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http://www.youtube.com/v/a5fVxS3Q8_Q&hl=jaI&autoplay=1&loop=1 しかし人口制限を行わなくては、一定の領土で生活し得る食料が量的に不足して、 避妊数と流産数とを加えただけの人間が健全に育っていたならば、 愈々益々(いよいよますます)食料が不足して多くの国民が餓死するように なるだろうと云う人がある。しかしこれは杞憂(きゆう)に過ぎないのである。 私は終戦直後、日本の人口は横に他国へ侵略しないでも、空中に摩天閣(まてんかく)を つくって伸びて行くならば、現在の人口がその十倍になっても二十倍になっても 面積に困ることがないことを述べた。先ず大体平均十階以下の建物は建築させないで、 十階以上のビルディングを建てさせる。そして互いに建物同士が光の邪魔をして 他の建物のルーフを陰(かげ)らすことのないよう各建物のルーフが平等に日光を 受け得るように高さを平均する。そしてこの日光の豊かな階上のルーフを食糧になる 食物の水栽培の田地とするのである。かくてこの屋上で栽培される食物を収穫し、 そのビルディングに住む人の食糧は大体、その建物のルーフで収穫し得る食物で 足りるようにするのである。人類は殺人のために色々の新兵器を作っているが、 その懸命の努力を、このルーフの水栽培の方法に注ぐとき、近い将来に人類の 食糧は各々の住宅の階上で得られる収穫で足りることになり、その収穫物を味覚に 適するように脱臭、調味などすればよいことになる筈(はず)である。 或(あるい)はその栽培される品種によっては人間の味覚に適するものがあるかも知れない。 田宮博士の栽培しているクロレラと云う水栽培の緑藻(りょくも)はピレノイドサと云う品種で、 ソバに似た味で味覚も大して悪くないと云う。クロレラという直径1.5乃至(ないし) 8ミクロンの球形又は楕円形(だえんけい)の単細胞の藻を栽培する実験は、 5年前カーネギー植物研究所のスポーア博士が提唱して以来、米国では大仕掛けに行われている。 この提唱は私が『白鳩』誌に、高層建築のルーフに水栽培せよと提唱した時と略々(ほぼ)同時 であるが、これは世界は1つの生命の波によって繋がっているから同時に同様の構想に到達する のである。日本でも元徳川生物研究所長田宮博士が行っているのである。この緑藻は1日に10倍 にも増えるという繁殖率をもっていて、太陽エネルギーの吸収率は普通の農作物の40倍以上、 反当り収率は米の三石(ごく・450キロ)、大豆の125キロにくらべて4.5トンである。 栽培法の改善によってなお収量を増加し得るのである。田宮博士は、『年中ひまなしに 働かさせれたのではクルレラだってたまるまい。たまには休ませた方がよくはないか』と 思いついて間歇的(かんけつてき)に日光を照射する工夫をしたら、これだけで忽(たちま)ち 倍近く収量が増えたと云う。その成分は蛋白42、脂肪22、澱粉(でんぷん)24、 灰分(かいぶん)12、ビタミン各種豊富と云うように頗(すこぶ)る栄養価が高いのであって、 殆ど人造肉と云っても好い位だと云われている。池や沼などがなくてもビルディングの屋上を 栽培池として、それにその建物に住む人の排泄物を消毒し、清浄澄明(しょうじょうちょうめい) なる化学肥料とでもする装置を発明をして必要に応じて、階上の栽培池に配給栓一つひねれば その適量の肥料を送ることが出来るように工夫するのである。かくて人口問題、住居問題、 食糧問題が解決すれば、殺人的流産の必要はなくなり、戦争の危険はなくなり、食糧として 肉食に匹敵する緑藻の類を食するのであるから、人類相互の殺戮(さつりく)だけではなく、 あらゆる生物を殺すと云う悪業の因縁を断ち切ることが出来るのである。 人間が生物を殺し生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと 考えるのは、すべての業は循環する、一点一画と雖(いえど)も、播いた種は刈り取らなければ ならないと云う原因結果の法則と矛盾するのである。人類の平和は先ず生物を殺さないことから 始まらなければならないのである。私はこの提案に賛成せられ万国生類(しょうるい) 愛護協会の会員たる小牧久時(こまきひさとき)君から次の様な平和愛好の感情に満ちあふれた 手紙が来ているので、平和日本再建の基礎は、こう云う深い生類愛護のしみじみとした感情から 生まれて来るのであって、平和を戦い取るごとき好戦的な感情から来るものではないことを 知って頂くために、その手紙の一部を次に再録する。小牧氏は当時、京都薬科大学微生物研究室の 助手であったが、今は農学博士である。「濃厚にも殺虫の如き殺生がつきものではないかと 申される方もございましょう。しかし『黄金の土』のロデイルは『害虫の真の役目は検閲官の ようなもので、不自然に肥培した作物を指摘するのである』と克明な実験と統計をあげて のべて居ります。ロデイルは又こうも申しております。『若しミミズが死ぬような 条件(強い化学肥料)があればバクテリヤの繁殖は妨げられ不作になるから、益々焦って 化肥(かひ)だ消毒だと・・・・・土地を台無しにしてしまうのである。』ミミズは自然の農夫だと さえ言われて居ります。よしこの愛らしいミミズを多少、私共の不明から傷つけることが あるにもせよ、詫びたい真情の片鱗(へんりん)でもございましたら、無辜(むこ)の ミミズを大量殺戮(さつりく)など思いもよらぬこと、それ以前んい何か他の道を選んだこと でございましょう。・・・・・思い切りが大切だとつくづく思います。そうして思い切りは 和解・和解・和解・ただ和解からのみすらすらと出てまいりますのでございますね。 和解こそ決断の母でございます。拝み切った時、感謝し切った時、___まったくたくまずに 決断が出来るものであることを、しみじみ解らせていだきました。母に感謝しきったとき、 私は『私は菜食を好みます。なるほど世間の習慣とは少しばかり異なるかもしれない。 しかし、私の使命は法施(ほうせ)にあります。法施のためには、その方が良い筈です。 とにかく殺生は好みません。』とたくまずに申す事が出来ました。そこで道が開けました。 私はもう誰はばかることなく自分の希望を率直に人に語ることが出来ました。 洪水のようにエア・メールが来るようになり、アメリカやスイスの新聞やラジオも私の心から 念願を取り上げてくれました。思い切って意思や表示して以来、先輩も友人も後輩も 『小牧さん、小牧さん』と慕うてくれます。農耕でも同じことで、一喜一憂(いっきいちゆう) して生涯を過ごすよりも、石の上にも3年、その後、全世界の農民の友となり、 全人類の友となり、全生類の好意を受くる道を選ばれたほうが生き甲斐があるかと存じます。 和解(感謝)こそ、喜びの鍵であり、よろこびそのものであることを毎日々々痛感致して居ります。 『私』と云う無口な青年が息を吹き返して、毎日々々を楽しく過ごさせていただくことに なりましたのは偏(ひとえ)に先生のご指導の御蔭でございます。・・・・・」 田宮 博(たみや ひろし、1903年(明治36)1月5日 - 1984年(昭和59)3月20日)は、理学、植物博士。微生物学者。 医学者の田宮猛雄の弟。 略歴 1903年(明治36)1月5日大阪市で生まれる。 1926年(大正15)東京帝国大学(理学部植物学教室)卒。 1943年(昭和18)東京帝大教授(理学・植物学) 1946年(昭和21)財団法人徳川生物学研究所所長に就任。 1955年(昭和30)東京大学応用微生物研究所教授。 1961年(昭和36)東京大学応用微生物研究所所長。 1965年(昭和40)「同調培養によるクロレラの生理ならびに生化学的研究」により日本学士院賞受賞。 1970年(昭和45)日本学士院会員。 1977年(昭和52)「細胞生理化学分野の功績」により文化勲章受章。文化功労者。 1984年(昭和59)3月20日逝去。享年81。 |
幸福生活論
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http://www.youtube.com/v/WgtMt2WJFzc&hl=jaI&autoplay=1&loop=1
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http://www.youtube.com/v/yCxQ5vdBeJ0&hl=jaI&autoplay=1&loop=1 NHKスペシャルドラマ 「坂の上の雲」
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あなたに会えて本当によかった 生まれて来てくれてありがとう いのちの世界から お父さんを 父とえらんで お母さんを 母とえらんで 私達のもとへ舞い降りて来た かわいい天使 神の子さん 生まれて来てくれてありがとう お父さんは あなたによって父となり お母さんは あなたによって母となり あなたとともに生長してゆきました あなたから どれほどの幸せをもらったでしょう あなたから どれほどのよろこびをもらったでしょう あなたは 私の宝です 生まれて来てくれてありがとう |
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http://www.youtube.com/v/EoOR9KXag24&hl=jaI&autoplay=1&loop=1 基礎が定まらないで、その上に如何に理想を描こうとも、生活を築こうとも、それは砂上に建てた楼閣に過ぎないのである。この世界を物質であると考え、人間の幸福物質の多寡によって定めようとし、物質の面から奪い合いをしようとするならばそこには平和も幸福もあり得ようがないのである。この世界を物質であると見る限りに於いて、物質は有限であるから、少数の人が豊かに生活すれば他の人の分け前は減るのである。自分の豊富は他の人の搾取(さくしゅ)によってのみ成立つのである。唯物論(ゆいぶつろん)を世界観に持っている限りは、其の人にとって、こういう考え方は真理である。そこで貧者と富者(ふうじゃ)とは争う外(ほか)仕方がない。このディレンマからどうして人類は脱却して豊かにして美しい平和の世界を築いて行くことができるであろうか。 人類は観点をかえなければならないのである。物質は有限ではないのである。吾々新興物理学の新しき世界観から新しく出発しなければならない。物質は真空から生み出され来つつあるのである。真空はその知性を以って法則と現れ、法則は一切のものを造り出す。吾々の中に宿る『知性』は宇宙の『知性』と同じ『知性』である。吾々が心を平和にして宇宙の『知性』に耳を傾ける時、吾々は一切のものを生み出すところの『宇宙の知性』の即ち『神』のみ声を聞くことができるのである。精巧なラジオカセットが放送室から放送する立派な楽器の音楽をそのままにうつし出すように、吾々の精神が平和に満ちて、静かなる寂(じゃく)の声に耳を傾ける時、宇宙の一切のものを生み出した本源の智慧と交通して欲するものを地上に生み出して来ることが出来るのである。富むことが貧しきものに対する搾取とならずして、富むことが貧しきものに対する豊富な貯蔵庫となることが出来るのである。自分が豊かに実ることが、人類全体への祝福であるような美しき富を築くことが出来るようになるのである。これは唯物論では出来ないのである。唯物論を清算してすべてのものは神より来たり、神に交通することによってのみ、全てのものが得られるという唯神実相論(ゆいしんじっそうろん)の世界観に起たなければならないのである。即ちキリストが云ったように『まず神の国と神の義を求めよ、その余のものは汝らに加えられるべし』であって、まず『神の国』即ち唯神の所造である実相世界の存在を認め、そこから一切のものを得(う)ることにするならば、そこに争いなく戦いなき本当に平和なる世界を導き出して来ることができるのである。 |



