくつか紹介しています。かなりあくどい謀略に関する内容なのでここでは紹介しません。
(興味のある人は、『韓非子』の内儲説(ないちょぜい)篇の上下を読んで下さい) おそらくそこを曹操は熟読していると思います。曹操はいろんな有能な人材を活用したわけですが、それは戦略ゲームのように生やさしいものではないのです。
有能であっても、ゆくゆくは自分に取って代わろうとする野心のある人を排除、あるいはコントロールしないといけないわけですし、一方で褒美さえきちんと与えれば服従する優秀な人間、あるいは本当に心底自分に忠実で優秀な人間、これらを野心のある人と取り違えないようにしないといけないのです。それに君主がその有能な人に嫉妬をして、野心のある人と思って間違って殺してしまったら、目も当てられません。そういう嫉妬などを抑えるために、韓非子で書かれているルールを熟読し使いこなして厳格に適用して、人材を活用していったのだと思います。
現在の僕がこの本から得る教訓としては、
「きちんと真実を見極めて、感情的にならずに冷静に行動すること」
だと思っています。 いろんな勉強をしていく中でお相手の方を想う漢詩の材料になっていけばいいなと思います。これからもがんばります。
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コメント(22)
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この『韓非子(かんぴし)』の一節は Yahoo! 知恵袋で質問された内容です。数行ずつに小分けにして質問をしてきたので、それに逐一回答をすると、かえって説明が煩雑なくりかえしになるので、ここにまとめて訳してみました。
この漢文は『韓非子(かんぴし)』の五十四篇めの「心度(しんたく)篇」です。この一節は民衆の心と法律の適用についての内容です。
こちらは現代語訳になります。
原文・書き下し文・語注と解説は以下を参照して下さい。三つの記事でセットになっていますので、コメント欄は解説の記事のみに設けています。この点もよろしくお願いいたします。
原文・書き下し文・語注の記事
解説の記事(コメント欄はこちらに設けてあります)
●現代語訳
聖人が民衆を治めるときには、その民衆の根本となるところを推測して、 民衆の望みには従わず、民衆の本当に利益となることを
おこなうことを約束するのです。
ですから聖人が民衆に刑罰を与える時があるのは、
民衆を憎んでいるからではないのです。民衆への愛の根本なのです。
刑罰が強ければ民衆はおとなしくなり、
褒美を贈ることが頻繁であれば道理を犯すような悪事が出てくるのです。
ですから民衆を治める際に、刑罰が強いのは、民衆を治めるために
一番大事なことで、褒美が頻繁であるのは、悪事が起こる根本なのです。
そもそも民衆の元々の本質は、其の乱れる根本である褒美を喜んで、
統治に最も必要である、刑罰を含めた法令には
親しみを覚えないものです。
ですから明君が国を治める時には、褒美を与える基準を
明白にすることで民衆は功績を上げようと努めるようになり、
刑罰を厳格にすれば民衆は法令をきちんと守るようになります。
民衆が功績を上げようと努めるようになれば公務が
邪魔されることなくきちんと行われ、
民衆が法令をきちんと守れば悪事が起こる兆候も無くなるのです。
ですから民衆を治める場合は、悪事がまだ兆候さえも現れない時に
未然に禁じておき、その上で民衆を徴兵して戦争に動員すれば、
その戦争に民衆の気持ちを服従させることができます。
あらかじめその悪事の根本となることを法令で禁止すれば
民衆をきちんと治めることができ、
兵士たちに戦う気持ちを起こさせることができれば
戦争に勝つことができるのです。
聖人が民衆を治める場合は、あらかじめ治めるための対策を
講じておくことができれば国は強くなり、
あらかじめ戦わせる態勢に持っていくことができれば
戦争に勝つことができるのです。
そもそも国の政治というものは、
(一)いろいろな問題に対してあらかじめ対策を講じていって、そ
うして民衆の心を一つにさせて、
(二)主に国に関する事業のみを行わせて君主などの
個人的なことには従わせず、
(三)罪を犯した者を告発する者に褒美を与えて
悪事が生じないようにして、
(四)法令をわかりやすいものにすることで統治者を
煩わせないようにする。
という四点が重要なのです。
この四者をうまく用いることができれば国は強くなり、
この四者をうまく用いることができなければ国は弱くなるものです。
そもそも国の強さを決めるのは政治なのです。
君主が尊く扱われるのはその統治者の持つ権力によるのです。
ですから明君は権力と政治を大切に思っているのです。
国を乱すような悪い君主も戦力と政治を大切に思っているわけですが、
その積み重なった結果は同じではないのです。
よって立つところが異なるからです。
ですから明君は上記の四つのポイントに気を配ることによって、
上手に権力を操って君主の地位を重くさせて、
上手に政治によって民衆の心を一つにして
国を治めることができるのです。
ですから法令は王として民衆を統治する際の根本であり、
刑罰は民衆への愛から始まるものなのです。
(明確な法令と刑罰を用いることで、民衆にそれを守っていれば
安定した暮らしを保証することを説いています。
民衆がルールも知らされないままに処罰されることは
ないということを「愛」と言っているのです。)
そもそも民衆の元々の本質は、
労働を嫌って安楽に生きるのを楽しむものです。
民衆が安楽に生きると道徳は荒廃し、
道徳が荒廃すると世の中が乱れてきます。
そうなると恩賞と刑罰が天下に正しく行われなくなって
必ず国中の身動きが取れなくなってしまいます。
ですから、大きな功績を上げるには、
ほかの人ができないことに尽力することで
大きな功績は願うまでもなく上げることができます。
同様に、その制定された古い法令を変えることを難しくすれば、
民衆の乱れを、願うまでもなく治めることができるのです。
ですから民衆が常に変化していくとしても、
国が治まるようにということだけを心掛けて法令を作ればよいのです。
そして法令を時代とともに変えていくことで国を治めることができ、
その治める具合が世の中の流れと程良い感じになっていれば
功績を上げることができるのです。
ですから昔のように、民衆が素直で飾り気のない状態であれば、
悪い行為を禁じる際には、それを行えば不名誉なことに
なることにすれば統治することができたのですが、
世の中が移り変わって悪だくみにすぐれたずる賢い者たちが増えた
今の状況に対応するために、彼等を引き締めるために
刑罰を使うことによって従わせることができるのです。
時代の移り変わりによって統治が容易でなくなれば国が乱れてしまい、
うまく民衆を統治しようとしても時とともに
悪事を禁じる法令を変えなければ、
他の国々に領土を削られるようになるのです。
ですから聖人が民衆を統治する場合には、法令は時代とともに新しくなり、
悪事を禁じる刑罰を、時代とともにだんだんと悪賢くなる
民衆の能力に応じて変化させていったのです。
その民衆の能力を大地に対して用いることができれば国は繁栄し、
その民衆の能力を敵に対して動員することができれば
国は強くなるのです。
国が強くなって、自分の行動が邪魔されることが無くなれば、
その人は王者なのです。
ですから権力に頼らずに徳によって政治を行う際にも
能力をうまく活用させる方策があり、
民衆の統率のために悪事を抑えてやめさせるための方策があるのです。
民衆の悪事を抑えてやめさせることができれば、その人は王者なのです。
ですから王者は国を治めるためのはかりごとをする際には、
国を治めるために外部の物事をあてにすることをせずに、
自分の周囲の状況にあらかじめきちんとした体制を整えていて 乱れることがないことだけをあてにしているのです。
外部の物事をあてにして国が乱れないようにと思って
国を安定させようとすれば、ほかの国々に領土を削られるようになり、
自分の周囲の状況にあらかじめきちんとした体勢を整えておいて
乱れることがないことをあてにしていれば国が栄えてきます。
ですから賢明な君主が国を統治する場合、
あらかじめ体勢を整えて乱れないという王者のはかりごとに
ぴったりと当てはまり、
部下たちの身分を表す位を尊くして君主の権威が高まっているので、
功績をたたえて褒美を与え、高い地位に任命する場合にも、
悪だくみをする人たちが関与することがなくなるのです。
尽力して功績を上げることを好む者たちの地位は本来高いものです。
ですからそういう者たちの地位が高いと君主の権威も尊いものになり、
君主の権威が高くなれば必ずその君主は王者なのです。
国に尽力もせずに、自分が個人的に学んだ(儒学などの)学問を
あてにする者たちの地位は本来卑しいものです。
ですからそういういやしい者たちを重んじると
君主の権威も低くなってしまい、
君主の権威が低い国は必ず周りの国々に領土を削られてしまうのです。
ですから国を安定させて民衆を用いるための道を行うためには、
法令によって民衆を引き締めていって種々の欲望から民衆を隔てて
悪賢い家臣などに自分勝手な行為をさせないようにして、
それによって自分の態勢を万全に保たれていることだけを
あてにしているならば、
その君主は王者としての能力をきちんと発揮させることができるのです。
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兵馬俑(へいばよう)一号坑(中国・西安)
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net この『韓非子(かんぴし)』の一節は Yahoo! 知恵袋で質問された内容です。数行ずつに小分けにして質問をしてきたので、それに逐一回答をすると、かえって説明が煩雑なくりかえしになるので、ここにまとめて訳してみました。
この漢文は『韓非子(かんぴし)』の五十四篇めの「心度(しんたく)篇」です。この一節は民衆の心と法律の適用についての内容です。
こちらは原文と書き下し文と語注になります。
現代語訳と解説は以下を参照して下さい。三つの記事でセットになっていますので、コメント欄は解説の記事のみに設けています。この点もよろしくお願いいたします。
現代語訳の記事
解説の記事(コメント欄はこちらに設けてあります)
●原文
『韓非子』 心度 第五十四
聖人之治民、度於本、不從其欲、期於利民而已。故其與之刑、非所以惡民、愛之本也。刑勝而民靜、賞繁而姦生。故治民者、刑勝、治之首也。賞繁、亂之本也。夫民之性、喜其亂而不親其法。故明主之治國也、明賞則民勸功、嚴刑則民親法。勸功則公事不犯、親法則姦無所萌。故治民者、禁姦於未萌、而用兵者、服戰於民心。禁先其本者治、兵戰其心者勝。聖人之治民也、先治者強、先戰者勝。夫國事、務先而一民心、專舉公而私不從、賞告而姦不生、明法而治不煩。能用四者強、不能用四者弱。夫國之所以強者政也。主之所以尊者權也。故明君有權有政。亂君亦有權有政、積而不同。其所以立異也。故明君操權而上重、一政而國治。故法者王之本也、刑者愛之自也。
夫民之性、惡労而樂佚。佚則荒、荒則不治、不治則亂、而賞刑不行於天下者必塞。故欲舉大功、而難致而力者、大功不可幾而舉也。欲治其法、而難變其故者、民亂不可幾而治也。故治民無常、唯治為法。法與時轉則治、治與世宜則有功。故民樸、而禁之以名則治、世知、維之以刑則從。時移而治不易者亂、能治衆而禁不變者削。故聖人之治民也、法與時移、而禁與能變。能越力於地者富、能起力於敵者強。強不塞者王。故王道在所開、在所塞。塞其姦者必王。故王術不恃外之不亂也、恃其不可亂也。恃外不亂、而治立者削、恃其不可亂、而行法者興。故賢君之治國也、適於不亂之術、貴爵則上重、故賞功爵任、而邪無所關。好力者其爵貴、爵貴則上尊。上尊則必王。國不事力、而恃私學者、其爵賤。爵賤則上卑、上卑者必削。故立國用民之道也、能閉外塞私、而上自恃者王可致也。
●書き下し文
聖人(せいじん)の民(たみ)を治(おさ)むるは、本(もと)を度(はか)り、
其(そ)の欲(ほっ)するに従(したが)わず、
民に利(り)するを期(き)せんとするのみ。
故(ゆえ)に其の之(これ)に刑(けい)を与(あた)うるや、
民を悪(にく)む所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。
愛(あい)の本(もと)なり。
刑(けい) 勝てば民 静まり、賞(しょう) 繁(はん)なれば
姦(かん)生(しょう)ず。
故に民を治むるに、刑 勝つは、治(ち)の首(はじめ)なり。
賞(しょう)繁(はん)なるは、乱(らん)の本(もと)なり。
夫(そ)れ民の性(せい)は、其の乱(みだ)るるを喜びて
其の法(ほう)に親しまず。
故に明主(めいしゅ)の国を治むるには、賞(しょう)を
明(あき)らかにすれば則ち民は功(こう)を勧(すす)め、
刑を厳(げん)にすれば則ち民は法(ほう)に親(した)しむ。
功(こう)を勧(すす)めれば則ち公事(こうじ)は犯(おか)されず、
法に親しめば則ち姦(かん)の萌(きざ)す所(ところ)無(な)し。
故に民を治むるには、姦(かん)を未(いま)だ
萌(きざ)さざるに禁(きん)じ、而(しこ)うして兵(へい)に用(もち)うれば、
戦(いくさ)に民心(みんしん)を服(ふく)せしむ。
先(ま)ず其の本(もと)を禁ずれば治まり、
兵に其の心を戦(たたか)わしむれば勝つ。
聖人(せいじん)の民(たみ)を治(おさ)むるや、
先(ま)ず治(おさ)むれば強く、先ず戦(たたか)わしむれば勝つ。
夫(そ)れ国事(こくじ)は、
先(さき)を務(つと)めて民心(みんしん)を一にし、
専(もっぱ)ら公(おおやけ)を挙(あ)げて私(わたくし)に従(したが)わず、
告(つ)げるを賞(しょう)して姦(かん)は生(しょう)ぜしめず、
法を明らかにして治(ち)は煩(わずら)わせず。
能(よ)く四者(よんしゃ)を用いる者は強く、
能く四者を用いざる者は弱し。
夫れ国の強き所以(ゆえん)は政(まつりごと)なり。
主(あるじ)の尊(とうと)き所以は権(けん)なり。
故に明君(めいくん)は権(けん)有(あ)り政(まつりごと)有(あ)り。
乱君(らんくん)も亦(ま)た権有り政有るも、
積(つ)むところは同(おな)じからず。其の立つの異なる所以なり。
故に明君は権を操りて上重く、政を一にして国治まる。
故に法(ほう)は王の本(もと)なり、
刑は之(これ)を愛(あい)する自(よ)りするなり。
夫(そ)れ民(たみ)の性(せい)は、労(ろう)を悪(にく)みて
佚(いつ)を楽(たの)しむ。佚なれば則(すなわ)ち荒(あ)れ、
荒れれば則ち治(おさ)まらず、治まらざれば則ち乱(みだ)れ、
而(しか)るに賞刑(しょうけい)の天下(てんか)に 行われずして必ず塞(ふさ)がる。
故(ゆえ)に大功(たいこう)を挙(あ)げんと欲(ほっ)すれば、
大功は、致(いた)し難(がた)くして力(つと)むれば、
大功は幾(のぞ)むべからずして挙ぐるなり。
其(そ)の法(ほう)を治(おさ)めんと欲すれば、
其(そ)の故(ふる)きを変(へん)じ難(がた)くすれば、
民の乱(みだ)れは幾(のぞ)むべからずして治まるなり。
故に民の常(つね)無(な)きを治むるには、
唯(た)だ治まるを法と為(な)すのみ。
法は時と与(とも)に転(てん)じて則ち治まり、
治むるには世(よ)と与(とも)に宜(よろ)しくして則ち功(こう)あり。
故に民の樸(ぼく)なれば、而(しこ)うして之を禁(きん)ずるに
名(な)を以(もっ)てすれば則ち治まり、
世知(せち)、之を維(つな)ぐに刑(けい)を以てすれば則ち従(したが)う。
時の移りて治まり易(やす)からざれば乱(みだ)れ、
能(よ)く衆(しゅう)を治むるに禁(きん)変(か)わらざれば削(けず)らる。 故に聖人の民を治むるや、法(ほう)は時と与(とも)に移り、
而(しこ)うして禁(きん)は能(のう)と与(とも)に変(へん)ず。
能(のう)の力(ちから)を地(ち)に越(こ)せば富(と)み、
能(のう)の力を敵(てき)に起(お)こせば強(つよ)し。
強くして塞(ふさが)らざれば王(おう)なり。
故に王道(おうどう)は開(ひら)く所(ところ)在(あ)り、
塞(ふさ)ぐ所(ところ)在(あ)り、
其(そ)の姦(かん)を塞(ふさ)げば必(かならず)ず王なり。
故に王術(おうじゅつ)は之(これ)を外(そと)に
恃(たの)まずして乱(みだ)れず、
其の乱(みだ)るべからざるを恃(たの)むなり。
外に乱れざるを恃(たの)み、
而(しこ)うして治(ち)立(た)つれば削られ、
其の乱るべからざるを恃みて、
而うして法(ほう)を行(おこな)えば興(おこ)る。
故に賢君(けんくん)の国を治むるや、
乱れざるの術(じゅつ)に適(かな)い、
爵(しゃく)を貴(たっと)くして則ち上(しょう)重(おも)く、
故に功(こう)を賞(しょう)して爵(しゃく)に任(にん)ずるも、
而(しこ)うして邪(じゃ)の関(かん)する所(ところ)無(な)し。
力(つと)むるを好(この)む者は其(そ)の爵(しゃく)は貴(たっと)く、
爵(しゃく)貴(たっと)ければ則ち上(しょう)尊(たっと)し。
上(しょう)尊(たっと)ければ則ち必ず王(おう)なり。
国(くに)に力(つと)むるを事(こと)とせず、
而(しこ)うして私学(しがく)を恃(たの)む者は、
其の爵(しゃく)賤(いや)し。
爵(しゃく)賤(いや)しければ則ち上(しょう)卑(いや)し、
上(しょう)卑(いや)しければ必ず削(けず)らる。
故に国(くに)を立(た)てて民(たみ)を用(もち)いるの道(みち)たるや、
能(よ)く外(そと)を閉(し)めて私(わたくし)を塞(ふさ)ぎ、
而(しこ)うして上(しょう)自(みずか)ら恃(たの)む者は
王(おう)致(いた)すべきなり。
●語注
※聖人(せいじん): 最も高い人徳と知恵を身につけた人のことです。
※明主(めいしゅ): 「明君(めいくん)」のことです。立派な君主のことです。
※国事(こくじ): 国の政治に関する事柄のことです。
※世知(せち):悪だくみにすぐれたずる賢い者のことです。
※王道(おうどう): 権力による強制力にたよらずに、
道徳によって国を治める政治のしかたの事です。
※王術(おうじゅつ): 王者が天下を統治するための
はかりごとのことです。
※私学(しがく): 個人的に学んだ学問のことです。
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