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串本
串本駅(くしもとえき)
西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。
串本町の中心部にあり、特急「くろしお」を含む全列車が停車する。
本州で最も南に位置する駅である。
トルコ オスマン帝国海軍軍艦「エルトゥールル号」
串本はトルコ友好の町 (検索)
1985年3月17日、イラクのフセイン大統領は「今から48時間が経過したらイラン上空を飛ぶ航空機は撃ち落とす」と宣言。イラン・イラク戦争の最中のことだ。イランの首都・テヘランを脱出しようと日本人は空港に急いだ。各国は自国民のための救援機を出していた。しかし、日本は出せなかった。空港にいた265人の日本人はパニックに陥った。その情報がトルコ首相の耳に入った。緊急会議が開かれパイロットの志願者が募られる。1人のパイロットが手を挙げた。時間が迫るなか航空機がテヘランに到着する。そして日本人向けのアナウンスが空港に流れる。「救援機が到着しました!」。タイムリミットの75分前だった。
当時なぜトルコ航空機が日本人を救出したのか、その理由を日本政府もマスコミも知らなかった。後になって元駐日トルコ大使が次のように語っている。エルトゥールル号の事故における日本人の献身的な救助活動、 トルコの人たちは決してそのことを忘れていません。今の日本人が知らないだけです。
「その理由」
折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールルは、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時半ごろに沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出された。樫野埼灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりついた。灯台守は応急手当てを行なったが、お互いの言葉が通じず、国際信号旗を使用して、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦である事を知った。通報を受けた串本町樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することが出来た。
・・・・・・・・・心を打たれる実話を 小学校の教科書で もっと伝えれば善いのに・・・・・・・・・・
戦争のない平和の原点はこんな所から 生まれるのだと思う。
串本駅に戻り くろしおに乗って京都へ・・・・・
普通電車が串本駅で折り返し運転しているのも有る。
くろしおの車窓を楽しみながら駅弁
京都駅ホームのタイル絵
京都タワーのライトアップ
京都から サンダーバードに乗り換えて 高岡に帰りました。
大阪の兄が企画した2泊3日南紀の旅は 余裕のある時間設定なのに
とても充実した内容だったので、大満足の想い出がイッパイ残った旅でした。
兄夫婦様、又連れてってくださいませ。
サンダーバードが 高岡駅廃止にならない間 西日本に後 何回行けるかナ〜?
=END=
1日目・・・・・高岡ー天王寺(特急くろしお)-新宮ー徐福公園ー新宮城(丹鶴城)−熊野速玉神社
ー神倉神社ー浮島の森−国民宿舎(南紀勝浦)
2日目・・・・・国民宿舎(南紀勝浦)ー宇久井半島散策ー勝浦漁港ー瀞峡めぐりー紀の松島めぐりー
−太地・花いろどりの宿「花遊」
3日目・・・・太地・花いろどりの宿「花遊」ー浅間山園地ーイルカショウークジラショウー
−イルカ・クジラに餌やり体験ークジラ博物館ー島尻湾くじら浜公園ー太地ー串本ー京都ー高岡
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