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感謝の気持ち

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    ありがとうの語源



ありがとうという言葉は、室町時代まで、神様への祝詞(のりと)として使われていたそうです。

意味は、ありがたし、なかなかないことと思いがちですが、じつは『あり得ないこと。』です。

神様へいつも、あり得ない奇跡に対する御礼で『ありがとう』を使っていたのだと。

あり得ない奇跡って?

日常のことです。

特別なことをさしているわけではなく、空気があり水があり、人として生きられることにです。

そういう日常が、じつはあり得ないことなのです。

『ありがとう』と言葉を発すると、神様は、おや?俺を呼んでるな。

と重い腰をあげるそうです。

この回数が多い人は、神様がもっとありがとうを言う様に働きかけるそうです。

くらい言葉を言ってますと、その通りの事を起こすそうです。

だから、神様におまいりにいくときは、けっして、お願いをしない。

不平を言ってることになるから。

おまいりに行って言うことは、ありがとう。これだけでいい。

毎日が奇跡の連続だということを知らなければね。

ありがとうございます。










 今を生きていることは、全てのことに感謝し、生かされていることに頭ではなく、心で納得した時

どんな状況下にあれ、”今が一番幸福”武田鉄矢さんの母親の口癖のように、今を全て受け入れる

ヒトはまるで磁石のように、自分の言葉・態度・想念、すべてが言葉=言霊であり、その言葉が

自分の未来を引き寄せ、展開して行くことを知っておくべきである。

心で掴んでいるものは、何度でも現れる。しかし、現れるものは、決して不変のものではない。

移り変わる、現象であり、永続的なものにはなれない。

それは、あなたの昔の想念が此の現象界に現したもので、それは消えるだけである。

その、現象に捕らわれて、不平不満を云ってその出来ごとを手繰り寄せてはならない。

消えてしまう現象を感謝し手繰り寄せないことだ。。。







     
    


いのちの尊さ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_27882454_0?20110205114549


↑BGM 「海猿」




  『生命の尊厳』 ということがよく叫ばれるが、 真に生命の大切な ことを知るためには、 生命を育ててみなければ ならないのである。 生命を殺すことのみを 行いながら、 『生命尊厳』の 心をもてといっても、 それは難しいことである。 私宅の庭には色々の 鳥が訪れす。 そこで私は、 この鳥たちに餌を 与えることにした。 小さな粟のような餌を、 箱の上に バラ撒いておくと、 いつしか雀が寄って来て、 毎朝喜んで食べる ようになった。 日が経つにつれて 雀たちはすっかり馴れて、 7羽位の常連ができ 上がりいつも 朝雨戸を開ける ころになると 庭先で待っていて、 餌がくるのを楽しみに しているのである。 こうして雀に餌を やっていると、 本当に雀も可愛いものだ ということが理屈ではなく、 イノチそのもので 感ぜられるのである。 ところが或る日、 家の裏に雀の子が 1羽落ちていた。 鳶にでもさらわれ そうになったのか、 全く見当もつかないが、 ときにかく 落ちていたのである。 それを拾って来て 育ててやることにした。 まだすり餌を口に 入れてやらないと 食べない位であった。 家族中大騒ぎして、 この1羽の 雀を育てると、 日増しに元気になり、 やがてよく啼く ようになった。 手の上で餌を 食べたり、 掌中で眠ったりする。 人の足音を聞きつけると、 啼いて口を開ける。 このようになると、 大変可愛らしく、 1羽の雀の子といえども、 『心』があることがわかり、 その生命の神秘に 感動するのである。 ちょっと変わった餌など 与えたときの、 雀の子の当惑そうな表情は、 まことに 複雑微妙である。 私はこの雀の子を 掌上に乗せて、 眺めながら考えた。 『この可憐な いきものを、 いたずらに焼き鳥にして 食うものがある。 空気銃でたわむれに 射つ者も居る。 しかしキリストは、 ”汝らの父の許しなくば、 その1羽も地に 落つることなかん” と言い給うた・・・』と。 まことにも生命は 尊いのである。 そしてその尊さは、 決して客観的な ものではなく 、実体的な ものである。 吾々はその生命を まもることによって 神の御心をまもる ことができる。 人の子を傷つけたり、 堕胎したり、 殺害したり、 苦しめたり、 排斥したりしながら、 自分ひとり幸福を 獲ようと欲する者は、 神に反逆しつつ、 神から恵みを得ようと しているような 横着者である。 いのちを大切にしよう。 とくに、 小さなもののいのちを。 また、 抵抗力のない 幼な児のいのちを。 同胞のいのちを。 そして、 全人類のいのちを。  


人生の断想 谷口 清超著





転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

放ち去る愛

http://www.youtube-nocookie.com/v/RUO49ASqrYQ?fs=1&autoplay=1&loop=1




  人間にとっての最大の苦しみは、 腹痛でもなく、 陣痛でもない。 それは 『執着の苦悩』 である。 それは一定の時間を 経(へ)たら解除 されるものではなく、 回数を重ねる度に 慢性化するところの ものでもない。 執着は麻薬中毒の如く、 次第に苦悩を増大し、 人間を生きながらの ”無間地獄(むげんじごく)” へと引きずり込む。 それゆえ吾々の 真の快楽は、 執着からの解脱(げだつ) ではなくなくてはならない。 女性の苦悩の救済は、 この執着からの 解脱によって達成される。 執着は決して女性の 占有物ではない。 男性も女性と同じく、 物や地位や金や 人間に執着する。 しかし古来女性の 嫉妬心や執着が 往々にして取り上げ られてきたのは、 女性のそれが 男性のそれの如く、 誤魔化されずに あからさまに 表明されて来た からであろう。 しかし嫉妬や執着を いくら誤魔化して平然 とした風に装っても、 そんなことで自心の 苦悩が解除 されるものではない。 一つのものに対する 執着を他のものに すり替えてみても、 やはり後者も 失われてしまう。 結局、 自分以外の何ものも、 自分のものはない。 そしてその 『自分』とは 『一切者』 の別名であり、 『天地一切のもの』 であり 『神』であったと 悟らなければ、 ”最後の救い” はあり得ないのである。 吾々の執着は、 『私がこれを放せば、 私はとても 淋しくて堪らない』 という迷いが原因である。 しかし、 いくら放つまいと 努力しても、 人間はその人についたもの 以外のものを所有することは 出来ないのである。 いくら放つまい としても、 離れて行くものは行くし、 放とうとしても、 真に自分に 備わっているものは、 何処へも 離れては行かない。 遠くへ放ち去ったと思っても、 それは依然として 仏の掌上にとどまり、 握ったと思っても、 それはその瞬間 自己の掌外にある。 結局人間は無駄な努力をして、 涙と汗とを流しつつ、 人生を苦悩する。 人生が苦悩の為に あるのではなく、 人生を苦悩化 しているのだ。 吾々は、 断じて、 握ってはならない。 愛する者も、 地位も、 名声も、 評判も、 体裁も、 そんなものは、 人間の真の幸福とは 何なの関わりも ないのである。 さらば吾々は、 ただひたすら愛しよう。 世間体や、 地位や、 名誉のためにではなく、 それ自体の愛の為に、 愛を行じよう。 愛はあくまでも 無条件であり、 『放つ愛』であり、 『与える愛である』 でなければならない。 『そんなことを言っても無理だ』 というな。 無理ではなく、 それ以外に、 『真の救い』 はあり得ないからである。  



人生の断層  谷口 清超著




生命の『全』を生きる

http://www.youtube.com/v/7Ol88mNObEI?fs=1&autoplay=1&loop=1
↑「あなた」小坂明子




  『「家」を尊ぶと 言う場合の「家」は 決して「建物」という 意味でもなければ 個人の生命を縛るところの 「封建的制度」 でもないのである。 「家」とは 「祖」の生命と 「個」の生命との 「一連続」を 表現する言葉である。 戦後の日本人は 「個の生命」には 目覚めたけれども 概ね唯物論であるから 「祖孫一体・親子一体」の ”連続体としての生命”の 自覚を欠く傾向が 非常に強いのである。 人間の生命 「個」だけで忽然と地上に 生まれたのではない。 祖を通じ、 父母を通じ、 その生命の 一連続の地上への 顕現として此処にに在る。 それを自覚しないことは、 人間生命の部分的 自覚に過ぎない。 私達は生命の部分だけで 生きているだけで 満足してはならない。 私達は生命の 「全」を 生きなければならない』  


我ら日本人として   谷口 雅春著








今の社会問題となっている老人の孤独死、孤立した母親による子供の虐待等、 


家庭の崩壊と無縁社会の到来は”生命の全を生きる”人間観を失った世代のしから


しめたものでしょう。


結論を急げばそれが日々の先祖供養です。


生命の尊さに目覚め家族の絆を回復し縁深い社会を再生する道であります。


『よく先祖の墓参りに連れて行って貰っている家の子供は、心が安定し良い子が育つ。


そこに祖先から生命の流れをみるからだ。


父親は祖父に手を合わせ。


父親がしんだら自分も父親の墓に手を合わせよう。


そのイメージをつくれるかどうかが家庭教育ではもっとも大切な事である』


___ある大学教授の教育論です。


    




進め、進め

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_27692644_0?20110112204320


↑Life Is - 平井堅

  あばたは正しのかもしれない、 しかし間違っている。 あなたは最善を 尽くしたかもしれない、 しかし間違っている。 あなたは人を非難する、 しかしあなたもどこか 間違っている。 正しいだけが 全てではないからだ。 最善を尽くす ということは、 一生をかけてこれから やることだから。 生まれ変わって 出てきてやるのである。 さらに又何回も 生まれ変わって修行する、 それが人生というものだ。 人を非難するには、 その人の全てを 知らなければならない。 しかしそれは実に 難しいのである。 その困難を 克服していないからだ。 自分はいい加減なところで 甘やかしてはいけない。 思い上がってはダメだ。 あなたは目的のため 間違った手段を とっていなかったか。 あなたは友達を かばうつもりで、 自分をかばっていた のではないか。 仲間だけを可愛がって、 本当の愛と正義を 忘却してはいないか。 眞理に対して本当に 忠実であるのかどうか。 『そんな難しいことを言うな』 と言うかもしれない。 確かに難しい。 私もあなたと共に この道を学びつつ進む。 一生ではとても 出来ないから、 又生まれ変わって出て来る。 さらにまた生まれ 変わって出て来る。 その時あなたと 兄弟であるかもしれないし、 あなたの父であり、 又母であるかもしれない。 もうあなた方と 離れがたく結びついて いるのである。  


人生の主人公になるために 谷口 清超著


転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

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