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熟年のニコレ ニコレ40代、ランパルとの黄金の競演 オーレル・ニコレ:二十世紀後半を代表するフルーティストで、50年代から60年代頃までに、フランスのランパル、イタリアのガッゼローニと共に、三大フルーティストとしてソロ・フルーティストというジャンルを確立した一人。 圧倒的な超絶技巧を存分に発揮して、自由奔放に吹き上げる絢爛豪華な巨匠芸で、日常的な音楽的欲望を存分に満たし、フルートをピアノやヴァイオリンに次ぐソロ楽器の地位にまで押し上げたランパル。 なにより官能的で神秘的に透明な響きは、一方で多くの作曲家を魅惑して前衛的なフルート曲のレパートリーを豊穣なものとし、他方バロック音楽でも神秘的美感を現出させるガッゼローニ。 そしてニコレは、純度の高い響きと端整な楽曲解釈、真摯で緊張感の高い再現で、バッハ演奏の水準を確立し、現代曲でも即物的な表現方向で、ガッゼローニの神秘感とは異質の方向を示した。 この三人に、ランパルの後輩で典雅の極みラリュー、清冽な構築美のグラーフ(オイラはグラーフが一番好きです)らが続き、天然の笛吹きゴールウェイが大ブレイクする70年代は、20世紀フルート演奏の黄金期だった。 そうした脈絡の中、同じタイプのチェンバロ奏者・指揮者のリヒターと組んで70年前後に録音したバッハの「ソナタ全集」「音楽の捧げもの」は、バッハ演奏の歴史的な地位を確立した。「ソナタ集」は80年代にジャコテやチェロの藤原真理と再録し、その再録音では緊張感は薄められたが、音色はより柔軟になりニュアンスがより豊富になっている。その前には小林道夫と組んだ、ヴァイオリン・ソナタ編曲集とオルガンのトリオソナタ編曲版などがあり、前者は名盤。 無伴奏チェロ組曲編曲録音もニコレが最初かなあ。第1番と第4番のペアは、真摯な表現だけれど情感的ニュアンスが強すぎるのか、聴いているうちに表現が濃すぎるように感じられてくる。(藤井香織によるチョロ組曲編曲全集は、ニュアンスはより豊富だけれど繊細の極み。さすが繊細派の王女。逆に高速楽章などでは、推進力や大らかさが物足りない)。 モーツァルトの協奏曲や四重奏曲は共に複数の録音があり、これも60年代のリヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団と入れたフルート協奏曲集は、同曲録音中もっとも緊張感の強いもの。しかし後年のニュアンスが豊かになったスタイルは、協奏曲では輪郭がオーケストラとの間でぼやけ気味になる。 ドビュッシーの傑作「フルート、ヴィオラとハープのソナタ」は晩年の90年代に2種出ています。武満徹の「そして、それが風であることを知った」などと組み合わせた今井信子や吉野直子と共演した盤は、ヴィオラのコローや篠崎綾子と同じ頃に録ったものより、切れ味が少しよい。 ヴィオラのコローは若い頃、P.L.グラーフとも同曲を録音し、ハープのU.ホリガー中心の 『ハープのためのフランス音楽』に収録されている録音が、ボクとしてはこの曲のベスト。 50歳台になった70年代後半以降は、表現が柔らかくなったが同時に音の輪郭がいくらか不鮮明になったこともあり、ピアノという硬質な響きの楽器との二重奏が最も美しい。 70〜80年代にいくつか録音された小林道夫のピアノとのデュオは、若い頃の厳しさは薄れたけれど、ニュアンスが繊細で多彩に深まった音楽がよく捉えられていて、一番好きです。 前掲バッハの他、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK304などの編曲版、シューベルトのアルペジォーネ・ソナタとシューマンの小品集は絶品だけれど、今では入手困難。 他にも、武満の過激な無伴奏曲「Voice」やオーボエのホリガーらと共演した「ユーカリプスI&II」を含む『ミニアチュール』、 ジョリヴェの「五つの呪文」やフーバーの「ディアローグ」などの現代曲アルバムなどは、それらの曲の最上の演奏の一つ。ブーレーズの超傑作「ソナチネ」とベリオ「セクエンツァ」などを組んだ盤は、今では技巧的にずっと洗練された演奏も色々あるけれど歴史的に貴重な録音ですが、LPしか見たことありません。 他に、ライネッケ、ニールセンの協奏曲集、 ヴィヴァルディの協奏曲集、CPEバッハの協奏曲集、などは名盤だけれど、80年代後半以降の録音は、アタックやフレージングに曖昧さも見えてきて、ライネッケなどでは「ソナタ水の精」に似た曲想とはいえ、輪郭が水っぽくなりすぎの感もある。
ともあれ少し後輩のグラーフや今をときめくパユなど、スイス系の名手たちは清冽な美学が素敵です。 |
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