
- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
【時事】情報
[ リスト | 詳細 ]
|
新保豊氏のコラムがあったので紹介。元URLはこちら→http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/shimbo.cfm 新保氏は「放送と通信が融合しないのは、民放が既得権益を守ろうとしているからだ」とする。放送業界を「最後の護送船団」と呼ぶ。 「『最後の護送船団』業界が解体するとき〜民放も例外ではない」 技術的に通信と放送の融合が進むと、両者の垣根が無くなる。いまはパソコンでも放送コンテンツを楽しめるようになった。インターネットを使ったIP放送という方式でだ。しかし、放送コンテンツすべてか、というとそうなっていない。制度上は垣根が存在するわけだ。
有線テレビジョン放送では、放送事業者(地上系・BS系・CS系)のテレビ放送またはテレビ多重放送を受信し、そのすべての放送番組に変更を加えないで同時に「再送信」(2次流通)できる。一方、2003年7月にサービスが始まった「BB TV」(ヤフー)や「光プラスTV」(KDDI)などのIP放送ユーザーはなかなか増えない。5万〜10万円もする高価なSTB(セット・トップ・ボックス)が必要だというのも、ネックであることは確かだ。しかし、IP放送は有線役務利用放送として制度化されているにもかかわらず再送信をすることができないという、供給者にはめられた制約のほうがよほど問題だ。 ケーブルテレビなら再送信(二次流通)ができるのに、IP放送(=ネットを使った映像配信)ではできない。この制約こそがIP放送普及を妨げているという。 なおIP放送が普及すれば、今までと同じようなテレビを「ネット経由で」見られるから、電波がなくても困らなくなる。番組制作会社は放送局にではなく、ヤフーやNTTコミュニケーションにコンテンツを販売しようとするだろう。広告会社も、テレビCMではなくネット広告に軸足を移しかねない。つまり放送局は不要になる。 インターネットの特長は双方向性。どの家庭が何を見たのか秒単位で正確に把握できる。サンプルを抽出して統計的に調査するテレビとは、データの質がまったく違う。しかも地域ごとや世帯ごとにデータの加工ができるから、的を絞った広告が可能になる。放送局が通信を危険視する理由の一つだ。 さて、放送局側は、この制約を次のように正当化している。 現在、NHKや民放各社は「映像品質が見劣りする」(技術)、「放送対象の地域を越えてしまう」(県域免許)などを理由に、地上デジタル放送の再送信を認めていない。これが、IP放送普及の最大の障害となっているというのが実態に近いだろう。
これに対して、新保氏はこう批判する。 筆者の見方はこうだ。技術面では、閉域的な仕組みであるIP網は映像品質も高いので問題ない。県域を越える放送は、より多くの視聴者にコンテンツを楽しんでもらえるのだから、顧客である広告主にとっては歓迎すべきことだ。
つまり、技術も県域免許も理由にはならない、というわけだ。 残るのは著作権の問題だけだ。確かに複雑に絡み合った権利関係を解決し、コンテンツを流通させることは至難の業だろう。しかし、コンテンツによっては、古いものは急速にその経済的価値を失う。したがって、その流通を促進する仕組みを確立しておく必要があるだろう。
たとえばコンテンツ制作の時点から、放送局などのコンテンツホルダーと権利団体(または個人)との間で、2次流通や再送信を前提とした合意をとりつけておく。権利クリアランスシステムを介在させることも効果があるかもしれない。別の表現をすれば2次流通を前提とした(いわば通信と放送の融合を前提とした)ビジネスモデルを描くことだ。 あとは著作権の問題が残るが、これもクリアできるだろうと氏は考えている。 というわけで、「公共放送」という「存在価値」を持つNHKはともかく、民放が存在する理由はほとんどないに等しい。すべては「ユーザーの利便性」にかかっていそうだ。 現在はネットの方に規制はない(法整備が追いついていないから)。一方、放送側にはさまざまな規制がある。ただしネット=通信側が放送事業に参入したり、放送側が握っているコンテンツを入手したりしようとすれば、ライブドア対フジテレビや楽天対TBSのように、死に物狂いの抵抗に遭う。 法律上(放送法・著作権法含め)放送と通信を共通の土俵に載せ、サービスの質=ユーザーの利便性だけをめぐって競争させれば、最適な仕組みができあがると思うのだが、どうだろう。楽観的すぎるのだろうか。
|

- >
- コンピュータとインターネット
- >
- インターネット
- >
- ネットサービス
|
NHKスペシャルの議論は単純でした。論理的に無理をしている部分がありましたけど。以下、記憶に基づいて、内容をまとめておきたいと思います。 【放送の危機】 現在、「通信(=ブログなど、ネットによる情報発信)」が「放送(=テレビやラジオなど、電波による情報発信)」に打撃を与えている。 通信は低コストで情報発信ができるため、放送局のライバルが次々と現れている。素人がパソコンとカメラ一台でコンテンツを製作して発信するケースもあり、テレビで放送したものと同じコンテンツを通信で流すケースもある。放送の視聴率は減少する一方で、通信の利用者は急速に増加している。簡単にいえば、テレビと同じ番組やテレビと同じくらい面白い番組をネットでも見られるから、テレビで見ずにネットで見てしまう人が増えている。 放送局の収入源は「広告」にあるが、「通信」がシェアを伸ばして「放送」の広告収入を奪っている。そのため深刻な財政危機に見舞われている放送局もある。特にローカル放送局は存続の危機にある。簡単にいえば、テレビの視聴率が低下しているから、広告主はテレビではなくネットに広告を出すようになった。テレビCMを流す代わりに、ヤフーブログの一番下に広告を載せたりするようになった。 もちろん放送もコストダウンで対抗するものの、その結果、放送の質が低下しかねない。また通信を積極的に利用する放送局も増えてきた。テレビで放映した内容を、試験的にネットでも見られるようにしたり、あるいは、それに加えてテレビで放映できなかった内容を、ネットで配信したりする。例えば、ドキュメンタリ・チャンネルの「FRONTLINE(http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/)」は、放送した内容をネットでも配信するうえ、放送ではカットしたインタヴューなどを全文掲載したりする。 いずれにせよ、放送業界は変化を迫られており、通信とどう向き合うかが今の課題である。今のままでは、やがて放送と通信は差のないものとなってしまう。通信に放送が飲み込まれる事態になりかねない。 【放送の必要性】 それでは、放送が通信に飲み込まれてもいいのか。 (1)「通信」は偏りがあり、客観性・正確性に欠ける。 (2)「放送」は客観性・正確性・公平性に優れる。 したがって「放送」は必要。特に「公共放送」は必要だ。例えば、ブログ・ジャーナリズムが今の新聞やテレビ中心のジャーナリズムを壊すかといえば、それはない。ブログはあくまで主観的で、主義・主張を伝えるメディアである。一方、放送はあくまで客観的で、主義・主張を交えず、事実だけを伝えるメディアである。放送法でそう規定されている。その点でブログと放送とは決定的に違う。 不正確・不公平な通信にメディアの主流を奪われるわけにはいかない。放送に第一の価値を置きながら、いかに通信技術を生かしていくかがこれからの課題となる。 こんな内容でした。 さて、面白いのは「公共放送は必要だ」という主旨になっていたこと。娯楽番組であれば、正確性も客観性も公平性も無関係だから、この点で「テレビの娯楽番組は不要。娯楽番組ならネット配信でかまわない」――明言はしていないが、そう帰結してしまう。民放関係者はもう少し憤っていいところだろう。要するに「娯楽中心の民放は消えてもかまわないが、公共放送のNHKは通信全盛のこれからもその存在価値を失わない」と宣言していたのと変わらないからだ。特にテレビ東京の会長は「大衆迎合主義(=民衆が見たがるものを見せればいい)」を認めていたから、ますます民放の存在価値は薄れてしまう。 結論をまとめれば、次のとおり。 (1) NHKは現在の受信料徴収形式で存続する。
(2) NHKは受信料という潤沢な資金を活かして、正確・公平・客観的な情報発信をする。 (3) 民放は不要。もしくは、通信に飲み込まれてもかまわない。 |

- >
- コンピュータとインターネット
- >
- インターネット
- >
- ネットサービス

- >
- コンピュータとインターネット
- >
- インターネット
- >
- その他インターネット

- >
- コンピュータとインターネット
- >
- インターネット
- >
- その他インターネット




