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HOUZOU(法蔵) 転載はご自由にどうぞ♪
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愛の第一歩は信じ切る

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沢山の愛の形が存在し


その中で最初に学ぶことは


信じ切ることから始まる


生まれて間もない頃は


母親を条件など付けずに


信じ切って乳やおむつや風呂の


世話と母親からの温もりと


大きな大きな深い愛情の中で


愛を学び その愛に 応える


健やかな天真爛漫な笑顔で


母の言葉に応えようとする


母の笑顔から言葉を覚え


母の表情から感情を学び


育って行く いつしか


環境の中で 裏切り 嫉妬


絶望 孤独感 憎悪 復讐


負の感情が芽生えはじめ


信じ切ることすら出来ない


ヒトになり 誰かを陥れることで


自分が免れるとでも思っていて


ヒトを切り捨てることが


普通に出来る 今は無事でも


いづれ自分に降りかかる


因果応報その罪はいずれ


自分自身で償うことになる


人の想いの蓄積は怨念となる


自分に降り注がれなくとも


最愛のヒトが代わりに罰を


受けることもある


情けは人の為ならず


情けを掛ければいずれ


自分にその情けは返って来る


人の幸福を祈れば 幸福が自分に


返って来る 人の不幸を祈れば


不幸が返って来る それは


ブーメランを投げたようなもので


私たちは自他一体であるから


根本は繋がっている


信じて欲しければ


信じ切る心を起こせば良い


    



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  数学者・秋山仁の講義のネット生中継!


 3月23日13時半より、新学期直前スペシャル『算数・数学、勉強してどーなるの?』





当日、他にご予定があり、視聴できない場合には、後日YouTubeの文部科学省チャンネル

(http://www.YouTube.com.mextchannel)にも動画を掲載いたしますのでそちらをご覧下さい。




ライブ配信当日は、ユーストリームコメント欄及びTwitterにて、ご意見やご質問を募集しますので、


是非ご参加ください。Twitterでは#mextliveをつけてツイートしてください。


    


このような情報がありますので、数学キライのお子さんの親必見ですぅ〜




http://www.youtube-nocookie.com/v/ldUFV0ZOJR0?version=1&autoplay=1&loop=1



せいめいの革命  谷口 雅春著



 何故そんなに自殺や事故によって死ななければならないかというとそれらの若い人たちは、



みな戦後の教育を受けているからです。その戦後の教育が何を教えているかというと、



『人間とういものは物質の塊にすぎないのである』そして、



『人間は快楽を追求するところの化学的性質をもった物質の塊にすぎないのである』



こういう根本的に唯物論的人間観に立って教育がほどこされている。



だから、快楽追求の欲望が満足できている間は楽しく生きているんだけれども、



”肉体が面白くなくなったら死んじゃったらいいじゃないか、死んだら何も残らないのだ。



人間は物質の塊なんだから”というような考えが青少年の心の底に流れて居る訳で。




はっきりと、そういうような考えを思い浮かべている人もあるであろうし、



そうでなくてもなんとなく人間は物質の塊であると思っている人もあるでしょうが、



そういう考えが底流していると死の誘惑にかかり易いわけです。



現在のような唯物教育を受けている青少年には”死んだら後には何もないじゃないか。



人間は物質だから、物質を砕けば、もうそれでおしまいじゃないか”という考えが背後にあるんです。



(中略)実は現代の教育には生命を尊重する根本となる哲学が失われているわけであります。 























 最近の脳科学ではミラー・ニューロンという細胞が発見され、霊長類の進化の中で言語を


使うことで発達した。


本の中や、テレビや、映画や、舞台などを見ていて感情移入し感動したり、涙したり、


相手の身になってその出来事を受け止める細胞があるから、他人の痛みや、


思いを理解することができる。


しかし、未発達な成長過程段階にある子供が最近バーチャルゲームに没頭し、



親も痛みに対し心の痛みや、身体の痛みについて教えない傾向が多く、学校教育だけの



問題だけのようでもなくなって来ている。











 ある学校の低学年の生徒は、学校の休み(校庭で遊ぶ)時間、先生の死角ともいえる




中庭の様な所で、鉄の棒、支柱、プラスティックのパイプ、角材を持って、



クラスのターゲットを決めて、その一人を追い回し、けつ(尻)バットをして、




ゲームと称し遊んでいる?!



尻には尾底骨があり、当たり所を間違えたら命にも関わる致命傷になる、



中にはそのアイテムと称する武器で頭を叩いて来る者も居る。



要するに、悪意は全く無く、バーチャルゲームの延長としてやっているらしい。






 以前当時小学6年生の男子がこんなアンケートに答え、精神年齢の低さや、



親の教育のあり方について問題視されていたが、



『友達を殺しても、リセットボタンを押せばまた復活出来ると思った』と、



少年が言った記事がある。



”痛み”に対して、モノで叩いても、叩いている本人には痛みを伴わないから、



怒りが収まるまで叩いてしまったら、人間はモノではないし、命ある生き物なのだから、



命を失うこともありうる、機械のように部品を取り替えれば治るわけじゃないし、



”その傷は必ず残るし、心にも大きな傷を残すことになる”と最近の親は教えもしない。






 

 今の親たちは、子供に食事を施し、教育を施し、物欲を満たせば、



親の責任は果たしているとでも思っているのか?



ただ、『やっちゃダメ!!』と言うだけで、啓すことを億劫がって、



『先生が言っているから・あの人が怖い顔するからやめなさい』




そんな程度の言葉で道理も説かずに理解し、納得させることは出来るのかとても疑問だ。



”生命を尊重する根本となる哲学が失われている”危機的状況である。




   




”偽り”

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  人を騙したり、 腹の中では全く別の考えでありながら、 さも自分の考えのような事を言ったり、 振舞ったりする人が時々居る。 私はその人の未来を予測し、 その過程がどのようになるのかとても 興味が湧くので、 遠くで観察してしまう。 ”金のメッキはいつかは剥がれ” 或は ”化けの皮が剥がれる” それとも ”付け焼刃的な一時凌ぎに過ぎないのか” まず、それを主軸にして何らかの 頂点に立ったとしても ”1日天下” で終わり長くは続かないか、 哀れな末路を辿っている。 私は何故、 その人がそのような行動を いつから取るようになり、 人格を形成するときの何らかの、 きっかけがあったはず、 それは何だったのかを 探ってみたくなる。 偽る時は、 ”嘘”と”真実”の 2つから成り立つ。 常に”ウソ”を突き通すには、 アリバイを維持するためにまた、 更にウソを付かねばならなくなる。 相当な記憶力を要するし、 通し続けるのだから 自分に都合の良い様にしか、 現実を受け入れられないのか? しかし、 何十年もそれを続け、 回りを欺き、 その生活が普通に送れているとしたら、 ”きっと今を生ききれて いない侘しい人生” にしか私は感じることは出来無い。 自分の最も大切な物を失うか、 不安と猜疑心の中で 不自由に生きていくかの 2つの選択しか残されていない。 尊敬を集める一身で自分という 人間の人格を殺してまで生きて、 掛け替えの無い価値ある 何かが得られるのか? 戻すことの出来ない時間を 費やす魅力は一体何だろう。。。   



救われない人

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 救われない人の典型が”自分は悪くない”そして、”アドバイスを聞き入れない”




永延と『夫・子供・学校の先生・舅・姑』の悪い点を上げて、文句ばかり云う。




それに貴重な時間を捨ててまで付き合うほど、回りの人達は暇を持て余していないということに



気が付かない限り、孤立の一途を自ら選んでいると早く気が付くべきである。







 自分で産み育てた子供が、”勉強が出来ない”・”覇気がない”・”何を考えているか




分からない”だから、関わりを持ちたくない。




小学校3年生で、全く授業について行けない危機的状態の中で、母親である自分は勉強を教えても




全く理解出来ないし、塾へ入れようと思うが、お金が無いし、本人が『行かない!!』




と言っているから行っていない。




通信教育(教科書に沿った教材)毎月届いても、やらないから止めた。




夫は何も言わないし、協力もしてくれない。




と、このように云うが、矛盾点ばかり浮かんでくる。




”お金が無い”と、云う点だが下の子供には水泳・サッカー等の習い事をさせている。




自分自身はテニスを習っている。



そして、パート等の仕事などしていない。



お金を捻出する努力もせず、上の子供は可愛くないから見捨てて放おって置く。





夫とは不仲で、相談すると『お前の育て方が悪いからこうなったのだ』と、




取り付く島もなく罵声を浴びせられるから、相談しない。




小学校3年生では、掛け算・割り算・分数・小数点等の日常生活で欠かすことの出来ない、




基礎の基礎を学んでいる最中で、雑誌を読んで飽きたから捨てる感覚で子育てをしている



愛情さえ感じない言葉から、希望や自信を失うような育て方をしているのだろうと、




想像するとこの子供の耐えがたい屈辱や自分という人間の価値を取り戻さないと



いけない状態の危機的シグナルをこの母親は全く気が付かないし、責任感さえ感じない。




親はいつまでも生きていることは出来ない、子供が自立出来るように育てて行かなくてはならない。




”この子は好き、この子は嫌い”そんな、単純な事で見捨て、命の責任も取れないのなら




産む資格など無い!!




子供はペットではない!!




そして、自己を正当化するためにPTA等の役員を買って出るが、誰かから賞賛するために




引き受けるのではなく、”誰かの役に立ちたい”この部分を履き違えていることにも気づいていない。




躾とは、”し続ける”道徳・勉強を教え続けるから、進歩があり、発展する。




一段一段階段を登るように、僅かではあるが日々根気よく、啓すから成長し自立出来るのだ。





何が重要で、どう行動を起こさなければならないのか危機的状況の中で、”自分は決して悪くない”




その幼稚な思考から抜け出せない限り、誰も手を貸したり、助けたり出来ない。



   



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