↑ゆず「虹」
| 我々の目に感じられる 可視光は電磁波の一部で、 波長が一万分の四ミリから 一万分の八ミリというごく狭い 範囲内に納まっている。 この範囲内に、 紫から赤までのいわゆる 『虹の七色』を含む数十万色 とも言われる数多くの色がある。 紫の光より一段階波長が 短いのが『紫外線』、 次に波長が短いのが 『X線』であり、 波長が短くなるにつれて、 赤より一段階波長が長いのが 『赤外線』であり、 それより長くなると 『マイクロ波』とか 『電波』と呼ばれるものになる。 広義の意味での『光』は、 波長の短いガンマ線 (百分の一ナノメートル) から始まり、 波長が数キロメートルに 及ぶような電波までを含む。 だから、 その中の可視光が占める 一万分の四ミリという 波長の範囲は、 実に『極小の一部』と 言っていいだろう。 この範囲内のものしか 人間の目には 感じられないのだから、 我々の『見る世界』が 本当の姿を示して いるはずがないのである。 こう考えてくると、 我々人間にとって疑いの 余地がないほど 単純な『見える』 という知覚も、 本当にそれが『正しい』 ものかどうか疑わしく なってくるだろう。 『赤いバラ』は、 普通の人間にとって 『赤い』のであるが、 色盲とか色弱といわれる 人には、 そう見えないかもしれない。 その人が『このバラの花は青い』 と言えば、 我々はきっとそれを ”間違った知覚” だと考える。 しかし、 この人の棲む世界に 『赤』という色がない のだとしたら___ 例えば、 赤がすべて青として感じ られるのだとしたら____ その人の言うことが 『間違い』だと言う ことができるだろうか? 第一、彼が『青』と 読んでいるものが、 我々の言う 『赤』でないと どうしてわかるのだろう。 誤解を恐れずに言うならば、 この世界に『色』 はついていない。 例えば、 『赤』という色は 客観的には存在しない。 『赤いバラ』も 『赤いポスト』も 『赤い夕日』も、 本当は存在しない。 こんなことを書くと、 私はまるで現実離れした 架空の世界を 仮定しているように 聞こえるかもしれない。 しかし、 厳密に考えてみるならば、 この世界には 客観的な『色』 などというものは 存在しないと分かるはずだ。 『赤』だけではなく、 『緑の森』も 『青い空』も 『コバルト・ブルーの湖』も、 人間の視覚が感覚する 実感ではあても、 外界にお客観的に 存在するものではない。 なぜなら、 『色』とは、 前述したように、 ある狭い範囲の 波長をもった電磁波が 人間の視覚を刺激した時に 感覚される印象であり、 電磁波そのものには 色がついていないからだ。 我々には簡単に 『赤いバラ』と言い、 まるでバラという 植物の花弁の表面に、 誰が見ても同じに見える 『赤』という 客観的な色が付着して いるように感じているが、 本当はそうではない。 バラの花弁に含まれる ”色素”と呼ばれる物質は、 ある一定の波長を もった電磁波を反射し、 他を吸収する性質をもって いることは確かだ。 しかし、 その一定の波長の 電磁波そのものが 『赤い』 色をしているのではなく、 その電磁波が到達した 先がたまたま人間の 視覚細胞であった時に 、初めてその電磁波は 人間の脳の中で『赤』 という感覚に翻訳 されるのである。 同じ電磁波が、 例えばネコやイヌの 視覚に到達した場合には、 それはまた別の 印象をネコやイヌに与えるのだ。 なぜなら、ネコやイヌには、 人間のような色覚が ないからである。 ネコやイヌばかりでなく、 人間に属する脊椎動物哺乳類の 中で人間に近い色覚が 発達しているのは、 サルやチンパンジーなど の霊長目だけであり、 ウシやウマ、 ブタやヒツジにとっても 『黄色いタンポポ』や 『赤いニンジン』は 存在しないのだ。 では、このような 動物の視覚が ”不完全”であり、 我々人間の視覚が、 ”完全”なのか? 彼らの見る世界が ”間違って”おり、 我々の見る世界が ”正しい”のか? そんなことは断じてない。 ありていにいうならば、 『青い空』 『緑の葉』 『赤い花』 などという言葉は、 真実を表現しているのではなく、 人間の抱く 大雑把な感覚の、 人間なりの表現に過ぎない。 だから、このような表 現が通用するのは、 人間の世界 だけのことだ。 |
心でつくる世界より
転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用
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