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↑ゆず 慈愛への旅路






  ご存知のように ダ・ヴィンチは 560年前に イタリアの中部都市 フィレンツェに生まれ、 美術の外、数学 ・物理・天文学 ・医学・軍事 ・土木技術等に 天才的才能を 発揮した人です。 ダ・ヴィンチの ミラノ教会食堂に 描いた壁画 ”最後の晩餐” ・・・イエスが 12人の弟子と 食事をとる時 ”この中に私を 裏切る者が居る。 やがて私は 囚われて 十字架にかかるのだろう” と予言する。 その瞬間、 弟子達の心によぎった 驚き・悲しみ ・怒り・疑い____。 ダ・ヴィンチは この時の弟子 一人一人の表情を 渾身こめて描き 込むのです。 この制作時に ある出来事が起こる。 そのエピソードを 『美と健康の創造』 から引用します。 『人生に傑作を描くには、 レオナルド・ダ・ヴィンチが 彼の有名な傑作 ”最後の晩餐”を 描きはじめた頃であった。 ダ・ヴィンチは 友達の画家と激しい 口論をした。 憤激と昂奮とが どうしても彼の 心から消えなかった。 彼はその友達の 画家を憎んだ__ そこで彼はその描き はじめていた ”最後の晩餐”の絵、 即ちキリストが12人の 弟子と共に磔(はりつけ)に なる前の最後の 別れの食事をしている。 そしてユダがキリストを 売るしるしになる場面である。 ”そうだこのユダの顔を あの憎むべき友達の画家の 顔を描き込んでやろう”___ ダ・ヴィンチはこうして 先ず憎むべき裏切りの 表情をしたユダの顔の 似顔に描き込んだ。 そして次から次へと 11人の弟子の顔を 描いて最後に キリストの顔を 描こうとしたけれど、 どうしても彼は キリストの顔を 描くことが出来なかった』 ダ・ヴィンチは気付く。 そして憎しみを捨て 友達の顔を描き直す。 こうしてキリストの 愛に満ちた顔を 描くことが出来た。 『愛は憎しみを両立することは 出来ない。 憎みを捨てない限り、 その人の心の中に ”キリスト”の心は 入り込む事が出来ない のである。 ”キリスト”の絵は 描く事は出来ない。 それは単に”油絵”を 描く問題だけでは ないのである。 その人が完全な人生を 創作しようと思うならば 心から一切の”憎み”を 消し去って 天地一切のものと 和解しなければ ならないのである』__ ここにあるのは 幸福な人生を生み出す 秘訣でしょう。  



美と健康の創造 谷口 雅春著





人間は皆天才となる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_27402783_0?20101211121506


↑AI Story




  我々を神が造った。 神と呼ぶのが嫌なものは 生命といってもよい。 神の力を疑うものは馬鹿者だ。 神が造った万物のなかで その主位にある人間の力を 疑うものは真理を 見る目のない者だ。 我々の内に無限が宿っている。 この無限を掘り出せば人間は 皆天才となるのだ。 天才を、人間は皆もって 生まれて来ているのだ。 それに人間はみな天才にならない。 それは不合理だ。 その不合理は誰がするか。 人間が真理を知らないからだ。 親たるものが真理を 知らないからだ。 ダイヤモンドを持って居ながら 石だと思って捨てて 顧みないからだ。 人間よ信ぜよ、 生まれたままの人間を信ぜよ、 それは幼児だ。 幼児に宿っている天才はまだ 彫琢(ちょうたく)しない ダイヤモンドだ。 瑾(きず)のつかない高貴だ。 表面にまだなんの天才の 閃(ひらめ)きが ないからとて失望するな。 表面を見て神の創造を疑うな。 神が天才を造って人間の ひとりびとりの中に 埋蔵(かく)しておいたのは、 神が人間を安価な 怠惰(たいだ)の中に 腐敗(ふはい) せしめないためだ。 人間自らの努力と発見とを 神が喜び給うからだ。 なぜなら人間は一個の 生命であるから、 発見と創造とに 生きねばならぬからだ。 天才の閃きが我が子に 現れないからとて 我が子を 軽蔑(けいべつ)するものは、 生命を軽蔑するものだ。 神を軽蔑するものだ。 子供を我が子だと思うな。 子供の生命の背後には 無限生命がある。 神がある。 明日火に投げ入れ られるべき野の草の 小さな花ですら、 神でなければ造られない 装いがあることを知る ものは幸いだ。 いわんや造られたものの 主位に位する人間の 子供の天才を疑うな。 子供の天才を生長 させるために必要な根本事項は 神の創造に対する信頼だ。 親は我が子を神の創造だと信じ、 出来るだけ子供自身が 神の創造を自覚し神の創造を 辱(はずかし)めてはならないという、 魂の高貴さを養成する ように努力しなければならないのだ。  


生命の実相 谷口 雅春著


転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

児童の伸びる力

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_27310319_0?20101130140118


↑浜田省吾 反抗期〜陽のあたる場所




  子供の伸びる力は 生命力である、 生命力は神であるから、 放っておいたら必ず よくなるのである。 ニイルは自由教育を説いた。 自由教育とは解放の教育である。 私も解放の教育を説くのである。 生命は解放されたとき スクスクと伸びる。 私は親たちがその子供が上級学校へ 入学しなければ親の 体面都合が悪いから、 是非その子供に入学するように、 その為に極度に勉強するように、 親たちの精神波動で その子供を勉強にまで 縛っている場合でも、 その親たちが言語で子供を 縛ることをやめて一見 放任していることとした場合でも、 その親たちの 『精神的縛り』に対する 子供の反抗はやまないで、 その反抗の無意識的表現として、 勉強に対する嫌悪となり、 退屈をもよおし、 勉強室に座っている ことが実憂鬱になり、 勉強が実につまらない労苦となって、 知らず知らずその子供が 勉強室を脱(ぬ)け出す ようになる実例を知っている。 親の心が、 子供を勉強室に縛っている 場合はその勉強室は精神波動で 十重二十重(とえはたえ)に 縛られているから、 その室内に入るや否や、 子供はなんとなく不快に、 窮屈に、憂鬱に感じて、 その室(へや)から 飛び出したくなり、 外出すれば心の愉快を感じ、 更にカフェーその他へ誘惑 されやすい機会をつくるのである。 そういう場合、 親が私の話を聞いて、 なるほどと思い 『子供は神の子だから そのままで勉強家だ』 と思うようにし、 心で勉強の牢獄に縛り付けて おくことをやめることを やめると間もなく、 その子供が、 勉強室に居ることに愉快を感じ、 勉強室に落着いて 熱心に勉強を始める 実例は数多あるのである。  親が世間の評判を気にして、 自分の虚栄心の満足の為に、 子供に強制的に勉強をさせたいと 思っている場合は、 その子供が不勉強になりやすいのは 上記の理由からである。 ニイルのあげた実例によるならば、 『私の所に7才になる問題児がいるが、 その母親は世間の評判を ひどく気にしている。 母親は自分の子供が近所の人の眼に、 良い子に見えると いうことばかりを願っている。 その結果として 子供は憎まれっ子になり、 排泄物ばかりに興味を持ち、 猿股(さるまた・ 男用パンツ)を汚す ことばかりを面白がっている。 子供はこれによって母親の極端な 潔癖に反逆しているのである。 恥ずかしく思っているのは 母親の自我である。 しかし子供は自分の 反逆的行為によって 母を罰していることを無意識的に 知っているのである』と。 ニイルの言うところは 母の『極端な潔癖』に反逆して その子供が猿股を汚すことを 面白がるのだと言っているが、 母の潔癖になぜ子供が 反逆するかというと、 母自身が潔癖でもそれは問題には ならないのである。 母親の潔癖的精神が子供に まとわりついていて、 子供の精神を窮屈に感ぜしむる までに束縛するとき、 その束縛に対する反抗として、 母親の最も厭(いと)うところの 不潔なことをする ようになるのである。 私は、医者にかかっても、 鍼灸を施してもどうしても治らない 寝小便の子供を、 その母親が少しもその子供の 寝小便について心配しなくならせ、 子供に今晩限り寝小便を しなくなると語らせ、 母親自身もそれを信じて 安心せしむることにした ことによってただの一回で 子供の寝小便が治った 実例を沢山持っている。  


生命の実相 谷口 雅春著



転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_27293499_0?20101128202342


↑久保田利伸 the Sound of Carnival



  私は肉体の病気のことを 説明するつもりではない。 肉体の病気のことを 引用したのは、 真実消えずに抑圧された 反抗観念はやがて形に なって現れてくるもので、 いくら外から縛っても 人間は決してよくなるものでは ないということが 言いたかったのである。 子供に『勉強しなさい』と 言うことをやめて、 『自分の子供が神の子で 放擲(ほうてき)しておいても 必ず善くなる』と 信じなさいと、 私が両親に言ってきかせて、 両親がそれに従った場合に、 その子供がかえって自発的に 勉強し出した実例は沢山ある。 ニイルもまた、 次のような 実例をあげている。 「私の学校で、 学校の方面に関して 上手く行かない子供は、 必ず親に対して怨みを 抱いている子供である。 『お父さんが大学の入学試験に 通らなければいけないと、 やかましく言う間は、 ちょっとだって 勉強など出来るものか、 またしたくもないや』と 率直にいう子供を 私は幾人も知っている。 さらに困難な場合は、 親の圧迫に対する 反抗を内に蔵しながら、 これを自覚して いない場合である。 私はある一人の子供に ドイツ語を勉強させる ようになしえたが、 そらは母親をして その子供に向かって、 ドイツ語をしまいが、 自分はかまわない、 というふうに 言わせた結果である」  


生命の実相 谷口 雅春著




転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/06/53/banecyun/folder/747013/img_747013_27125080_0?20101110175555


↑ポリ リズム / 久保田利伸




  われらは子供の心に、 美しい花を開き、 美味しい果実を 結ぶような種子を 蒔いておこうではないか。 平和の種子、 健康の種子、 和合の種子、 寛大の種子、 自信の種子、 深切の種子をこそ 子供の時に 蒔こうではないか。 日常生活の 子供の前で 言葉や行為で 実行してみせるに 限るのです。  




谷口 雅春著 生命の実相14巻




転載元転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用

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