沖縄

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 久米島・沖縄の短い旅に、楽しい思い出 イッパイに膨らませてきました。
     
     * 戦闘機が こんな近くで見れるのも・・・ここは沖縄。
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   * 沖縄空港
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 * 桜前線のスタートで見られる「カンヒザクラ(寒緋桜)」が咲いていました。
    カンヒザクラは、下向きに咲く花や  パッと大きく開かない花が多く、
      沖縄から東京辺りまで分布する桜で、他の桜よりも花の色が濃いのが特徴。
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     ♪ 並んだ〜〜〜ならんだ〜〜〜 胡蝶蘭・・・(^0^)
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   * 免税店でウインドウショッピング。
       お土産は ホテルから宅急便で送ったら 沖縄ー高岡 ¥3、000−でした。
        もう 買わんとこ!〜〜〜と思っていたのに、又 意志が弱い・・・<(^∀^*)ゞ
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     *ブーゲンビリアも生き生きとしています。・・・オキナワ・・・おおきに・・・(^0^)
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  * 待ち時間に 空港内で立ち食いした「ソーキソバ」にも お名残おしくておいしい〜〜〜〜〜
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    * 那覇空港〜伊丹空港 約1時間50分・・・・
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      ♪  夕日が沈みました・・・・ 
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   * 誰か・・この美しい夕焼け見たいから、飛行機の窓ガラス拭いておくれやす〜〜〜(^0^)
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      * 伊丹空港から高速バスで 無事なんばに到着。
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    * 大坂駅からサンダーバードで高岡へ・・・
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    * 家に帰って万歩計を見たら・・・20、018歩=====よく歩いてるわ〜〜〜
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       ・・・そりゃ〜〜〜そうよ・・・ この日は 沖縄から高岡だものね〜〜〜(^0^)

 沖縄は 何度行っても新鮮な場面に出合える所なので、観光するには最適な所だけど、
   後世に伝えて行きたい場所は あまりにも観光化されすぎていた事が 物語的な感じを受け 
     あまり 整備しないでいて欲しかった・・・感じ・・・・。 
                                    = END =

  笑公子の旅は いつも高岡出発から帰宅までの足跡を 忠実にアルバムにしているので、
   短い旅なのに 長〜〜〜〜〜〜〜〜い記事です。 お婆の ボケ防止に楽しんでいます。
    こんなお婆のブログを いつも見てくださって ほんまにおおきに〜〜〜〜〜
     皆様のお蔭で 生甲斐となって幸せな日々を頂いています。 
       ズ〜〜〜ット 仲良くして下さいませ。
   
       「みーばるビーチ (新原ビーチ)」
那覇から一番近い天然ビーチ・・・・どこまでも続く白い砂浜・・・・・・
      近くに浜辺の茶屋や某有名演出家の自邸もあるとか!
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リゾート開発とは全くの無縁で、人口ビーチとは一味違い 全長1キロにも及ぶ天然の砂浜。
           沖縄本来の開放的な海のロケーションが素晴しかったです。
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  アオウミガメの小亀が 籠の中で沢山保護されていました、
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   * 干潮時には沖合いのリーフに歩いて行け、貝殻拾いなども楽しめるほどの遠浅との事だけど
       この日の時間帯は 満潮時だったので、貝殻は拾えませんでした。<(^∀^*)ゞ
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    *グラスボート(¥1800−)で さかな君に会いに行きましょう〜〜〜〜(^0^)
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  グラスボートの待合室では ゴーヤ茶 と 黒糖が サービスしてくれていたので、体が温まりました。

   * 船着き場のイケメン兄さん・・チョット寒そう・・・・
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、* 船に乗るだけで豊富な熱帯魚を見ることが出来るグラスボート!
    まるで海底散歩をしている気分!      
      観光客は、カラフルなさかな君を見つける度に「ワ〜〜〜・ワ〜〜〜〜」と歓声が上がり
         子供心に帰って楽しみました \(^0^)/
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    ♪ ポーニョ ポニョポニョ 魚の子・・♪
        カクレミノが・・・・・
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      *   手を伸ばせば届きそうな所にいます。
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      *  次のポイントでは サンゴ礁を観察・・・・
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     近年 だんだん失われていくとのサンゴ礁・・・
           この美しい海を 永遠に守って生きたいものです。
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    *  20分の グラスボートは、ぶつかりそうなサンゴの山・垂直に切り立った深い谷、
          息をのむほどの青暗く深い色に魅せられてきました。(^0^)
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           東シナ海・・・さようなら〜〜〜〜〜〜

 トッテモ美しい天然水族館だったんだけど 全く進歩の無い笑公子迷カメラマンなので、
      実際の美しさを紹介できなくて・・・カンニンしておくれやす。><
    * 「沖縄県平和祈念資料館」・・・沖縄県南部の太平洋戦争の激戦地の中央にあります。
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         * 「平和の火」   (検索)
この「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と
  被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、
    1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものです
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      * 「東シナ海」
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 戦争の知らない世代に、日本が経験した戦争の歴史・・・この事実を知っていて欲しくて・・・
  子孫に伝えて行くことで、平和な世界になる為に・・・と 考えて欲しい所です。
          県外の修学旅行の学生たちが多いです

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          * 「砲弾」・・・まだ 何処かに埋もれているかも・・・
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   *  「ギーザバンタ(慶座断崖)」
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    *  「沖縄平和祈念堂」
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     * 戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」  (検索)
沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰め、
 今日、平和の享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。
  沖縄は第2次世界大戦において、住民を巻き込んだ地上戦の場となり、
   多くの貴い人命とかけがえのない文化遺産を失った。
    このような悲惨な戦争体験を風化させることなく、その教訓を後世に正しく継承していく
       安らぎと学びの場
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            「刻銘碑」
 刻銘碑は、平和の広場を中心にして放射状に円弧の形で広がりをもって配置されています。
  これらは屏風状に並び、5つ折タイプ69基、3つ折タイプ49基の合わせて118基、
刻銘版は、1,220面に及び、約25万名の刻銘が可能です.
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   今自分たちが得ている当たり前の幸せは、戦争を体験された多くの人々の苦しみの上に
      成り立っている事を絶対に忘れていけないことです。


      *  「平和の丘彫像」
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戦争は 国の一部の人の物欲から始まり、人間が人間でない考えから、
  平和に暮らしていた人達も、軍隊に強制的に連れて行かれて・・・残された物全てが灰になり
   ・・・家族も、想像も付かない悲惨な運命に翻弄されたのです。

   こんなに悲しい過去を乗り越えて 皆一生懸命に生きて 今の世を再建してきたのに、
    連日のように、親が子を簡単に殺してしまうというニュースに とても心が痛みます。
      人として一番大切な事・・命の尊さを 子供に教える事が親の勤めだと私は思います。      

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           「琉球ガラス」   (検索)
 戦後において、雑多な瓶を溶かして再生したことから、厚手の赤色や緑色などの多彩な色合いとなり、
  再生の過程で混入する気泡と相まって独特の味わいをもつガラス製品となった。

冷蔵庫の普及と共に、沖縄でよく飲まれる泡盛をロックで飲む機会も多くなり、旧来の酒器である
 カラカラから、広口で制作されたガラスコップを使うようになった。
  沖縄が観光地化するにつれ観光客の目にとまり、その手作り感と泡盛と合う涼しげなガラス器で
   「琉球ガラス」として人気が出た。太平洋戦争後の資源難のため、アメリカ軍基地で捨てられた
     コーラやビールの空き瓶を溶かして再生したことから始まる品。沖縄ガラス」「琉球硝子」と表記される

            * ガラス館前で お出迎え・・・・・
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         * 琉球ガラス村
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     *  茶色瓦の屋根の上に乗るシーサーは 中国との貿易が始まった頃からの家で
          昔から 沖縄の伝統の元で生活している古い家の屋根は、白っぽい瓦で、
            シーサーは置いて無いそうです。
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    ガラス館内には カラフルなガラス製品で埋め尽くされていました。

   * 原監督に・・・そう言えば・・・似てるわ〜〜〜〜キャハハハハ
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    * 建物全体をガラスのタイル・カケラで埋め尽くしたガラス館が綺麗でした。
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     * 圏内最大の手作りガラス工房
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     *   琉球焼 ・ いとまん窯
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 シーサーの 同じ顔が無いので 一つひとつに味わいが有って 沖縄文化を満喫\(^0^)/
         「ひめゆりの塔」   (検索)
 沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人による
         「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所。
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 ここに部隊が移動した6月には医薬品や食糧も底をついていた。6月18日、突如軍より解散命令が下された。
この後、壕より脱出する直前に米軍のガス弾が打ち込まれ兵士や学徒の多くが死亡、生還者はわずかであった


      *  「ひめゆりの塔」は、この壕の上に建てられていて、壕の中は傾斜がきつく、
             この中で泥や雨、砲弾にさらされながら生活していたのです。
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    *  修学旅行でも必ず訪れる「ひめゆりの塔」に、黙祷をささげていました。       イメージ 5


         *  ひめゆり平和祈念資料館
生き残った女性が貴重な証言を聞かせてくれました。「女性も勇敢に戦った」という論調ではなく、
沖縄戦の背景(アジアへの侵略)や日本政府が沖縄を「捨て石」にしたこと、戦争の悲惨さを話していました。
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  2004年4月に新装されたので、分かりやすい展示となっている反面、
   以前訪れた時のこの場所の思い出が深いから・・・・・あまりにも観光化されている事に
     戦争の知らない世代に 何処まで伝わるのでしょうか?  キレイになりすぎている事に
       単なる観光地として そのうちに風化されて行くのでは・・・・・
       
          ・・・個人的には 当時の有りのままの方が良かったのでは?・・・と・・・  


 生き残った者も、さらに荒崎海岸に追い込まれ自決したりした。「ひめゆり部隊」の犠牲者194人のうち、
「解散」後の死者が128人であることが示す通り、軍の無責任さが多くの犠牲者を生んだようです。
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 戦争が残したものは、平凡な市民として一生懸命に生きてきた子孫に悲しみの思い出しか残さない事を
    現在の世代に伝えていくことが 爺婆の役目だと思います。   !!戦争絶対反!!!


* いつもなら華やかなハイビスカスの花も、この日は 乙女達の命の炎のように悲しげに見えました。イメージ 10



    *  昼食タイム 
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        大好きなアンダンギーなど・・・沖縄の食材が満載でした・・・(^0^)

   
      * 可愛い ゴーヤの椅子
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           ・・・現在も 平和な日本国・・・と言えるでしょうか?・・・・・

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