絶体絶命! 小論文

さあ四月。いよいよ本当のスタート。

【雑談】世界史

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アファール猿人 ケータイ投稿記事

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生肉をかじるアファール猿人の模型。ローソンで入手(だいぶ前に)。


ハゲワシのように屍肉を漁っていたという説もある。まだ火は使っていない。バーベキューを楽しむようになるのは、猿人から原人に進化したあと。アファール猿人から百数十万年後の話だ。スケールが大きすぎてリアルに想像できない。


ちなみに農耕が始まってから、まだたった一万年しか経っていない。


うーん、人類の歴史って、




ながっ!

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写真は「ルーシー」(アウストラロピテクス・アファレンシス)の全身骨格。

最古のアウストラロピテクス・エチオピアで発見の化石
 東京大学の諏訪元・教授や米カリフォルニア大学などの国際チームは、410万―420万年前のアフリカ・エチオピアに生息した猿人が、現代人(ホモサピエンス)を含むヒト属に進化したとされるアウストラロピテクスの起源であることを化石の分析で突き止めた。猿人の進化の過程を解明するうえで注目される成果。13日付の英科学誌ネイチャーに発表する。

 研究チームが分析したのは「アナメンシス猿人」と呼ばれる猿人の化石。エチオピアの首都アディスアベバから北東に230キロメートルのところにあるアワシュ川中流域の地層から、犬歯や奥歯、大腿(だいたい)骨などの化石を1994年から2005年にかけて発掘した。アナメンシス猿人の化石はこれまでケニアで見つかっていたが、生息地域が広かったことが分かった

 日経新聞より。

 この記事からわかるのは、(1)「エチオピアに生息した猿人」がアウストラロピテクスの起源だとわかった、(2)「アナメンシス猿人」の生息域がケニアからエチオピアまで広がった、の2点。前後のつながりがわからず、また何が画期的なのかわかりにくい。

 しかもアウストラロピテクスといえば、多くの人は、1924年に南アフリカで発見された「アウストラロピテクス・アフリカヌス」を思い出すから(たぶん)、エチオピアとのつながりがまったく見えてこない。

 無駄のないというか、恐ろしく不親切な記事だ。
 

人類の進化、440万年前のラミダス猿人から道筋
 猿人のアウストラロピテクス属の中で最も古いアナメンシス猿人の化石を、日本や米国などの研究チームがエチオピアで新たに発見した。同じ地域で見つかっていたラミダス猿人から進化したことがわかった。アウストラロピテクス属は現代の人類の直接の祖先と考えられている。現代の人類へ直結する進化の道筋は、約440万年前のラミダス猿人までさかのぼれることになった。13日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。

 化石が見つかったのはエチオピア北部の地域。東京大の諏訪元・総合研究博物館教授や米カリフォルニア大バークリー校のティム・ホワイト教授らが調査してきた。

 歯や大腿(だいたい)骨など少なくとも8人分の計30点で、年代測定により約420万年前の化石と判明。付近からは、アルディピテクス属のラミダス猿人と、今回のアナメンシス猿人より新しいアウストラロピテクス属のアファール猿人(340万年前)も見つかっている。

 これら3猿人の歯を比べると、今回の猿人の臼歯はラミダス猿人より明らかに大きく、アファール猿人と同等だった。歯のエナメル質は厚く、アファール猿人に近づいていた。一方、犬歯はラミダス猿人と同じ大きさだった。つまり今回の猿人の歯はラミダス猿人とアファール猿人の中間的な特徴を備えていた。

 アナメンシス猿人はこれまで、ケニアでしか見つかっていない。今回の場所からは約千キロも離れ、ラミダス猿人との関係は不明だった。

 同じ地域に3猿人が生息していたことや歯の特徴から、諏訪教授は「アウストラロピテクス属は440万年〜420万年前、ラミダス猿人から急激に進化した可能性が高い」と説明。人類の祖先とされる化石は、600万年より古いものなど複数が見つかっているが、こうした化石とのつながりの解明も期待されている。

 〈馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長の話〉 歯の変化が20万年ほどの間に急激に起きたというのは新しい知見。歯の比較は系統を調べる上で重要で、進化の道筋がラミダス猿人までつながったとみていいだろう。

 朝日新聞より。こちらは少しわかりやすい。

 世界史の授業では、ヒトの進化の過程を「チンパンジー→猿人(アウストラロピテクス)→原人(ジャワ原人・北京原人)→旧人(ネアンデルタール人)→新人(クロマニョン人)」と習う。色白で華奢なクロマニョン人が僕らの直接の先祖だ。彼らはアフリカ出身だから、白人だろうが黒人だろうが黄色人種だろうが、僕たち全員出身地は同じだ(約3万年前の話だけど)。彼らがアフリカを出て、ヨーロッパや中央アジアで、ごついネアンデルタール人を全滅に追い込んだ(たぶん狩りの対象にしたのだろう。ぞっとするけど)。だから、今、美しい僕たちが世界を支配している。といっても、よく言われる話だが、「ネアンデルタール人が背広を着て地下鉄に乗っていたら、誰も異種族とは気づかない」ほどの違いしかない。ちなみに、クロマニョン人が背広を着たら、僕たちそのものだ。アルマーニに袖を通し、ウォールストリート・ジャーナルを手にしていても、違和感はないだろう。

 チンパンジーからヒトに分化したのは、DNA分析に基づく知見によれば、今から600万年前から500万年前という。その頃にチンパンジーから分化したばかりの「サルに限りなく近いヒト」が、「アウストラロピテクス(=南の猿)」、つまり猿人である。

 このアウストラロピテクスには、有名な「種」が二つある。一つが最初に発見されたアウストラロピテクスである「アウストラロピテクス・アフリカヌス」(1924年南アフリカ)、もう一つが1974年にエチオピアで発見された「アウストラロピテクス・アファレンシス(=アファール猿人)」である。通称は「ルーシー」。彼女が「メス」だったのと、彼女の化石の修復作業中、仕事場にビートルズの「Lucy in the sky with dyamonds」が流れていたところから、そう呼ばれるようになった。ロマンチックすぎるエピソードだ。

 少し細かな話になるが、進化の過程は「アウストラロピテクス・アファレンシス(300万〜390万年前)→アウストラロピテクス・アフリカヌス(240万〜330万年前)→ホモ・ハビリス→原人」となる。このほか、1990年代以降、ケニアで390万〜420万年前の「アウストラロピテクス・アナメンシス(=アナメンシス猿人)」、エチオピアで440万年前の「アルディピテクス・ラミダス(=ラミダス猿人)」も発見された。ラミダス猿人がヒト科最古の化石となる(トゥーマイ猿人などはひとまず置く)。

 しかし「アルディピテクス・ラミダス→アウストラロピテクス・アファレンシス」とつなげるには、前者が440万年前で後者が390万年前だから、時間的な差が大きすぎた。かといって「アルディピテクス・ラミダス→アウストラロピテクス・アナメンシス→アウストラロピテクス・アファレンシス」とつなげるには、時間的に問題なくとも、ラミダス猿人がエチオピア、アナメンシス猿人がケニア、アファール猿人がエチオピアだから、空間的な差が大きすぎた。

 というわけで、ラミダス猿人からアファール猿人の間が「ミッシング・リンク」とされていた。

 今回、アナメンシス猿人がエチオピアで発見されたことで、この「ミッシング・リンク」が解消された。上述した時間的・空間的な差が埋まった。ラミダス猿人は「アルディピテクス属」に属するから、「アウストラロピテクス」ではない。ケニアのラミダス猿人を発見した諏訪元教授が、今回、「アウストラロピテクス属は440万年〜420万年前、ラミダス猿人から急激に進化した可能性が高い」と述べているのはそのためだ。

 こうして教科書は書き換えられることに。



 歴史って面白い!

ユダの福音書

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ユダは裏切り者じゃない?「ユダの福音書」写本と確認
2006年04月07日19時00分
 エジプトで70年代に発見され古美術商の手にあったパピルス紙の束が、専門家らによる修復鑑定作業の結果、初期キリスト教の幻の外典「ユダの福音書」の約1700年前の写本だと確認された。聖書ではイエス処刑への道を開いた「裏切り者」として描かれる「イスカリオテのユダ」が、実は、イエス本人の命令に従い「救済」を完成させるために引き渡した「善行の人」だったと主張する内容で、議論を呼びそうだ。

 米国の科学教育団体、ナショナル・ジオグラフィック協会が6日、ワシントンの本部で発表した。鑑定分析に携わった宗教学者らは、福音書の主張が史実かは議論が分かれるとしながらも、「初期キリスト教の多様性を示す非常に重要な発見だ」と話している。

 同協会の発表では、文書は最初、エジプト中部の砂漠地帯で見つかった。パピルス紙13枚の表裏に、インクでコプト文字(エジプトのキリスト教徒が使った古代文字)で記されていた。買い手がつかない長年の間、米国の銀行の金庫の中で保管されていたため、激しく傷み、01年に作業が始まった段階ではさわっただけで粉々になりそうな状態だったという。

 放射性同位体による年代測定では、紀元後220〜340年という結果が出た。さらに、同協会が支援した国際的な専門家チームが、インクの成分や紙の画像分析、文章の構造や文法、文字の書体などの分析も加えて、3〜4世紀の文書で後世の修整は加えられていないと結論を出した。

 コプト学の権威、スイスのロドルフ・カッセル博士らが、ジグソーパズルのように1000以上の断片に分かれた文書をつなぎ合わせ、約5年をかけて約8割を解読することに成功した。紀元後2〜3世紀に書かれたギリシャ語の原文からの翻訳とみられるという。

 同協会の依頼を受けた顧問委員会のメンバー、クレイグ・エバンズ氏(新約聖書学)は朝日新聞に対し、「この福音書が描くイエス像は異端とされた『グノーシス派』の信仰に基づくもので、歴史的な事実を反映しているとは私は考えない。だが、ユダの人物像については新たな材料を提供する重要な文献だ」と語った。

(前略)
 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。

 上は朝日新聞、下は読売新聞から。

 中国の開発ラッシュで、次々と出土資料が見つかり、中国古代の歴史・思想を語る文献の量ががつんと増えた。今や竹簡・木簡を読める人間でない限り、中国古代の研究はできない状況になった。かつての孟子や史記に基づいて研究できた時期は終わった。出土資料が見つかるたび新しい知見が増え、学会が沸きに沸いた。

 中でも興奮するのは、文献の上では存在するとされるものの、その実物はない=散逸したとされる文献が見つかったときだ。例えば、あの『孫子』には、呉の孫武とその弟子が編纂した『孫子』と、斉の孫ピンとその弟子が編纂した『孫子』があると、『史記』や『漢書』(いずれも中国の正史)に記録があった。ところが、現存する『孫子』は一種。それでは、この『孫子』は、呉の孫子なのか、斉の孫子なのか。そんな論争がある中、1972年に銀雀山漢墓(=漢代のお墓)から現存の『孫子』とほぼ同一のテキストと、さらに、現物の『孫子』とは違う新しい『孫子』のテキストが出土した。つまり文献上は存在するとされていた二種目の『孫子』が姿を現した。

 これは興奮する。「歴史の謎を解く鍵」がそのまま現れたことになる。

 今回も、よりよってあの裏切り者「ユダ」の福音書というだけでも興奮するが、「2世紀に異端の禁書として文献に出てくる」というところがいい。僕は専門外なのでまったくの推測だが、恐らく歴史家たちは「ユダの福音書って、どんな内容なんだろう。なぜ異端とされたのか。ユダがどのように描かれているのか。新たな事実は浮き彫りになるのか。……ああ! 実物さえ読めたら、いろいろな謎が解けるのに!」と思っていたはずだ。

 そんな文献が出た。

 研究はこれからスタートし、数ヶ月後あたりから大量の論文が公表されはじめ、その頃には雑誌で特集されたりするだろう。一般向けに書かれた本が出版され、翻訳され、日本の書店に並ぶのは、恐らく二年後くらい。僕たちが詳細を知るのはその頃になる。


 今から楽しみです。


【追伸】
 古文書の写真を見るだけでも興奮しますよね。
 歴史も科学も、その精神は同じである。科学的精神と歴史学的精神とは何の差もない。歴史は過去を語っているように見えて、実は科学と同じく現在や未来を語っている

 例えば、19世紀は「大英帝国」の時代だった。イギリスが突出した存在である限り、世の中は平和だった。意外に思うかもしれないが、ナポレオン戦争以降「ヨーロッパでは二度と大きな戦争は起きない」と素朴に信じられたし、第一次世界大戦が勃発するまで「戦争のない平和な時代」と認識されていた。史上初の「総力戦」と呼ばれる「クリミア戦争」が起きたにもかかわらずだ。それは、ヴィクトリア朝のイギリスが突出していたからだった。黒海の覇権をめぐってロシアとトルコが衝突したクリミア戦争では、当初、ロシアが優位に戦争を進めていた。しかし「ヨーロッパの憲兵」を自認し、最大の陸軍を抱えていた帝政ロシアも、イギリスが黒海に艦隊を展開した途端、敗北を喫した。18世紀末、世界に先駆けて産業革命を起こしたイギリスは、生産力・技術力で圧倒的に優位に立った。大英帝国の春を謳歌できたのはそのためだ。この段階でイギリスは、国際社会での覇権確保や軍事拡張に消極的であり、「光栄ある孤立」を唱えて、合従連衡を繰り返す独・仏・露・墺といったヨーロッパ大陸諸国と距離を置いていた。それでもイギリスは、国際社会に隠然たる影響力を発揮し、世界平和を実現してしまうほどの卓越した存在だった。

 イギリスは「産業革命」をヨーロッパに輸出し、また積極的に融資してヨーロッパの工業化=先進国化を推進した。いずれも当時は国益に適っており、イギリスは莫大な利益を上げた。19世紀のイギリスの富を支えていたのは、実は後者の「金融」だった。ところが、ヨーロッパが工業化を遂げるにつれ、イギリスの国力は「相対的に」低下する。要するに、イギリスに続いて工業化を果たしたフランスやドイツがイギリスに追いついてきた。生産力での優位を失いつつあったうえ、軍事拡張をおろそかにしていたイギリスは、19世紀末に近づくにつれ、国際的な影響力を失っていく。その結果、イギリスは「光栄ある孤立」を放棄し、日本・フランス・ロシアといった各国と同盟関係を結びつつ(日英同盟+英・仏・露三国協商)、ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟と対抗する体制を築く。もはや単独で影響を発揮できるほど、イギリスの力は強くなかった。そして20世紀初頭、第一次世界大戦が勃発する。「パックス・ブリタニカ(=イギリス統治下の平和)」の終焉だった。

 ここから学べる教訓は二点。(1) 一般の理解とは異なり、「戦力均衡(バランス・オブ・パワー)」よりも一国が突出した「帝国主義」の方が平和を実現できる。(2) 軍事拡張を怠った場合、経済力の「相対的」な低下にともなって国際社会に対する影響力を失う。国際社会での地位を維持するためには、経済力で常に圧倒的な優位に立つか、軍事力で圧倒的な優位に立つか、あるいは、その両方が不可欠となる。イギリスの失敗を見ながら、経済成長や軍事的拡張の必要性を感じないようでは、歴史から何も学んでいないか、国際社会で地位を失うことの恐ろしさをわかっていないかのどちらかだ。歴史を学んだ現実的な人間なら、「成長ばかり求める今の社会は生きにくい」とか「まずは自国から軍事力を放棄して、世界平和の実現に寄与したい」といった甘えた発言はしない。

 このように、現象の背後にあるメカニズムを洞察し(なぜ19世紀は平和だったのか。なぜ第一次世界大戦が勃発したのか)、そのメカニズムを活用して将来を予測する(アメリカの国力低下は世界平和の脅威となる)。歴史学は単に過去の事実を学ぶ学問ではない。あくまで過去から現在・未来を見る学問だ。これは、実験の結果から普遍法則を導き出し、この普遍法則をもとに結果を推測する科学と変わらない。実験室で割り出したデータをもとに数式を出し、その数式をもとにロケットを飛ばせば、わずかな誤差の範囲でロケットは計算どおりの軌道を描く。すっかり慣れてしまってはいるが、科学の驚異的な能力を示す事例だ。歴史にはここまでの正確さはない。でも実践していることは同じだ。戦力均衡が平和をもたらした事例は歴史上存在しない。「戦力均衡理論(=戦力が均衡する状態こそが平和を実現するという理論)」は、所詮、スーパーパワーに挑戦する二番手・三番手の新興国が唱える方便に過ぎないのだろう。歴史はそんな判断を可能にする。

 歴史学も科学も変わりはない。歴史も現在や未来のために学ぶ。科学と同じように、歴史がいかに発想を豊かにしてくれるかをぜひ体験して欲しい。

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