|
学力低下対策として「週五日制」を見直すとのこと。
学校週5日制見直し、報告案で明記へ…教育再生会議
政府の教育再生会議(野依良治座長)がまとめた第1次報告最終案に、今後の検討課題として「週5日制の見直し」が盛り込まれていることが18日明らかになった。
再生会議が目指す「ゆとり教育の見直し」や「授業時間数の10%増加」の具体策として挙げたもので、実現すれば約15年ぶりの政策転換となる。同会議は最終案を19日の合同分科会で議論した後、24日の総会で正式決定して安倍首相に提出する。
週5日制は92年から月1回、95年から月2回と段階的に試行され、2002年度に公立学校で完全実施された。子供が家庭や地域で過ごす時間を増やし、考える力や生きる力をはぐくむのが目的だったが、授業時間が削減されたことで、学力低下の一因とも批判されてきた。
最終案は今後の検討課題として、「学習時間と学習リズムの確保の観点から、学校の休日や学校週5日制を見直す」と明記した。今後、夏休みの短縮や一日の授業時間の増加などを考慮して、週5日制の抜本見直しを視野に検討を進めると見られる。
週5日制に関して、伊吹文部科学相は18日、土曜補習を実施する都内の中学を視察後、記者団に「週5日制にした時、夏休みを減らすはずだったが、結果的に週休2日だけ実現した経緯がある」として、見直しが必要だとの考えを示した。
読売オンラインより。
学力はかなりの部分「量」で決まる。これは間違いない。例えば、世界史を一年で「百時間」学習した人と「三百時間」学習した人とでは、学力に大きな差が生まれる。全部で百時間しかなければ、「司馬炎」や「J.F.ケネディ」を学べても、「ネブカドネザル2世(新バビロニアの王。「バビロン捕囚」や世界七不思議のひとつ「空中庭園」建設で有名)」や「サンディーノ(ニカラグアの英雄。20世紀初頭にニカラグアを占領していたアメリカ海兵隊を追い出した)」は難しくなる。まして「ラージャラージャ1世(10世紀末ごろ南インドのタミル系ヒンドゥー王朝チョーラ朝の英傑)」とか「アレン・ダレス(アイゼンハウアー政権で活躍したCIA長官。国務長官ジョン・ダレスの弟。イランのモサデグ政権の転覆やグアテマラのアルベンス・グズマン政権の転覆などの秘密工作を指揮。しかしキューバのカストロ政権転覆を図ったピッグズ湾進攻に失敗してケネディに解任される)は絶対に学べない(そもそも「チョーラ朝」ですら「受験には出ないから覚えなくていい」などと言われたりする)。
したがって「週五日制を改めて学習時間を増やす」という基本路線は正しい。
問題はその時間の「質」である。例えば、漢文の場合、予備校の講義では、一コマでまとまった量の文章を読み切る。扱う問題によっては、300字程度の長文を読み切ったりする(問題文の長さに関わらず、一コマで講義するため)。一年間通して24コマの講義を受講すれば、おおむね24のまとまった文章を読むことになる。これはかなりの量だ。これだけ読めば、漢文を読むうえで必要な「スキーマ(知識)」を身につけられる。漢文の世界では、親孝行や信頼(=約束を守ること)が重視されること。臣下の進言・諫言を聞き入れる君主が名君として称えられること。高い道徳を身につけて政治家となり民衆のために尽くすことを重視する一方で、政治への関与を嫌悪し世間に背を向けて田舎で隠遁生活することを称える風潮もあること。こんなことを学習できる。もちろん講義で繰り返し触れることで、句法の知識も身につくし、語彙力も高まっている。要するに、予備校の講義では、かなりの「量」の情報を少ない時間の中で受講生に注入しているのだ。
学習の「量」で大事なのは、「時間」の量ではなく「情報」の量である。
一時間で扱える情報の量が多ければ多いほどいい。生徒たちに対しては、毎時間未習の知識を教える必要もあるし、その一方で既習の知識を繰り返し示す必要もある(忘れてしまうから)。一時間で扱える情報量が多ければ、それだけ多くの未習知識を扱えるし、それだけ多くの既習知識を繰り返せる。したがって学校教育の現場で、一時間当たりどれだけの情報を扱えているのかをチェックしなければならない。少数(のはず)だが、教科書をただ読み上げるだけの世界史教師だとか、古文だけで終わってしまって漢文をほとんど扱わない国語教師だとか、ただ作文を繰り返させるだけの小論文対策をする国語教師だといった「とんでもない教師」が実際に存在する(生徒の話によれば)。そもそも現代文や古文の本文を生徒に読み上げさせる教師が多いらしいが、その必要がどこにあるのか(書物は原則「黙読」するものであって、声に出して読んだりしない。いちいち声に出していたら、ボケ防止になるかもしれないが、読解スピードは確実に落ちる)。
仮に、学校で「希薄な」授業を受けて無駄に時間を費やすくらいなら、予備校や塾に通ったり読書したり旅行したりして「濃密な」時間を過ごした方がいい。週五日制が崩れたら、週末に東京や京都に出かけて博物館や美術館、あるいは、寺社・仏閣を巡る時間を取ることもできず、その代わりに教室で教科書を声に出して読むハメになる。そんな状況に陥った場合、生徒とその親は、その高校を選んだことを一生後悔するだろう。学校をサボった方がよほど濃密な時間を過ごせるのに、学校側は出席日数や校則を盾に授業への参加を強制するだろう。
「ゆとり教育」は、学ばなくてはならない量を少なくし、その分、生徒の自主性に応じて学べる量を増やすという「生徒の自主性を重んじた教育」だった。残念ながら、生徒の大部分は学習意欲に乏しかったため、「学ばない」を自主的に選んでしまった。ここまで子どもたちが学ばないとは、文科省の役人は予想していなかったらしい。その結果が「学力低下」である。そこで「自主的に学ぶ気がないなら、強制的に学ばせるしかない」と発想を転換したが、これはものすごくわかりやすい(ここまで単純に発想を転換すること自体、日本人全体の学力が低下しているともいえる)。
教育再生会議は、子どもたちを教育する責任を学校(=公務員)が一手に担い、上からの強制で学力を向上させようと目論んでいる。学力低下という危機=国難を克服するために、国家が強権を発動しようとしている。子どもたちが学力を向上させたいと切実に願っているかどうかはまったく気にかけていないらしい(大部分が学力を向上させたいと思っていないことは、学力低下で明らかだけど)。子どもたちが自由に使える時間を奪うことにも無頓着だ。
繰り返すが、単純に授業時間を増やして希薄な時間を過ごすくらいなら、ゆとり教育のままの方がいい。増やすなら、学校で過ごす時間が有意義でなければならない。予備校や塾はいくらでも途中で抜けることができる。学校はそうではない。公立の小学校や中学校なら、そもそも選ぶ権利を生徒側に与えていなかったりする(選べるところもある)。住んでいる場所に応じて強制的に割り振られる。仮に、運悪く極端に質の悪い中学校に入ることになってしまえば、もちろん学力は伸びたりしない。学力が伸びなければ、質の良い高校には入れない。質の良い高校には入学希望者が殺到するため、学力の低い生徒は受験で勝てないからだ。したがって彼は質の悪い高校で無駄な三年間を過ごし、ますます学力を低下させることになる。そして大学受験。彼にはオプションはほとんど残されていない。質の悪い大学に行くか、大学進学自体を諦めるか、どちらかだ。つまりたまたま住んでいた場所によって、その後の人生が決まりかねないのだ。
学校の授業時間の増加=自主的に使える時間の減少を意味する。学校教育の質が悪ければ、最も大切な時期を浪費することになる。したがって授業時間の増加よりも何よりも先に、学校教育の質の底上げが必要になる。しかも小学校・中学校の場合は教育の質に大きな差があってはならない。全校が優秀でなければならない。単に「授業時間数を増やせばいい」という発想では困る。授業の質をどのように高めるつもりなのか。質の悪い小学校・中学校・高校に当たってしまった場合に、生徒・家庭にどのようなオプションを与えるのか。
というわけで、学力低下の原因は学校で教える「情報」の量が減らされたためだったはずだ。授業時間と情報量は強く関連するが、一対一で対応するわけではない。現在の授業時間数のまま、扱う情報量だけを増やすことは不可能なのか。単に授業時間を増やしただけでは、それだけ間延びした授業をするだけだろう。文科省の動きやメディアに流れる意見を見ていると、どうも「ゆとり教育はダメだったから、つめこみ教育しかない」といった単純な発想が見え隠れしている。なぜ、そこまで学校教育を信頼しているのか理解に苦しむ。よほど質の良い学校の出身者ばかりで話を進めているのか、それとも学校の現状をまったく知らずに話を進めているのか。
まずは教育の質の向上を議論すべきである。
なお学校の先生の中には、非常に熱心で子どもたち思いの方も数多く存在し、その一方で悪い意味の「公務員」になってしまい、日々何となく過ごしているだけの方もけっこう存在しています。僕が接する先生方は熱心な方ばかりなので、しばしば不熱心な同僚教師についての話などをしてくださるのですが、そうした話からは「職員室の大半は不熱心な教師であり、熱心な教師の足を引っ張っている」という印象を持っています。また「四十歳を過ぎると、自分の先が見えてしまい、意欲が失われていく」という話も聞いたことがあります。こうした状況がどこまで普遍的なのかは判断できませんが、仮に一部に存在するだけでも、「教育をできるだけ学校に委ねる」という現在の方向は間違っていると思います。
|
誤解を招きそうなので、念のため明言しておくと、予備校講師が教師よりも優秀と言っているわけではありません。予備校は自由に抜けられるし、別の予備校に移るのも容易なのに対し、学校はそうではない、というだけです。
2007/1/19(金) 午前 11:30 [ syo*ron*u*_t*isaku ]