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F1ドイツGP 祝ピケJr.初表彰台!
F1&モータースポーツ
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
>マルクス・ニーチェ・ヴィトゲンシュタインが経済学的に繋がりつつあります
面白い奇術の卵となるよう期待します♪
廣松も、あの難しい漢字を多用した、擬古文のような古風な概念構成による、デリダとはまったく異質な古風な職人芸で、魅せられました。
理解できたら、技自体は割りとシンプルでw、その構築力の方こそ魅力のコアであることに気付きましたけど。
『今こそマルクス…』も、技も内容も古色漂いますけど、
ストレートにマルクス的思考の一つのコアを突いてはいるでしょう。
廣松のマルクス読解を社会学的に応用しているのが、
大澤マサチや宮台シンジの先生である見田宗介でした。
廣松・見田・大澤と並べると、廣松的社会分析の冷戦体制下パラダイムからポストモダン、そしてデータベース的現代への移行が、綺麗に並ぶ感じです。
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
alhenaさん
時間がとれずお返事遅れてしまいました。
>奇術的に哲学鑑賞
面白いですね。実はボクが哲学に入り込んだキッカケ、
芸大受験生だった頃、予備校で「お前の絵は構造がない」と評され、
「構造? ナニそれ?」って本屋に言ったら『構造主義』という本があり、
それを読んだら、ナニがなんだかサッパリ判らなかった!
なのに、そこで何か凄いことが書かれている!という魅力を感じさせられ、
数ヶ月後には、もっとも難しいと言われていたデリダを読み出した。
その奇抜さの中に隠されている何か、に魅せられてしまったのですね。
とんでもない技が使われ、その技を通してしか見えない何かがある、
という直感ですね。
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
さすが、alhenaさん! 意表を突きますね!
しかし、実のところ、芸術表現でも、
技術を見せ付ける部分と、隠す部分とのサジ加減こそが、
ほんとは重要な点なんでしょうね。
見せて魅せる技術と、見せずに活かす技術、
そしてその両者を適切に配分する技術。
これが日記本文の初めの方で書いた話に繋がる。
美的効果の手段としての技術と、
その技術自体が喚び覚ます美的効果、つまり美的目的としての技術、
その両者を統括する技術。
奇術の技術もまた、そうしたものではないですか?
隠されることでこそ際立つ技術、ですもんね。
隠し方自体は隠されても、
隠し方の巧みさは、思いっきり目立たなくてはならない。
哲学的な奇術研究、alhenaさんがやってみては!
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
技巧誇示の快楽と欲望と陥穽と
音楽02:クラシック
技巧の効果にも、リテラシーの地平があって、
音楽演奏やダンスの場合だと、
普通の身体表現との落差が直感的に感じられる。
でも小説やそれ以上に実験的な文学や現代美術の場合だと、
リテラシーが大きな問題となる。
インスタレーション系の美術は、この技巧の面での楽しみが見えにくいということが、魅力のなさの大きな要因の一つだったようにも思える。
実はソコにも、ジャンルの課題処理、といえるような技巧性があったのだけど、
すごく専門集団内部の物語を背景に読み解くリテラシーが要求される。
日本の場合はその物語を紡ぐ言説空間も脆弱だったから、
専門家集団内部でも楽しみの強度が生まれなかった。
村上以降の絵画の復権は、この次元とも関わっているんだろうな。
絵には、今のシニカルな傾向のものでも技巧の快楽はあるもんね。




