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自己像という言葉はご存知だと思います。、、自分はドンナ人間なのかということです。 本当の自分を知りたい、、こんな願は、青年期に入る頃から、殆どの人の関心です。自分探しという言葉が良く使われます。自分を好き嫌いを知ることで、自己像が、かなり解ります。 誰も本当の自分のことは知りたいのに、そのチャンスが有りません。わざわざ、性格検査を受けたくもないし、,ペーパーテストの検査が、本当に真実を示すのか疑問です。 自分がどんな人間のか、なにを本当に望んでいるのか良くわからないのに、、自己愛、自己嫌悪を どう思いますかと言われても、 答えは出にくいでしょう。そこで整理してみました。 (1)自分は好きだし、愛している。これは理想的です。 (2)自分は嫌い、でも、愛している、、私は、これです。 (3)自分は嫌い、、愛してもいない、、これは虚無的で不安です、 心に、大きなトラウマが隠れているかもしれません。 わたしは、欠点の多い自分は好きでは有りませんが、 かけがえのない存在ということで、私自身を愛しております。 好きと愛を合一出来れば、これはステキだと思います。 劣等コンプレックスは誰にでもあると思います。神、?、でない人間に、パーフェクトは有りません。 先ず、良い人間関係、後は定番ですが、健康、才能、権力地位、財力、学歴、容姿、性格、そして、 幸運です。まだあるでしょうが、これがそろえば、自己愛は肯定されるでしょう。 神に微笑まれて、この条件が全部そろえば、その人は自信満々で、自己愛を満たし、自己嫌悪感なぞ、 何処にもなく、生涯挫折も、屈折も知らずに、尊大驕慢の反省もなく、生きられます。 でも、そんな人は万に一つの幸運の持ち主で、先ずありえません。 九十九パーセントの人は、自己愛と、自己嫌悪のハザマで、人間関係(心と心の関係)の愛憎、悲喜、怒り、怖れ、恥、孤独などのストレス処理に疲れることが多いと思います。 でも時には、オレ様天下なんて人もいます。エゴイズムと自信に溢れています。 自己嫌悪なんて生まれて一度もない、そんな弱い人間は、生きられないよと傲然としている人、 反省なんて、無縁でしょうから、デリケートな心ずかいはなく、平気で、人の心を傷つけます。 女をブス呼ばわりする人、、、先ずオトコが多いでしょうが、人の心を傷つけることが最低の仕打ち だということを知らないのでしょう。心が打ちのめされたら、生きるのが、辛くなります。 自殺者も、最後は心が耐えられずに死を選ぶのでしょうが、自己嫌悪の強い人は怖いです。 勿論自己嫌悪は、適度で在れば、羞恥心にもつながり、人間関係の潤滑油にもなります。 自己愛と自己嫌悪のバランスを保てる人こそ、健全な人間といえるでしょう。 好きと愛しているとの違いについて、私の考えです。 私は思います。 好きとは、自分の性格、容姿、才能、健康、価値観、などを積極的に受け入れている事です。 愛しているとは、自分という現実存在(実存)をかけがえのない存在として、 優劣、美醜、強弱、勇怯、認否、成敗などに関係なく、無二のもとして、受け入れることです。 つまり、好きとは具体的事実の認識で、愛とは抽象的な認識だといえるようです。 この二つが、統一されていれば、自己像は、安定すると思います。 皆様、いかがでしょう。自分がすきですか、?、愛していますか、 それとも、自己嫌悪に悩んでいらっしゃいますか、? どうして、もっとキレイに生まれなかったの、?、 又あんなひどいこと言ってしまった、、(親、子供、友人に) 尽くしてくれた、彼、彼女を裏切って、?。 又、おんなじミスをして、自分はダメな人間だ、、 かぞえ上げれば、自己嫌悪の種は、誰にも有ります。 同じように、自分が好き、自分を愛している理由も、即座に、いくつも上げられるでしょう。 普通なら、好き嫌いは、両方備えています。どちらが、多いのか、 或いは、強烈なのかということでしょう。 では皆様、どちらを多くお持ちでしょうか、 自己コントロール出来ないほどの強い感性をお持ちでしょうか、? どうぞ、ご意見をお寄せくださいませ。お待ちしております。 サチコ 、
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