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日本代表の対キューバ戦績は、4勝32敗。キューバは44の国際大会に参加して37回優勝したそうです。 過去の戦績を見る限り、圧倒的にキューバの有利。これで日本が勝つと予想する人は、いったい何を見ているんだという感じですね。 フジテレビのニュースでは、プロ・アマ合同チームになってからは「2勝6敗」だから、日本にも勝機はあるとのこと。わはははは。確かに「4勝32敗」と比べれば、勝機があるように見えますね。 さて日本の圧倒的不利の中、何とか勝つ確率を見つけようとしてますが、この推測は論理的にはまったく無意味です。過去の戦績を見ても、明日勝つ確率はわかりませんし、「2勝6敗」なんて数字を出して勝機を見出しても無意味です。 なぜ、そういえるのでしょうか。そして、なぜ無意味なのに、わざわざ過去の戦績を持ち出すのでしょうか。考えてみましょう。 ■答え 単純に、現在の戦力と過去の戦力とは別物だからです。明日の勝敗を予想するには、あくまで現在の戦力の優劣を比較すべきであって、現在の戦力と関係が浅い過去の戦績を根拠にしても、正しい予測はできません。これはFIFAランキングをいくら持ち出しても、勝敗の予想ができないのと同じです(韓国が日本より下とはとても思えない)。したがって「4勝32敗」を見るよりは「2勝6敗」を見た方がましですが、もちろんそんな数字よりも現在の戦力をまず見るべきです。 それでは、なぜわざわざ過去の戦績を持ち出すのでしょうか。 ひとつめの理由は「わかりやすいから」でしょう。プロ野球でも、そのシーズンのそれまでの戦績を持ち出します。これは意味があります。シーズン中は戦力的に大きく変わらないからです。仮に少々変わったとしても、簡単に補正できます。しかし国際試合では対戦数自体が減少しますから、「ほぼ同じ戦力で戦ったときのデータ」を集めようとしても、「ない」なんてことになりかねません。そのため、無意味なデータまでかき集めて「4勝32敗」なんて数字を出したりします。 ふたつめの理由は「根拠がないよりましだから」でしょう。現在の戦力を比較したくとも、恐らく比較できるデータがないはずです。例えば、同じメジャーリーグで活躍しているなら、防御率や打率を比較しても意味が出てきますが、キューバの国内リーグとメジャーリーグと日本のプロ野球とのデータを比較しても意味はありません。日本では3割打てる打者でも、メジャーで3割打てるとは限らないからです。したがって、現在の戦力を比較できない以上、もはや推測の根拠になるデータは存在しません。といっても、何の根拠もなしに「いやあ、キューバは強いですけど……」なんて口にしたら、客観・公平・中立を原則とするジャーナリズムとしては失格になりますから、ついつい過去の戦績を持ち出してしまったのでしょう。 スポーツレベルがいきなり凋落することは十分ありえます。例えば、フランス・ワールドカップとユーロ2000を制覇したサッカーフランス代表も、その後はなかなか良い成績を収められていません。しかしキューバは、今回も順当に決勝に駒を進めていますから、恐らく以前と同じ高いレベルを維持しているのでしょう。一方、日本はメジャーで活躍する人材が増えたとはいえ(単に野茂が開拓して以降、メジャーに行く選手が増えただけ。FA制の導入もそれを後押しした)、全体のレベルが上がったという証拠はありません。したがって過去「4勝32敗」なら、そのままの確率でキューバが勝ちそう、と言えるかもしれません。でも、推測できるのはその程度です。 ともかく、明日、日本代表がどのようなプレーをするのか、それを楽しみにします。キューバ優勢はどうやら変わらないようですから、「勝てるかも」「勝って欲しい」という気持ちで応援したいと思います。
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現役講師、論理を語る
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「孤例」という言葉は聴き覚えがないだろう。もしかすると、僕が専攻していた東洋史、しかも古代史にしかない考えかもしれない。 孤例とは、孤独な事例、簡単にいえば、一個しかない証拠である。例えば、以前、佐世保で小学6年生の女子児童が友人の首を刃物で斬りつけ、殺害してしまった事件があった。すっかり今は話題にもならない事件だが、当初は「少年犯罪の低年齢化もここまで進んだ」「少年ばかりでなく少女も凶悪化をはじめた」「犯人の少女はネットでチャットをしたり『バトルロワイヤル』もどきの小説を執筆したりしており、つまりネットが少女の凶悪化を招いた」などなど、さまざまなメディアで取り上げられた。「女性も強くなった証拠だ」とおっしゃられた偉い政治家センセイもいたとかいないとか。 さて、このとき「少女による殺人事件はきわめて異例であって、今後続く可能性はほとんどない」と冷静に判断した人はほぼいなかった。「ネットが凶悪化が招いたとすれば、今後も続くはずだが、それはない。したがってネットが少年犯罪を凶悪化させることはありえない」――実はこれは講義で僕が口にした言葉だが、ものの見事に予想通りとなった(少し自慢)。 たった一つの例しかないにもかかわらず、あたかもそれが普遍的な事態かのごとく扱うことは、もちろん間違いである。少数の事例しかないにもかかわらず、あたかもそれが普遍的な事態かのごとく扱うことは、もちろん間違いである。例えば、精神障害者やロリコンオタクによる凶悪犯罪が起きるたびに、まるで犯罪者予備軍のごとく扱われるが、実際は犯罪の加害者ではなく被害者になることの方が多いのであって(虐待されたりカツアゲされたり)、精神障害者・オタク=犯罪者予備軍という判断は大きな間違いだ。特に精神障害者の場合、彼らはほとんど事件を起こしておらず、人格障害者(人格的に欠陥のある人物。彼らは病気ではない)がまれに凶悪事件を起こすせいで、凶悪犯罪者予備軍と誤解されてしまう。完全なとばっちりだ。 というわけで、孤例や少数例を一般化することは誤りである。かつてどこかの県警が「中国人を見たら要注意」というポスターを貼って問題となったことがあったが、当たり前だ! 中国人による犯罪が少々あるからといって彼らすべてが犯罪者予備軍というわけではない。日本で起きる事件の多くは日本人による犯行だから、それをいうなら「日本人を見たら要注意」といわなければならない。 といっても、実際は孤例や少数例に頼って判断するしかない。孤例や少数例を使えないとなれば、多数例を探し出すしかなく、そのためには統計的な調査が必須になってしまうからだ(僕が統計的なデータを重視するのはそのため)。統計の問題点はここには書かないが、それはともかく、日常・現実の生活では、孤例や少数例を思い浮かべながら判断を下していくしかない。 そもそも事例を思い浮かべながら思考する人自体が少数派らしい。僕は大学院時代に、文系でありながら、常に事例に基づくことを重視する「実証主義」を叩き込まれたので(通常は理系の概念)、まず自分の説・他人の説を裏付ける事例がないかどうかを考える癖がついている。僕の話を聞いた経験のある人は、僕が豊富な事例を次々と出していた様子を思い出して欲しい。 孤例・少数例を一般化するのは誤りを招きやすいが、かといって事例を思い浮かべないことよりはよほどまし、ということだ。
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