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美術01:西洋絵画

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絵画を巡るお話。絵を貼れるブログ、ならば、素敵な絵を貼りたいですよね。ってことで、ここは、西洋古典絵画の、麗しい紹介から、ちょっと小難しい分析まで、絵話、あれこれ
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図版:『ガニュメデスの誘拐』
左:コレッジオ         右上:ミケランジェロ  中:レンブラント  右下:ルーベンス

あけましておめでとうございます

本年の扉は、コレッジオの『ガニュメデスの誘拐』♡
コレッジオは、ルネサンスの画家の中でもおねーさんや少年を一番チャーミングに描くよね。
            ☆
レオナルドに学んだスフマート(ぼかし技法)は絶妙だけど、
レオナルド大先生のように悪魔的な神秘性には届かない(誰も届かないけどね)。

チャーミングな顔を描くことではラファエッロと双璧だけど、
ラファエッロみたいな天上的な高雅さはない(これに並ぶのはモーツァルトだけだね)。

そんな二人の大巨匠のような超絶さはないけれど、
でも超絶的じゃない分、感覚的でコケティッシュで微妙にエロっちくて…。
萌えキャラって点では、西洋絵画史上でも最高峰じゃないかな。
            ☆
このお題、超美少年として評判のガニュメデスくんが、鷲に変身したユピテルにかどわかされる、
という、やばいお話♡(野阿梓さんあたり、小説にしないかな。ここ数年、音なしだし)。
ユピテルさまってば、たいそう偉い神さん(ローマ神話の主神、ギリシア神話のゼウス)、
しかしそのくせ(それゆえにこそ?)、ちょーエロオヤジ。
ゴージャスな奥様ユノー(orジュノー:ギリシア神話のヘラ)がいるというのに、
日々、おねーちゃんに目を付けては手を出し足を出す!

それも迫り方がいつも実に凝ってる、というか変態で、いろんなものに変身しては迫りまくる❤
まあ、ユノー様に見つかると叱られるから、ってわけだろうけど、
色々な動物やおねーちゃんにまで化けたり…。コスプレ自体も趣味だったんだね、きっと。
この日の獲物は、下界で評判のちょー美少年ガニュメデス♪
天上界に誘拐された彼は、壽退職したオネーチャンの代わりに神々のお酌係りをさせられた。
水瓶座の配置は、そのガニュメデちゃんが酒壷を捧げ持ってるとこ。
            ☆
このお話、多くの画家が手がけてて、有名どころでは、
図右上:真正ホモさんのミケランジェロが、恋慕してた美青年にプレゼントした見事な素描
 ただしガニュメデちゃんは力士風マッチョだし、鷲もムキムキ!ってとこがミケ様(^^;
図中下:オランダ・バロックの巨匠レンブラントの若き日のドラマティックな画面。
 でもガニュメデが赤ん坊! それにかなりブッサイクで、オシッコ放出してる!
 ミケ様やユピテル御本人をも凌駕するヘンタイ系か?と思えば、オランダはプロテスタンティズム、
 だから同性愛とかの主題に対する批判的なパロディ、とかいう背景はマジすぎてつまらんね。
 まあレンブラントの絵としてもまだ硬いし)
図右下:フランドル・バロックの巨匠ルーベンスのゴージャスな美青年ガニュメデの部分。
 鷲のユピテルも絢爛に磨かれた剥製みたいで、エロ神の欲望やガニュメデくんの恐怖や困惑もなく、
 ただただゴージャスなばかり。ルーベンス、下絵では超絶技巧も生き生きしてるんだけどなぁ。

その他にも古代の彫刻や浮き彫りから現代のイラストまでイロイロあるけれど、
ガニュメデくんのチャーミングさや神話的雰囲気などこの主題の表現としても、
絶妙な構成と色調のハーモニーなど作品の出来としても、
上掲の超A級巨匠たちのものよりも、このコレッジオが圧倒しています☆
コレッジオの作品の中でも、これと対となる『ユピテルとイオ』と並んで、
コレっジオの最高傑作でもあるしね♪

よいお年を❤

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シュルレアリスムは謎に満ちている。といっても、その作品の内容の謎自体のことじゃない。
シュールというスタイルの形式とその限界、モノを魅惑の対象とするその修辞とその剰余、
ということの謎。

「幻想的」ということなら、古くから多くの芸術にある。絵画に限っても、マニエリスム絵画や象徴主義絵画の多くやモンス=デジデリオからピラネージらの幻想風景はもちろん、レオナルドやジォルジォーネからグァルディやカナレットそしてターナーらの風景画にも、それどころかレンブラントやフェルメールやヴァトーやアングルらも、幻想的な魅力で惹き付けるところがある。
しかしそうした一連の芸術が幻想芸術の系譜としてまとめられたのは、シュルレアリスムの登場以降だった。その系譜の源泉にマニエリスムを見出したホッケも、シュールの触発に大きく拠っていた。

それまで偶発的に現れるものにしか見えなかった幻想的表現が、
シュールの出現によって、長い時を通していつも存在していたものとして見出された。
そしてそれは、かつてはどこか隠されていた魅惑的な夢として、
今ようやく花開いた夢として、捉えられたようだった。

そしてまた、見出されたその系譜は、他方では、
従来の幻想表現と、シュールの幻想表現の差異を際立たせることにもなる。
そこらあたりから、もう少し話を広げていこうかな。

図はエルンスト『沈黙の眼』とデジデリオ『油釜に投じられた福音のヨハネ』

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春が兆しはじめましたね。
この穏やかさが世に満ちていれば、ただそれだけで良いのだけれど…。

で、春の兆しにふさわしい絵を、と思いながら、絵を見つくろっていたのだけれど、
ちょっと春とは違うお題に目が留まってしまった(^^;

上図は、象徴主義の典型モローの『サッフォー』
下図は、世紀末イギリスのサロンで大人気だったアルマ=タデマの『サッフォーとアルカイオス』
(上右図は、この日記の主題ではないけど参考図版としてモローの『トロヤ城壁のヘレネ』)

古代ギリシアの抒情詩人サッフォーがテーマの二つの絵。
題材自体は麗しいシーンを描く口実のようなもの。
とはいえ、そうした物語が一般教養となっていた当時のハイソ文化の環境では、
こうした作品は、今の二次創作と似た楽しみenjoymentがあったのだろう。

それにしてもこの二作品、技巧的には歴史的巨匠モローより、圧倒的にアルマ=タデマの方が上。
しかしアルマ=タデマのこの通俗さは凄い。
他方モローは、印象派以後の造形中心主義観点からは文学的と見下されるけれど、
そうした評価が単なるイデオロギーだってことは、
このアルマ=タデマとの対比で顕われる過剰さが、題材の内容(文学的意味)によるものではなく、
題材の「視覚的な実現の姿」、
つまり正に“造形的”に生まれる美的かつ詩的効果であることで示されている。

とはいってもその過剰さは、いつも巧く発揮されるわけではない。
むしろモロー作品の7割方は、成功しそこなっている。
逆に、アルマ=タデマにおいて失敗の多くは、モデル選定も含め題材の設定の失敗による。
(それでも、アルマ=タデマの技巧はそれはそれで立派だし、ネットを探ると今でもファンがたくさんいらっしゃるのに驚きます。生前から評判の大理石の描写は凄いしね)

ところで、サッフォーは、紀元前7世紀ギリシャに流行した独吟抒情詩人だけれど、取り巻きの女の子たちと同性愛関係にあったらしく、生地がレスボス島でもあり、レズビアニズムのイコンともなっている。
モローらと同時代の象徴主義詩人ピエール・ルイスの『ビリティスの詩』は、当初「新発見のサッフォーの詩の翻訳」として出された。もちろんルイスの悪戯だけれど、ルイスはモローのことはどう思っていたのだろう?

★:二重の仮面・二重の欺瞞・・・しかし
(前に続く)
 で、この『愛の寓意』は普通、愛や快楽が孕む欺瞞や屈折を表している、とされてましたね。
 そして、それを皮肉ったり警告したりしてるのだ、と、タテマエ上は言ってるフリを作る側も見る側もしている。
 王様はハダカではありません、ということにしておきましょう、ということになる。
 もちろん世俗道徳はそこまでノンキでもないから、後の所有者たちは、ママ・ヴィーナスのオマタに布を描き加えさせたり(ミケランジェロの『最後の審判』などと同様の「道徳的処置」)、キスしている口元のヤラシイ舌(このママ、舌をチロチロさせてるんだよ!)を塗つぶさせたりしていた。それで、この絵の不道徳さは隠された、と言うんだけど、ハダカの王様にオフンドシ付けさせ、これで王様の品位が保たれます、というようなものだね。

 ということになると、最大の欺瞞は、この絵を見る見方の方に現れる、ということでしょう。この絵に示された、欺瞞、嫉妬、屈折などは、この絵を見る眼差しのものとして、見る者に返されてくる。

★:剥がされそこなわざるをえないヴェール:不可能な仮面・不可能な素顔

 でも、この絵の鏡のような働きは、この絵の素顔なのだろうか?
 この絵が導いてくれる屈曲したドラマから照らし返せば、もちろん、仮面でしょう。
 それも、ついに素顔と区別できない仮面。
 そして、マニエリスムとは、絵画の仮面性について覚醒した精神だったとしたら?
 あわててはいけません。もう少し、面倒があるのです。何しろ、もはや誰が誰を欺いているのか、そのことが怪しいのですから。
 ヴェールを剥がされたのは、欺くことと真実との根源的な結託なのでしょうから。

 となると、仮面は仮面として見えちゃいけない、というのは、デリダの例の「贈与の論理」のヴァリエーションとも言えます。贈与−欺瞞ということが知られたら、贈与−欺瞞としては失敗だ、という仕掛け。つまり、贈与や欺瞞は、それと分かる時は、メタのレベルにいざるをえない。そうしたメタを隠す限りで、真の贈与や欺瞞は成立するのですからね。

 こうして、ヴェールは剥がされそこなわざるをえない(ということを演じる舞台のヴェールが、かろうじて・はからずも剥がされた?)。

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「新春にマニエリスム」でとりあげたブロンズィーノの『愛の欺瞞』。その仕掛けを読み込んでいくと、なかなか微妙にコワーイ迷宮に入って行きます。そんな迷宮へ踏み込んでいきましょう♪

★愛の欺瞞、あるいは快楽の暴露・・・しかし
 このブロンツィーノの『愛の寓意』は『快楽の暴露』とも呼ばれ、右上の「時の翁」が、愛のヴェールを引き剥がすと、そこに隠された快楽や嫉妬や欺瞞が愛の真相として暴露される場面、というということになっています。
 ということで画面左上隅の怪しいヤツが、暴露されるのを阻止しようとしている「仮面の本体」(≒仮面の素顔!)。
 しかしここで、奇妙なことが無数に出て来る。
 ここで欺瞞というのは、舞台中央で演じられているヴィーナスとキューピッドのエロっちい戯れ、に関わるはずですね(ヴィーナスと表記するならクピドよりキューピッドの方が違和感ないね)。
 で、その周囲のキャラクターや小物たちは、二人の愛の戯れが隠し持つ特徴を、象徴的に描き出す。それが、愛の見かけに隠された様々な欺瞞――愛という利他的身振りが実は利己的欲望の結果だ、愛の理念の内実は快楽だ、愛の実現は虚言や修辞で媒介される、その他――ですね。

 ここで、問題は右下の仮面。複数の表情は、偽装される様々な見かけの象徴だけれど、問題は左上の「仮面本体」との関係。
 単に、愛の欺瞞性を強調する演出、という程度だったかもしれないし(もう少し考えていたかな)、観衆の多くにとっても、そんなもんかもしれない。でも画家自身がホントは何を考えていたかとか、図像学的にはどう解釈するのが正しいかなんてこと(註)より、ここでも、「はからずも湧き出てしまう問題の広がり」の方が面白い。

(註)大衆向けの美術書でも美術史専門家のオタク共同体内部のゲームでも、啓蒙美術書などもそうした解釈ゴッコでオシマイになりがちだし、例の『ダ・ヴィンチ・コード』のネタ論争だってヤジウマ的には少し面白いけど、そんな「正解」がその絵の「真実」なんて思うのは、絵の悦びをスポイルしちゃうだけだもんね。

★:素顔という仮面
 で、この仮面の持ち主は、もちろんヴィーナスでしょうね。そして、それが足元に打ち捨てられているということは、ヴィーナスは今は仮面を付けていない(はず)。
 でも今まさに、ヴィーナスねえさんはキューピッドくんを落とそうとしてるわけですね。

 しかし、そもそもキューピッドって、ヴィーナスの子なんだよね。
 それに彼は愛の使い、でしょ。
 だからこそ(?)、ヴィーナスは、キューピッドの背中の愛の矢を奪って、キューピッドくんに愛の矢を刺そうとしてる!
 どうして? キューピッドちゃんを落とすため、ですね。
 しかしそいつ、自分の子、なんだよね。なおかつ愛の御使い。
 ネギしょった鴨のネギで鴨を釣る鴨のママ!

 愛の媒介者を、愛を媒介する彼の矢を盗み、盗んだ彼自身の矢で、彼の愛を奪おうとしてるわけです。そしてその愛の対象は、彼女自身の子だった! 

 で、ヴィーナスさん、「仮面は脱いだ素顔の優しさ(妖しさ!)でこそ、彼を誘惑しつつ、その裏で密かにキューピッドという存在のコア(つまり愛の矢)を奪おうとしている。
 となると、「仮面を脱ぐ」という仕草こそ、より狡猾な仮面の装着に他ならない、ということがここに示される(まあブロンズィーノ自身、そこらへんは考えていたかな)
 (続く)

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