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14日の日記「ビョーキのアートvs本流」という文化のビョーキ」のナツカちゃんへの応答で、
美術でも文学でも映画や音楽でも、いわゆる「シリアス」なアートシーンでは、
>シニカルで退廃的でしかリアリティを持てなくなった
って書いた。
それはしかし、
そうした雰囲気やイメージの方が、「シリアスな気分」を安心させる、ってことだろう。
「隠れた怖いリアルの露呈」ってイメージこそ、
「そうそう、現実って、こんな風に怖いんだよっ!」
って感じで「私は現実を見ている」という満足感を与えて、
安らぎのイメージとして働く。
そうして、何かトラウマティックな<ホントに怖いもの>を隠す。
シリアス・アートにとってホントに怖いものは、むしろ
「侵犯的前衛の伝統」を覆しちゃう、端的に「耽美的なもの」だったりする。
崇高が美を怖れる。崇高と美の実質が、実は逆転しているのかも。
怖いものは、むしろ一つの「萌えキャラ」だってことは、
「オタク」文化の方がよく分かっているかもしれない。
もっともアッチはあっちで、そこで胡坐かいてるだけってツマラナサがあるけど。
でも、となると崇高と美の逆転にあるネジレは、うまく活かせれば面白そう。
(参考図版は、左:会田誠、右:町田久美)
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