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書庫真・善・美の世界がある

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大道は行き詰まらず

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↑クラシック名曲のラプソディー




  『神は大道であって私達を縛るところの 窮屈なる道ではないのである。 人に応じ、時に応じ、 場所に応じて、 最も適切なるところに通ずる ”道”である。 この”道”に載るとき、 私達は如何なる場合にも行き詰まる ということはないのである。 行き詰まるようなとき、 私達は如何なる場合にも 行き詰まるという ことはないのである。 行き詰まるような道は、 ”大道”ではないのである。 人間の我の心で造った道で あるから途中で行き詰まる ことになるのである。 人間の智慧才覚(ちえさいかく)で、 ”これが善であると固く掴んでいる” ような道は本当の 道ではないのである。 それは大道ではないのである。 では、大道に載るには 如何にすべきであろうか。 そのためには、 ”人間智”を棄(す)て なければならないのである。 ”人間智”が無くなった ところに、 神の智慧があらわれるのである。 自我を放棄し、 自我を超えたとき、 あたかも積乱雲の 上にまで飛行機が飛翔すれば、 常住(じょうじゅう)の 蒼空(あおぞら)の輝きが 見えるように神の 智慧が輝きはじめるのである』  

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自由と開国

http://www.youtube.com/v/ktjHzoOwc74?fs=1&autoplay=1&loop=1
↑Hey Jude and Yesterday with Japanese instrument



  従って国家でも、 中心者としての存在が必要であるが、 大統領と天皇とを比較するならば、 ”永続性”を端的に 表現する点において、 後者がより完全であり、 実相に接近していることは 明白であるまいか。 この理想的形態が日本に於いて、 歴史的に追求されて 来ているということは、 日本の一大特質である。 従ってこの国は、 神の国の『自由』に於いても、 さらに追求を重ね、 より一層法の支配する 『真の自由国家』 となるべきことは当然である。 ただ、現実の国家は、 まだ極めて未熟であり、 現象的完全さが混在するから、 『自由』も亦(また)不完全であり、 『中心帰一』も 不足気味である。 その結果、 日本は過去の歴史に於いて しばしば失敗を重ね、 満州事変以来、 大東亜戦争に至るまで、 失敗を繰り返して来たのであった。 現在は、真の 『自由』を追求する ことを忘れ、 利己的勝手気儘 (りこてきかってきまま) や欲望を中心にして、 それを保全しようとばかり 努めている有様(ありさま)である。 それは『道』に外れたところの 利己的エセ自由であったり、 真の中心に帰一するのでは なくしてボス的存在に従って、 その勝手な命令に従うといった エセ中心帰一で あったりするのである。 例を上げれば、 古くは徳川幕府を守るために、 天皇中心の考えを 放棄していたり、 軍が攻撃されたといって、 一部隊長や軍参謀の意見に従い、 天皇の平和の御努力を 考えずに全戦争に向かって 突き進んで行ったような 過去の事実はいくらでもある。 最近は日米構造協議でも、 官僚や所管大臣の意見 (あるいは業者の圧力)が、 より中心的存在である 首相の意向を 抑えこむような 実例も起こるのである。 一方このような自由化的要求は、 アメリカ大統領から 出されていても、 それが全地球的な本来象に 相応しい提案であれば、 『内政干渉』だなどと いう理由で拒否すべきものではない。 確かに『内政干渉』という言葉は、 古くから使われている。 第一アメリカがペリーを 使って『開国』を迫った時も、 内政干渉と言えたかも知れない。 日本はそれまで 『鎖国政策』をとっていて、 国内市場の自由化を 厳しく拒んでいた。 日清戦争後の 『菱東半島返還』 の三国干渉などは、 明らかに日本と 清国との取り決めに 対する干渉であった。 しかし、 国と国との交流が進み、 その間の貿易や 交際が活発化するにつれて、 今までの他人間の 交渉とは違った、 家族乃至(かぞくないし)は 夫婦間の交渉のような 親密さを加えて来るのである。 そうなると、 相手の『拒絶反応』は 非常に心外だという 考えが出て来て、 お互いに干渉し合う のは当然の結果となる。 このような時もその要求が 理不尽であれば斥(しりぞ)け てもてもよいが、 世界の自由貿易という 『自由化』の方向に 向かいている以上は、 それは同時に新しい 『開国の要求』であるから、 より一層門戸を 開いてよい筈である。 その結果、 日本は経済的にも文化的にも、 強力になることは明白である。 国の門戸を開くことが、 神意に叶い、 『自給自足』はそれに 反していることは、 以前から度々紹介した 通りだからである。 又この証明は、 日本が明治開国を 行って以来大いに発展し、 さらに戦後の自由貿易体制下 で黒字を積み重ね、 ”経済大国”と呼ばれる ようになって来たことでも 明らかであろう。  



法と中心点

http://www.youtube.com/v/LLkgNXgpNu0?fs=1&autoplay=1&loop=1
↑東儀秀樹 / Silent Emotion



  神の国こそが 全ての実在であり、 それ以外に ”あるものなし”である。 言い換えると 『神の支配し給う国』 のみがある。 この神の国との関係は、 理念的には神が 『中心者』であり、 それが真理であり、 道である、 即ち『神こそ道なり』 ということになる。 しかもこの『実相』(実在)は 3次元や4次元の 時空間では表現し 切れないところの 『完全円満、死も消滅もない世界』 である。 それをかりに3次元空間 に表現するならば、 円形か球形をもって 示す他はない。 又それは4次元の 時空間に表現すれば、 球形の時間的 永続形態となるであろう。 しかもこの『神の国』には 限界がないのである。 何故なら渾て渾てであるからだ。 物質世界がビッグ・バン によって展開し、 『限界がある』 と考えるのは、 物質界という時空間的 現象を考えているからであって、 実相世界には限界がない。 しかしその中心という 『特異点』はありうるのだ。 それは現象的には円や 球の中心であるが 、限界なく次元を無限に 拡大したとしても、 中心的特異性が消えることは ない筈(はず)である。 特異点以外の一切は 『平等』でありえても、 この特異点はやはり『特異』な 存在であり『平等』を 越えているのである。 もし無限次元に於いて、 特異点が全く解消されて 実在性を失い、 全てが平等化される 均一化されるならば、 それは『神』という 『法則』・『道』が なくなることでもあって、 虚無的な空(くう)に ならざるを得ないであろう。 『法』があるということが、 真の意味での『空』であり、 それが『道』であり、 同時に『自由』でもある。 法則のある所にのみ、 自由がありうることは、 吾々が日常日常生活の中で 体験している所である。 『法』や『道』を 無視してカオスの中に 自由などはないことを、 吾々は先験的(せんけんてき)に 知るのである。 そして又その 『法』を探究し、 現象的に表現 しようとするから、 真・善・美の 追求が有意義である。 そこで、 現象界の凡(あら)ゆる 事情(国・家・社会・団体・組織 ・天体系・物質構造等) に中心があり、 それ自体を代表したり、 そこに帰一したりするのである。 又それは ブラック・ホールが その中心に特異点を持ち、 そこに退縮して、 やがて吾々の視界から 去るようなものである。  





http://www.youtube.com/v/r8RyntXA6fQ?fs=1&autoplay=1&loop=1
↑東儀秀樹 夜空ノムコウ



  昔から日本に 行われている週間でも、 良い伝統もあるが、 悪い習慣もある。 何でも昔こうだったから、 今でもそうでなくては ならぬと思うのは間違いで、 昔日本男子はチョンマゲ をゆっていたから、 今でもそうあるべきであり、 現代のような欧米と同じ スタイルは『伝統的に反する』 などと言い出すと、 少しどうかしていると 思われるであろう。 それならチョンマゲは もういけないかというと、 決してそうではなく、 今までも大抵の日本人は チョンマゲが似合うし、 お相撲さんの頭髪なんかは 大変よくおさまっている。 多分相撲を取る上にも 都合がよいのであろう。 ただし、 あれは衣服とも適合して いなくてはおかしい (バランスがとれない)から、 和服かフンドシが 似合うようである。 それは丁度高島田に ロング・ドレスでは、 ちょっとどうかと 思われるような ものである。 このように、 部分的に見ると、 昔の日本的なものには、 たしかにとてもよい 美点があるが、 生活様式全般から見ると、 椅子式の生活や乗用車の 使用等から考えて、 どうしても世界は 均一的な文明に 移りつつあると言える。 しかしこんな 中にあっても、 残すべき美点や 個性的な良さは、 伝統として護(まもる) べきである。 ところが、 口で言うのは簡単だが、 実行面ではでは 中々問題がある。 それは、 何をよしとし、 何を悪乃至(わるないし) は不適当とするかの ”基準”が明確で ないからである。 例えば日本の伝統である 天皇を中心とした制度と 大統領を比べてみて、 日本では大部分の人が 天皇制を支持しているが、 唯物論的社会主義を 信奉(しんぽう) する一部の人々は、 大統領制に移行すべし、 ソ連がやった ペレストロイカを 日本でもやれと、 (言わないにしても) 思っているのである。 そしてその方向に 傾いている人々は、 主として日の丸や 君が代に反対し、 今でも騒がしく 論じ立てている。 あるいは又、 自由主義か 社会主義かの問題でも、 個人的にはテンデバラバラであって、 そのいずれが善か悪かに ついての絶対的評価は 中々難しいのである。 しかし、ただ1つ、 実相世界はどうであるか ___を沈思黙考 (ちんしもっこう) するならば、 その本来的世界を、 この世にも出現させ、 できるだけそれに近づけ ればよいということ分かるから、 吾々はその方向を歴史的にも 追求して行くのが最善で あると思うのだ。  

谷口 清超著

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