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▼質問
イエスの復活について
イエスが刑死した後、葬られた墓が3日後に空になっていたという記述が聖書にありますが記述内容が事実だと仮定すると、死体を誰が持ち出したと考えられますか?
また、墓は大きな岩で塞がれたというのは、当時の風習からすると、どれくらいのレベルの岩ですか?一人では動かせませんか?(無理なら死体持逃げ犯は複数?)
また、墓が空だったというエピソード自体(復活というような類例が他の歴史叙述にも数多く見られる場合)が捏造という可能性は、幻視(こっちは単なる夢?)・奇跡などの記述に見られるような、当時の史料作者たちの記述スタイルを考慮するとありえる話ですか?
▲回答
聖書は宗教で、神の書かれたシナリオを神様が演出をされているものですから、物理的な問題を超越しているのです。
現実を使って霊性を表す、死体を消したり、生きている者にすることは神様には出来るのです。
現実と幻の入り混じっているのが世界の実相です。ですから神人のあん、あめんの呼吸あわせの宗教が生きており、人は考えるアシ(善し悪しを考える天使の働きによって神に帰る天子)であるのです。
このイエスの復活劇は、二千年後の現在へのイエス(聖書、神真理)の復活の例えであるのです。
イエス様の墓は岩宿で、天岩戸開きの日本の神話に通じた教えとなっているのです。
岩戸の中に隠されていた日の神(天国=永遠建魂とわだこへの真理の道を照らす=あ間照らす)が復活する時は、月の代の殻田作りの産業革命の開花が終わって、実ち作りに方向を切り替えなければ成らない、、合理主義の商人根性の腹黒の扉を開けて、日の光で虫干し(切腹=侍)をしなければ成らないということです。
世界も個人も損得の我利本能を捨てて、利他愛に生きることが火の洗礼を積極的に受けることである、自発的に己を浄化すれば、神による洗礼は楽にパスすることができる。己の扉を開けるのは容易ではない、これが岩戸の意味で、●自分で開けるか、神が開けるまで目覚めないか?二つに一つの選択しかないと警告されているのです。
ペテロは岩と呼ばれました。そして天国への鍵を渡されています。
ペテロは初代教皇でペテロ=教会(聖書の救いの智恵)です。すなわち、教会の教えが天国への重い扉を開ける鍵であるのです。
正しい鍵=正しい聖書の解釈、ですが、ペテロはイエス様にこういわれています、「ペテロよ、お前ははじめは自分で自分の腰紐を結んでいるが、やがて、他の者達がお前の腰紐を結んで生きたくない方向へ引っ張って行かれるであろう」、
ペテロの正しい解釈は間違った解釈に飲み込まれるという予言です。
これは使徒行伝でペテロの理解は民衆の支持するパウロの説に飲みこまれてしまうとあります。
パウロは羽洞=穴の開いた羽=天に飛べない、で、十字架刑によってイエス様は人間の罪を背負ってくださったという誤った解釈ですが、現に今これが常識の解釈になっています。
十字架刑は聖書の全てである、と書かれています。で、自分自らを反省して、天地一切神の声、良くなる仕組みあるのみ、を理解して人生に与えられる艱難辛苦はすべて、母神の与える厳粛なる愛の魂のパンであるこして、怠けずに、逃げずに受け取って行くべし、
すなわち、イエス様は荊冠を被ってユダを演じて、精神を裏切れば十字架刑による浄化の洗礼をうけなければならない。これは火の洗礼、ハルマゲドンとして必ず受けなければならないと定められている。「わたしは渇く=ドライ心」に目覚めて反省して、人々の差し出す酸い葡萄酒(運命の苦難)を受ける施生活に切り替えれば天国に迎えられるであろう、で、本来罪がな無く、刑を受けるいわれのないイエス様が荊冠を被って、十字架刑にかかって、反省と生活の転換による救われの道の手本を見せてくださったということです。
●パウロ説=現在の教会の教え=イエス様が私達の罪を背負って私達の罪穢れを取り去ってくださった。
●ペテロ説=正しい解釈=自分の罪は自分で償わなければならない、反省を主は必ず受け入れてくださる=イエス様はコーチであり、選手として戦って戦果を得るのは自分である。
岩戸=精神(火=日陽霊=アダム=イエス)と肉体(水=月陰物=エバ=ユダ)を結ぶ首(考える=選る咲礼謀=エルサレム)のことであり、精神と肉体を組む工夫に悩むことによって、人の魂は真珠に育つ=クム、クフの白い王冠の力は強大だ=皇冠(クフ王のピラミッドのメッセージ)
=精神の刀(首、十)で腹の虫の蝮をお治めれば「辺=道=辻」の帆掛け舟、ノアの方舟となって彼岸に渡ることが出来る
4月7日に処刑、8日は墓の中、9日の朝に復活、これは、七は産業革命の開花の夏で、八は育った殻田の秘密(蜜)を探る蜂、開智の働きに悩むべし、九は神の法(ノ←の十←あ=天)に人が手(て=ん=運)を組んで実魂を結実する時の晩秋
この時、真理の御霊(ヨハネ16章、イエスに栄光を与える=聖書を翻訳する者で、イエス自身ではなくヨハネである)が現れて世界に真理を表して救いの光りとなるのである。
イエスの復活に最初に出会ったマグラのマリアは、庭師だと思っていた男の声を聞いて「ラボニ=羅母邇=主」であることに気が付いた=イエスの復活は世界が想像していなかった形で現れる、声を聞く=諏訪=主に和す=48音=ヨハネ=アイオーンの光る雲がイエスとユダを包んで変容して輝かせた=あいおーんの光る雲の中で天使サクラが人間を考案して作ったのである(ユダの福音書)=「ノアの方舟とは世界が闇に包まれたときに光る雲のある場所のことである、これが宇宙の秘密である」とイエスは処刑の三日前にユダに’打ち明けた。
つまり、産業革命の開花後の実魂作りの晩秋に救い手となるのは日本語の言霊と漢字の諏訪である、この智恵を得て、腹の石の扉(頑固傲慢、真無視)をあけて虫干しする(反省に生きる)ことが、天国に迎えられる道であるということです。
今日までの差戯れ意思を意和王として、虚仮を蒸すべし=君が代=アンサム=あん、あめん、あみん、あもんの神人のキャッチボールの作務を完成させなければならない。
漢字、地理、歴史、一切神ノ声 最後の学問「秀思學」のすすめ
最後の晩餐に君が代の旋律が秘められている
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嫌な現実ですが世の中御金しだいです、今高額の宝くじを当てて本当に困って居る多くの方に寄付する気持ちで宝くじ、の占いを研究しています、ロト6は良い時で70%から90パーセントまでで、完全
には無理の様です、九星術で風水盤を使うのが確立が良いですが、宜しかったらアドバイスを下さい
本気で世のため使う気です、私欲では業「カルマ」で当てる事は不可能と知って下ります、どうかお知恵をお貸し下さい。
2009/8/10(月) 午前 6:48 [ - ]
神様がもっとも嫌うものはギャンブルです。魂は額に汗することによって育つと定められているからです。
寅さんは競馬で当ててオイちゃん、オバちゃんを喜ばせようとハワイ旅行を計画しましたが、詐欺と泥棒にあってパーになりました。
大原麗子さんの二度の役はいずれも米国のギャンブル型から逃れられないものであり、この延長の教えが8月6日の遺体の発見と広島(安い芸)の被爆に繋がって、ギャンブル思考を神は戒められたのです。
困っている人に手を差し伸べる気持ちは大切になさるべきですが、宝くじという発想には神は決して手を貸してくださらないでしょう。
2009/8/10(月) 午後 10:37