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HOUZOU(法蔵) 転載はご自由にどうぞ♪
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書庫満足の哲学

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父性母性一体の原理

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ここに1個の銀貨があるとせよ。それは表と裏とで全体である。表は陽であり、男性である。

裏は陰であり、女性である。然しそれは2つに分かれていないのである。

そのままで1つなのである。裏側が賛成しないのに、表側だけを支払うということは

出来ないのである。表側が賛成しないのに裏側だけを支払うということも出来ないのである。

表と裏とで1つなのである。夫婦とはかく如きものである。1個の銀貨はそれが多少傷ついて

いても、さびていても、表と裏とを2つに分けることも出来ないし、そのままでやはり、

本来の値打ちを持っているのである。自動車にひかれて銀貨が少し曲がっていても、

1弗(ドル)の銀貨はやはり1弗に通用するのである。そのように人間の値打ちも夫婦互いに

一体であり、そのどちらかが錆びていても、傷ついていてもその神性にはかわりは無いのである。

表と裏とは一体であり拝みあいである。夫婦の純潔ということは互いに一体であるその神性を

疑わないで尊敬するということである。そして現象の姿がどうであろうともその実相の完全さを

信じて拝むことであるのである。


 創世記によれば『神いい給(たま)わく、吾らの像(かたち)の如く人を造り・・・

これを女と男に造り給えり』とあるが、それは色々に解釈されるのであるが、後に創世記第2章に

於いてアダムの肋骨(ろっこつ)をとりて女性たるイヴを造り給うたという事実からみれば、

『男と女に造り給えり』ということは、人間は最初、神の如く男女両性であったという事を

現しているという事が出来るのである。神は一切のものの生み出される『創造の原理』であって、

もしその『創造の原理が』男性のみであったならばそこから生まれてきたものは悉(ことごと)く

男性のみとならなければならないのである。又もし『創造の原理』となる神が単なる母性即ち

女性のみならばそこから生まれたものは女性のみとならなければならないのである。

だから創造されたるものに男女の性別があるという事実から考えれば、神なる『創造原理』の

中には、父性と母性とが、換言すれば男性と女性とが同時に内包(ないほう)せられて

いたものだと云わなくてはならないのである。従って、神の像(かたち)に造られたる最初の

人間は男性女性『同一人格』の内包に包蔵(ほうぞう)される所の、父性即ち母性の人間で

あったといわなければならないのである。即ち人間の人格の完成せる像は『父性・母性』

一体のものであるべきはずのものである。これは即ちギリシャの神話に於いて、人間は

本来男女両性であったものが、ジュピターの神によって男性と女性とに切り分けられたるもの

であるという象徴物語に一致するのである。即ち創世記に於ける、最初の神の像に造られたる

人間は、男女一体なる所の『一人格』であったのである。その時には一人格が中和して尚『性』

というものが現れていないのである。しかしながら『人一人なるはよろしからず』とて、

最初の人間の原型の中から『女性』を切り分けられた時に、そこに『性』というものが生じた

のである。従って性別というものは本来の像ではなく、一体なるものが互いに愛するように、

一人では愛を実現することが出来ないから、男女両性に切り分けられたものであると云うことが

出来るのである。そこで結婚というものは、本来一体なる所の『一人格』が陰陽の性別にかりに

現れたものが、もとの1つに結合して人格の高次の完成を成就するためのものであると云う事が

できるのである。
    



転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

日時計主義の生き方

http://www.youtube.com/v/VhAE9XFev2s&hl=jaI&autoplay=1&loop=1



 諸君は『日時計』と云うものをみたことがあるか、それは1本の直立せる針と、時計をしるした1枚の盤とでその主要部分が成り立っている。太陽の光線がその直立せる針に落ちると、針は盤面の目盛りの上に影を落として何時だと判るのである。太陽のない日は時間が判らない。そして自分の見た日時計の盤には、こんな標語が書いてあった。”I record none but hours of sunshine”(吾れは太陽の輝く時刻のみを記録す)
 自分はこの標語を『日時計主義』だと云っている。そして出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思い出す。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。
 此の世界の人々が皆の此の『日時計主義』に従って、不快な一切の記憶を次の瞬間から追い出して了い、悲しい連想や、憂鬱な暗示を拭き去ってしまうようにするならば、吾等のこの世界はどんな愉快に幸福になれるであろう。
 
 暗い環境の中にある時に、明るい方面に注意を振り向けるだけで、世の中は善くなっていくだろうか?そんな疑問を抱く読者は多いに違いない。あるいは、『悪に目をつぶって生きていくことは、社会の改善に寄与しないばかりか、悪をのさばらせることになるから好ましくない』と考える読者もいるだろう。 しかし、神が創造された『本当の世界』(実相)は善一元であって『悪はない』と考えるのである。また、我々人間が肉体を使って生きる世界は、心によって一時的につくられる仮構(ニセモノ)の世界であると考える。それは、各自が一種の”心のレンズ”を透して見る世界だから、心で悪を認めれば認めるほど”心のレンズ”は曇り、本来ある神の創造(実相)が見えなくなる、と説いている。そのような、神への無限大の信頼と信仰にもとづいた生き方をすることが『日時計主義の生活』である。
 本書には、そのような生き方の基礎となる考え方を、いくつかの項に分けて集めてある。『悪の存在』は古来、宗教や哲学上の大問題として扱われてきたが、本書ではそのような”最上段”から『悪』を論じるのではなく、主として私達の心が『悪』を感じる際の仕組みを検討することで、私達が『悪』と称するものの多くは、心の持ち方や条件次第で『悪でなくなる』ことを示す。これによって、『悪』とは強固で永続的な実体ではなく、人間の心や諸条件で変化する”心の産物”であることを、読者に伝えようと思う。
 次には、悪だけが”心の産物”であるのではなく、私達が『現実』と呼ぶ世界全体も、同じく”心のあらわれ”であることを示す。『現実』と云うものは一見、容易に変えがたい頑強な”客観的存在”であるかのように感じられる。しかし、それが私達の前に立ち現れる過程を仔細(しさい)に検討すれば、それは心で仮につくり上げた変幻自在の世界である。だから、私達が心の持ち方を変えれば___例えば、現実を自分中心の”意味”として解釈するのではなく、あるがままに”感覚”する態度に代るだけでも___目の前の”現実”は変貌し、感動すべきものが多く発見されることを示したい。


    


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/643221/img_643221_22335543_0?20091109221232




  何事も丁寧深切(ていねい・しんせつ) にやれないにのは、 愛が足りない からである。 愛は抽象的な概念で あってはならない。 自己を丁寧深切に 駆り立てる力が 愛である。 愛は何物も 傷つけることをいう。 嫉妬や偏見によって他を 傷つけたくなるような 愛は本当の愛では ないのである。 行動では勿論のこと、 言葉ででも想念ででも、 全然他を害しない 心になれば、 その人の愛は完成する。 愛はただ受動的で あってはならない。 愛されたいばかりで、 積極的に他を愛する ことが出来ない者は 本当の愛を知らない。 利己主義的な個人的幸福を 希(ねが)うならば、 決して私達は自由を得る ことは出来ない。 利己主義の者にとって 周囲は皆『敵』で あるか、利用すべき 素材にすぎない のであるから、 人格的な深い交わりを 得ることは出来ない。 人間の真の幸福は、 人格と人格との 深い交わりによって のみ得られるのである。 利己主義者は その最も大いなる幸福を 失いつつあるのである。  



転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/845211/img_845211_22311907_0?20091108192612




 人間の『個性』や『才能』というものは、それと同じものが2つとない、この世に1つしかないかけがえのない尊いもの、人と比べてすぐれているとか劣っているとか比較することが出来ないものです。神様は人間一人一人の中にこの個性と云う宝物をうえつけて下さっているのです。
 十人十色、百人百色、六十億人六十億色、体の構造は全人類がみんな同じであっても、顔や指紋が全部違っているように、性格や使命が一人一人異なっています。
 それでは『個性』を発揮するにはどうすればよいのでしょうか。
 先ず、『人間神の子無限力』の自覚を得ることです。次に、個性や才能は既に天から与えられている『天賦』のものですが、内在している無限の可能性を引き出し、表現するには、努力と訓練が必要なのです。
 ダイヤモンドの原石だとわかったら、どんな努力をしても本物のダイヤモンドの光を現すまで頑張って磨き続けるように、人間は万物の霊長、永遠不滅のいのちが本体である、との自覚が高まりますと、年齢がいくつになっても努力せずにはいられなくなってきます。
 だんだんと良くなるのではなく、個性や才能は、 『生命の教育』には説かれています。何と云う素晴らしいことでしょう。エジソンは、電球を発明するのに百回も失敗した人に、『私は今迄一度も失敗したことはありませんこうしたら失敗するのだということを勉強したのです』と答えた有名な話があります。
 子供が勉強している時だけではなく、遊んでいる時も、素直な時も、反抗している時も、不登校で学校に行かない時も、宿題をほったらかしにしてファミコンに夢中になっている時にも無駄なことは一つも無く、その時、その事柄を通して親も子も勉強しているのですね。
 谷口清超先生が、『人生修行においては、決して仕事場の変化や、訓練不足を恐れてはならない。「今ここ」が訓練の道場だと思って、喜び勇んで、明るく力一杯の生活を送ることが何よりも大切である。内在する「無限力」は、その堅い信仰と訓練によって限りなく湧出でるからである』と書かれてあり、そして更に、
 『才能を発展させるためには、素直に別の分野にも足を踏み込むことが大切である』とも述べられています。
 このような大きな心を持って、子供の成長をしばらく待ってあげようではありませんか。
    


転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

http://www.youtube.com/v/AKkypPBU9ps&hl=jaI&autoplay=1&loop=1




≪中心がある≫    。。。≪美しい国と人のために  引用≫

即ち宇宙には常に中心があり、そこに帰一(きいつ)した運動が行われている。太陽を
中心として地球などの惑星が一糸乱れず運行しているのは最も手近な例であるが、この
太陽系も、それと同じようなスター(恒星・こうせい)を中心とした惑星(わくせい・
プラネット)の集団と共に、約1千億個か2千億個近く集まって『天の川星雲』という
銀河系を作っている。この星雲の大きさは直径が13万光年もあるというから、その
端から端まで光がとどくのに13万年もかかるという巨大な宇宙だ。そして厚さは少し
薄くて約5千光年の距離の、円盤状態の宇宙である。この中に太陽も含まれているが、
この銀河系星雲も、中心を中心としてすごい速力で回転している。しかもその中心は
ものすごく重力が大きい(密度が高い)ので、ブラックホールのように、そとからは
測定ができない状態になっているとされている。
 丁度台風の目のように、そこを中心とした回転があるわけで、こんな銀河系が、その
他にも無数にある。大体15万光年くらいの距離に離れあるが、それらに夫々中心が
あり、各種の光波を発散している。例えばセイファート銀河というのは渦状銀河系
(うずじょうぎんがけい)で強くて幅の広い光を出す中心核を持っているのである。
 このように宇宙には中心があり、それが秩序を保つもとの力になっているが、それと
同じように国家にも中心があり、家庭にも中心がある。単に皆が平等で自由である
だけではなく、秩序性をもってまとまっているのであり、日本という国には、全ての
国々の中でもっともハッキリと永続した中心があるので、国家としてもよくまとまるくにである。


≪そなままの心≫
日本の伝統的なよさとは何かということを考えていると、それは『自然を大切にする』
心である。陰と陽とで全てが出来ている。全てのものの造り主が『火水』(かみ)
であり、神だ。そしてそれは自然そのままなのである。あれやこれやをくっつけ
なくて、生地のままのものである。


≪健全な家庭には中心がある   。。。こどもを見つめて 平岡 初枝著≫
1本の木を見ても、すっきりとしんの立った木は立派にのびるのです。一軒の家も
同じことです。夫を中心に、お父さんを中心に、年寄りを尊敬し、1つ心になってこそ
、その家は栄え、子供達も健全に育つのです。
 和顔・愛語・賛嘆ということも、中心が立っていなければ、自然にはできないこと
なのです。形だけの好い顔や、良い言葉が、そう簡単に出来るものではありません。


≪すべてのものに中心がある≫
お父さんを尊敬させるお母さん、お母さんに感謝することを教えるお父さんに育て
られる子供ほど幸せなものはありません。これが拝みあいの家庭です。中心帰一が、
神のみ心だからです。大は太陽系から、小は原子や電子の世界まで、すべてに中心が
ある。その中心を軸にして一切が回転す。これが大自然の秩序です。この大自然即ち
神の心に従った時、家庭も社会も立派になり、救われる。今日の日本の国家社会の
混乱は、この中心を失いかけている姿です。
    

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