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必ず結果が出る

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↑松山千春 大空と大地の中で






  子供にも分かる かのようななさけないこと、 人に迷惑を与えること、 身体のためによくないことを 習慣的にやっていること、 その時はそのまま 見過ごされていても、 やがて”生活習慣病”や、 もっと大きな 事故や災難が起こって、 ”悪業の果” を刈り取るのである。 ところが明るい心で 暮らしていると、 明るい運命を作り、 幸福になる。 これは”善業の報い” である。しかし同時に 若者がやたらタバコを 吸ったりしていると、 その結果その 人の善悪の業が うまいこと混合されて、 それ相当の 結果が出てくるものだから、 この人生は大変面白くて、 ためになる、 つまり”教えられ 導かれる学校” のようなものである。 そこで『聖経、真理の吟唱』の 『観世音菩薩を称(たた)うる祈り』 という章には、 次のように記されている。 『この世界は観世音菩薩の 妙智力を示現せる 世界であるのである。 観世音菩薩とは単なる一人の 菩薩の固有名詞ではないのである。 それは宇宙に満つる 大慈悲であり妙智力であり ”心の法則”であるのである。 観世音とは世の中の 一切衆生の心の 音(ひびき)を観じ給いり、 『大慈悲』である。 三十三身に身を変じて われわれを救い 給うとはこの事である。 ”心の法則”として、 衆生の心に従って、 その姿を現し給う事その 事が大慈悲なのである。』 観世音菩薩は、 あらゆる姿と現れて 私たちに救いの 説法(せっぽう)を 宣示(せんじ)したまうのである。 山々のたたずまい、 雲の行きかい、 風の韻(ひびき)、 水の流れ___ ことごとく観世音菩薩の 慈悲の説法である。 心に耳ある者は聴け、 心に眼のある 者は見よ(中略)』 観世音菩薩のことは、 『法華経(ほけきょう)』 の普門品(ふもんひん)に よると、お釈迦さまが 色々と説いておられて、 凡(あら)ゆる人々や 形をとって衆生を救う ものであるから、 『まさに一心に 観世音菩薩を供養すべし』 と教えておられる 『救いの働き』だ。 そこから全ての 人や山や川や水の流れなども みな観世音菩薩の 慈悲の説法だと しらなければならない。 つまり『心の法則』 は観音さまの慈悲の説法だと いうのである。 知らなければならない。 つまり『心の法則』は 観音さまの慈悲の説法だ というのである。  



谷口 清超 著


忘れる理由

http://www.youtube-nocookie.com/v/euB2N9eGBSE&hl=jaI&autoplay=1&loop=1
↑優しい忘却    茅原実里



  それとも、 まだ他の理由が あったのでしょうか? あるいはそうかも知れません。 自分の名前が嫌いで、 忘れると云う こともあります。 何でもあまり好きでない ことは忘れるものです。 しかし、 好きなことや 大変喜んでいることは、 中々忘れません。 皆さんが、 学校の教科書を何処かへ 置き忘れるとしましょう。 それは、 その教科書があまり ”好きでない” ということになるのが 普通です。 そうでない時は、 それよりもっと好きなこと、 心を占領してしまう何かが あったという訳です。 約束の時間を 忘れるんだって、 同じことです。 大好きな約束なら、 忘れろといっても 忘れられませんが、 そうでない人、 会いたくない人 との約束なら、 よく忘れてしまいます。 いや、 そればかりではない。 もっと詳しく、 約束の時間に おくれるのと、 おくれないとでは、 何でもない ことのようですが、 やはり違います。 約束の時間より 早く行くとすると、 それは会うことを 非常に欲していることを あらわしています。 おくれるのは、 その反対です。 時には例外もありますが、 この原則は、 『潜在意識にあることが 形にあらわす』 という法則による ものであって、 ほとんどの場合に通用します。  


本当のことが知りたい  より

忘れ物

http://www.youtube.com/v/aeu3e3CQtfs&hl=jaI&autoplay=1&loop=1
↑Bette Midler - The Rose







人は時々、『忘れる』ことがあります。



品物を何処かにへ置き忘れたり、誰かと会おう約束をして、その時間を忘れたりします。




そんな時、『ついうっかりして』といいますが、本当は何かの理由があって忘れるのです。




フロイトと言う有名な精神分析学者は、忘れるのは潜在意識(編註・人間の意識のうち、




心の奥底に潜んでいる意識)の中に、そうさせる原因の心があるのだと言いました。




つまり、理由があるのですが、その理由が隠されているという訳です。



忘れ物ばかりではありません。何事かによらず失策するには、心の奥底の理由によるのです。



    

本当のことが知りたい  より


色とは何か?

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_25132055_0?20100510103319


↑ゆず「虹」




  我々の目に感じられる 可視光は電磁波の一部で、 波長が一万分の四ミリから 一万分の八ミリというごく狭い 範囲内に納まっている。 この範囲内に、 紫から赤までのいわゆる 『虹の七色』を含む数十万色 とも言われる数多くの色がある。 紫の光より一段階波長が 短いのが『紫外線』、 次に波長が短いのが 『X線』であり、 波長が短くなるにつれて、 赤より一段階波長が長いのが 『赤外線』であり、 それより長くなると 『マイクロ波』とか 『電波』と呼ばれるものになる。 広義の意味での『光』は、 波長の短いガンマ線 (百分の一ナノメートル) から始まり、 波長が数キロメートルに 及ぶような電波までを含む。 だから、 その中の可視光が占める 一万分の四ミリという 波長の範囲は、 実に『極小の一部』と 言っていいだろう。 この範囲内のものしか 人間の目には 感じられないのだから、 我々の『見る世界』が 本当の姿を示して いるはずがないのである。 こう考えてくると、 我々人間にとって疑いの 余地がないほど 単純な『見える』 という知覚も、 本当にそれが『正しい』 ものかどうか疑わしく なってくるだろう。 『赤いバラ』は、 普通の人間にとって 『赤い』のであるが、 色盲とか色弱といわれる 人には、 そう見えないかもしれない。 その人が『このバラの花は青い』 と言えば、 我々はきっとそれを ”間違った知覚” だと考える。 しかし、 この人の棲む世界に 『赤』という色がない のだとしたら___ 例えば、 赤がすべて青として感じ られるのだとしたら____ その人の言うことが 『間違い』だと言う ことができるだろうか? 第一、彼が『青』と 読んでいるものが、 我々の言う 『赤』でないと どうしてわかるのだろう。 誤解を恐れずに言うならば、 この世界に『色』 はついていない。 例えば、 『赤』という色は 客観的には存在しない。 『赤いバラ』も 『赤いポスト』も 『赤い夕日』も、 本当は存在しない。 こんなことを書くと、 私はまるで現実離れした 架空の世界を 仮定しているように 聞こえるかもしれない。 しかし、 厳密に考えてみるならば、 この世界には 客観的な『色』 などというものは 存在しないと分かるはずだ。 『赤』だけではなく、 『緑の森』も 『青い空』も 『コバルト・ブルーの湖』も、 人間の視覚が感覚する 実感ではあても、 外界にお客観的に 存在するものではない。 なぜなら、 『色』とは、 前述したように、 ある狭い範囲の 波長をもった電磁波が 人間の視覚を刺激した時に 感覚される印象であり、 電磁波そのものには 色がついていないからだ。 我々には簡単に 『赤いバラ』と言い、 まるでバラという 植物の花弁の表面に、 誰が見ても同じに見える 『赤』という 客観的な色が付着して いるように感じているが、 本当はそうではない。 バラの花弁に含まれる ”色素”と呼ばれる物質は、 ある一定の波長を もった電磁波を反射し、 他を吸収する性質をもって いることは確かだ。 しかし、 その一定の波長の 電磁波そのものが 『赤い』 色をしているのではなく、 その電磁波が到達した 先がたまたま人間の 視覚細胞であった時に 、初めてその電磁波は 人間の脳の中で『赤』 という感覚に翻訳 されるのである。 同じ電磁波が、 例えばネコやイヌの 視覚に到達した場合には、 それはまた別の 印象をネコやイヌに与えるのだ。 なぜなら、ネコやイヌには、 人間のような色覚が ないからである。 ネコやイヌばかりでなく、 人間に属する脊椎動物哺乳類の 中で人間に近い色覚が 発達しているのは、 サルやチンパンジーなど の霊長目だけであり、 ウシやウマ、 ブタやヒツジにとっても 『黄色いタンポポ』や 『赤いニンジン』は 存在しないのだ。 では、このような 動物の視覚が ”不完全”であり、 我々人間の視覚が、 ”完全”なのか? 彼らの見る世界が ”間違って”おり、 我々の見る世界が ”正しい”のか? そんなことは断じてない。 ありていにいうならば、 『青い空』 『緑の葉』 『赤い花』 などという言葉は、 真実を表現しているのではなく、 人間の抱く 大雑把な感覚の、 人間なりの表現に過ぎない。 だから、このような表 現が通用するのは、 人間の世界 だけのことだ。  

心でつくる世界より


転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

唯物論の祖先

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_25120564_0?20100509161202


↑オルゴール♪愛の夢




  世間には、 人間が科等な動物から 進化して出来たという 説がありますが、 皆さんはこの点を どう考えますか。 普通この世に生きている 一番下等な生物は、 アメーバーのような 単細胞生物ですが、 そんなものから 次第に高級な生物が 出来てくるという 事になると、 われわれの祖先は、 次第に科等になって行って、 アメーバーにまで なってしまう。 そうなると、 『ご先祖に感謝せよ』 という事は、 アメーバーに感謝せよという 事になってしまうでしょう。 そうなると、 『ご先祖に感謝せよ』 ということは、 アメーバーに感謝せよ ということになってしまうでしょう。 もちろん天地の全てのものに 感謝するのが よいのであるから、 物にもアメーバーにも、 ボーフラにも 感謝するがよろしい。 けれども吾々が 『ご先祖』として 考えているものは、 そんな人間以外の ものではないのです。 これではどうも シックリしない のであります。 大体このような進化論をとると、 具合の悪い所が沢山出て来るし、 証明されないし又実験も されない部分が見つかります。 その一つは、 『人間のみが人間を生む』 というここの事実を、 どうやって説明する ことかということです。 さらに又、 アメーバーからさかのぼって、 そのアメーバーは 何から出てきた のかということです。 宇宙の初めに突然アメーバーが あったのではあるまい ということになると、 そのもとは物質であろう。 そこで物から生命(いのち)が 生まれたという唯物論に なりやすいのです。 ところが、 いまだかつていくら 物質を組み合わせ、 化学反応させても、 いのちをつくり出す ことが出来ないのです。 蛋白質(たんぱくしつ)や アミノ酸までは作り 出せるにしても、 いのちのある生き物を 作り出す実験が出来ていません。 だからこのような唯物論は、 1つの空総論にすぎない ということになるのです。  


本当のことが知りたいより


転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

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