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しばらくぶりの日記です。
話題は音楽演奏ですけど、主眼は、どんな表現行為にも通じる「技巧誇示」について。
軽い覚書なので、軽く読んでくださいね。
近頃、クラシックでもポップスでもYouTubeなどで自分の演奏を公開している人がたくさんいる。
そうした演奏を聴いて、あるネットフレンドが書いた感想から思ったことです。
彼は、ネットに公開されるアマチュアの演奏が、しばしば速すぎる、と言うのです。
もう少しゆっくり演奏すれば、ずっと良い演奏になるだろうに、と。
そして彼の友達たちも、それに同意のコメントを書いていた。
ボクも、基本的に同意します。良い演奏とは、速い演奏とイコールではない。
それはそうでしょう。
でも、ここには、面白い問題が含まれているように思えるんですね。
表現するという行為には、
純粋に美的な経験の実現に伴う美的快だけでなく、
高度な技術を達成するということの運動感覚次元での快感や、
それを人に魅せ付けるという対他的な欲望も、含まれる。
演奏だけでなく、作曲にも、絵画や彫刻や詩にも、小説論文制作にさえ、
そうしたものが絡みあっている。
しかし、特に音楽演奏やバレーやダンス、フィギュアスケートなど
パフォーマンス表現には、特にそれが伴うでしょうね。
アマチュアの場合、発表会などでも、
こんなにできるんだぞ〜っていう技巧自慢をしたくなりがち、
という傾向は大きいんでしょうね。
だから、ピアノ教室など音楽教室系のアマチュアには、アルゲリッチやポリーニなど絢爛な演奏家が人気になりがちだし、
リストやチャイコフスキーらロマン派系の音楽の人気の高さの一面は、
絢爛豪華な技巧性にあるのも間違いない。
ロマン主義の頃は、知的な作曲家にあってさえ、
過剰な技巧表現が、その過剰さゆえに過剰な感情表現に結びつくはず、
という短絡的な共通感覚に、かなり制約されていたようにも思えます。
それはしかし、一見クールな音楽のモダニズムにまで通じていた、
いや、音楽のモダニズムの陥穽の一つが、
実は、演奏への過度の技巧要求を、楽曲内容の高度さと短絡させてしまうという点もあった。
モダンジャズなどにも、似た面がある。
むろん、技巧追求は、作曲でも演奏でもマイナスだけでなく、
それによってこそ達成されるプラス面もすごくあるのだけど、
アマチュアが技巧に惹かれる、ということには、
やむを得ない面もあるようにも思えます。
ボクも、高速演奏に挑戦したくなるような楽曲、
たとえばバッハのフルート・ソナタ、ハ長調BWV1033などは、
最速のランパルより早く吹いてやる、って
ストップウォッチで競争したことあるし(^^;
速さだけは、ランパルより速く吹けました!
でも、好きなのは、ゆっくり堅牢で神話的なグラーフの演奏ですけど(^o^)
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