↑浜田省吾 反抗期〜陽のあたる場所
| 子供の伸びる力は 生命力である、 生命力は神であるから、 放っておいたら必ず よくなるのである。 ニイルは自由教育を説いた。 自由教育とは解放の教育である。 私も解放の教育を説くのである。 生命は解放されたとき スクスクと伸びる。 私は親たちがその子供が上級学校へ 入学しなければ親の 体面都合が悪いから、 是非その子供に入学するように、 その為に極度に勉強するように、 親たちの精神波動で その子供を勉強にまで 縛っている場合でも、 その親たちが言語で子供を 縛ることをやめて一見 放任していることとした場合でも、 その親たちの 『精神的縛り』に対する 子供の反抗はやまないで、 その反抗の無意識的表現として、 勉強に対する嫌悪となり、 退屈をもよおし、 勉強室に座っている ことが実憂鬱になり、 勉強が実につまらない労苦となって、 知らず知らずその子供が 勉強室を脱(ぬ)け出す ようになる実例を知っている。 親の心が、 子供を勉強室に縛っている 場合はその勉強室は精神波動で 十重二十重(とえはたえ)に 縛られているから、 その室内に入るや否や、 子供はなんとなく不快に、 窮屈に、憂鬱に感じて、 その室(へや)から 飛び出したくなり、 外出すれば心の愉快を感じ、 更にカフェーその他へ誘惑 されやすい機会をつくるのである。 そういう場合、 親が私の話を聞いて、 なるほどと思い 『子供は神の子だから そのままで勉強家だ』 と思うようにし、 心で勉強の牢獄に縛り付けて おくことをやめることを やめると間もなく、 その子供が、 勉強室に居ることに愉快を感じ、 勉強室に落着いて 熱心に勉強を始める 実例は数多あるのである。 親が世間の評判を気にして、 自分の虚栄心の満足の為に、 子供に強制的に勉強をさせたいと 思っている場合は、 その子供が不勉強になりやすいのは 上記の理由からである。 ニイルのあげた実例によるならば、 『私の所に7才になる問題児がいるが、 その母親は世間の評判を ひどく気にしている。 母親は自分の子供が近所の人の眼に、 良い子に見えると いうことばかりを願っている。 その結果として 子供は憎まれっ子になり、 排泄物ばかりに興味を持ち、 猿股(さるまた・ 男用パンツ)を汚す ことばかりを面白がっている。 子供はこれによって母親の極端な 潔癖に反逆しているのである。 恥ずかしく思っているのは 母親の自我である。 しかし子供は自分の 反逆的行為によって 母を罰していることを無意識的に 知っているのである』と。 ニイルの言うところは 母の『極端な潔癖』に反逆して その子供が猿股を汚すことを 面白がるのだと言っているが、 母の潔癖になぜ子供が 反逆するかというと、 母自身が潔癖でもそれは問題には ならないのである。 母親の潔癖的精神が子供に まとわりついていて、 子供の精神を窮屈に感ぜしむる までに束縛するとき、 その束縛に対する反抗として、 母親の最も厭(いと)うところの 不潔なことをする ようになるのである。 私は、医者にかかっても、 鍼灸を施してもどうしても治らない 寝小便の子供を、 その母親が少しもその子供の 寝小便について心配しなくならせ、 子供に今晩限り寝小便を しなくなると語らせ、 母親自身もそれを信じて 安心せしむることにした ことによってただの一回で 子供の寝小便が治った 実例を沢山持っている。 |
生命の実相 谷口 雅春著
転載元: climb a door 幸せは, まず家庭から。記事は本を引用
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