玄齋詩歌日誌

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竹林の七賢

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満月
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●原文:
 
 
 詠懷詩 (其一)  (魏) 阮籍
 
夜 中 不 能 寐,  起 坐 彈 鳴 琴。
 
薄 帷 鑒 明 月,  清 風 吹 我 衿。
 
孤 鴻 號 外 野,  朔 鳥 鳴 北 林。
 
徘 徊 將 何 見,  憂 思 獨 傷 心。
 
 
 
●書き下し文:
 
 
 題: 「詠懐詩(えいかいし)(其の一)」
 
夜中(やちゅう) 寐(ね)る能(あた)わず、
起坐(きざ) 鳴琴(めいきん)を弾(だん)ず。
 
薄帷(はくい) 明月(めいげつ)に鑑(あき)らかに、
清風(せいふう) 我が衿(えり)を吹く。
 
孤鴻(ここう) 外野(がいや)に号(さけ)び、
朔鳥(さくちょう) 北林(ほくりん)に鳴く。
 
徘徊(はいかい)して 将(まさ)に何(なに)をか見(み)んとするや、
憂思(ゆうし) 独(ひと)り傷心(しょうしん)す。
 
 
 
●現代語訳:
 
 
 題: 「阮籍(げんせき)が心に思っていることを詠んだ詩の、
   その一です。」
 
真夜中に寝ることができずに、
起き上がって坐(すわ)り、琴を弾いていました。
 
薄い部屋の仕切り布は明るい月の光に鏡のように照らされていて、
爽やかな風が、私の襟元(えりもと)に吹いていました。
 
屋外では一羽でいる白鳥が叫ぶように鳴いていて、
北へと飛んでいく渡り鳥は北にある林の方で鳴いていました。
 
そんな鳥たちは行ったり来たりとさまよい歩いて、
一体何を見ようとしていたのでしょうか。
心配する気持ちに駆られて、私は一人で悲しい思いをしていたのです。
 
 
 
●語注:
 
 
※詠懐(えいかい): 心に思っている事柄を詩歌にすることです。
 
※夜中(やちゅう): 真夜中のことです。
 
※起坐(きざ): 起き上がって坐ることです。
 
※鳴琴(めいきん): 琴を弾くこと、あるいは鳴っている琴のことです。
 
※薄帷(はくい): 薄い絹の帷(とばり: 部屋を仕切る布)のことです。
 
※清風(せいふう): 爽やかな風のことです。
 
※孤鴻(ここう): 一羽でいる白鳥のことです。
 
※外野(がいや): 屋外のことです。
 
※朔鳥(さくちょう): 北の方へ飛んでいく渡り鳥のことです。
 
※北林(ほくりん): 北にある林のことです。
 
※徘徊(はいかい): 行ったり来たりと、さまよい歩くことです。
 
※憂思(ゆうし): 心配する気持ちのことです。
 
※傷心(しょうしん、心を痛める): 心を痛めて非常に悲しむことです。
 
 
 
●解説:
 
 
久しぶりに漢詩の翻訳をしてみました。
嵇康(けいこう)と並んで竹林の七賢の中心人物の一人、
阮籍(げんせき)の詠んだ八十二首の連作の漢詩の一首目です。
 
彼も三国時代の魏の終わりごろの人です。
父親は、当時の文学を支えた七人である、
建安の七子(けんあんのしちし)の一人の、阮瑀(げんう)で、
彼も詩が得意で、琴を弾くのが好きな人物でした。
 
権力争いがさかんになった魏の朝廷に嫌気がさして、
老荘思想を尊んで俗世間を離れ、大酒を飲んで過ごしていました。
 
俗世間と離れた暮らしをしている一端として、
彼は気に入らない人物には白眼(はくがん: 白目)で応対し、
気に入った人物には青眼(せいがん: 黒目)で応対していました。
 
ここから、気に入らない人物を冷たく扱うという意味の
白眼視(はくがんし)という言葉が生まれたのです。
 
 
彼は世の中を渡ることに関しては慎重だったようです。
親友の嵇康(けいこう)が鍾会(しょうかい)という魏の武将に
非礼を行って鍾会の恨みを買って讒言されて処刑された後も、
 
彼はただ酒浸りになって、世の中との接触を避けて、
人の恨みを買うことの無いように振る舞っていました。
慎重な人物であったことがうかがえます。
 
 
そんな阮籍(げんせき)が詠んだ、八十二首の連作の
長編の漢詩が「詠懐詩(えいかいし)」です。
 
詠懐(えいかい)とは心に思っている事柄を詩歌にすることです。
悲しみの気持ちを綴った詩です。
 
 
今回の一首目は、
 
阮籍(げんせき)は、夜も眠れない中、
起きて一人で琴を弾いていて、
 
月の光が明るく、爽やかな風が吹く中で、
悲しい泣き声で鳴く白鳥や北に向かう渡り鳥、
 
そんな中でさらに悲しい思いを強くした、
そういう詩だと思います。
 
 
昔のこうしたしみじみと悲しい詩も、訳して味わっていきながら、
僕自身の作る漢詩にも役立たせていこうと思います。
 
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故宮の塗金青銅獅子像(中国・北京)
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net
 
 
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以下、「嵇康(けいこう)」を「稽康」と表記しています。
これはいろんな環境でもきちんと人名を表示するための措置です。
 
 
竹林の七賢の一人、稽康(けいこう)の漢詩の『憂憤詩(ゆうふんし)』
翻訳のラストの四回目です。ようやく翻訳が完了して嬉しいです。
 
老荘を学ぶ稽康(けいこう)自身の人生を詠みながら、
「幽憤(ゆうふん)」、つまり当時の世の中への人知れぬ
憤りの気持ちを込めた詩です。
 
 
 このページは解説の記事です。コメント欄もこちらに設けてあります。
 
 原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事は、以下の記事を見て下さい。
 
 原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
 
 
 以上のこと、よろしくお願いいたします。
 
 
 
●解説:
 
 
竹林の七賢の一人、稽康(けいこう)の漢詩の『憂憤詩(ゆうふんし)』
の翻訳のラストの四回目です。ようやく翻訳が完了して嬉しいです。
 
 
今回の部分は(当時の)老荘の考えに従って世の中を離れて暮らして
長生きをしていきたい、そんな風な詩句ですね。
単なる情けない話であるようでいて、世の中の関わりのなかで
老荘を理解していく、そういう稽康(けいこう)の姿勢も
感じられる部分でした。
 
 
この詩句の中で、辞書を引いてもわかりにくい言葉があります。
それは「利貞(りてい)」です。
 
(この言葉で忘年会を思い出します。それはもう少し後でわかります)
 
 
この言葉は次の本の冒頭から出てきます。
 
それは儒学の経典の一つで、古代の周の時代から伝わった易の書物の
『周易(しゅうえき)』(または『易経(えききょう)』)のことで、
その中で頻繁に出てくる言葉です。
 
たとえば、卦(け)という占いの結果を示すしるしの
六十四卦(ろくじゅうよんけ)の一番目の
「乾(けん)」の卦の冒頭に、以下のように出てきます。
 
乾、元亨利貞。
「乾(けん)は元亨利貞(げんこうりてい)なり。」
 
「元亨利貞(げんこうりてい)」を辞書で引くと、たいてい、
 
乾、つまり天の四つの徳に相当し、春夏秋冬や
人間の四つの徳目である仁・義・礼・智に相当する、とか、
 
「元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よろ)し」
と読む、とかそのように書いているわけですが、
これではほとんど意味がわからないのです。
 
そもそも「利(よろ)し」と読むのは、
意味を理解する上ではよろしくないのです。
無理に訓読することで、かえってわからなくなってしまうのです。
 
 
この言葉を説明している文章は、同じく乾(けん)の卦の
『文言伝(ぶんげんでん)』の冒頭に存在します。
 
『文言伝(ぶんげんでん)』は孔子が書いたという伝説のある
易の言葉を解説する十巻の文書の「十翼(じゅうよく)」の一つで、
 
特に天と地を表す重要な二つの卦である「乾(けん)」と「坤(こん)」を
さらに重ねて解説するものです。
 
 
乾の卦の『文言伝』の冒頭は以下のようになっています。
まずは原文と書き下し文を載せます。
 
 
(原文)
 
文言曰:元者善之長也、亨者嘉之会也、利者義之和也、貞者事之乾也。
 
君子体仁足以長人、嘉会足以合礼、利物足以和義、貞固足以乾事。
 
君子行此四徳者、故曰乾元亨利貞。
 
 
(書き下し文)
 
文言(ぶんげん)に曰(いわ)く:
 
元(げん)は善(ぜん)の長(おさ)なり、
亨(こう)は嘉(さいわい)の会(あつ)まりなり、
利(り)は義(ぎ)の和(わ)なり、
貞(てい)は事(こと)の乾(けん)なり。
 
君子(くんし)は仁(じん)を体(たい)して以(もっ)て人に長(ちょう)じ、
嘉(さいわい)に会(あつま)りて以て礼(さい)に合(がっ)するに足(た)り、
物を利(り)して以て義(ぎ)に和(わ)するに足り、
貞固(ていこ)にして以て事(こと)に乾(けん)なるに足る。
 
君子は此(こ)の四徳(しとく)を行(おこな)い、
故(ゆえ)に曰く、乾(けん)は元亨利貞(げんこうりてい)なり。
 
(ここまでが書き下し文です)
 
 
まず、「元(げん)は善(ぜん)の長(おさ)なり、」
 
ここは、注釈では、次のように書いています。
「元は天のすぐれた性質のもととなる実体のことで、
それはあらゆるものを養い育て、その善は大きいものであるけれども、
直接に生命を施すのではなく、生命の中心となるものを施すこと」
 
つまり、元とは、「物事の中心となるものを生み出す天のすぐれた性質」
のことです。
 
「亨(こう)は嘉(さいわい)の会(あつ)まりなり、」
 
ここでは、『嘉』は『美(よい: 良い)』のことで、
天が何者にも邪魔をされることなくあらゆる事をなし遂げることを言い、
物事の良いところが集まってくることを意味します。
 
そこから、亨(こう)は「天があらゆる事をなし遂げること」を意味します。
 
「利(り)は義(ぎ)の和(わ)なり、」
 
ここは、「天があらゆる物事に利益を施して、物事のそれぞれが
ふさわしい状態になってお互いに調和すること」を指しています。
利は、「物事を正しい方向へ向かわせて、周囲と調和すること」です。
 
「貞(てい)は事(こと)の乾(けん)なり。」
 
「事(こと)の乾(けん)」ではよくわからないのですが、
ここでは「乾」は「幹(かん)」のことととらえると理解できます。
 
宋の時代の易の解説書では、「乾」の卦ではなくて
「幹」の卦と書かれていることがありますが、それは誤植ではなくて、
ここの部分をもとにしたものです。
 
今月は忘年会のシーズンですね。「幹事(かんじ)」という言葉は
ここから出ています。幹事は宴会の時のお店の手配や支払いの時の
とりまとめ役のことですね。もともとは「物事を立派になし遂げること」を
指す言葉です。
 
ここから、「幹」とは「幹(みき)」、つまり物事の根幹(こんかん)、
根本となる部分のことです。物事の根本、つまり「道理」を指しています。
 
ここから、貞(てい)は、「物事の根本である道理をしっかりと保って、
物事に対処していくこと」になります。
 
 
あとの方の訳も書いてみますと、
先ほどの原文の訳は次のようになります。
 
 
(現代語訳)
 
『文言伝(ぶんげんでん)』には、以下のように書かれています。
 
「元(げん)は天がすぐれた性質を持って物事の中心となるものを
生み出すもので、
 
亨(こう)はあらゆるものをなし遂げて、良い物事が集まってくることで、
 
利(り)は、物事を正しい方向へ向かわせて、
それぞれを周囲と調和させることで、
 
貞(てい)は、物事の根本である道理をしっかり守って
物事に対処することです。
 
以上より、君子(くんし)、つまり修養の出来た立派な人は、
以下のような四つの徳を行うことができます。
 
(一)君子は仁(じん: 「思いやりの気持ち」の仁ではなく、
老荘の『道』のような意味で使われるもの)を身につけて、
そうして人々の中心となり、
 
そういう君子は
 
(二)物事のよい状態が彼を慕って集まって来るようになり、
 
(三)いろんな物事をよい状態にしてそれぞれを周囲に調和させて、
 
(四)自分の中で物事の道理をしっかり保って、物事に対処するのに
十分なのです。
 
君子がこの四つの徳を行うことができるということ、
それが、「乾(けん)は元亨利貞(げんこうりてい)である」
という意味なのです。
 
(ここまでが現代語訳です)
 
 
このことから、「利貞(りてい)」とは(三)と(四)、つまり、
 
「物事の道理をしっかり保ちながら、いろんな物事を正しい筋道に
従わせて、その物事のそれぞれを周囲の環境と調和させること」
 
を意味するのです。
 
 
これで最後の難関をクリアして、翻訳が終了しました。ひと安心です。
 
 
この詩の全体を通して見ると、この『憂憤詩(ゆうふんし)』は、
稽康(けいこう)の生い立ち、身の上から始まって、
 
老荘の理想の政治を説いてそれと合わない当時の世の中を嘆いて、
それに適合できない自分自身を嘆いて、自然の中でのびのびとしている
雁の群れに憧れて、乱れた世の中を離れ、
老荘の自分の身を養う方法に従って長く生きていきたい、
 
という願望を詠んだものでした。
 
 
今回の詩句に出て来た、
 
「無 馨 無 臭。  馨(かお)ること無く、臭(にお)うこと無からん」
 
(訳)
花の香りのように周囲の注目を引くこともなく、
かといって悪臭のように人の迷惑にならないようにもしたいのです。
 
 
この部分はかなり身につまされるものがあります。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に近いようにも思いますが、
「雨ニモマケズ」のように人助けに奔走するわけでもないので、
それとは違って、稽康(けいこう)のは単なる
情けない願望のようにも思えます。
 
でもこの詩の中で世の中と接する中で老荘の考え方を理解していく、
そんな稽康(けいこう)の姿勢を垣間見ることで、今後の僕の漢詩にも
活かしていけるのではないかと思いました。
 
今後はこの稽康(けいこう)が老荘の考え方に基づく心身を養う方法を
まとめた『養生論』も訳していこうと思います。
 
 
これからも勉強したいことがどんどん増えてきているのが楽しいです。
来年も健康に気を遣いながら日々きちんと向上していこうと思います。
 
 
これで今年の課題は終わりました。
年越しまでは、年末の大掃除等をしながら、
自由研究として、何かの漢文を訳してみようと思います。
 
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故宮の神寧宮(しんねいきゅう)(中国・北京)
Photo by (c) Tomo.Yun
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以下、「嵇康(けいこう)」を「稽康」と表記しています。
これはいろんな環境でもきちんと人名を表示するための措置です。
 
 
竹林の七賢の一人、稽康(けいこう)の漢詩の『憂憤詩(ゆうふんし)』の
訳のラストの四回目です。ようやく翻訳が完了して嬉しいです。
 
老荘を学ぶ稽康(けいこう)自身の人生を詠みながら、
「幽憤(ゆうふん)」、つまり当時の世の中への人知れぬ
憤りの気持ちを込めた詩です。
 
 
 このページは原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事です。
 
 解説については以下の記事を見て下さい。
 
 解説の記事
 
 
 コメント欄は解説の記事に設けてあります。
 この点について、ご了承願います。よろしくお願いいたします。
 
 
 
●原文:
 
 
 
 幽憤詩  其の四  (晋) 稽康
 
古 人 有 言, 善 莫 近 名。 奉 時 恭 默, 咎 悔 不 生。
 
萬 石 周 愼, 安 親 保 榮。 世 務 紛 紜, 祗 攪 予 情。
 
安 樂 必 誡, 乃 終 利 貞。 煌 煌 靈 芝, 一 年 三 秀。
 
予 獨 何 爲, 有 志 不 就。 懲 難 思 復, 心 焉 内 疚。
 
庶 勗 將 來, 無 馨 無 臭。 采 薇 山 阿, 散 髪 巖 岫。
 
永 嘯 長 吟, 頤 性 養 壽。
 
 
 
●書き下し文:
 
 
古人(こじん) 言(ものい)うこと有り、善(よ)く名に近づく莫(なか)れと。
 
時を奉(う)けて恭黙(きょうもく)すれば、咎悔(きゅうかい) 生ぜず。
 
万石(ばんせき)は周慎(しゅうしん)し、
親(おや)を安(やす)んじて栄(えい)を保(たも)つ。
 
世務(せいむ) 紛紜(ふんうん)として、
祗(た)だ予(わ)が情を攪(みだ)す。
 
安楽(あんらく) 必ず誡(いまし)め、
乃(すなわ)ち利貞(りてい)に終わらん。
 
煌々(こうこう)たる霊芝(れいし)、
一年(ひととせ) 三(み)たび秀(ひい)ず。
 
予(われ)は独(ひと)り何為(なんす)れぞ、
志(こころざし) 有るも 就(つ)かざるや。
 
難(なん)に懲(こ)りて復(ふたた)びするを思(うれ)い、
心は内に疚(やま)しければなり。
 
庶(こいねが)わくは将来に勗(つと)め、
馨(かお)ること無く 臭(にお)うこと無(な)からん。
 
山阿(さんあ)に薇(わらび)を采(と)り、髪を巌岫(がんしゅう)に散らす。
 
永(なが)く嘯(うそぶ)き長く吟(ぎん)じ、
性を頤(やしな)い寿(じゅ)を養(やしな)わん。
 
 
 
●現代語訳:
 
 
昔の人は、こう言っていました。
「世の中の名誉には近づかない方がよい」と。
 
天の運命に従って、口数を少なくして慎み深くしていると、
咎(とが)めや後悔が生まれることは無いのです。
 
かつて臣下としての最高の地位である三公(さんこう)にいた人々は
あらゆる所に注意を行き届かせて言動を慎重にして
 
さらに父母に孝行をして養って父母を安心させて、
一家の繁栄を保っていたのです。
 
今の世の中でしなければならない物事は複雑に入り組んでいるために、
単に私の心を乱しているだけなのです。
 
のんびりとして楽しむ気持ちは必ず戒めていき、
そうして最後には「利貞(りてい)」、つまり
物事の正しい道理をきちんと守っていくことで、
世の中の正しい筋道に従いながら、
きちんと世の中の状況に合うようになるのです。
 
きらきらと光り輝く霊芝(れいし)というめでたいしるしのキノコは、
一年に三度も伸びて出てくるのです。
 
その一方で、私は一体どうして、
もともとのこうしたいという気持ちはあっても、
行動を開始することがないのかと言いますと、
 
状況の難しさに懲りてしまって、
もう一度過ちを犯してしまうのではないかと心配になって、
心の中で後ろめたく思うからです。
 
願うことならばこれから先は真面目に働いて、
花の香りのように周囲の注目を引くこともなく、
かといって悪臭のように人の迷惑にもならないようにしたいのです。
 
山道の入り組んだところで蕨(わらび)を取って食糧にし、
岩山に住んで髪の毛を振り乱す、そんな生活を送り、
 
声を細く長く出しながら人を恨みながらも慕うような悲しい気持ちを
詩に詠む、そんな自分の身を養う方法を実践しながら、
 
生まれつきに持っているよい性質を養い育てながら、
健康に注意をして長く生きていきたいのです。
 
 
 
●語注:
 
 
※古人(こじん): 昔の人のことです。
 
※奉時(ほうじ、ときをうく): 天が降(くだ)す運命に従うことです。
 
※恭黙(きょうもく): 口数が少なくて慎み深いことです。
 
※咎悔(きゅうかい): とがめと後悔のことです。
 
※万石(ばんせき): 漢の時代の「三公(さんこう)」のことです。
  この官職にある人の給料の大きさから来ています。
 
※三公(さんこう): 臣下の身分での最高の三つの官職のことです。
  漢の時代では、天子(てんし: 皇帝)を輔佐する最高の官職の
  丞相(じょうしょう)、軍事を司る官の長官である大尉(たいい)、
  官吏を監督して取り締まる役所の御史台(ぎょしだい)の長官の
  御史大夫(ぎょしたいふ)の三つです。
 
※周慎(しゅうしん): 注意を行き届かせて慎重にすることです。
 
※安親(あんしん、おやをやすんじる): 父母に孝行をして養い、
  父母を安心させることです。
 
※保栄(ほえい、えいをやすんじる): 家の繁栄を保つことです。
 
※世務(せいむ): 国や社会の現状から、今しなければならない
  任務のことです。
 
※紛紜(ふんうん): 複雑に入り混じっていることです。
 
※安楽(あんらく): のんびりとして楽しむことです。
 
※煌々(こうこう): きらきらと光り輝いていることです。
 
※霊芝(れいし): めでたいしるしのキノコのことです。
 
※何為(なんすれぞ): 「どうして〜なのか」という意味です。
 
※将来(しょうらい): これから先の時のことです。
 
※山阿(さんあ): 山道が曲がって入り込んだところです。
  山の隈(くま)のことです。
 
※巌岫(がんしゅう): 「巌窟(がんくつ)」、つまり岩穴のことです。
 
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蓄音機
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竹林の七賢の一人で、現在訳している漢詩の『幽憤詩(ゆうふんし)』の
作者である嵇康(けいこう)の、『広陵散(こうりょうさん)』という
歌の曲にまつわる伝説をまとめた漢文の一節を訳しています。
 
この文章は、宋の時代の(西暦 978 年)年に編纂された百科辞典の、
『太平広記(たいへいこうき)』の巻三百十七の「鬼」の二巻に
載っている稽康(けいこう)に関する文章です。
 
(嵇康(けいこう)がこの原文では「稽康」と表記されています。
 こちらの字は携帯電話等でもきちんと表示されますので、
 以下、稽康(けいこう)の表記を使います)
 
 
こちらは解説の記事です。コメント欄もこちらにあります。
原文・書き下し文・現代語訳・語注については以下の記事を見て下さい。
コメントもその解説の記事の方に設けてあります。
 
 原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
 
以上の点をご了承下さい。よろしくお願いいたします。
 
 
●解説
 
 
竹林の七賢の一人で、現在訳している漢詩の『幽憤詩(ゆうふんし)』の
作者である嵇康(けいこう)の、『広陵散(こうりょうさん)』という
歌の曲にまつわる伝説をまとめた漢文の一節を訳しています。
 
この文章は、宋の時代の(西暦 978 年)に編纂された百科辞典の、
『太平広記(たいへいこうき)』の巻三百十七の「鬼」の二巻に
載っている稽康(けいこう)に関する文章です。
 
(嵇康(けいこう)がこの原文では「稽康」と表記されています。
 こちらの字は携帯電話等でも表示されますので、
 以下、稽康(けいこう)の表記を使います)
 
「鬼」は中国の言葉では「幽霊」を指す言葉ですので、
いろんな心霊現象をまとめた巻になります。
 
 
今回訳した一節は簡単に言いますと、
 
稽康が日没後に琴を弾いていたとき、
かつて音楽家であった亡霊がその曲を聴きに来て、
『広陵散(こうりょうさん)』という曲を一緒になって弾いて、
稽康に授けてくれたけれども、
 
自分で改めて弾いてみても演奏することができず、
教えることもできない状態になってしまいました。
 
夜中に亡霊が稽康に言うところでは、
遠い将来にしか再び一緒に演奏することは出来ないから、
この音楽は長い間絶えてしまうだろうということでした。
 
それを稽康が恨めしく思った、という話です。
 
そしてこのお話は、唐の時代の荀氏(じゅんし)という人が書いた
奇妙な出来事を書いた小説の『霊鬼志(れいきし)』の中に
出てくる話だそうです。
 
 
しかしそもそも『広陵散(こうりょうさん)』という曲を調べてみますと、
この曲は後漢の時代の頃に民間に広まった曲で、
明の時代に再編されたものだそうです。
 
ですから、実際にはこれで曲が伝わらなかったと言うことはないですね。
稽康のいろんな言い伝えられた架空の伝説の一つなのだと思います。
 
 
さらに別の伝説として、鍾会(しょうかい)という武将の陰謀によって、
司馬仲達の息子の司馬昭(しばしょう)に処刑されるときに、
 
「以前、袁孝尼(えんこうに)という人が私に『広陵散(こうりょうさん)』を
教えて欲しいと言ってきたけれども、私は決して教えることはないです。
『広陵散(こうりょうさん)』はこれで後世に伝わることなく
絶えてしまうのです」
 
と言って処刑された、という話があります。
 
これも言い伝えられた架空の伝説なのだと思います。
 
 
本文の中で、稽康が亡霊の相手の外見に構わず語り合った所などには、
荘子の『万物斉同(ばんぶつせいどう)』、
つまり、あらゆる物はすべて等しく自然の道理に従っているので、
自然の道理の面から考えれば、あらゆる物はすべて等しいという
考え方が反映しているように思います。
 
一方で、三国時代の戦乱の時期なので、本当のところ悪いのかどうかは
わかりませんが、人を殺してわだかまりや恐れを持たないのは
問題があるかなと思いました。
 
こういう稽康の性格が、世の中の災難を受けてしまう理由の
一つなのではないかと思いました。
 
 
本文の中で驚いたのは、文中の「善(ぜん)」という字が、
「藝(芸)を学んだ人」という意味になることです。
 
これは儒学の経典の一つで礼儀作法や儀式をまとめた
『礼記(らいき)』の中の「少儀(しょうぎ)」という巻が原典だそうです。
その一節の意味を解説した『疏(そ)』の原文も訳します。
 
 
(原文)
 
問道藝,曰:子習于某乎,子善于某乎。
 
疏曰:道難,故稱習。藝易,故稱善。
 
 
(書き下し文)
 
道(どう)藝(げい)を問う。
 
曰(いわ)く:「子(し)は某(それがし)に習(なら)わんか、
 子は某と善(よ)からんか。」と。
 
疏(そ)に曰く:
 
「道(みち)は難(かた)し、故(ゆえ)に習うと称(しょう)す。
芸(げい)は易(やす)し、故(ゆえ)に善(ぜん)と称す。」
 
 
(現代語訳)
 
聖人の道と藝(芸: それ以外の技術や学問)について質問しました。
 
すると先生(孔子)は次のようにおっしゃいました。
 
「あなたは私に(聖人の道を)習いたいのですか、
 それとも私と仲良く過ごしたいのですか。
 (聖人の道でなければ私は教えなくて済みますね)」
 
この一節の意味を説明する『疏(そ)』では以下のように説明しています。
 
「聖人の道を究めるのは難しいから、先生に習わないといけないのです。
 その他の技能や学問は簡単なので、わざわざ先生に習う
 必要がないのです。ですから『善(ぜん)』、つまり先生は
 あなたと仲良くするだけでよいのです」
 
(ここまでが『礼記(らいき)』の現代語訳です)
 
 
『善(ぜん)』を『藝(芸: げい)』という意味で漢詩に使うことは
おそらくないと思いますが、ほかの漢文や漢詩の文章を訳すときに、
このことを覚えておこうと思います。
 
今回は稽康の詩の『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の脱線ですが、
このような脱線はかえって勉強になって楽しいと思います。
 
 
少しずついろんな事を学んで知識が増えていくのを感じます。
来年もこのような調子で学んでいきたいなと思います。
 
イメージ 1
蓄音機
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竹林の七賢の一人で、現在訳している漢詩の『幽憤詩(ゆうふんし)』の
作者である嵇康(けいこう)の、『広陵散(こうりょうさん)』という歌の曲に
まつわる伝説をまとめた漢文を訳しています。
 
この文章は、宋の時代の(西暦 978 年)年に編纂された百科辞典の、
『太平広記(たいへいこうき)』の巻三百十七の「鬼」の二巻に
載っている稽康(けいこう)に関する文章です。
 
(嵇康(けいこう)がこの原文では「稽康」と表記されています。
こちらの字は携帯電話等でもきちんと表示されますので、
以下、稽康(けいこう)の表記を使います)
 
 
こちらは原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事です。
解説については以下の記事を見て下さい。
コメントもその解説の記事の方に設けてあります。
 
 解説の記事
 
以上の点をご了承下さい。よろしくお願いいたします。
 
 
 
●原文
 
 
稽康灯下弾琴、忽有一人、長丈餘、著黒単衣、革帯。
康熟視之、乃吹火滅之曰:「恥与魑魅争光。」
 
嘗行、去洛数十里、有亭名月華。投此亭、由来殺人、中散心神蕭散、
了無懼意。至一更操琴、先作諸弄。雅声逸奏、空中称善。
 
中散撫琴而呼之:「君是何人?」
 
答云:「身是古人、幽没於此。聞君弾琴、音曲清和、昔所好。
故来聴耳。身不幸非理就終、形体残毀、不宜接見君子。
然愛君之琴、要当相見、君勿怪噁之。君可更作数曲。」
 
中散復為撫琴、撃節。
 
曰:「夜已久。何不来也?形骸之間。復何足計?」
 
乃手挈其頭曰:「聞君奏琴。不覚心開神悟。恍若暫生。
遂与共論音声之趣、辞甚清辯。」
 
謂中散曰:「君試以琴見与。」
 
乃弾広陵散。便従受之。果悉得。
中散先所受引、殊不及。与中散誓、不得教人。
 
天明、語中散。
 
「相与雖一遇於今夕、可以遠同千載、於此長絶。」
不勝悵然。(出霊鬼志)
 
 
●書き下し文
 
 
稽康は灯下(とうか)に琴を弾き、忽(たちまち)ち一人 有りて、
長(たけ)は丈餘(じょうよ)にして、黒の単衣(たんい)と
革帯(かわおび)とを著(つ)く。
 
康(こう)は熟(つらつら)之を視て、
乃(すなわ)ち火を吹きて之を滅(めっ)して曰(いわ)く:
 
「魑魅(ちみ)と与(とも)に光を争うを恥(は)ず。」と。
 
嘗て行きて、洛(らく)を去ること数十里、
亭(てい)有り名は月華(げっか)という。
 
此の亭に投じて、人を殺すに由来(ゆらい)して、
中散(ちゅうさん)の心神(しんしん)は蕭散(しょうさん)として、
了(つい)に懼(おそ)るるの意(い)無(な)し。
 
一更に至りて琴を操り、先ず諸弄(しょろう)を作す。
 
雅声(がせい)逸奏(いっそう)し、空中に善(ぜん)と称(しょう)するあり。
 
中散(ちゅうさん)は琴を撫して之を呼びて、
 
「君は是れ何人か?」と。
 
答えて云わく、
 
「身は是(こ)れ古人にて、此(ここ)に幽没(ゆうぼつ)す。
 君の琴を弾くを聞きて、音曲(おんぎょく)は清和(せいわ)し、
 昔 好む所なり。故に来たりて聴くのみ。
 
 身は不幸にして非理(ひり)にして就(すなわ)ち終わり、
 形体(けいたい)は残毀(ざんき)し、
 君子(くんし)に接見(せっけん)するに宜(よろ)しからず。
 
 然るに君の琴を愛すること、当に相い見るべきを要む、
 君よ之を怪しみ噁(いか)る勿れ。君は更に数曲を作るべし。」と。
 
中散は復た琴を撫すを為し、節(ふし)を撃つ。
 
曰く:「夜は已に久し。何ぞ来らざるや?形骸(けいがい)の間、
 復た何ぞ計るに足らん?」
 
乃(すなわ)ち手に其の頭(こうべ)を挈(さ)げて曰く:
 
「君の琴を奏(そう)するを聞き、 覚えずして心は開き
 神(しん)は悟(さと)る。恍(こう)として暫く生ずるが若し。
 遂に与(とも)に共(とも)に音声(おんせい)の趣(おもむき)を論じ、
 甚(はなは)だ清辯(せいべん)を辞(の)べん。」
 
中散に謂いて曰く:
 
「君よ試みに琴を以て与(とも)に見(まみ)えん。」と。
乃ち『広陵散(こうりょうさん)』を弾く。
 
便ち従いて之を受く。果して悉(ことごと)く得たり。
中散が先に受くるところを引くも、殊に及ばず。
中散と誓いて、人に教うるを得ず。
 
天明(てんめい)に、中散に語る。
「相い与(とも)に一たび今夕(こんせき)に遇(あ)うと雖(いえど)も、
 遠きを以て千載(せんざい)を同(とも)にし、
 此(ここ)に於(おい)て長(なが)く絶(た)えん」と。
 
悵然(ちょうぜん)たるに勝(た)えず。
 
(『霊鬼志(れいきし)』に出(い)ず)
 
 
 
●現代語訳
 
 
稽康(けいこう)は灯りの下で琴を弾いていると、
知らないうちに一人の人が出てきました。
 
その人影の背の高さは一丈(いちじょう: 2m25cm)を超えていて、
黒の単衣(ひとえ)の着物を着て、革帯(かわおび)とを
身につけていました。
 
稽康(けいこう)はじっくりとこの人の姿を視て、
その後に灯りの火を吹き消して、次のように言いました。
「山林に住む怪物と一緒になって光を奪い合うのは恥ずかしいことだ」と。
 
 
稽康は以前外出して、洛陽(らくよう)の都を数十里ほど離れて行くと、
月華(げっか)という名前の休息所がありました。
 
この休息所に泊まって、人を殺して以来、
稽康の気持ちはなおもさっぱりとしてわだかまりを持たず、
今まで物事を恐れる気持ちを持っていませんでした。
 
日没になってまもなくの頃に、稽康は琴を演奏して、
最初にいろんな音の節や調子を試しに弾いていました。
 
上品で正しい音楽を声高らかに歌っていた時、
空中に芸を学んだ人と自称する人影がありました。
 
稽康は琴を手で押さえながら、その人影に呼びかけました。
 
「あなたは一体誰なのですか?」と。
 
その問いかけに人影は答えました。
 
「私は既に死んでいる存在です。以前この場所で死にました。
 あなたが琴を弾くのを聞いて、その音楽は、声はとても澄んで、
 それそれの音が調和しているのがわかります。
 
 そういう音楽を生前は好んでいたのです。
 だからここに聞きに来たのです。
 
 私は生きていることは不幸であって、さらに世の中の道理や
 人の情に合わないままに終わってしまい、
 肉体は傷ついて壊れてしまい、あなたのような修養の出来た
 立派な方に招かれて近づくのにふさわしくない状態なのです。
 
 しかしあなたが琴を愛している様子に、
 見に行った方がよいと思うようになりました。
 
 ですからあなたは私の存在を怪しく思って、
 喉がつかえて声が出ないほどに怒らないで欲しいのです。
 あなたにさらに数曲を演奏して欲しいのです。」と。
 
それで稽康は再び琴を押さえながら、拍子を取っていました。
そして次のように言いました。
 
「既に夜が更けて大分時間が経っています。
 どうしてこちらへ来ないのですか?
 外見の違いなど、どうして考える必要があるでしょうか」
 
するとその人影が、手に自分の首を持ってやってきて言いました。
 
「あなたが琴を演奏するのを聞いて、私は気分が明るくなって
 心がすっきりと目覚めてきました。うっとりした気持ちが
 しばらくの間存在するかのようです。私はこの気分のままで、
 音楽の高い境地について論じ合って、
 大いに風流な言葉を語り合いましょう」
 
と。そしてさらに稽康に言いました。
「試しにお互いに琴を持って会いましょう」
 
と。すると『広陵散(こうりょうさん)』という曲を弾きました。
稽康がすぐにそれに従って演奏し、その結果きちんと
修得することができました。
 
それから稽康が先ほど教えられたものを再び演奏しようとしても、
今までのようにはできませんでした。
稽康と約束して、人に教えることもできませんでした。
 
夜明けの頃に、稽康に言いました。
 
「もう一度今日の夜に再び会ったとしても、
 千年ほどの遠い将来にしか一緒に演奏することはできません。
 ここでこの音楽は長い間絶えてしまうでしょう。」
 
稽康は恨めしい気持ちをこらえることが出来ませんでした。
 
(この話は『霊鬼志(れいきし)』という物語に出て来ます)
 
 
 
●語注
 
 
※丈(じょう): 長さの単位で、古代中国の周の時代には、
  一尺(いっしゃく: 2.25cm)の十倍で、225cm です。
  二メートル二十五センチの長さですね。
 
※単衣(たんい): ひとえの着物のことです。
 
※魑魅(ちみ): 山林の精気から生まれるという怪物のことです。
  顔は人で身体は獣の姿で、よく人を迷わせると言われています。
 
※由来(ゆらい): ある物事が発生してから今までの経過のことです。
 
※中散(ちゅうさん):稽康(けいこう)は中散大夫(ちゅうさんたいふ)
 という官職にまでなったために、稽康を指す言葉として使われています。
 
※蕭散(しょうさん):気持ちがさっぱりとしてこだわりのないことです。
 
※一更(いっこう): 日没から夜明けまでの時間を五つに分けた
  五更(ごこう)の一番目のことです。初更(しょこう)とも言います。
 
※諸弄(しょろう): 各種の音楽の節や調子のことです。
 
※雅声(がせい): 上品で正しい音楽のことです。
 
※逸奏(いっそう): 「高唱(こうしょう)」、つまり声高らかに歌うことです。
 
※善(ぜん):実はここでは、「芸を学んだ人」を指します。
  これは儒学の経典の一つで礼儀作法や儀式をまとめた
  『礼記(らいき)』の中の「少儀(しょうぎ)」という巻が原典だそうです。
 (この『礼記』の一節は解説の所で訳しています。)
 
※幽没(ゆうぼつ): 死亡することです。
 
※音曲(おんぎょく): 音楽のことです。
 
※清和(せいわ): 声が際だって澄んで、調和が取れていることです。
 
※非理(ひり): 「非道(ひどう)」、つまり、道理や人の情に
  合わないことです。
 
※形体(けいたい): 肉体のことです。
 
※残毀(ざんき): 物を傷つけて壊すことです。
 
※接見(せっけん): 目上の人が相手を呼び寄せて会うことです。
 
※撃節(げきせつ、ふしをうつ): 拍子を取ることです。
 
※形骸(けいがい): 外見のことです。
 
※開心(かいしん、こころをひらく): 気分が明るくなることです。
 
※清辯(せいべん): 風流な言葉のことです。
 
※天明(てんめい): 早朝の明け方のことです。
 
※千載(せんざい): 千年ほどの長い将来のことです。
 
※悵然(ちょうぜん): 恨めしい気持ちのことです。

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