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哲学03:脱構築系

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0:脱構築の社会性
デリダの後期の発言では、倫理的・政治的・宗教的主題など社会的主題が前景化した。その過程でそれまでは明示的には表明されていなかった「脱構築」的実践の社会的意義も、明快に示された。
脱構築とは、言語やイデオロギーなど「社会的」な構築体において引き起こされる事態である限り、そこに他者が絡むのは必然的だ。
他者との関係が不可避だからこそ、脱構築には、倫理的・政治的モメントが憑きまとう。倫理や政治とは、他者との関係、その評価と実践のジャンルなのだから。

1:善悪に頓着しない脱構築
ところで、脱構築が既存の制度を破壊することから、しばしば否定の思想だと言われることに対して、デリダ自身、「脱構築は肯定の思想だ」と応じている。そして多くの注釈者たちにとっては、それを追認することが、デリダへの応答=責任の「作法」にまでなっているように見える。
確かに、脱構築が首尾よく起れば、それに伴って、当の社会的構築体を支えるドグマなどの根拠は解体される。
だから、脱構築された側の制度・イデオロギー・教義・幻想などに準じていた者にとっては、否定的な思考にしか見えない可能性もある(実際、かつて美学者の新田博衛さんなども、脱構築的研究者に対して「壊ち屋」と非難していた)。他方、従来の社会システムの根拠なき制約からの解放という効果が、そこに起る。そこからは肯定の思想に見える。

しかし、それだから脱構築が正義だ、ということにはならない。
ある社会的制度の脱構築が「善」だと見なされるには、その制度が当事者(各々の私)にとって悪しきものであった場合に限る。またある社会システムが脱構築されたことで、そのことによって、より具合の悪いシステムが生まれたり機能したりする可能性だってある。
脱構築が起ったとしても、それが論理必然的に善であったり悪であったりはしえない。それが正義と捉えられたときや、あるいは、そこに善悪の基準を与えたときには、すでにそう判断した者(ある「私(たち)」)にとっての意志とその利害関心、そして無意識の欲動などの特定の傾きが、脱構築されざる別のシステムが、つねにすでに働いていざるをえない。脱構築する、と動詞的に捉えられたときにもまた、同様である。

2:歓待と贈与の絶対神学
では、デリダ晩年の倫理に関わって、よく知られた「歓待」と「贈与」の論理はどうだろうか?
歓待や贈与は、それが本当のものであるなら相手にそれと知られてはならない、という説だ。
歓待や贈与は、相手に、もてなしてますよ、とか、贈り物です、とか気づかれてしまったら、相手に負い目=負債を負わせてしまう。しかし負い目を負わせたら、本当の歓待や贈与とは言えない。だから、歓待や贈与が、真に本モノであるには、相手に気づかれてはならない。

しかし、この有名な説は、実はもっとも高度な負債を相手に与えてしまうものである可能性がある。
たとえばこのデリダ的論法で考えると、
キリスト教における神の恩寵は、神が許しを自ら表明してしまったために、真の恩寵としては穢れしまっていると言える。
神は自ら、「罪を許す」などと「恩着せがましい」ことを言ってしまった。しかもその罪だって、神が人間に勝手に与えた罪だ。神が人間の知らぬ間に勝手に原罪という借金を背負わせて、勝手にそれを立て替えてくれ、そのあげく、ありがたく思えなどと言う。
ニーチェはソコを狙い、キリスト教を怨念の宗教だと批判した。

デリダの歓待の倫理は、それをさらに超えている。しかも、狡猾に。
負債を気づかせない歓待や贈与。それは、恩着せがましく許しを表明しない恩寵であり、キリスト教の神よりはるかに狡猾な神を、絶対的な彼方に要請してしまった可能性がある。何しろ、気づかれてはならない存在なのだから。

そして、こうした論理がそのまま規範化されるなら、脱構築は気づかぬうちに自らに死を与えてしまう。脱構築が、見ることがかなわぬどころか名を呼ぶことも原理的にできない、真に大いなる他者として、世俗道徳に憑依して、究極の神学としてそれを支えてしまう可能性も、ある。

ただし「可能性」と言ったのは、このデリダの考察は、そんな思弁で超越的基準とされなければ、超・超越的な次元で倫理命題化などされなければ(脱構築の極限なのだから、超越性も脱構築された、アホみたいに無限の超越性でもある)、
優れた着眼をいくつも含んではいるし、限りない「良き」可能性へ展開しうるだろう。神も脱構築も使いよう、否、付き合いよう、だが、この付き合いように関して、脱構築以後の倫理や政治のシーンは、ようやくその真の舞台を開けることになる。
次のステージは、ジジェクの「決断の政治倫理」やコプチェクのジジェク批判、そして永井均の「独在性の倫理」などと、どのように交錯するか、についての場面となる。

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