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メニューインの「天才崩壊神話」って、どう考えるのがよいのだろう? 基礎訓練の不十分、って必ず言われているけど、年経るに従って巧くなる人や、シゲティのように技巧が落ちてもむしろそれゆえの表現力得る人だっているしね。 シゲティ好きが、精神性を言い過ぎるから、技巧主義の人に精神主義の幻想って批判されるけど、 理論的にきちんと考えれば、「技巧」というのは指の運動能力に還元できない。 晩年のシゲティで言えば、指の精密な運動能力は落ちたけれど、 フレーズの組立や、あの荒れた音色の美的昇華といった「技巧」は、 比類ないものだった、というように考えれば、精神主義に陥らずに、 「別次元の技巧=マニエラ=エクリチュール」というところで語れるし、それが良いことだと思う。 にしても、メニューインには謎が残ります。 ★未完
技巧ってもちろん運動能力だけじゃないんだけど、ワタシはこのごろ、文章書くのって運動神経いるなってつくづく感じるんですよ。あとリズム感ね。結局他人の文章が、内容はどーでもいーよーなこと書いてあっても苦もなく読めるときって、リズムが合ってるって場合が多いんですよね。で、ちょっとそれに関連して今考えてほしいのは「私的言語」についてなんです。私的言語って、自分の好きなよーにしゃべったり書いたりして気持ちいいけど、他人に通じないのに気づくと気持ちワルイのかな=^ω^=
2007/3/3(土) 午後 5:12
孤高の仙人でも、実はどこかで他者との共感というのを求めているんじゃないかなあ。^^^私的言語って厳密に考えると、一方で純粋な私的言語は存在しえない、つまり文法や語彙のほとんどは他者と共有している(=象徴界に参入し去勢されてる)。その条件の上で、他者とは異質な語法を使う。^^^しかし逆にも言えて、どれほど文法や語彙を「正しく」用いていようと、原理的にズレを孕んでいて、どんな通じやすい語りでも、必ず私的特異性の成分は含まれる。
2007/3/3(土) 午後 6:10
となると問題は、ある発話が他者(未来の自分、も含め)に受け取られた時、その「特異性」が、他者にどのようなものとして受け止められるか、という問題となるのかな。^^^この意味では、また、純粋な私的言語はありえない、ということになる。と同時に、その受け取られ方で、「受け取りの私的言語性」、という面も不可避で、ソコから見ると、どんな言語行為も私的言語だ、となる。^^^意外なことに(?)、斉藤さんの『デリダ』の贈与論が、こうしたあたりに関わる問題に分け入っていそう。少しよく読んでみる。
2007/3/3(土) 午後 6:12
そうなんだ。面白そうダネ。ワタシも読もー=^ω^=
2007/3/3(土) 午後 6:14
あのね、完全な私的言語はありえないっていうのは当然なんだよ、言語なんだからね(そういえば「私的言語」ってパラドックスぽい言い方だね)。だけど、やっぱり意味不明なことって言えるじゃない。で、意味不明でもなんか面白い、とか、意味不明でコワイ、とか(リアルにコワイとかね)、いろいろありうるじゃない。ま、それが「特異性」が他者にどのように受け止められるかってことなんだろうケド。そこんとこ、細かく考えてみてくらさい=^ω^=
2007/3/4(日) 午前 0:41
あ〜また「考えてみてくらさい=^ω^=」とか言ってる〜;;;ケーテンさんの、も少し読んだら書くよ〜(^^; ^^^前に書いたジジェクの「隠された差別」問題とか、シュールの問題とかも絡みそうなんだけどね〜♪
2007/3/4(日) 午前 1:31
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小川菜摘
ルート33 堂土
シルク
技巧ってもちろん運動能力だけじゃないんだけど、ワタシはこのごろ、文章書くのって運動神経いるなってつくづく感じるんですよ。あとリズム感ね。結局他人の文章が、内容はどーでもいーよーなこと書いてあっても苦もなく読めるときって、リズムが合ってるって場合が多いんですよね。で、ちょっとそれに関連して今考えてほしいのは「私的言語」についてなんです。私的言語って、自分の好きなよーにしゃべったり書いたりして気持ちいいけど、他人に通じないのに気づくと気持ちワルイのかな=^ω^=
2007/3/3(土) 午後 5:12
孤高の仙人でも、実はどこかで他者との共感というのを求めているんじゃないかなあ。^^^私的言語って厳密に考えると、一方で純粋な私的言語は存在しえない、つまり文法や語彙のほとんどは他者と共有している(=象徴界に参入し去勢されてる)。その条件の上で、他者とは異質な語法を使う。^^^しかし逆にも言えて、どれほど文法や語彙を「正しく」用いていようと、原理的にズレを孕んでいて、どんな通じやすい語りでも、必ず私的特異性の成分は含まれる。
2007/3/3(土) 午後 6:10
となると問題は、ある発話が他者(未来の自分、も含め)に受け取られた時、その「特異性」が、他者にどのようなものとして受け止められるか、という問題となるのかな。^^^この意味では、また、純粋な私的言語はありえない、ということになる。と同時に、その受け取られ方で、「受け取りの私的言語性」、という面も不可避で、ソコから見ると、どんな言語行為も私的言語だ、となる。^^^意外なことに(?)、斉藤さんの『デリダ』の贈与論が、こうしたあたりに関わる問題に分け入っていそう。少しよく読んでみる。
2007/3/3(土) 午後 6:12
そうなんだ。面白そうダネ。ワタシも読もー=^ω^=
2007/3/3(土) 午後 6:14
あのね、完全な私的言語はありえないっていうのは当然なんだよ、言語なんだからね(そういえば「私的言語」ってパラドックスぽい言い方だね)。だけど、やっぱり意味不明なことって言えるじゃない。で、意味不明でもなんか面白い、とか、意味不明でコワイ、とか(リアルにコワイとかね)、いろいろありうるじゃない。ま、それが「特異性」が他者にどのように受け止められるかってことなんだろうケド。そこんとこ、細かく考えてみてくらさい=^ω^=
2007/3/4(日) 午前 0:41
あ〜また「考えてみてくらさい=^ω^=」とか言ってる〜;;;ケーテンさんの、も少し読んだら書くよ〜(^^; ^^^前に書いたジジェクの「隠された差別」問題とか、シュールの問題とかも絡みそうなんだけどね〜♪
2007/3/4(日) 午前 1:31