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倶利伽羅県定公園 ・倶利伽羅古戦場 (検索引用)
源平砺波山合戦絵図
寿永2年(1183)源氏の軍勢は太鼓、法螺貝を用いて一斉に閧の声を上げ天地に轟かせました。と同じく、角に松明を付けられ猛り狂う500頭の牛を平家軍に放ちました。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、寝ぼけて暗闇の中をあわてふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちました。その数は1万8千余騎であったと源平盛衰記に記されています。
約800年前、木曽義仲は倶利伽羅で平家の総大将平維盛と対戦した際、牛の角にたいまつをつけて平家の軍勢に放ち勝利をおさめました。今は倶利伽羅不動寺への参詣も多く、春は6000本の八重桜、秋は紅葉と、歴史探訪や行楽に最適なスポットです。
ここから 火牛が崖を駆け下りた・・・と言う!! 今は のどかな展望台に・・・・
それにしても気の毒だった牛達・・・写真では、急な崖が上手く写せませんでした。
源平供養塔
、倶利伽羅峠(くりからとうげ)は、平安時代末期の寿永2年(1183年)の源氏と平家が興亡の明暗を分けた砺波山合戦(倶利伽羅合戦)の舞台となった所で、木曽義仲の火牛の計」の作戦が「源平盛衰記」に記されています。この源平砺波山合戦にまつわる史跡も多い倶利伽羅古戦場は、県定公園にも指定される景勝の地です。春には、約6000本の八重桜が山を桜色に染めます。 平成7年(1995年)には、建設省が進める「歴史国道」に全国12箇所の一つとして選定され、整備が図られました 。
源平のロマンを感じさせるいにしえの街道 (検索引用)
古代より豊穰な穀倉地帯である越中から加賀へ通じる加越国境の砺波山(倶利伽羅山)の麓に和銅五年(712年)砺波関(となみせき)が設けられました
北陸道は、敦賀の愛発(あらち)の関以北の日本海に面した北陸の国々を通り佐渡にいたる7ヶ国からなる七道のひとつで、古代の越(高志)の道です。
越中の国守として赴任した万葉の歌人、大伴家持(おおとものやかもち)が、 『焼太刀を礪波の関に明日よりは守部やりそへ君をとどめむ』(万葉集第18巻 4085) とよんだ歌が万葉集に載っています。 江戸時代には、参勤交代を全国で初めて行った加賀藩の参勤交代の道として整備がはかられました。 この道を、歩く機会を持ちたいと思いました。 倶利伽羅山のふもとの道の駅「倶利伽羅塾」に立ち寄りました。
源平火牛まつり
木曽義仲が勝利した源平倶利伽羅合戦の戦略を題材にした「火牛の計レース」や豪華賞品を用意した参加型のゲームなど多彩なイベントが行われる。 この綱で 綱引きをして その年の村の運を計るんですって! 近江町でも店舗を構えている佃煮屋のイケメン兄さん。 ここに来たら いつも「ワサビ海苔」と「白海老の麹漬け」を買うのが笑公子なので、 顔をシッカリ覚えていてくれたので、素通り出来なくなってるのよ。嬉し はずかし(^0^)、 帰りに ここにある「源平の湯」に立ち寄り湯して温まりました\(^0^)/\(^0^)/
↓ 源平の湯 http://blogs.yahoo.co.jp/syoukousi2/13691872.html |

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あぁ〜〜
言葉の要らない世界が此処にある〜
私の心の中で・・!
傑作に(´∀`)ぽちっと・・!
2010/5/8(土) 午後 8:58 [ こもれび ]
素敵な所ですね・・
いつも色々お散歩出来て羨ましいです・・我が家はパパが不規則なお仕事ですから・・何処にも行けなくて・・
年に1回か2回位しかお出かけ出来ないのです・・
なので・・私の所はあのような感じでございます・・
懲りずに遊びに来てくださいね・
i.mamasize
2010/5/8(土) 午後 10:22 [ i.mamasize ]
YYさん、言葉の要らない世界・・・良いですネ〜〜〜
わたしゃ〜〜少し喋りすぎ・・・キャハハハハ
2010/5/9(日) 午前 8:49
.mamasizeさん、私も60を超えてから、ヤット自由が持てるようになったのよ。それまでは365日×30数年間 義父の介護してたから・・・ 老後 ご夫婦で楽しく旅できる日がキット来るから健康でいてね!。
2010/5/9(日) 午前 8:56