著名人の墓巡り(趣味は墓参り)

この世で人間として生きるのは一回かぎり。

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長沼国郷・綱郷の墓

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中野区高田の万昌院功運寺に江戸時代の剣豪・長沼国郷と綱郷の墓がある。直心影流という剣術は小説で何度か読んだことがある。寺の入り口にある案内看板には直心影流開祖とあるが、松本備前守を初代とし第8代目が長沼国郷そして9代目が国郷の養子である綱郷となっている。剣術の流派はさまざまあって途中で枝分かれしているらしくハッキリは解らない。どうやら国郷の前の第7代山田光徳が実質的な開祖のようであるが定かではない。特徴は剣術練習が「型」中心だったのを、竹刀や防具を使用し現在の剣道の元になる練習方法を考案・作り上げたが他の流派と異なる。海外旅行をすると柔道や空手の道場はあちこちで見かけるが剣道の道場はフランスなどヨーロッパで何カ所か見たくらいだ。アジアの国々を旅行していて、子ども達がチャンバラごっこをしているのは見たことがない。歴史的に剣や刀による戦いがなかったのではないかと思う。ヨーロッパの騎士道と日本の武士道に少し共通点があるのかもしれない。あのジョージ・ルーカスの映画スターウォーズのSF世界で、原始的なチャンバラが取り入れられているのが面白い。剣道も防具が藍色や黒だけでなく、色とりどりカラフルな竹刀や防具を採用すれば、世界中で一気にやり始める人が増えると思う。どうも日本人は屁理屈ばかりで変えようとしない。今までどうりでよいとする、保守的というか面倒くさがる勇気のない人間が多い。そして未だに国際化!国際化!と言っている、奈良・平安の昔から、とっくに我国は国際化完了しているのである。
南無讃果森羅万象 合掌

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本因坊歴代の墓

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織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3代に仕えた僧侶・日海算砂が開祖した囲碁の家元だが、家元は本因坊家・安井家・井上家・林家と4家ありその一つ。第1世本因坊算砂から第21世本因坊秀哉まで世襲してきたが、21世が日本棋院に名跡を譲り渡し、実際の実力者が本因坊戦で勝って名乗る実力主義になった。この墓所には開祖から歴代の本因坊が埋葬されているので、囲碁ファンにとっては聖地でもある。囲碁の歴史は古代中国までさかのぼり、奈良時代に日本に伝わり、正倉院に中国から贈られた物が収められているそうだ。囲碁は戦いのヒントになるので、歴代の武将も大いに楽しんだようだ。大モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンが次々と領土拡大出来たのは、捕らえた敵の兵士を味方モンゴル兵士にしていったからで、囲碁や将棋のやり方によく似ている。企業経営者に囲碁や将棋を好んでやる人が多いのは、理解できる。次々と企業買収し拡大成長させている企業グループがあるが、これは学者が教える経営手法ではない、人の心のとらえ方、あり方を知っているのである。逆に企業買収や合併で失敗する経営者は人間尊重を忘れた結果そうなる。台湾・韓国・中国を旅行するとかって日本がこの国で何をやったか、教科書で教えてくれなくても解る。もう一度、政治家も海外進出する企業経営者は囲碁・将棋をやって「どうあるべきか」を学ぶべきではないだろうか。我輩は、囲碁・将棋、マージャン・花札・トランプなど一切やったことがないので、それらを理屈でしか解らない。子どもの頃から周りに、そうした遊びをやる人がいなかったからかもしれない。どのギャンブルもやったことがないし、またやろうという気にもならなかった。やれば面白いんだろうなぁ〜...と思う、が縁がなかった。  南無讃果森羅万象 合掌

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第一京浜国道の北品川2丁目交差点から山手通りを大崎に向かって100mほど進むと左側に石塔が建ち並ぶ一角がある。ただし山手通り側からは入れない。反対の東海川に沿って歩くと、東京都の史跡看板があり、そこから入ることが出来る。沢庵和尚で有名な東海禅寺墓地の隣である。墓所には歴代藩主の墓があるのだろうが、数があり過ぎてよく解らない。それとあまり手入れしないのか?廃墟のように感じた。ご存知熊本藩は関が原の合戦後、備後北部25万石を領有していた加藤清正が戦功により52万石の熊本藩を得て、日本三大名城の一つ熊本城を築いたことに始まる。加藤家が2代で終わり、同じく関が原で活躍した戦国武将・細川忠興の子忠利が藩主となり細川家54万石になった。1632年〜1871年の廃藩置県まで12代続いた。第79代総理大臣細川護熙は直系の子孫で第18代当主となる。このお殿様、総理大臣になったのはいいが、何もしないで投げ出し辞めてしまった。家柄だの、お祖父ちゃんが誰それという政治家は駄目、「お坊ちゃま」の気分でやってしまう。「金持ちで育ちがいいから、あまり変なことはしないだろう」と、こういう政治家を選ぶ我々国民も大いに反省しなきゃならない。熊本には何度か行ったが本当に美しい町で、熊本城からの眺めは抜群だった。それと馬刺しの味が忘れられない。今はどうなっているか?分からないが、一昔前話題になった「ねずみ講・天下一家の会」のピラミッド型の変な建物が奇抜過ぎて、美しい熊本には似合っていなかったのは残念である。 合掌

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中村汀女の墓

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有名人著名人の墓めぐりの趣味がだんだん高じ、墓地・霊園を散策するのが生きがいのようになってしまった。周囲が騒がしい都心の霊園でも、新興住宅にびっしり囲まれた狭い墓地、それから人里離れた田舎の広大な墓地であろうと、そこには他のどの場所にも無い、静寂さと、霊魂の賑わいがあり、一人散策するのには最高の場所であり、これが楽しいと思うようになってきた。いよいよ本番で来るのが近くなってきたかもしれない。お気に入り墓地の一つに、築地本願寺和田堀廟所がある。環七に近く甲州街道に面していながら、一歩足を踏み入れるとそこは周りと別世界である。ここには著名人が大勢眠っておられ時々来ては墓地内を散策している。「あっ・・・!」と立ち止まったのが中村汀女の墓だった。なぜか光輝いていた。かなり前だったがTVの「徹子の部屋」に出ていたのを思い出した。80を過ぎてもピシッと、きりっとした和服姿、なぜかその姿がこの墓とオーバーラップした。晩年ここからさほど遠くない、世田谷区代田に住まれていたそうで、羽根木公園に有名な句碑がある。

外にも出よ 触るるばかりに 春の月   中村汀女

南無阿弥陀仏 合掌
(1900〜1988)昭和63年9月20日没 88才(本名)中村破魔子

伊藤深水の墓

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伊藤深水は女優・朝丘雪路の父で、美人画で有名な最後の浮世絵師と呼ばれている。伊藤家の菩提寺浄土宗・隆崇院は白金台と五反田に挟まれた地域で、マンション・住宅の密集地上大崎1丁目にあるのだが、この辺りは寺院が数多く建ち並んで、道路が狭く一方通行、曲がるのにも一苦労、火災が起これば消防車や救急車が入ってこれるかな?と心配しながら探した。非常に分かり難い場所だった。かなり前の話だが、六本木のロアビルにレジャンスという有名なフランス料理店があった。数多く有名シェフを輩出した名門レストランでもあった。この店のオーナーが伊藤深水の息子と聞いたことがある。直接会った事はないが、友人が設備工事を請け負ってやったので行ったことがある。噂によると父の名前と姉の朝丘雪路をうまく利用して金集めをしていたそうだ。その後ロアビルから撤退し、飯倉片町交差点のNOAビルに移転した。これも噂だが、西武の堤清二氏がスポンサーだと聞いたことがある。伊藤深水の絵は今や破格の高値である。小学校にも満足に行かず、丁稚小僧をしながら日本画の世界に入り、「出会いの縁」で歌川国芳の流れである画家・鏑木清方に弟子入りする。まさに「天は二物を与えず」である。絵の才能は天が与えた最高のプレゼントだった。今まで美術館で幾度も深水の絵を鑑賞したが、本当に素晴らしい作品ばかりである。人生で自己の才能を開花させることが出来れば最高に幸福である。学校へ行かなくても、出会い、めぐり合う、その人により幸・不幸が決められるのである。それを「運命」の出会いというのである。「運命」の出会いがあっても、見逃しの三振ばかりしている人もいる。それは「天」が味方してくれていないからで、日頃から神仏とのお付き合いを大事にすることが肝心である。「困った時の神だのみ」ではいけないのだ。伊藤家の墓はとても質素で好感を覚えた。 南無阿弥陀仏 合掌
(1898〜1972)昭和47年5月8日没 74才(本名)伊藤 一 

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