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「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の詩である
『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の三回目です。
老荘を学ぶ嵇康(けいこう)自身の人生を詠みながら、
「幽憤(ゆうふん)」、つまり当時の世の中への人知れぬ
憤りの気持ちを込めた詩です。
今回は、嵇康(けいこう)がしばしば過ちを犯して、
牢屋に行く現状を嘆く部分です。
このページは解説の記事です。コメント欄もこちらに設けてあります。
原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事は、以下の記事を見て下さい。
原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
以上のこと、よろしくお願いいたします。
●解説:
幽憤詩の翻訳の三回目です。
今回は、嵇康(けいこう)がしばしば過ちを犯して、
牢屋に行く現状を嘆く部分です。
世間で上手くやっていくことが出来ないことへの反省から、
運命をいかに受け止めるか、という大きな話になっています。
嵇康(けいこう)はここでは二箇所で故事を使用しています。
まず、滄浪(そうろう)は、川の水が青く澄んでいることで、
『孟子』の離婁章句(りろうしょうく)上に出て来ます。
(原文)
孟子曰、不仁者可與言哉、安其危而利其菑、
樂其所以亡者、不仁而可與言、則何亡國敗家之有、
有孺子歌曰、滄浪之水清兮、可以濯我纓、
滄浪之水濁兮、可以濯我足、
孔子曰、小子聽之、清斯濯纓、濁斯濯足矣、自取之也、
夫人必自侮、然後人侮之、家必自毀、然後人毀之、
國必自伐、然後人伐之、
大甲曰天作孽、猶可違、自作孽、不可活、此之謂也。 (書き下し文)
其の危うきを安しとし其の菑(わざわい)を利とし、
其の亡(ほろ)ぶ所以の者を楽しむ。
不仁にして与(とも)に言うべくんば、則(すなわ)ち何ぞ国を亡(ほろ)ぼし
家を敗(やぶ)ることの有らんや。
孺子(じゅし)有りて歌いて曰く、
滄浪(そうろう)の水の清(す)めば、以て我が纓を濯(あら)うべし、
滄浪の水の濁れば、以て我が足を濯うべしと。
孔子(こうし)の曰(のたま)わく、小子(しょうし)よこれを聴け。
清ければ斯(ここ)に纓を濯い、
濁れば斯に足を濯えと。自ら之を取るなり。
夫(そ)れ人は必ず自(みずか)ら侮(あなど)りて、
然(しか)る後、人は之(これ)を侮る。
家は必ず自ら毀(こぼ)ちて、然る後に人は之を毀つ。 国は必ず自ら伐(う)ちて、然る後に人は之を伐つ。 大甲(たいこう)に曰く、天の孽(わざわい)を作(な)すは、
猶お違(さ)くべきも、自ら孽(わざわい)を作すは、活きるべからず
とは、此(こ)の謂(いい)なり。と。
(訳)
孟子は次のように言いました。
「人は二人いればお互いに相手を思いやる気持ちが出てくるものです。
これを『仁(じん)』というわけですが、
この「仁」のない人と共に何かを語り合うことはとてもできません。
そういう仁のない人は、本当は危険な状況なのに安心していたり、
災難のような状況なのにそれをよいと思っていたり、
自分の身を滅ぼすようなものを楽しみとしていたりするものです。
(仁のない人というのは、世の中の道理もわからない人なのです。)
そんな仁のない人と共に何かを語り合うことができるとすれば、
どうしてそういう人のせいで国が滅びて家がすたれる
ことなどありましょうか。共に語り合うことなどできないのです。
ある子どもが歌った歌に次のようなものがあります。
『川の水が青く澄んでいたら、それで
(成人男性の正装の一つである)私の冠のヒモを洗えばよいのです。 もし川の水が濁っていたら、それで私の足を洗えばいいのです。』
と。
この歌を孔子は以下のように説明しました。
『お前たち、先ほどの歌を聴きましたか。
水がきれいなときは冠のヒモを洗い、
濁っていれば足を洗えばよいというのはどういうことなのかと考えると、
水が濁っているか澄んでいるかでその後の人の行為が
変わっているということです。
つまり、現在の行動の原因は必ず過去に存在する、ということです。
そもそも人というものは自分から侮られるような状況になってから、
その後にその通りに人がその人を侮るようになるのです。
家というものはその家が自分からすたれてしまうような
状況になってから、その後にその通りに人がその家がすたれる
ようなことを言うようになるのです。
国というものはその国が自分から外国に攻められるような
状況を作ってから、その後にその通りに外国がその国を
攻めてくるのです。
儒学の経書で昔の聖人の事蹟をまとめた『書経(しょきょう)』の
大甲(たいこう)の篇には次のように書いています。
『天が人々に降した厳しい災難は、まだ避けることができるけれども、
自分自身が招いた災難であれば、活路を見いだすことは できないのです。
と。
これこそ先ほど述べた言葉を、聖人が述べていたものなのです』
という話なのです。」
(ここまでが『孟子』の訳です)
この、
「滄浪(そうろう)の水の清(す)めば、以て我が纓(えい)を濯(あら)うべし、
滄浪の水の濁れば、以て我が足を濯うべし」
(訳)
川の水が青く澄んでいたら、
それで私の冠のヒモを洗えばよいのです。
もし川の水が濁っていたら、それで私の足を洗えばいいのです。
という歌は、もと楚の大臣であった詩人の屈原(くつげん)たちの詩集の 『楚辞(そじ)』の中の「漁父(ぎょほ)」という詩にも出てきますが、 その中では、冠のヒモや足を洗う人間の方に視点を移して、
世の中の状況に従って、その中の流れと共に行動する、
という意味で使われています。
おそらく嵇康(けいこう)は「漁父」の詩に使われている意味で。
この「滄浪〜」の一節を引用したのだと思います。
もう一つ、忘憂(ぼうゆう、うれいをわする)という言葉は、
『論語』の述而(じゅつじ)篇の一節にあります。
(原文)
葉公問孔子於子路、子路不對、
子曰、汝奚不曰。其爲人也、発憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至云爾。
(書き下し文)
葉公(しょうこう)は孔子を子路(しろ)に問う。
子路は対(こた)えず。
子(し)の曰(のたま)わく、汝(なんじ)は奚(なん)ぞ曰(い)わざる。
其の人となりや、発憤(はっぷん)して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘る。
老(お)いの将(まさ)に到(いた)らんとするを知らざるのみと。
(訳)
南にある楚(そ)の国の葉県(しょうけん)の長官が
孔子のことを弟子の子路(しろ)に尋ねました。
子路は官職にいる立派な人に対して、師の孔子が
恥をかかないような答えが見つからず、返答することができませんでした。
孔子はそんな子路に言いました。
「どうしてお前は次のように答えなかったのですか。
『孔子の人柄は、心を奮い起こして学問に励んで食事をするのも忘れ、
学問を楽しむことで現状への心配事を忘れることができ、
自分が日々老いていくことさえも気にとめることもない、
そんな人なのです』
と。そんな風に素直に答えればよかったのですよ。」と。
(ここまでが『論語』の訳です)
上の論語の言葉には僕も数年前の苦しい時期に励まされました。
どんな苦しいときでも堂々としていよう、そう思えるようになりました。
「忘憂」はこの後も、東晋(とうしん)の詩人である
陶淵明(とうえんめい)が、『飲酒・其の七』の詩の中で、
汎 此 忘 憂 物, 此(こ)の忘憂(ぼうゆう)の物に汎(うか)べて、
遠 我 遺 世 情。 我が世を遺(わす)るるの情(じょう)を遠くす。 (訳)
この心配事を忘させてくれる物、つまりお酒に菊の花一輪を浮かべて、
俗世間を離れる気持ちを一層深くして、忘れることができるのです。
というふうに使っています。陶淵明は名家の出身で、
曾祖父の陶侃(とうかん)は東晋の有名な武将であることもあって、
若い頃から儒学を修めていて、それが詩句の中にも反映しています。
陶淵明が後世に高く評価されたのも、儒学の志をきちんと持って、
その志のために煩悶しながら世の中から離れて詩を作った、
彼の生き様にもあると思います。
一方で嵇康(けいこう)は老荘の思想で有名な人ですが、
おそらく儒学もきちんと学んでいるのだと思います。
僕もこれからも儒学も老荘も、きちんと学んでいこう
という気持ちを強くしました。
これからもいろんな事をきちんと学んでいきます。
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竹林の七賢
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「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の詩である
『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の三回目です。
老荘を学ぶ嵇康(けいこう)自身の人生を詠みながら、
「幽憤(ゆうふん)」、つまり当時の世の中への人知れぬ
憤りの気持ちを込めた詩です。
このページは原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事です。 解説については以下の記事を見て下さい。
解説の記事
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この点について、ご了承願います。よろしくお願いいたします。
●原文:
幽憤詩 其の三 (晋)嵇康
諮 予 不 淑, 嬰 累 多 虞。 匪 降 自 天, 寔 由 頑 疏。
理 弊 患 結, 卒 致 囹 圄。 対 答 鄙 訊, 縶 此 幽 阻。
実 恥 訟 免, 時 不 我 与。 雖 曰 義 直, 神 辱 志 沮。
澡 身 滄 浪, 豈 雲 能 補。 嗈 嗈 鳴 鴈, 奮 翼 北 遊。
順 時 而 動, 得 意 忘 憂。 嗟 我 憤 歎, 曾 莫 能 儔。
事 与 願 違, 遘 茲 淹 留。 窮 達 有 命, 亦 又 何 求。
●書き下し文:
予(われ)に諮(はか)りて淑(よ)からず、
嬰累(えいるい)して虞(おそ)れること多(おお)し。
降(くだ)すに天よりするに匪(あら)ず、
寔(まこと)に頑疏(がんそ)なるに由る。
理は弊(やぶ)れて患(うれ)いは結び、
卒(つい)に囹圄(れいぎょ)を致す。
対(むか)いて鄙(いや)しきの訊(たず)ねるに答え、
此の幽阻(ゆうそ)に縶(つな)がる。
実に訟(しょう)の免(まぬが)るるを恥じ、
時は我と与(とも)にせず。
義直(ぎちょく)と曰(い)わるると雖(いえど)も、
神(しん)辱(はずかし)められて志(こころざし)は沮(はば)まれる。
身を滄浪(そうろう)に澡(あら)い、
豈(あ)に雲(くも)の能(よ)く補(おぎな)わんや。
嗈嗈(ようよう)と鴈(かり)鳴(な)き、
翼(つばさ)を奮(ふる)いて北遊(ほくゆう)す。
時に順(したが)いて動き、
意を得て憂いを忘る。
嗟(ああ)我(われ)憤歎(ふんたん)し、
曾(かつ)て能(よ)く儔(ともづれ)とする莫(な)し。
事と願いとが違(たが)い、
茲(ここ)に淹留(えんりゅう)に遘(あ)う。
窮達(きゅうたつ)は 命(めい)有(あ)りて、
亦(ま)た又(ま)た何(いず)くにか求(もと)めん。
●現代語訳:
人々が私に相談してきて、その結果いい人だと思って慕われることはなく、
過ちを犯して困難に遭うことで心配する事が多いのです
悪い状況に遭うのは天が決めた運命によるものではなくて、
本当に私の愚かさや、だらしなさによるものなのです。
私の中の道理はすたれてしまって心配事が次々に起こってきて、
ついには私は牢屋に入るまでになってしまいました。
身分のいやしい取り締まりの役人と向かい合って、
その者の訊問に答えているような現状で、
私はこの世の中の計り知れない困難な状況の中に
つながれているのです。
私は本当に、この訴訟を免れるのが精一杯な状況を恥ずかしく思います。
世の中の流れは、私とは一緒になってくれないのです。
世の中の道理に従って素直でまっすぐだと言われるけれども、
私の心は恥ずかしくなって、自分の思い通りにはならずに
邪魔が入るのです。
自分の身を青く澄んだ水で洗うのに、
どうして雲が私の助けになることがありましょうか。
(環境に合わせて運命に従い、その時の成り行きに身を任せるだけです)
群れた雁(かり)がいっせいに鳴き、
翼を大きく広げて北の方へ飛んでいきます。
彼らはその時その時の状況に順応して動くだけで、
そういう状況に満足して、心配事がないのです。
(そういう存在に私(嵇康(けいこう))もなりたいものです)
ああ、わたしは現状に怒って嘆くばかりで、
以前からも私とよく友人となるものはいませんでした。
私の願望と実際の状況が食い違い、
今の、物事が行き詰まって前に進まない状況に出会ってしまいました。
世の中での成功や失敗というものは天からの運命による
部分があるので、どうしてこれを無理に求めようとするでしょうか。
(世の中の成功と失敗に一喜一憂することなく、
ただ、自然の道理に従うだけです)
●語注:
※嬰累(えいるい): 過ちを犯して辛い目に遭うことです。
※頑疏(がんそ): 愚かで頭が鈍く、ものぐさでだらしがないことです。
※囹圄(れいぎょ): 牢屋(ろうや)のことです。
※幽阻(ゆうそ): 世の中の奥深くて計り知れない困難な状況のことです。
※義直(ぎちょく): 世の中の道理に従って素直でまっすぐであることです。
※滄浪(そうろう): 青々と澄んだ水のことです。
※嗈嗈(ようよう): 鳥が一緒になって鳴く様子を表す言葉です。
※北遊(ほくゆう): 北の方へと旅してまわることです。
※得意(とくい、いをえる): 自分の思いのままに行動することです。
※忘憂(ぼうゆう、うれいをわする): 哀しみや心配をしないように
することです。東晋(とうしん)の詩人の陶淵明(とうえんめい)の詩
にも出てきますが、もともとは『論語(ろんご)』述而(じゅつじ)篇に
出てくる言葉です。
※憤歎(ふんたん): 怒って嘆くことです。
※淹留(えんりゅう): 滞って前に進まないことです。
※窮達(きゅうたつ): 「窮通(きゅうつう)」、つまり、
困窮(こんきゅう: 生活に苦しむ)と
栄達(えいたつ: 一家が栄えて、高い地位に進むこと)のことです。
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朱家角鎮(しゅけかくちん)の城皇廟(じょうこうびょう)の本殿(中国・上海)
朱家角は宋(そう)の時代に水路の要所にできた水の街です。
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net 「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の
詩である『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の二回目です。
老荘を学ぶ嵇康自身の人生を詠みながら「幽憤(ゆうふん)」、つまり
当時の世の中への人知れぬ憤りの気持ちを込めた詩です。
このページは解説の後半の記事です。
原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事と、
この解説の前半部分の記事は、以下の記事を見て下さい。
原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
解説の前半の記事
コメント欄はこの解説の後半の記事に設けてありますが、
解説は前半の記事から読むことをおすすめします。
いきなり解説の後半から読むと何の話かわかりづらいですので。
この点について、ご了承願います。
●解説の続きです: (解説の前半の続きです)
詩句の中の、「柳恵(りゅうけい)」とは、始皇帝が中国を統一する前の、
春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)という時代の、
魯(ろ)の国の家臣の「柳下恵(りゅうかけい)」という人です。
魯の国といえば孔子や孟子の祖国で、その国の昔のすぐれた家臣
ということですから、いろんな儒学の文献に出てくるのです。
柳下恵の本当の名前は展禽(てんきん)と言います。
「柳下(りゅうか)」は主君からもらった領地の名前で、
「恵(けい)」は諡(おくりな: 死んだ後に功績をたたえて付けられる名前)
だそうです。
柳下恵は『孟子』の中では、何度も出て来ます。
「汚君(おくん)を悪(にく)まず、小官(しょうかん)を
辞(じ)せざる者は柳下恵(りゅうかけい)なり」
(訳)
悪い君主の下にいても運命を憎むことなく仕え、つまらない官職を
与えられても辞退せずにその官職をやり遂げていきました。
そんな人が柳下恵なのです。
あるいは、
「柳下恵の風(ふう)を聞く者は、薄夫(はくふ)は敦(あつ)くなり、
鄙夫(ひふ)は寛(かん)となる」
(訳)
柳下恵の話を聞いた人は、薄情な人であったならば人情が厚くなり、
心のせまかった人であれば寛大な人となるのです。
当時の模範となった人である事が分かります。
しかし孟子は、柳下恵という人はとてもすぐれているので、
目標として設定するにはあまりに大きい存在だとして
君子(くんし: 修養の出来た立派な人)の目指すところではないと、
そのようにも述べています。
野球でたとえるならば、外野フライをファインプレーで捕るのではなく、
最初から落下地点で待ちかまえて楽に捕れるようにしなさい、
ということを言いたいのだと思います。
詩句の中の「孫登(そんとう)」とは、
三国時代の孫登(そんとう)は二人いて、
一人は呉(ご)の孫権(そんけん)の息子で、
もう一人は嵇康(けいこう)が出会った隠者です。
今回は後者の方です。
隠者(いんじゃ)とは、俗世間を離れて住んでいる立派な人のことです。
直接、『三国志』の魏(ぎ)の国の歴史をまとめた魏書(ぎしょ)の
第二十一巻を見てみました。
中国語のサイトで見つけた本文には漢文の注釈がついています。
以下の原文は、その『三国志』の本文の箇所の注釈の原文です。
●原文
『魏氏春秋』曰、
初,康採薬於汲郡共北山中,見隠者孫登。
康欲与之言,登黙然不対。踰時将去,
康曰:「先生竟無言乎?」
登乃曰:「子才多識寡,難乎免於今之世。」
及遭呂安事,為詩自責曰:「(今回の詩句が続きます)」
●書き下し文
『魏氏春秋(ぎししゅんじゅう)』に曰(いわ)く、
初め、康(こう)は薬を汲郡(きゅうぐん)共北(きょうほく)の
山中に採(と)り、隠者(いんじゃ)の孫登(そんとう)を見(み)る。
康(こう)は之(これ)と言(ものい)わんと欲するも、
登(とう)は黙然(もくねん)として対(こた)えず。
時(とき)を踰(こ)えて将(まさ)に去(さ)らんとするとき、
康の曰(いわ)く、「先生(せんせい) 竟(つい)に言うこと無きか?」
登の乃(すなわ)ち曰く、「子(し)の才は多くして識(し)ること寡(すく)なし、
今の世を免(まぬが)るること難し」
呂安(りょあん)の事に遭(あ)うに及(およ)びて、詩を為(つく)りて
自(みずか)ら責(せ)めて曰(いわ)く、「(今回の詩句が続きます)」
●現代語訳
歴史書の『魏氏春秋(ぎししゅんじゅう)』によると、
初め、嵇康(けいこう)は薬草を汲郡(きゅうぐん)の共北(きょうほく)
という土地の山の中で取っていたときに、
隠者(いんじゃ: 俗世間から離れて住む立派な人のこと)の 孫登(そんとう)を見かけました。
嵇康(けいこう)は孫登に話しかけようとしますが、
孫登は黙ったまま返事をしませんでした。
そのまま時間が経ってしまったので、その場を去ろうとしたときに、
嵇康(けいこう): 「先生、何かおっしゃりたいことはありませんか?」
孫登: 「あなたは才能豊かだけれども物事の道理を知ることが少ない。
だから今の世の中を無事に過ごすことはできないでしょう」
のちに、親友の呂安(りょあん)の問題で、大将軍の司馬昭(しばしょう)に
処刑されるときに、 詩を作って自分の過ちを責めて、
次のように詩句を作りました。「(今回の詩句が続きます)」
(ここまでが訳です)
ここで、「親友の呂安(りょあん)の問題」というのは、
嵇康(けいこう)の親友であった呂安(りょあん)は、
その兄の呂巽(りょそん)が自分の奥さんと密通していたことで
兄を訴えたのですが、その兄の方は逆に親不孝の罪で
呂安を訴えてきました。
ここで嵇康(けいこう)は呂安を弁護しようと
していたけれども、それまでに嵇康(けいこう)を恨んでいた
鐘会(しょうかい)が大将軍の司馬昭(しばしょう)に
呂安は風俗を乱す行いをしていると言って嵇康(けいこう)を陥れて
道連れにさせて、嵇康(けいこう)と呂安は死罪になった、ということです。
(司馬昭(しばしょう)は、諸葛孔明と五丈原(ごじょうげん)で対決した
司馬仲達(しばちゅうたつ)の次男です。)
この「柳恵(りゅうけい)」と「孫登(そんとう)」の話を通じて、
以前の嵇康(けいこう)は悪い君主に仕えたり、
つまらない官職もいとわない、という一見すると節操のないような
魯(ろ)の国の家臣の柳下恵(りゅうかけい)を
恥ずかしく思っていたわけですが、
今の嵇康(けいこう)は、
隠者(いんじゃ)の孫登(そんとう)に言われた、
「あなたは才能は豊かだが学ぶことが少ないので、 災難を避けることはできないでしょう」 という言葉を思い出して、今から処刑されようとしている
自分の身の上を恥ずかしく思っていました。
ということなのだとわかります。
この二人の話を引き合いに出した部分を考えてみますと、
『三国志』の注釈の中で、『幽憤詩(ゆうふんし)』は
嵇康(けいこう)の辞世の句(じせいのく: 死ぬ前に作る詩句)
であることを示しているのかなと思いました。
こうしていろんなところで脱線して調べていくことで、
とても僕自身の勉強になっています。
これからも一語一語をきちんと学んでいこうと思います。
とても楽しいです。これからもがんばります。
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朱家角鎮(しゅけかくちん)の城皇廟(じょうこうびょう)の本殿(中国・上海)
参拝者の願い事が書いたお札が下がっています。
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net 「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の
詩である『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の二回目です。
老荘を学ぶ嵇康自身の人生を詠みながら「幽憤(ゆうふん)」、つまり
当時の世の中への人知れぬ憤りの気持ちを込めた詩です。
このページは解説の前半の記事です。
原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事と、
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原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
解説の後半の記事
コメント欄は解説の後半の記事に設けてあります。
この点について、ご了承願います。
あと、解説は前半のこの記事から読むことをおすすめします。
いきなり解説の後半から読むと何の話かわかりづらいですので。
●解説の前半:
「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の
詩である『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の二回目です。
老荘を学ぶ嵇康自身の人生を詠みながら「幽憤(ゆうふん)」、つまり
当時の世の中への人知れぬ憤りの気持ちを込めた詩です。
今回の訳す部分は、昔の徳のある人の
政治の進め方について詠んでいます。
ひたすらに虚心に民衆たちの意見を聞き、議論をさせる中で
きちんと政治の実情を見極めた上で政治を行っていく、
ということを詩句の中で述べています。
ひたすらに虚心に民衆たちの意見を聞き、議論をさせる中で
きちんと政治の実情を見極めた上で政治を行っていく、ということは、
同様の事が『韓非子(かんぴし)』の内儲説(ないちょぜい)上という
篇の中で、七術(ななじゅつ)、つまり君子が行うべき七つのことの
一番目の、「衆端(しゅうたん)に参観(さんかん)する」という形で
出て来ます。
後の時代には法律で国内を統制する考えの法家(ほうか)と
自然の道理に従って行動する老荘(ろうそう)の考え方が結びついて、
道法家(どうほうか)という一派が出て来ます。この篇もそんな
道法家たちのの思想に基づいて書かれたものとされています。
衆端(しゅうたん)とは、人々の言葉や行動のことです。
参観(さんかん)とは、それぞれを突き合わせて調べることです。
つまり、多くの人の言葉や行動を見聞きして、それらを突き合わせて
調べていくことで、正しい政治を行っていくことです。
広く意見を聞くといっても、いろんな条件が絡んできます。
うまくいかない例が、さらに『韓非子』のその篇の本文にあります。
魯(ろ)の国の君主である哀公(あいこう)がある日孔子に尋ねました。
哀公:「昔のことわざに、『家臣が大勢いれば迷うことがない』
というものがあり、私も実際に多くの家臣たちと相談して
政治を行っているのに、うまくいかないというのは
どういうことだろうか?」
孔子:「家臣たちの中に、ある人が知っていることを
ほかの人が知らないということはよくあります。
そういうように家臣たちがそれぞれ異なる意見を出し合う、
その環境が整って初めて、賢明な君主一人のもとで、
家臣たちが議論を戦わせることができるのです。
しかし今の魯の国の現状では、重臣の季孫子(きそんし)が
強い勢力を持っている現状ですから、家臣たちもみんな
季孫子と同じような意見を出すだけなのです。
殿が国内の人に広く意見を求めても、実際には季孫子ただ一人の
意見を聞いているようなものなのです。
ですから国内の政治がうまくいかないのも当然なのです」
今の日本の国内で、「広く意見を求める」といった場合、
上記に類するような問題があるのではと思います。
こういうことを述べていくと、
「実際にどうやってするかということは本文のどこにも 書いていませんから、漢文は何の役にも立ちませんね」
という方が時々いらっしゃいます。これは典型的な勘違いの一つです。
そんな方に第一に言いたいのは、
漢文とは虎の巻ではないということです。
そもそも「具体的にこうすれば良い」という事など書いていないのです。
もし書いてしまったら大抵、今からすると時代遅れになります。
例えば、兵法書の『六韜(りくとう)』に昔の戦車の具体的な動かし方が
載っている箇所は、今の時代に読んでもほとんど何の役にも立ちません。
むしろ一見して具体的な状況を離れたような抽象的な文面を、
自分自身の今の状況に置き換えて考えてみるのです。
たとえば、『論語』でいうと、
『論語』の学而(がくじ)第一の篇に、
「曽子曰く、吾(われ)吾が身を三省(さんせい)す。
人の為に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか、
朋友(ほうゆう)と交わりて信(しん)ならざるか、
習わざるを伝うるか。」
(訳)孔子の弟子の一人、曾子(そうし)がこう言いました。
「私は常に我が身を振り返って、次の三つのことを常に反省しています。
(一)人のために行動したときに、きちんと真心を持って接していたか。
(二)友人との交際の時に、信義を守って応対していたか。
(三)中途半端にしか学んでいないことを人に教えてしまっていないか。
この三点について、常に反省しているのです」
(訳は南宋の朱子(しゅし)と北宋の程子(ていし))の
注釈をもとに訳しています。)
この文の場合、例えば(二)であれば、
自分の普段の実際の友達づきあいの中で考えていく必要があるのです。
「『信頼』と一言で言うけれども、友達と話していたあの時に、
本当はどう言えばよかったのだろう。。。」
そんな風に考えていくことで、少しずつ論語の言葉がわかってくるのです。
『孫子(そんし)』などを読みながら実際に政務や経営をしていく中で、
具体的な状況に当てはめて孫子の文言の一つ一つを検討していくと、
とても役に立つことになるのではと思います。
僕にとっては(三)などはかなり耳の痛い内容です。
日々謙虚に学んでいこうと思います。
「自分の状況に置き換えて具体的に考える」例の一つとして、
先ほどの、多くの意見を突き合わせて調べる、という考え方は、
いろいろと応用が利くと思います。
例えば僕が、古代中国の周(しゅう)の時代から伝わった易の
『周易(しゅうえき)』を訳す場合は、少なくとも二つの注釈に当たります。
一つは魏(ぎ)の王弼(おうひつ)の『周易正義(しゅうえきせいぎ)』、
もう一つは北宋(ほくそう: 金が攻めてくる前の宋)の
程頤(ていい)による『程氏易伝(ていしえきでん)』です。
そして、今回の詩句に出てくる「含弘(がんこう)」という言葉は、
『周易』の坤(こん)の卦を説明する、彖伝(たんでん)に、
「含弘光大、品物咸亨。」とでてきます。
この部分は2つの書でそれぞれ、以下のように書かれます。
(書き下し文と訳を示します)
(書き下し文)
(周易正義)
「含弘光大,品物咸亨」とは、包含(ほうがん)するに厚きを以てし、
「光」は盛大(せいだい)なるを著(あらわ)す。
故(ゆえ)に品類(ひんるい)の物は、皆な亨通(とうつう)するを得る。
但し「坤」は「元」と比すれば、即ち大なる名を得ず、
若(も)し衆(おお)くの物と比(ひ)すれば、其の実 大なるなり。
故に曰く「含弘光大」なるものなり。此の二句は「亨」を釈(と)くなり。
(程氏易伝)含・弘・光・大の四者にて坤(こん)の道を形容(けいよう)し、
猶(な)お乾(けん)の剛・健・中・正・純・粋のごとし。 「含」は包容(ほうよう)なり。「弘」は寛裕(かんゆう)なり。 「光」は昭明(しょうめい)なり。「大」は博厚(はくこう)なり。 此の四者 有りて、故に能(よ)く天の功を承(う)くるを成し、 品物(ひんぶつ)は咸(ことごと)く亨遂(とうすい)するを得る。 (訳) (周易正義)
「含弘光大,品物咸亨」とは、「盛大なものを厚く包み込み、
(ここで「光」は盛大なことを著し、「光いに(おおいに)」と読みます。)
だからこそあらゆる物事がすべてきちんとなし遂げられるのです。」
という意味になるのです。
しかし「坤(こん: 大地)」は元(げん)、つまり天の偉大な効用からすれば
「大」とは言えないのですが、ほかの多くのものと比べれば、
「大」と言えるのです。
ですから、「含弘光大」、「光(おお)いに大なるを含弘(がんこう)す」
となるのです。この八文字で、坤の卦を説明する卦辞(かじ)の
「亨(とおる)」、「物事がなし遂げられる」という一字を説明しているのです。
(程氏易伝)
含・弘・光・大の四文字で、坤(こん: 大地)の道理を
言い表しているのです。それはちょうど、乾(けん: てん)の道理を
言い表す、剛(つよく)・健(すこやかで)・中(偏ることなく)・正(ただしく)・
純(まじりけがなく)・粋(きよらかである)と比べられるものです。
「含」は「広く包み込み」、「弘」は、「豊かに広々と」
「光」は「明らかにはっきりと」、「大」は「広く厚く」という意味です。
この四文字によって、大地が天の効用をよく受け取って、
あらゆる物事をみんななし遂げることが出来るのです。
(ここまでが訳です)
この2つから、
『周易正義』の「光いに(おおいに)」という部分と、 『程氏易伝』の「大地が天の効用をよく受け取って」というところを
勘案して、
「含弘光大,品物咸亨」は、
「弘(ひろ)く光(おお)いに大なるを含み、
品物(ひんぶつ) 咸(ことごと)く亨(とお)る」と読んで、
「『坤(こん)』、つまり大地が豊かに盛大な天の効用を受け取り、
だからこそあらゆる物事がすべてきちんとなし遂げられるのです」
と訳すことができるのです。
もっと多くのものを検討していくことで、
さらに正確に訳していけるのではと思いました。
多くの意見を突き合わせて調べるのは大切だと、改めて思います。
(解説の後半へ続きます)
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朱家角鎮(しゅけかくちん)の城皇廟(じょうこうびょう)の本殿(中国・上海)
朱家角は宋(そう)の時代に水路の要所にできた水の街です。
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net 「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の
詩である『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の二回目です。
老荘を学ぶ嵇康自身の人生を詠みながら「幽憤(ゆうふん)」、つまり
当時の世の中への人知れぬ憤りの気持ちを込めた詩です。
このページは原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事です。
解説については以下の記事を見て下さい。
解説の前半の記事
解説の後半の記事
コメント欄は解説の後半の記事に設けてあります。
この点について、ご了承願います。
あと、解説は前半から読むことをおすすめします。
いきなり解説の後半から読むと何の話かわかりづらいですので。
幽憤詩(其の二) (晋)嵇康
大 人 含 弘, 藏 垢 懷 恥。 民 之 多 僻, 政 不 由 己。
惟 此 褊 心, 顯 明 臧 否。 感 悟 思 愆, 怛 若 創 痏。
欲 寡 其 過, 謗 議 沸 騰。 性 不 傷 物, 頻 致 怨 憎。
昔 慚 柳 惠, 今 愧 孫 登。 内 負 宿 心, 外 恧 良 朋。
仰 慕 嚴 鄭, 樂 道 閑 居。 與 世 無 營, 神 氣 晏 如。
●書き下し文:
大人(たいじん) 含弘(がんこう)し、
垢(あか)を蔵(ぞう)して恥(はじ)を懐(いだ)く。
民(たみ)の僻(かたよ)ること多(おお)く、
政(まつりごと)は己(おのれ)に由(よ)らず。
惟(た)だ此(こ)の褊心(へんしん)のみにて、
臧否(ぞうひ)を顕明(けんめい)す。
感悟(かんご)して愆(あやま)ちを思(おも)い、
怛(いた)むこと創痏(そうゆう)の若(ごと)し。
其(そ)の過(あやま)ちの寡(すく)なからんと欲(ほっ)し、
謗議(ぼうぎ) 沸騰(ふっとう)す。
性(せい)は物(もの)を傷(やぶ)らず、
頻(しき)りに怨憎(えんぞう)を致(いた)す。
昔(むかし)は柳恵(りゅうけい)に慚(は)じ、
今(いま)は孫登(そんとう)に愧(は)ず。
内(うち)は宿心(しゅくしん)に負(そむ)き、
外(そと)は良朋(りょうほう)に恧(は)ず。
厳鄭(げんてい)を仰慕(ぎょうぼ)し、
道(みち)を楽(たの)しみて閑居(かんきょ)す。
世(よ)と与(とも)に営(いとな)む無(な)く、
神気(しんき) 晏如(あんじょ)たり。
●現代語訳:
大人(たいじん)、つまり徳のある人たちは、
心を広く持ち、人の意見を大きな度量で受け入れて、
寛大な気持ちで人の欠点や過ちを許して、心の中におさめて、
ひたすらに相手の意見を聞くことに力を注いでいました。
民衆たちは世の中の正しい道理を外れて公平ではない人が
多かったのですがそれでも政治をするときには自分の能力に
のみ頼って人の意見を聞かず、自分一人で政治を進めていくような、
そんなやり方は取りませんでした。
ただひたすらに、このせっかちで狭い心を持った民衆たちの意見から、
物事の善し悪しをはっきりとさせることに力を注いでいました。
いろんな物事を悟りながら、それでも自分が過ちを
犯すのではないかと思って、心配する様子は、
自分の怪我を心配して療養するような位なのです。
民衆たちも、彼が過ちを犯すことができる限り少ないようにと願いながら、
相手への悪口まで飛び出すような、激しい議論が起こっていました。
民衆たちのもともとのよい性質を保って、心を傷つけることは
なかったのですが、しまいにはひたすらに恨み憎むような
(白熱した)議論が展開されていたのです、
昔の人は悪い君主に仕えたり、つまらない官職もいとわない、
という一見すると節操のないような魯(ろ)の国の家臣の
柳下恵(りゅうかけい)を恥ずかしく思ったわけだけれども、
今の私は、隠者(いんじゃ: 世間を離れて暮らしている賢人)の
孫登(そんとう)に言われた、
「あなたは才能は豊かだが学ぶことが少ないので、
世の中で災難に遭うでしょう」
という言葉を思い出して、今から処刑されようとしている
私の身の上を恥ずかしく思っています。
私の心の中は以前から持っていた志(こころざし)から遠ざかってしまい、
世の中との関係では、よい友人に恥じるようなことになってしまいました。
漢(ぜんかん)の時代の二人の隠者である厳君平(げんくんへい)と
鄭子真(ていししん)の二人のように、成帝(せいてい)の大伯父にあたる
王鳳(おうほう)から仕官の招きを受けても最後まで応じなかった
志の高い生き方を尊敬して慕い、
世の中の道理に従って生きることを楽しんで、
世間を離れて一人で過ごしていました。
世の中の人たちと一緒になって仕事をするようなこともなく、
心は安らかで落ち着いていました。
●語注:
※大人(たいじん): 徳のある人、あるいは目上の人のことです。
※含弘(がんこう): 「包容博厚(博厚(はくこう)に包容(ほうよう)す)」、
つまり心を広く持って、大きな度量で人の意見を受け入れることです。
『易経』(または『周易』)の坤(こん)の卦を説明する、
彖伝(たんでん)に、「含弘光大、品物咸亨。」
(弘(ひろ)く光(おお)いに大なるを含み、
品物(ひんぶつ)咸(ことごと)く亨(とお)る)
(訳)
(大地は)広く盛大であるもの(天から受ける力)を含んで、
あらゆる物事が順調に行われます。
とあるのが語源です。(この訳は、北宋の程頤(ていい)の
『周易程氏伝(しゅうえきていしでん)』と、魏の王弼(おうひつ)の
『周易正義(しゅうえきせいぎ)』の彖伝への注釈をもとにしています)
※蔵垢(ぞうこう、あかをぞうす): 寛大な心で人の欠点や過ちを許して、
心の中におさめておくことです。
「懐恥(かいち、はじをいだく)」も同じ意味です。
※僻(かたよる): 「邪僻(じゃへき)」、つまり世の中の正しい道から
外れて、公平ではないことです。
※感悟(かんご): 感じて気がつくこと、または、悟らせることです。
※褊心(へんしん) : せっかちで狭い心のことです。
※臧否(ぞうひ):物事の善し悪しのことです。
※顕明(けんめい): はっきりさせることです。
※創痏(そうゆう): 傷を負うことです。
※謗議(ぼうぎ): 悪口や、相手をそしるようなことを言うことです。
※沸騰(ふっとう): ここでは、議論がやかましくおこることです。
※怨憎(えんぞう): うらんで憎むことです。
※柳恵(りゅうけい): 「柳下恵(りゅうかけい)」のことです。
※柳下恵(りゅうかけい): (前 720 年 - 前 621 年)実際の名前は
展禽(てんきん)です。「柳下(りゅうか)」は主君からもらった
領地の名前で、「恵(けい)」は諡(おくりな: 死後に功績をたたえて
付けられる名前)です。秦の始皇帝が中国を統一する前の
春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)時代の魯(ろ)の国の賢人です。
悪い君主の下にいても運命を憎むことなく仕え、つまらない官職を
与えられても辞退せずにその官職をやり遂げていきました。と
『孟子(もうし)』の中で登場するなど、その功績や人徳を
高く評価されている人で、後世の「柳」姓の人たちの
祖先とされています。
※孫登(そんとう): 嵇康(けいこう)が出会った隠者です。
隠者(いんじゃ)とは、俗世間を離れて住んでいる立派な人のことです。
『三国志』魏書(ぎしょ)の第二十一巻の嵇康(けいこう)の注釈に
出てくる人物です。
※宿心(しゅくしん): 「宿志(しゅくし)」、つまり以前から
持っていた考えや希望のことです。
※良朋(りょうほう): よい友達のことです。
※恧(はじる): 「恥じる」と同じ意味です。
※厳鄭(げんてい): 漢(前漢)の時代の隠者である
厳君平(げんくんへい)と鄭子真(ていししん)の二人です。
『漢書』巻七十二・王貢両龔鮑伝第四十二の一節に出て来ます。
※仰慕(ぎょうぼ): 尊敬して慕うことです。
※楽道(らくどう): 人間として行うべき道を、楽しみながら行うことです。
※閑居(かんきょ): 人里を離れて一人で暮らすことです。
※晏如(あんじょ): 安らかで落ち着いていることです。
※神気(しんき): 「精神(せいしん)」、つまり心のことです。
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